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プースカフェを楽しみましょう


迎えた翌日、クリスマスイブ当日。天気は快晴。空気は当たり前のようにひんやりと澄んでいて気持ちが良い。
行きます、と明確に約束したわけではない。けれど、朝起きてからずっと、今日の夜はどんな格好で行こうかと悩んでいる時点で、私はすっかり彼の策略にハマっていた。というか、昨日彼と別れた時点で、行くということはほぼ決定していたのだけれど。ちょっとした出来心で誘っただけでホイホイお店に行くような私みたいなチョロい女は、お店にとっていい鴨なんだろうなと思う。けれども残念なことに、私は彼の思惑通り、着々と準備を進めてしまっていた。
今日は昨日と全然違う。バッチリ化粧したし、綺麗に洗濯されたほつれも毛玉もない服を選んだ。靴だって最近買ったばかりのショートブーツだし、ネイルまで抜け目なくやり終えた。そうしてすっかり暗くなった夜7時過ぎ、私はバーの扉を開ける。


「…いらっしゃいませ」
「別に誘われたから来たわけじゃなくて、たまたま買い物の帰りに思い出したから寄っただけです」
「俺、何も言ってませんけど」


口では何も言ってこなかったけれど、彼の顔には思いっきり書いてあった。ああ俺が誘ったからそんなに気合い入れた格好で来てくれたんですねありがとうございます、って。だから私は必死に、見え透いたバレバレの嘘を吐いてでも虚勢を張った。たとえ彼の予想通り、彼が誘ってくれたからわざわざこんなに気合いを入れた格好で来ているとしても、それを素直に認めたくはなかったのだ。だって、なんだか悔しいじゃないか。全てこの男の掌の上で踊らされているみたいで。


「何にされますか?」
「クリスマスイブに相応しい飲み物を」
「難しいこと言うね」
「バーテンダーってそういう仕事なんでしょう?」


1番奥のカウンター席に座りながら面倒臭い注文を押し付けてみる。これは、いつも飄々としている彼が困る姿を見てみたいと思ったからだ。けれども彼は、難しいこと言うね、なんて言ったくせにそこまで悩む素振りもなく、ワイン飲める?とだけ確認してきた。


「飲めます」
「赤と白どっちがお好み?」
「…私に似合いそうな方で」


こんなことを言ってまで彼を困らせようとして、私は一体何がしたいのだろう。自分でもよく分からなかった。まだお酒は一滴も飲んでいないのに、まるで酔っ払っているみたい。そんな困った客である私に対して、何言ってんのコイツ、みたいな雰囲気を醸し出すことなく、彼は恭しく、かしこまりました、と言う。バーテンダーとしては花丸。100点満点の対応だ。けれども私はそれが不服だった。非の打ち所がない対応をされるのは、つまらない。
カウンターの向こうで、彼が小さな鍋に液体を注ぐ。そこに何やら果物を入れて温め続けているとほんのり甘くて良い香りがしてきた。匂いだけで分かる。きっと美味しいんだろうなあって。料理と同じように、飲み物でも食欲をそそられることがあるんだなあと感心した。そうして出来上がったらしいそれが注がれたグラスからは湯気が出ていて、見るからに温かそう。


「外寒かったでしょ」
「冬ですからね」
「それであったまってください」


ヨーロッパではクリスマスにホットワインが定番なんだって、と豆知識を添えながら提供されたそれを一口飲む。果物の爽やかさとシナモンの香りがとても心地よくて穏やかな気持ちにさせられた。いつも思うけれど、彼はとても上手にお酒を作る。私は技術のことなどよく分からない素人だけれど、こちらの要望に沿ったお酒を毎回提供できるというのは凄いことなんじゃないかと思う。
グラスの中の透き通った赤い液体。ああ、赤ワインなんだ。それに気付いて、そういえばと思い出す。


