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「イエロー・パロット」


彼が強引かつ姑息だったとは言え、その提案をきっぱりと断りきれなかったのは自分だ。それにあの提案(というよりお願いに近い)はあくまでも彼の「ワガママ」なのだから、堂々と無視したって構わないだろう。そう思っているくせに、次彼と2人きりになったらどうしよう、などと考えている私は、まんまと彼の術中にハマっているのかもしれなかった。
何にせよ、私の精神の安定を保つ上では非常に厄介でしかない約束をしてしまったものだと嘆いていたのは、ちょうどビアガーデンに行った翌週の金曜日のこと。今日はうちの会社に彼の会社の人間が数名やって来てミーティングを行うことになっていたのだけれど、急遽こちらから向こうの会社に行くことになってしまい準備に追われていた。
私は事務処理全般を請け負っているだけなので準備が終われば上司達を送り出して自分の仕事に戻る予定だったのだけれど、雑用全般を任せられる人間がいた方が便利だから、という、これもまたひどい理由で、引っ張られるようにして同行させられている。私自身の仕事だって山積みなのに、この仕打ちはあまりにも酷い。特別ボーナスを支給してもらいたいぐらいだ。
私は心の中で目一杯悪態を吐きながらも、大人しく上司と立派な会社に足を踏み入れた。受付嬢のお姉さんも、案内のために現れた事務員であろうお姉さんも、この会社は顔で採用を決めているのか?と疑いたくなるほど綺麗で目を見張る。こんな会社で働いていたら男性社員の目は肥えてしまうだろうな、などと思ったのは彼の存在が頭を過ったから。いけないいけない、今は仕事に集中しなければ。
そうして通された会議室には、彼ともう1人の担当者、そして彼女が待っていた。彼女はうちの会社との仕事を一緒に行うメンバーには入っていなかったはずだけれど…なんて思ったところでどうにもならない。なぜなら彼女はこの会社の社長令嬢なのだ。好きな仕事に好きなように口を出せる立場なのかもしれない。まったく、腹立たしい。
腹の内では嫌悪感と居た堪れなさでいっぱいだったけれど、私は一社会人として必死に仕事に取り組んだ。その甲斐あって、ミーティングは難なく終了。彼とは何度か目が合ったけれど、特別な意味はないのだろうからすぐに逸らすことを繰り返していた。
さて、とりあえずこれでこの場から退散できる。そう思っていた私と帰り支度をしている上司に悪魔のような声をかけてきたのは、当然の如く例の彼女だった。


「ちょうど昼時ですし、一緒にランチでも如何ですか?」
「ああいいですね」


上司は二つ返事で了承していて、お前も良いよな?と、既に了承した後で私を道連れにする。良いよな?って、良いという返事を前提にしたセリフではないか。はっきり言おう。全然良くない。しかしビアガーデンの時同様、これも付き合いだと思えば断ることもできず、私と私の上司、彼と彼女というなんともいえないメンバーでお昼ご飯を食べることになってしまった。最低最悪だ。
こうなったらもう腹を括るしかないと諦めた私は、嫌なことはさっさと済ませてしまおうと、彼女がよく食べに行くらしい会社近くのお洒落なカフェまで足早に移動した。私の正面に彼、その隣に彼女、上司は私の隣の席という配置で落ち着く。


「鉄朗さんともよくここに来るんです。ね?」
「あー…まあ、」
「仲がよろしいんですね」
「そう見えますか?」


あまりにも白々しい会話にうんざりした。耳を塞ぎたいのは山々だったけれど、まさか大切な取引先の担当者と社長令嬢の前でそんなことをするわけにはいかないので、私はメニューを見ることで視線を外し聞こえないフリを決め込む。
彼女は私と彼の関係を一体どこまで知っているのだろう。何も知らずにただ惚気ているだけならば諦めもつくけれど、もしも私が元カノだということを知っていて牽制、もしくは現状を見せつけるためにこんなことをしているのだとすれば、相当性格が悪い。そしてこの愚行を止めない彼もまた、嫌な男だと思った。


「名字さん、どれにするか決めました?」
「え、あ、えーと、」


メニュー表をずっと眺めていたくせに思考が全く別の方に向いていたために何も決めていなかった私は、彼女の声で慌ててもう一度メニュー表に目を落とす。けれどもこういう時にすぐ決められないのが私のダメなところだ。どうやら私以外の面々は既に何を注文するか決めているようで益々焦ってしまう。そんな時だった。


