×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

待ち焦がれたライラ


2月のイベントと言えば節分、それからバレンタインデー。豆まきまではしないにしても恵方巻きはなんだかんだで毎年食べる。けれど、バレンタインデーにはあまり縁がなかった。学生時代から、彼氏がいた時も市販のチョコレートをポイっと渡すぐらいしかしたことがなくて何の思い入れもないのだ。けれど、今年はどうしようかなと本気で考えていた。学生じゃあるまいし、いい歳してチョコレートを渡そうかどうしようかとドキドキそわそわしている場合ではないのだけれど、彼が相手となると精神年齢が随分と低くなってしまう。
さすがに手作りチョコをプレゼントするようなことはしないけれど、せめて少し高級なチョコレートぐらい用意しようかな。そんなことを考えながら買い物をしていた土曜日の昼すぎ。ふらりとデパートのバレンタイン特設コーナーに足を運んでみたら沢山の女性がいて、皆揃いも揃って誰かに渡すためのチョコレートを必死に選んでいた。さて、私はどうしようか。
うろうろ、特にお目当てのものがあるわけでもなくなんとなく見て回っていた私は、どれ買うの?と突然声をかけられて、びくりと肩を跳ねさせる。振り向けばそこには、私がこの売り場をうろついている発端となっている人物、黒尾さんの姿があった。途端、私の今日の格好おかしくないっけ?化粧ちゃんとしたよね?などと気になってしまうのは、恋する乙女なら仕方のないことだ。


「なんでこんなところに…?」
「店の買い出し。で、名前さんはどれ買うの?」
「…まだ、買うかどうか決めてなくて」
「そっか」
「どれが良いと思います?」


既に彼は私の気持ちを知っている。だからこそあえて尋ねてみた。彼は、なんでもいいんじゃないの、などと適当な返事をするわけでもなく、うーん、と少し悩んでいて、どうやら意外と真剣に答えてくれるつもりらしい。


「甘すぎなくて食べやすいやつがいいんだけど」
「じゃあケーキ系より、トリュフとか生チョコとか、そういう系かなあ…」
「あー、うん、そうかも」
「んー…どれにしよう…」
「ていうかさ、そのチョコって俺にくれんの?」
「……そりゃあそうでしょうね」
「んじゃ楽しみにしとく」


買い出しがあるからなのだろうか。それだけのやり取りを終えて、じゃあね、とあっさり去って行った彼を暫く眺めてから、私は再びチョコレート売り場へ目を戻す。絶対にもらえることが分かっていたくせにいちいちわざとらしく確認してくるのだから、彼はタチが悪い。このまま彼の思い通りになっていいのかとも思ったけれど、そこは惚れたもん負けというやつで。私は結局そこそこ値の張るブランデー入りのトリュフを買ってしまった。
そうして迎えたバレンタインデー当日。金曜日ではなかったけれど、私はチョコレートを渡すためだけにバーへ赴いた。お店に入って真っ先に彼は出勤しているだろうかとカウンターを見たら、いた。けれどいつもと違ったのは、彼が綺麗な女性の接客中だったこと。しかもタイミング良くと言うべきか悪くと言うべきか、ちょうど女性が彼に何かを渡しているところを目撃してしまった。何かって、バレンタインデーの今日渡すものといったらチョコレートに決まっている。それを笑顔で受け取っている彼を見た私は、胸がぎゅっと締め付けられる思いがしてお店を出てしまった。
常連のお客さんにチョコレートをもらうことだってあるだろうし、そもそも私は彼の彼女ってわけじゃないのだからこんな気持ちになるのはおかしい。けれど、とても切なかった。当たり前だけれど、とても今更なことだけれど、私はやっぱり特別じゃなかったんだって思い知らされたみたいで。ここ最近、幸せな出来事が続いていたから忘れていたけれど、私はただ報われないであろう片想いをしているだけにすぎない。そのことを改めて痛感させられた。
もう1度お店の中に入る勇気がなかった私は、そのまま寂しく帰路につく。チョコレートは、捨てるのも勿体ないし食べてやろうかとも思ったけれど、そのまま机の上に放置した。そうしてその週の金曜日になって、私はまた性懲りも無くバーへ行った。例の渡せなかったチョコレートを持って。まったく、嫌になるほど未練がましい女である。
そんな私をいつも通り「いらっしゃいませ」と迎えてくれた彼は、私からのチョコレートのことなんてちっとも気にしていなさそうで勝手に落ち込んだ。そりゃそうなんだけど、それが当然な反応なんだと思うけれど、それでもちょっとぐらい気にしてほしかった、なんて。ただの我儘もいいところだ。


「バレンタインデーの日」
「へ、」
「なんで帰っちゃったの」
「…気付いてたんだ」
「まあね」
「急用を…思い出しちゃって」
「なるほど」
「……うそ」
「でしょうね」
「理由言ったら引かれちゃうから言わない」
「いいよ、言いたくないなら言わなくて」