「私には赤の方が似合いますか?」
「んー、まあ、クリスマスカラーなんで」
「ああ、そういうこと…」
「それ以外の理由がないこともないけど」
「…と言うと?」


少しずつお酒を流し込みながら尋ねれば、ナイショ、とはぐらかされた。こちらから仕掛けたというのに、なんだか負けた気分だ。本当はもっと突っ込んでききたい。けれど、どうせ上手にかわされるということは分かっていたので、それ以上その話題を引き摺るのはやめておいた。
さすがクリスマスイブというべきだろうか。ふと周りを見れば今まで来店した時に比べてカップルの姿が多く見られ、私はこんなところで一体何をしているんだと改めて虚しさに襲われる。けれども彼はそんな私の心情までも察しているのだろうか。それなりに忙しいはずなのに、他のお客さんの相手をしながらこっちにも時々声をかけてくれて、上手な接客をしてくれた。もし誘った責任みたいなものを少なからず感じているのだとしたら、1人ぼっちの寂しい女に気を遣わせてしまって申し訳ない。
ただ幸いなことに、私以外にも1人で飲んでいる人はちらほらいた。そのおかげもあって、私はなんだかんだでフードメニューのソーセージやチーズをつまみにゆっくりお酒を飲みつつ、時々携帯をいじったりしながらゆったりとした時間を過ごすことができた。そうして気付けば、時刻は夜の10時を過ぎようとしていた。1人で3時間も居座っていたことには驚いたけれど、それほどまでに楽しい時間を過ごさせてもらったということになるのだろうから、誘ってくれた彼には感謝しなければならないのかもしれない。
さて、明日は仕事だし、そろそろ帰った方が良いかな。そんなことを思っている時だった。彼がこちらに近付いてきて、そろそろ帰ります?と尋ねてきた。よく見ているなあと思う。私以外にも沢山のお客さんを相手にしているというのに、こうもタイミングよく話しかけてくるなんて。


「いつの間にか3時間もいたから…そろそろかなって」
「じゃあこれ」
「はい?」
「今日クリスマスイブなんで」


そう言って手渡されたのは小さな包み。可愛らしくラッピングされたそれは、どうやらクリスマスプレゼントのようだった。


「お店のサービスですか?」
「まあそんなとこ」
「開けても?」
「どーぞ」


許可を得て開けば、クリスマス限定なのだろうか、サンタクロースやトナカイのイラストが描いてあるパッケージのコーヒーとチョコレートのセットが入っていた。気兼ねするほどではない。けれど、もらったら嬉しい。プチギフトとしては非常にセンスが良いと感じさせるものだ。


「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「これ、黒尾さんが選んだんですか?」


なんとなく気になって尋ねてみれば、珍しくちょっと驚いた顔をされて不思議に思う。話しの流れとして何もおかしなことは口走っていないはずなのだけれど、比較的ポーカーフェイスが上手な彼の表情を変えさせるようなことを何か言っただろうか。
少し不安になりながら返事を待つ私に、彼はゆっくりと口を開いた。俺の名前覚えてたんだね、って。私の気のせいでなければ、ちょっと嬉しそうに。


「そっちだって最初、私の名前覚えてたじゃないですか」
「まあね」
「何かおかしいですか?」
「いいえ?…それで、それ選んだの俺だけど、それがどうかした?」


もしかしてプレゼントに対するクレーム?と笑う彼は、やっぱりちょっと機嫌が良さそうだ。どうしよう。いつもの営業用スマイルとは違うその悪戯っぽい笑顔に、私は惹かれているかもしれない。客と店員。だけど、時々砕けた口調で話しかけてくれる。実はそんなことにもいちいち心を震わせていた。これはお酒で酔っ払っているせい?それとも、それとも。


「黒尾さんってモテるでしょう?」
「急にどしたの。酔ってます?」
「酔ってますよ、それなりに」
「1人で帰れます?」
「…帰れないって言ったら、どうするの?」


ほんの出来心。酔った勢い。クリスマスイブの魔法。何でも良かった。もう少しここにいる理由になるのなら、何でも。
黒尾さんはほんの数秒固まってから、やがて困ったように眉尻を下げて。また送らなきゃいけませんね、と。そう言った。とくり、とくり。心臓の音がやけに大きく聞こえてきたのは、彼のせいに違いない。そんな私の目の前で、静かに、ゆっくりと、時間をかけて、丁寧に。彼がカクテルを作る。たぶん、私のために。


「これ飲んだら絶対酔うと思うから見て楽しむだけでいいよ」


メリークリスマスという言葉を添えつつ出されたのは、一層ごとに色が違う虹色のカラフルなお酒。こんなの見たことがなかった。とても綺麗。宝石箱をぎゅっと凝縮したみたいな、そんなお酒だ。
見て楽しむだけで良い、と。彼は言った。けれど、飲むなとは言われていないから。細いストローでちゅるり、1口飲んでみる。濃厚なお酒の味にくらくら目眩がした。

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