「これ、美味いですよ」
「え、」
「たぶんお好きじゃないかと」
「…じゃあ、これで」


私に助け舟を出したのは正面に座っていた彼。何も知らない人からすれば、このお店によく来るからオススメのメニューを知っていたのだろう、と思う程度の口振り。けれども私だけは気付いていた。彼が勧めてきたものが私の好みの料理だということに。たぶんお好きじゃないかと。そのセリフに、お前の好み忘れてねぇよ、という意味が込められていないかと期待したくなっている自分の未練がましさに嫌気がさす。
繰り広げられる会話は仕事関連のことと彼女が時折こぼす彼の惚気話。だから食事の時間は本当に苦痛で、早く帰りたいとしか思えなかった。美味しいですね、とは言ったけれど、正直なところ味なんてほとんど覚えていない。彼はこの状況をどう思っているのだろうか。気にはなったけれど、それを確認する術はなかった。
せめて少しでもこの空間から離れようと、食事を終えてすぐに席を立ってお手洗いに向かう。できるだけゆっくり、無駄に時間をかけてお手洗いを出れば、そこには彼が壁に背中をあずけ腕組みをした状態で立っていて、心臓がひゅっと竦んだ。どうしてこんなところに。これではまるで私を待っていてくれたみたいじゃないか。


「だいじょぶ?」
「何が、ですか」
「んー…ちょっと顔色悪いかなと思って」
「……優しいんですね」
「知ってたでしょ」
「嫌味って分かります?」
「…良かった、普通っぽくて」


トイレから離れた席とは言えすぐ近くに彼女がいるというのに、彼は敬語を使わない。それどころか、ぽんぽんと頭を撫でてトイレに消えて行ったりするのだから卑怯すぎる。これはルール違反ではないだろうか。敬語をやめるのは2人きりの時だけって約束だったのに。それ以前に、ボディタッチは反則だ。
きっと今の動作は彼にとってはなんでもないことだったのだろう。野良猫が擦り寄ってきたからちょっと頭を撫でただけ、みたいな。そんな軽いノリだったに違いない。けれど私は彼に触れられただけで、いまだにあの頃の熱を思い出してしまう。そういう面倒臭い女なのだ。
自分が今どんな顔をしているのかは分からない。けれど、このままの状態で席に戻るわけにはいかないということだけは確かだった。パンパンと軽く両頬を叩く。そうすることで、私はなんとか表情を整え、席に戻ることに成功した。


「鉄朗さんと会いました?」
「え?ああ、はい、さっきそこで…」
「何か話しました?」
「特に…何も」
「…そうですか」


その質問に何の意味があるのだろう。私にそれを確認して、何がしたいのだろう。もしも本当のことを答えたら、彼女はどんな反応をするのだろう。全てぶち撒けてやりたいという本音と、そんなことをするわけにはいかないという建前のぶつかり合い。そして私は当然のように建前を優先する。私の感情だけで全てを壊すことはできないからだ。
彼が席に戻ってきて間もなく、会計を済ませた私達は店を後にした。それではまた、と社交辞令的な挨拶をするのは社会人として当然のこと。いくら心の中で、もう2度と会いたくない、と思っていたとしても、それを口にすることはない。それが大人というものだ。


「名字さん」
「…なんでしょうか」
「次そちらに伺うまでに取りまとめておいていただきたい資料があるのですが」
「分かりました。それでは後程メールにて…」
「すみませんがこの後、少しだけ彼女と打ち合わせするお時間をいただいても?」
「え?ああ…はい…どうぞ…」


初めて彼に苗字で呼ばれた。しかし今はそんなことに戸惑っている場合ではない。
打ち合わせ?そんなの絶対に嘘だ。仕事の内容なんかじゃない。私はそう確信していた。だって、資料のことなんて私じゃなくて上司に伝えれば済む話だ。メールでもいい。それなのにわざわざ私を指名して、この後すぐに打ち合わせをしたいと言う。そんなの、どう考えたっておかしい。
けれど、有無を言わさず話を進めていく彼は、私の上司を見送ってから私と彼女を引き連れて会社に戻り、私だけを会議室に放り込んだ。数分後、彼だけがその空間に戻ってきて、図らずも私達は2人きりとなってしまう。


「黒尾さん」
「仕事の話…じゃないことは分かってるか」
「どういうつもりですか」
「敬語」
「今はそんなことより、」
「ほんとは」


彼は私を見つめていて、私も彼を見据えていた。似合ってはいるけれど見慣れないスーツ姿。私はやっぱり、バーテンダーとして仕事をしていた時の彼の姿の方が好きだなあと実感させられる。


「ほんとは、後悔してる」
「仕事のことですか」
「それもだけど、」
「黒尾さん」
「…、」
「黒尾さんが決めたことでしょう?」


彼は目を見開いて驚きを露わにしていた。きっと私が彼の言葉を遮るとは思っていなかったのだろう。私だって自分自身の言動に驚いている。けれど、これでいい。だってどんな理由であれ、私を捨てたのは彼なのだから。

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