まさか彼の方からバレンタインデーの話題を振ってくるとは思わなくて驚いたけれど、そこまで踏み込んだ会話をしてこないところは相変わらずだった。彼は私が席に座ってからすぐにお酒を作ってくれていたようで、はいどーぞ、とカクテルを勧めてくる。私が頼まなくても好みのお酒を用意してくれるようになったのは、バーテンダーとしての務めの一環だろうか。あの綺麗な女性にも同じようなことをしているのだろうか。どろり、嫌な感情が溶け出してきてしまう。
勧められたお酒を1口飲んで2口目も飲んで、3口目を飲む前にチョコレートの入った紙袋を握り締める。もう遅いよって感じだろうけれど、本気で渡してくんのかよって思われるかもしれないけれど、私はまるで高校生の時の自分に戻ったみたいに心臓をばくばくさせながらカウンターの向こうにいる彼を呼んだ。


「これ、遅くなったけど」
「…チョコレート?」
「いらなかったら捨てても良いし誰かにあげても良いから」
「はは、何それ。食べるよ。待ってたし」
「待ってた?」
「だって俺にくれるって言ったじゃん」
「そうだけど…他の人からももらったでしょう…?」
「それはそれ。これはこれ」
「嬉しいの?」
「そりゃあね」
「好きでもない女からもらって、嬉しいの?」


随分と可愛くない質問すぎて嫌気がさす。けれどもそんな嫌味ったらしいことを言った私に、彼は顔を顰めることなく言うのだ。俺のために選んでくれたって思ったら嬉しいよ、って。


「…女たらし」
「たまに言われる」
「チョコレート、何個ぐらいもらったの」
「2、3個かな」
「ふーん」
「何、ヤキモチ?」
「…うん」
「そりゃどーも」


今日もいつもと同じ。上手にはぐらかされた。これで何度目の玉砕だろう。いい加減諦めればいいのにって自分でも思うけれど、どうしようもないのだ。だって、ほら。今日も彼は私の前からいなくならないんだもの。


「名前さんさあ」
「なに」
「男見る目ないって言われない?」
「そんなの言われたことない」
「この前も変なナンパに引っかかりそうになってたし」
「引っかかりそうになんかなってません」
「俺なんかのこと好きって言うし」
「…見る目ないとは思わない」
「俺のこと何も知らないのにそう思うの?」


確かに彼の言う通りだ。私は彼のことを何も知らない。バーテンダーとして働いていて、私の家とは逆の方向に住んでいて、運転ができて、それから、気紛れに優しいことぐらいしか知らない。けど、恋ってそういうものじゃないの?相手のことを何も知らなくても、好きだなあって、そう思っちゃうことじゃないの?まるで迷子の子どもみたいに進むべき道が分からなくなってしまった私は、お酒の入ったグラスを見つめて黙り込む。
そこで放っておいてくれたら、もしかしたら彼のことを諦められたかもしれないのに、こういう時に彼は放っておいてくれない。私のことを追い詰めるのも掬い上げるのも彼だなんて、とんでもない矛盾だ。


「ごめん、意地悪しすぎた」
「意地悪するなら最後まで意地悪なままでいてよ」
「根が優しいからつい」
「はいうそ」
「うん、うそ」
「…うそじゃ、ないよ」
「なに、どっち」
「黒尾さんは優しいよ」


そういうところが好きで、嫌い。私は残っていたグラスの中のお酒を一気に流し込む。自分の気持ちを吐き出さないように、一生懸命飲み込んだ。そんな努力を無にするみたいに彼は穏やかな口調で言葉を落とす。以前にも言われたことだ。名前さんは素直だよね、って。黒尾さんに対しては素直というよりヤケクソになって感情をぶつけているだけのような気がするけれど、彼はそれを素直だと言ってくれる。優しい人だ。優しいがゆえに残酷な人。ああ、なんて報われないんだろう。


「名前さん、サバサバしてそうなのに意外としつこいじゃん?」
「すみませんね」
「あと、実は結構弱いくせに強がり」
「それは仕事の時だけです」
「俺も名前さんのことそれぐらいしか知らないけど、まあ…うん、」
「次はなんですか」
「そろそろ負けてあげても良いかなと思って」
「…は?」
「はいどーぞ」


勧められたお酒に視線を落として、宙ぶらりんな回答の真意を探るべく再び彼を見上げればゆるりと笑われた。ぞくりとするほど色っぽい表情から視線が逸らせない。こんな顔を見せてくれたのは初めてだ。


「ライラ、カクテル言葉、検索」
「は?」
「ではごゆっくり」


彼はまるで呪文みたいな単語の羅列だけを言い残すと、他のお客さんの相手をするために私の前から離れて行った。一体なんなんだ、と。暫く呆然としていたけれど、私は我に返ってすぐ、彼の言葉を忘れないうちにと携帯に文字を打ち込む。ライラ、カクテル言葉、検索。そして検索結果を見た私は固まった。
え、これってつまり、どういうこと?明確な答えをききたくて彼の方を見ると、自然な流れで目が合う。そしてまた、心臓に悪い笑みを傾けられた。さて、私はその笑顔の意味を、一体どう受け止めたらいいのだろうか。

prev - TOP - next