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Rehope


「名字さん?体調でも悪いの?」
「へ?元気ですけど」
「なんかぼーっとしてない?」
「そ、そうですか?すみません…」


隣の席の先輩に指摘されてハッとする。ダメだ。先週の金曜日の余韻がまだ残っているらしい。あの日、コンビニで偶然居合わせた御幸君と夜ご飯を食べに行った。気取っているレストランなんかじゃなくて普通の居酒屋。たぶん唐揚げ弁当を手に持っていた私に合わせてくれたのだと思う。焼き鳥とか枝豆とか、おつまみ系のものを中心に頼んでお酒も少し飲んで。
緊張して話せないんじゃないかとか、まともにご飯を食べられないんじゃないかとか、お店につくまではひたすら悩んでいた。けれど結果的に言うならば、それらは杞憂に終わった。お酒のおかげというのもあるかもしれないけれど、普通に楽しめたから。最初は会社のこととか仕事のこととか、お互い当たり障りのない話をしていたけれど、途中からは学生時代の懐かしい思い出話を少しだけして。その話の流れで、なんとなくきいたこと。
御幸君はどうしてこの仕事をしてるの?
それは暗に、将来を有望視されていたはずなのにどうして野球選手にならなかったの?という質問をしているのと同義だった。尋ねた後でそのことに気付いて、深い意味はないんだけど、と取り繕ったけれど、そんな下手くそな取り繕いは意味を為していなかったと思う。御幸君は怒ったり不愉快そうな素振りを見せることなく、そりゃ聞きたくなるよな、と少し自嘲気味に笑って。ぽつりぽつりと話をしてくれた。
高校卒業後は野球選手になるべく球団に入団し公式戦に向けて練習をしていたこと。チームメイトともそこそこ上手くやっていて順風満帆だったこと。けれども公式戦出場間際になって肘を痛めてしまったこと。休養とリハビリが必要で、それらが全て終わるまでに少なくとも1年はかかるだろうと言われたこと。リハビリを続けてきたけれど、それまでと同様のプレーをすることはできなくなっていて、自分が納得できないプレーをするのは嫌だと思い野球界から去る決意をしたこと。


「まあよくある話だし。続けるっていう選択肢もあったけどそれを選ばなかったのは俺だから後悔はしてねぇよ」
「ごめん…そんな話させて…」
「言いたくなかったらはぐらかすこともできたけど、隠すようなことでもねぇから」


カラリと笑ってそう言った御幸君は、表面上、既に昔のことは吹っ切れているように見えたけれど、内心ではどうなのかまで読み取ることはできなかった。この仕事は親や球団関係者の知り合いのツテを利用して就職しただけで、特にやりたかったことではないらしい。そりゃあそうだろう。御幸君の興味があることなんて、過去にも未来にも野球しかないんだろうなと。何も知らない私でも分かる。
その話を終えてから空気が重たくなってしまうかなという懸念をしていたけれど、御幸君のおかげでそんなこともなく。私のどうでもいい話をきいてくれて、なんだか私だけが楽しい時間を過ごさせてもらったような気がする。
そんな金曜日の余韻は土日に家で1人過ごしている間も続いていて、この月曜日になっても続いていたようだ。朝、いつもより濃いめのブラックコーヒーを飲んで気合いを入れてきたつもりだったのに。週始め。ただでさえ忙しい社内でこんな浮かれ気分ではいけない。私はパソコンの画面に向き直ると、今度こそ気合いを入れ直して仕事に集中するのだった。


