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ロングアイランドアイスティーをどうぞ


1月は往ぬる、とはよく言ったもので、気付けば年を越してもう1ヶ月が経過してしまっていた。2月は逃げると言うから、1ヶ月後にもまた、私は今と同じような気持ちを抱きながら3月を迎えることになるのだろう。
あのバーには今も変わらず通っている。けれども、先週は行くことができなかった。というのも、年度末の決算に向けて職場全体がバタついていて、バーに行く元気すらなくなってしまうほど仕事を押し付けられていたからだ。雑用が容赦なく回されるのは勿論のこと、なぜか同僚の尻拭いまで任されるのだから堪ったものではない。正直なところ、完全にキャパオーバーだった。それでも私は自分に与えられた仕事をギリギリのところでこなし続けていたのだけれど。
今日は上司から呼び出しをくらって久々に怒られた。しかも怒られた原因は私ではなく、一緒に仕事をしていた先輩のミスによるものだ。とは言え、会社という小さな組織の中で働いている以上、少しでも一緒に仕事をしていたのであれば連帯責任で怒られてしまうのはよくあること。私は諦めて、先輩の隣で大人しく上司のお説教を聞いていた。けれども、上司の発言がどうもおかしい。全面的にお前が悪い、お前のミスなんだからお前がどうにかしろ、と。そう言っているようなのだ。
先輩は庇うどころか本気でミスを私になすりつけようとしているらしく、何も言わない。なんと最低な野郎なのだろうか。冗談じゃない。私は説教を上手く聞き流しつつ弁明を試みる。けれども上司は私の言い分を聞き入れてくれないまま、説教タイムは終了してしまった。こんなのあんまりだ。私は手伝えと言われて、指示された通りに手伝っていただけだと言うのに。
結局、私は何も悪くないのに1人で取引先に謝罪に行かされ、そのまま直帰コースとなった。気分は最悪。怒りと悲しみと虚しさと、負の感情が大渋滞を起こしていて、私の頭は爆発寸前だ。しかも、今日はまだ木曜日。明日もあの忌々しい上司と先輩がいる職場に行かなければならないと思うと、大袈裟かもしれないけれどお先真っ暗だった。いっそのこと、今この瞬間に会社が爆発しちゃえば良いのに。
そんな精神状態だったからだろうか。自然と彼の顔が見たくなった。別に何をしてくれるわけでもない、優しい言葉で慰めてくれるわけでもない、ただの店員でしかない彼に会いたくなってしまったのだ。実は自分の中で、あのバーに行くのは金曜日か土曜日、つまり、次の日が休みの日だけと決めていた。翌日も仕事がある日にあそこに行ってしまったら、緊張の糸がぷつりと切れてしまいそうな気がするからだ。
でも、今日は無理。例外を認めることにする。そうでもしないと、このどろどろした感情に収拾がつかない。というわけで、自分勝手なルールに則ってお店の扉を開いた私は、入ってすぐ、真っ先にカウンターの向こうにいる彼を見つけた。目が合った瞬間、彼はちょっと驚いた顔をして、けれどすぐに「いらっしゃいませ」と、空いているカウンター席を勧めてくれる。


「嫌なこと全部忘れられるようなお酒ください」
「荒れてますねぇ」
「ええ、まあ」
「木曜日なのに来るの珍しいなとは思ったけど…その様子だと何かあった?」
「仕事で、かなり嫌なことがあって」
「そっか」
「慰めてほしくて」
「はは、ここにそれ求めちゃう?」
「黒尾さんに慰めてほしいの」


随分と滅茶苦茶な発言をしているということは重々承知していた。けれども、彼にはもう呆れるぐらい酷い発言を連発していると思うし、何より私の気持ちは既にバレバレなので、もうどうだって良かったのだ。
刺々しい口調で我儘以外の何ものでもない無理難題を押し付けているというのに、彼は手元を動かしながら、慰めるの苦手分野なんだよねぇ、などと笑いながら言う。この人は怒ったりイライラしたりすることがないんだろうか。怒らないにしても、嫌そうな顔とか迷惑そうな素振りとか、そういうものでさえも微塵も見せてくれない。できた店員。できた男。でも、人間らしくなくて、そういうところだけはちょっと嫌いかもしれなかった。
彼が作ったお酒を勧めてくれたので、琥珀色のそれをぐびりと喉の奥へ運ぶ。紅茶の香りのおかげだろうか、入店当初に比べて幾分か頭がスッキリしたような気がする。やっぱり彼の作るお酒の力というのは凄い。


