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#08




「宮さん、この案件なんですけど…」
「呼び方ちゃうやろ」
「仕事中に何言ってるんですか。そんなことより…」
「そんなことやあらへん!」


あの日以来、宮さんは名前で呼ばれないと毎回このように抗議してくるようになった。とても面倒臭い。職場の皆は、またやってるよ、ぐらいの生温かい視線を向けてくるだけで誰も助けてくれないし、本当に困る。
プライベートでならまだしも、仕事中はきちんと上司と部下としてのケジメをつけたい。そう思っている私はおかしいのだろうか。いや、待てよ?そもそも宮さんとのプライベートな時間なんて本来は存在しないはずなのに、何を考えているのだろう。知らず知らずのうちに、私は宮さんに毒されているようだ。
いまだに呼び方のことでぎゃあぎゃあ煩い宮さんを見遣って、分かりやすく大きな溜息を吐いてみる。勿論、そんなことで宮さんが静かになるとは思っていないけれど。


「どないしたんや」
「北さん…!」


私にとっての救世主はこの人しかいない。騒がしい私達のところにやってきた北さんは、何事だと怪訝そうな顔をして宮さんと私へ交互に視線を向けてきた。
救いを求めるべく簡単に状況を説明し、ついでにいつもの職場での状況も説明すると、北さんは更に顔を顰めて溜息を吐く。さすがの北さんも、宮さんの子どもじみた言動にお手上げなのかもしれない。


「2人して…アホか」
「えっ、私もですか…?」
「痴話喧嘩なら職場以外のところでしぃや」
「ちょ…痴話喧嘩って…!」
「すんませーん」


素直に軽い調子で謝る宮さんを睨みつけたものの、効力はなし。納得いかない私のことなど無視して、けれども宮さんに、仕事中は仕事に集中せなあかんで、ときっちり注意をしてくれた北さんは、そのままどこかへ行ってしまった。
なんということだろう。これは確実に、北さんに変な誤解をされている。痴話喧嘩…?いやいや、どう考えても違う。宮さんが一方的にぶつかってきているだけで、私は迷惑しているのだ。痴話喧嘩というと、まるで宮さんと私が親密で特別な仲みたいではないか。


「北さんに怒られんの嫌やし、仕事中は宮さんでも我慢するわ」
「仕事以外では、もう関わりません」
「ふーん?ま、言うだけならタダやもんな」


悔しいことに何度見ても整った顔でにこりと笑いかけてくる宮さんのことは、見て見ぬフリをした。まともに取り合っていたら私のペースが乱されるだけだということは、既に実証済みだからだ。
もう宮さんとはランチも夜ご飯も行かない。仕事以外で関わらない。心の中で密かにそんな決意した私だったけれど、その決意がその日の仕事終わりにあっさりと打ち砕かれることになろうとは、この時の私は予想だにしていなかった。


◇ ◇ ◇



「おさ…、宮さんのご兄弟と食事?」
「そ。行くやろ?」
「どうして私がお2人と食事に行かないといけないんですか。お断りします」
「サムは大切な取引先の社員やで?断ってもええん?ホンマに?」
「……それを引き合いに出すのは卑怯でしょう?」


ニヤリといやらしい笑みを浮かべている宮さんは非常にズル賢かった。こんなプライベートなお誘いを断ったところで、治さんは仕事と混同したりしないと思う。そもそも治さんが誘ってきたわけではなく、発案自体は宮さん(侑さんの方)だと言うのだから、仕事に支障をきたすのはおかしい。


「今後仕事しやすくなった方が名前ちゃんにとってもええやろ?」
「それはそうですけど…」
「せやったら決まり。治にも言うとくからドタキャンはなしやで」
「え、ちょ、私まだ行くとは…!」


私の明確な返答をきかぬまま、宮さんはどこかへ行ってしまった。本当に自分勝手な人である。こうして私は、プライベートで宮さんに関わらない、という決意を呆気なく踏みにじられてしまった。非常に解せない。
とは言え、約束は約束だし治さんにドタキャンするような女という失礼な印象を与えるのは憚られたので、私は結局、指定された場所で2人を待っている。ほどなくして、私のところに近付いてくる2つのシルエットを確認して顔を確認したところで、2人が双子であるということをありありと実感した。髪型を除けば顔は瓜2つ。背の高さも大体同じ。そりゃあ道行く女性が振り向くのも無理はない。
よくよく考えてみればこんな目立つ2人と食事なんて、私は一体どういう顔をしていれば良いのか。どんなお店に行くのか知らないけれど、周りからの視線が痛いような気がする。


「ほんまにおるやん」
「せやから言うたやろ?俺の彼女やねんて」
「はい?彼女?誰が?」
「今からそうなる予定なんやから細かいこと気にせんでもええやん」
「そんな予定ありません」
「名字さんて仕事中はもっと落ち着いとるイメージやったけど、ツムとおるときはちゃうんやな」