◇ ◇ ◇



営業部の人とはそこまで接点がないのだけれど、全く接触がないというわけでもない。1日に何回か顔は合わせるし話もする。そんなわけで、御幸君とは時々仕事中に出会うことがあった。けれど、当たり前のことながら仕事の話しかしないわけで、それ以上の会話はなく迎えた金曜日。あれからもう1週間。時が経つのは早いなあとしみじみ思いながらパソコンをシャットダウンさせる。
さすがに先週金曜日の余韻を今日まで引き摺ることはなかった。というか逆に、実は勝手にヘコんでいた。昨日たまたま女性社員が話をしているのを聞いてしまったのだ。御幸君とご飯に行った、と。自分だけが特別じゃなかったと思い知った。いや、そりゃあ単純に考えてみれば私が御幸君の特別になり得る可能性なんて皆無に等しいわけだから、ヘコむのもおかしな話なのだけれど。御幸君の一挙一動にドキドキして、浮かれていたのは事実だ。
片思いというのは非常に厄介で、想い人に関わることを見たり聞いたりするだけで一喜一憂させられる。あちらからしてみれば、そっちが勝手に好きになって浮かれたりヘコんだりしてるんだろ、という感じなのだろうし本当にその通りなのだけれど、それによって心的な疲労の蓄積が著しい。特に週末は、それまで仕事のために繋ぎ止めていた緊張の糸みたいなものがプツンと切れて、一気に疲労を感じてしまうのだ。こういう時は家でゆっくりするに限る。私はさっさと荷物をまとめると、まだ残っている数人の社員へ挨拶をしてから会社を後にした。
会社近くのいつもの駅から3駅先。そこが私の家の最寄り駅だ。古くも新しくもない、汚くも綺麗でもない無難なマンションの3階。エレベーターに乗っても乗らなくてもいいぐらいの中途半端な階数の部屋に鍵を差し込んで、真っ暗な部屋に明かりを点ける。ああ、疲れた。その思いのまま着替えもせずにベッドへダイブ。時々、夜ご飯を食べるのもお風呂に入るのも、着替えることすら面倒な日があるけれど、今日はまさにそれだった。このまま寝てしまいたい。身体的疲労に加えて(勝手な)心的ダメージも影響して、このまま眠ってしまおうかと目を瞑った時だった。
鞄の中に入れっぱなしにしていた携帯が着信音を響かせ始める。ベッドから鞄を引き寄せて画面を確認。そして思わずベッドから飛び起きた。誰が見ているわけでもないのに身なりを整えたのは、電話の相手が御幸君だったから。そういえば先週の金曜日の帰りがけに連絡先の交換をしたことをすっかり忘れていた。切れてしまわないうちに早く出なければ、と逸る気持ちを抑えて、少しばかり震える手で通話ボタンをタップする。


「あ、出た。名字?俺。御幸だけど」
「はい、名字です」
「何それ。別に仕事で電話したわけじゃねぇんだけど」
「ごめん、ちょっとびっくりして…」
「今どこ?もう家?」
「うん。そうだけど…どうしたの?」
「先週みたいに残業してたら飯食いに行こうかと思ったのに」


今日ほど残業がなかったことを残念だと思った日はない。ていうか、先週も行ったのに今週も行こうと思ってくれてたの?私と?それって、特別?そう考えたところで、昨日の女性社員の会話が蘇る。そう、これは特別なんかじゃない。だって御幸君は私以外の人ともご飯を食べに行っているわけだし。もしかしたら曜日ごとに違う人とご飯を食べに行っているかもしれないし。考えれば考えるほど落ち込む自分に嫌気がさすけれど、自分に自信がない私はどうしても良い方向に考えることができなかった。


「名字の家ってどの辺だっけ?会社近くの駅からどれぐらい?」
「3駅先の…〇〇駅の近く」
「マジ?俺その次の××駅近くに住んでんだけど。すげぇ近いじゃん」
「そうだね。知らなかった」
「じゃあ〇〇駅まで行けば会える?」
「へ?」
「それとも家に押しかけたらいい?」
「それは困る!」
「はっはっは!冗談だって。じゃあ駅についたら連絡する」
「えっ、ちょ、ま、御幸君!…切れちゃった……」


私が行くとも何とも言っていないのに言いたいことだけ言って、一方的に切られた携帯を呆然と見つめる。御幸君は昔からこんなに強引な人だったのだろうか。今も昔も御幸君のことをよく知らない私には分からないけれど、とりあえずぼーっとしている場合ではことだけは確かだ。すっかり落ちてしまった化粧を直して、少しばかり皺がついてしまった服を整えて、ぼさぼさになった髪の毛もどうにかセット完了。
自分は特別じゃない。何度そう言い聞かせたって期待してしまうのはどうしようもなくて。私は知らず知らずのうちに小さく鼻歌を歌ってしまう程度には浮かれていた。恋愛ってのは厄介で、単純で。私が思っていた以上に楽しいものなのかもしれない。