「……仕事、辞めちゃおっかなあ…」
「それもひとつの手じゃないの」
「でも辞めたら次の職場探さなきゃいけないし…」
「そりゃそうでしょうね」
「それは面倒臭い」
「相変わらず素直なことで」
「黒尾さんに頑張れって言われたらもう少し頑張れるかも」
「なにそれ。俺めっちゃ影響力あんね」
「わりと本気なのに」


我ながら、非常にウザい絡み方をしていると思う。私が黒尾さんだったら、いくら客でもこんな女の相手はさっさと切り上げてしまっているだろう。けれども黒尾さんはそうしない。私の目の前に立って仕事をしながら、余裕たっぷりの表情で上手に話を聞き続けてくれる。しかもこの人は聞き上手なだけじゃない。慰めるのが苦手だと言っていたくせに、私を簡単に絆す言葉を知っているのだ。


「頑張れ、なんて言うわけないじゃん」
「どうして?」
「もう頑張ってんでしょ、名前さん」
「…そういうこと、言わないでよ」
「泣いちゃうから?」


へらり、笑う彼の顔を見たらじわりと目頭が熱くなってきて、慌てて俯いた。今みたいに、彼は急に優しさを振り撒く。必死に強がっている私を揶揄うみたいに。私はいつも、私のことをなんとも思っていないこの男に、こんなにも心を揺るがされる。それが悔しくて、でも幸せで。最初からぐちゃぐちゃだった頭の中は更にぐっちゃぐちゃになって、どうしたら良いか分からなくなって。


「黒尾さん」
「何でしょう」
「好き」
「…うん、知ってる」
「そうだよね」
「どしたの急に」
「黒尾さんも私のこと好きになってくれたら良いのになって思っただけ」


困らせると分かっていて、そう言った。というか、気付いたら勝手に口から零れていた。涙はもう引っ込んでいる。だからゆっくりと顔を上げて彼を見れば、案の定、困ったように笑われて、今更のように少し申し訳ない気持ちになった。けれども言った言葉は消えたりしないし、この気持ちを止めることもできない。
私はこんなどうしようもない女だから、これからもきっと彼を困らせてしまうことだろう。ごめんね。嫌だったら思いっきり拒絶してよ。私が2度と近寄れなくなるぐらいに。もう会うべきじゃない、絶対に会うもんかって思えるぐらいに。彼がそんなことをしない人だと分かっていてこんなことを思う私は、ひどく醜くて卑怯だ。


「…今日はそれ飲んで帰った方が良いよ」
「なんで」
「明日も仕事なんでしょ」
「そうだけど」
「またゆっくり来てください」
「…、」
「今度はちゃんと慰めてあげるから」
「本当?」
「ほんとほんと。慰め方、勉強しとく」
「約束ね?」
「子どもみたいなこと言わないの」
「だって、」
「分かった、約束」


駄々っ子みたいな私を嗜めるみたいに、彼が一瞬、本当に一瞬だったけれど、頭を撫でてくれた。あの日、駅のホームで、望んでいたけれど伸ばしてもらえなかった手。もしかしたら夢だったんじゃないかと思ったけれど、これは夢じゃない。私は彼に撫でてもらえた。衝動的に手を掴まれたあの時とは違って、きちんと彼の意思で触れてもらえたのだ。
そんなことをされたら私はもう頷くしかなくて、そんな私に彼は、良い子、って。あの日と同じセリフを囁いた。慰め方なんて勉強しなくても、もう十分すぎるよ。この人たらし。こんなの、明日も仕事を頑張るしかないじゃない。
相変わらずズルい人だと思った。でもそんなズルい彼だから、私はまた好きを重ねてしまった。

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