治さんに指摘されてはっとした。最近はどうにも調子を狂わされっぱなしで忘れていたけれど、私は元々、感情を表に出すようなタイプの人間ではない。そりゃあ仕事中の私しか知らない治さんからしてみれば随分と印象も変わることだろう。けれども、これだけは言わせてほしい。こんなに感情を露にしているのは宮さん…侑さんに対してだけだと。
喧しい侑さんのことは極力無視して、私は治さんに弁明を続けながらお店へと向かう。そうして辿り着いた洋食店はやっぱり雰囲気が良くて、今回も侑さんチョイスだということに感服した。治さんは食べられるならどこでもいい、という考えらしく、そこまでお店には詳しくないのだという。双子でもやはり性格は違うようだ。
お店は全席半個室のような状態になっていたので、周りからの視線はそこまで気にならない。通されたのはテーブル席。いつもは侑さんと2人だから向かい合わせに座るけれど、今日はどう座ろうか。侑さん、治さんが向かい合わせに座ったのを見て少し迷っていると、侑さんが私の腕を掴んで自分の隣に引き寄せた。名前ちゃんはこっちやろ、と。それが当たり前であるかのように。


「ここのオススメはビーフシチューやねんて」
「そうなんですか」
「名前ちゃん好きそうやで」
「はあ…」
「よぉ2人で飯行くん?」
「たまにランチ行くよな?」
「勝手に連れ出されてるんです」
「ふぅーん…」


治さんは尋ねてきたくせにさほど興味なさそうに相槌を打ってメニューへと視線を落とした。双子なら同じメニューを選んだりするのだろうか。実は密かに期待していたけれど、2人は別々のメニューを頼んでいた。ご飯大盛は同じだったけれど。
食事が運ばれてくるまでの間、私は主に2人の会話をきいていた。基本的に侑さんが話しかけて、治さんが答えるというスタイル。時々私にも話を振られるので適当に受け答えをして、運ばれてきた料理が揃ったところで食事を始める。少し以外だったのは、食事中の治さんはとても幸せそうでなんとなく幼く見えること。侑さんの食べ方とは少し違うんだなあと、双子の違いを楽しんでいた。
そうして食事が終了したところで、侑さんがお手洗いに行くと言って席を立った。仕事以外のところで治さんと2人になるということは勿論初めてで、途端、少しばかり緊張してくる。治さんはそんなことなど全く感じていないのか、水を飲み干したところで、名字さんて、と声をかけてきた。


「ツムのこと嫌いなん?」
「…嫌いというか、苦手なんです。どう対応したらいいか分からなくて…」
「ぐいぐいくるタイプやから?」
「まあ、そうですね…」
「あいつあんなんやから分かりにくいけど、名字さんの話するときめっちゃ楽しそうやで」
「は…?」
「あと、この店。女の子連れて来たことないと思う」


そんなことを言われて、私はどんな反応をしたらいいのだろう。兄弟揃って私を困らせて、掴みどころがなくて飄々としているところはよく似ている。そんな話をしている間に侑さんが帰ってきて、何の話しよったん?と治さんに尋ねるのを、私はぼんやり聞いていた。
トイレに立っている間、侑さんはお会計も済ませていたらしく、いつも通りというのはとても申し訳なく思うけれど今回も奢られてしまった。お店を出た後、治さんは寄るところがあるからと言って別れてしまったので、必然的に私は侑さんと2人きりになる。2人きりというシチュエーションに、身体が勝手に緊張してしまうのは、今までの色々なことが頭を過るからだろう。


「サムと2人で何話したん?」
「…お料理美味しかったですねって」
「他は?」
「今後もお仕事、宜しくお願いしますって」
「嘘やろ。サムがそんな堅苦しい話するわけないやん」
「そんなに話してません」
「俺のこと、話さへんかったん?」


答えが分かっていて尋ねてきているのだということを、なんとなく察した。本当にこの人はずる賢い。


「あのお店、お気に入りなんですか?」
「俺のとっておきの1つ」
「私なんか連れて行って良かったんですか?」
「名前ちゃんやから連れて行ったんやん。分かっとるくせに」
「…分かりませんよ、何も」


私には分からない。あなたの考えていることも、口から出てくる言葉の真意も、傾けられる柔らかい笑顔の意味も、何もかも。分からないんじゃない、分かりたくないだけなのかもしれない。分かってしまったら、引き返せなくなるから。
不意に、腕を掴まれて引き寄せられた。かたいものに顔が埋まって、一瞬何が起こったのか分からなかったけれど、暫くして侑さんの胸に顔を埋めている状態で固まっていることを理解した。あっぶな…と頭上で呟く侑さんの言う通り、引き寄せられていなければ私は猛スピードで突っ込んできた自転車にぶつかっていただろう。けれども、いっそのことぶつかっていた方が良かったかもしれない。
もう離れてもいいはずなのに私の身体を引き寄せる腕の力は弱まることを知らない。けれども、侑さんのせいにしてこの状況から逃れようとしない私は、一体何がしたいのか。侑さんの体温を心地いいと感じてしまったなんて、絶対に認めたくない。


温もりをってしまいました