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そろそろ仕上げのお時間


「はい。これ使って」
「ありがと…」
「つーか天気予報で雨降るって言ってたっけ?」
「言ってなかったよ…」
「だよなー」


びっちゃびちゃだわ、なんて言いながら呑気に服やら髪の毛やらを拭いてる場合じゃないよ。なんでこんなことになっちゃったんだ。私は黒尾から手渡されたタオルで濡れたところを拭くフリをしながら、必死に顔を隠す。
買い物の途中、自分の失言によって(私だけが)変な気分になってしまったのがどうにも居た堪れなくて、こうなったら本気を出してさっさとプレゼント選びを終わらせてしまおう、そしてちゃっちゃとお昼ご飯を御馳走して解散しよう、と決意してお店を出たところで、ゲリラ豪雨に襲われた。
冒頭でも述べた通り、今朝ちらりと見た天気予報では、可愛らしいお天気お姉さんが、今日はにわか雨の心配もなく絶好のお出かけ日和でしょう、と爽やかな笑顔で言っていた記憶がある。のに、現状はコレだ。本来であれば、ツイてないな〜ぐらいの気持ちで終わらせることができるけれど、今日、このタイミングでのゲリラ豪雨にはハラワタが煮えくり返りそうなほど怒りマックスである。こんなの悪意しかない。誰の悪意かは知らないけれど。
雨が降り始めてすぐ、黒尾は私の手を引っ張って走り出した。2人して駅まで猛ダッシュ。時間にしたら数分だったと思う。けれどもゲリラ豪雨というのは恐ろしい魔力を持っていて、駅に着いた頃にはたった数分で人間が濡れ鼠に変身させられていた。2人して見事に全身ずぶ濡れ。今ここに巨人がいて私達を絞ったら、それはそれは大量の水が絞り出せることだろう。


「こりゃ買い物どころじゃねーな」
「そうだね…とりあえず傘買ってこようか」
「今更買っても遅くね?」
「まあ確かに…」
「つーか寒ぃな」


言われた途端、寒さを実感した。太陽が光り輝いていた時は心地良いぐらいの気温だったのに、厚い雲に覆われている今は、ひんやり、では済まされないほど空気が冷たい。オマケに濡れた服が体に張り付いているものだから、余計に体温を奪われていく。濡れて防寒機能を失ったコートなんて、重たいだけで何の役にも立たない。むしろ邪魔だ。
なんとかは風邪をひかない、とはよく聞くけれど、たとえ私達がその「なんとか」に当て嵌まるとしても、このままでは冗談でもなんでもなく風邪をひいてしまうような気がする。どうせこんな格好では買い物をすることもお昼ご飯を食べに行くこともできないし帰るのがベストだな。と思った私に、黒尾はコートを絞りながら問い掛けてくる。


「名字んちってここからどれぐらい?」
「電車で2駅、そこから歩いて10分ぐらいかな」
「ちょっと距離あるな…俺んちのが近いか」
「へ?」
「うち、ここから歩いて5分。走ったらその半分」
「…だから?」
「その状態で電車乗るのキツくね?」
「2駅ぐらい我慢するよ」
「風邪ひかれたら罪悪感あるんですけど」
「大丈夫だって。ゲリラ豪雨は黒尾のせいじゃないし。私、健康だし」
「タオルと温かいコーヒーぐらい準備しますよオネーサン」
「オネーサンって…何それ。ほんとに良いから…」
「そんなにうちに来んのヤなの?」


尋ねられて、固まる。嫌か嫌じゃないかときかれたら、それは、別に嫌じゃない。そういうことじゃなくて、私が拒んでいる理由は私の気持ちの問題なのだ。なんていうか、はっきりとは分からないし説明もできないんだけど、行ったら引き返せなくなってしまうような、自分の感情が暴走して取り返しのつかないことになってしまいそうな、そんな嫌な予感がする。私の女の勘。当たったことなんてないけど。
返答に詰まっている私に、黒尾は同じことを問う。名字はうちに来んのヤなの?って。行きたくないなら嫌だよって答えれば良い。ただそれだけのことなのに、それだけのことができないのは、面倒臭い感情が邪魔をするからだ。


「嫌ってわけじゃ…ない、けど…」
「けど?」
「けど…うーんと…なんていうか……ぶぇっくしょい!」


ドラマで言ったらすごく真剣でシリアスな場面だったと思うのだけれど、私は女優でもなんでもないしドラマのワンシーンを撮影されているわけでもない。ので、私は生理現象に打ち勝つことができず盛大なくしゃみをしてしまった。しかも特大の、色気皆無なやつを。近くにいた何人かの人に振り返られる程度には豪快だったのだと思う。非常に恥ずかしい。
黒尾は暫くぽかんとしていたかと思うと、私のくしゃみに負けず劣らず盛大にぶひゃひゃと笑い始めて、ただでさえズタボロのメンタルに追い打ちをかけてくる。今すぐここから立ち去りたい。ていうか、消えたい。今の私は、女として0点どころかマイナスだろう。


「いやー…やっぱ名字って面白いわ」
「…そりゃどーも」
「んじゃ行くか」
「どこに」
「うちに」
「えっ、いやいやそれは…!」
「嫌ってわけじゃないって言ったじゃん」
「それはそうだけど…」
「あんなくしゃみするぐらいだから身体冷えてんだろ」


こっち、って。黒尾は私の手を引っ張って、再び雨の中へ駆け出す。ここに走って来る時もそうだった。先ほどは緊急事態だったから意識はしていなかったけれど、今は違う。手が、熱い。黒尾の体温が高いからとか、そういう物理的なものではなくて。寒いけど、熱い。
そんな経緯があって、本当にあっと言う間に黒尾の家に到着してしまった私は、こうして黒尾宅にお邪魔してしまっている。狭くもなく広すぎるわけでもなく、社会人の男性としてごく一般的な広さの1LDK。ピッカピカではないけれどそれなりに片付いた室内。特別オシャレなインテリアがあるわけではないけれど、全体的に落ち着いた雰囲気の家具で統一されているのが黒尾らしい。
私は通されたリビングで、ひたすら全身を拭くことに徹していた。拭いたら帰るんだ。タオルありがとう!じゃあまた会社で!って、さっさと出て行けば良い。そんな決意を胸に、私はだいぶ全身の水気が取れたところで漸く顔を上げた。黒尾はいつの間にか着替えを済ませていて、ニットとジーパンはラフなスウェットに変貌を遂げている。


「お湯沸かしてっからコーヒーもうちょい待って」
「いや、良いよ」
「タオルとコーヒー準備するって約束したじゃん」
「お気持ちだけで十分です」
「服、乾かせば?」
「えっ」
「乾燥機ついてんだよね〜うちの洗濯機」
「でも、あの、」
「なんなら風呂使う?」
「いい!大丈夫!帰るから!」


なんでもないことのように色んなことを言ってくる黒尾に、腹が立った。
今日、一緒に出かける約束をした時からそうだ。黒尾は、何も意識していない。2人で出かけるということも、手を繋いで走るということも、この家に2人きりだということも、変に意識しているのはずっと私だけ。意識している方がきっとおかしいんだと思う。私がどうかしちゃってるんだ。でも、それが分かってるからってどうしたら良い?
本当は丁寧にお礼を言って返すつもりだったタオルを、乱暴に黒尾の胸へと押し付ける。そうして逃げるように帰るつもりだったのに、黒尾の手が私の腕を掴んでいるものだから動けない。私が急に声を荒げたりしたから怒っているのだろうか。そりゃあ冷静に考えてみれば、お礼を言われるべきところでこんな態度を取られたら怒りたくもなるだろうけれど。今だけは見逃してほしい。また幾らでも、お詫びはするから。


「ごめん…、ちゃんとお詫びはするから…」
「何のお詫び?」
「タオル貸してもらって、色々気を遣ってもらったのに、私、失礼な態度とっちゃったから…」
「別に。俺そんなんで怒んないけど」
「でも、」
「なんで逃げようとすんの」
「別に…逃げようとしたわけじゃ…」
「ふーん?じゃあコーヒー飲みますか」
「…無理……」
「なんで?」


これ以上2人きりの状態に耐えられないから。素直にそう答えたら、黒尾はどんな顔をするだろう。答えるのを迷っている私に、黒尾は言う。コーヒー苦手なら紅茶もあるけど、って。ねぇ、もしかして。黒尾はもう気付いてるの?私の葛藤に。私の、気持ちに。だとしたら、こんな追い詰め方はズルくない?


「コーヒーも紅茶も飲めるよ」
「あ、そう?」
「黒尾は、悪い奴だね」
「良い奴ポイントマックスになったんじゃなかったっけ」
「全部消滅」
「じゃーまた溜めまーす」
「気付いてるんでしょ」
「何に?」
「気付いてて、遊んでるんでしょ」
「遊んでるつもりはねーけど」
「じゃあどういうつもり?」
「んー…こういうつもり」


手が引っ張られた。今日はよく手を引っ張られる日だな。とか、そんなことを悠長に考えている場合じゃなくて。顔が黒尾の胸にぶつかっている。後頭部と腰にはゴツゴツした手。これは抱き締められていると言って良いのだろうか。この状況こそ、どういうつもり?と尋ねたいところだけれど、私にはもう、そんな余裕などなかった。やっぱり、来ちゃいけなかったな。黒尾は、悪い奴だから。
冷てぇな、って頭上から降ってきた言葉はなぜか嬉しそうで。私は、逃げることを諦めた。ほらね。私の女の勘、当たったでしょ。