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#07




「なあ、仕事終わりに飯行かへん?」
「良いですよ」
「は!?どないしたん!?」
「宮さんの方から誘ってきたくせに、その反応はおかしくないですか?」


いつもと何も変わらない午後の仕事中。何度目になるか分からない夜ご飯のお誘いに、私は初めて応じた。気が向いたから、というわけではない。つい先日、アクシデントとは言え、私は宮さんに助けられてしまった。だから、そのお礼を兼ねて夜ご飯に行くのは悪くないかと手を打ったのだ。
勿論、かなり不本意ではある。けれど、宮さんに貸しを作りっぱなしにしておくのはなんとなく嫌だった。ただそれだけのことで、深い意味はない。その旨を伝えると、宮さんはあからさまに肩を落としたけれど、まあええわ、とすぐに笑顔を作った。切り替えの早い人である。


「そんなに高いものはご馳走できませんよ」
「…ほな名前ちゃんの手料理食べさせてや」
「はい?」
「それが1番リーズナブルやん」


いや、まあ確かにそれはそうだけれど。手料理を振る舞うということになったら、必然的に私の家か宮さんの家に行くことになるだろう。そんなの真っ平御免だ。
どうにかして外食を進めなければ。必死に案を練っている時にふと思い出したのは、宮さんの兄弟である治さんの言葉。うちのが世話んなっとるみたいで。治さんからそんな風に言われた時は何のことかと思ったけれど、その後すぐに宮さんのことを言っているのだと分かった。


「お寿司とかどうです?お好きなんでしょう?」
「よぉ知っとるなあ。俺のことリサーチしてくれとったん?」
「治さんからうかがいまして」
「……あ、そ」


治さん、というワードにピクリと反応した宮さんは、それまでのニコニコした様子から一変、私から目を逸らすと無表情なまま適当な相槌をうった。
ああ、そういえば宮さんは治さんのことを名前で呼ぶと不機嫌になるんだった、と思い出したところで時既に遅し。分かりやすくもすっかり元気をなくしてしまった宮さんは、それでも、ほな寿司行こ…と約束を取り付けてきたから、案外そこまで落ち込んでいないのかもしれない。


◇ ◇ ◇



宮さんはそれなりに沢山食べる人だと思っていた。けれど、目の前のお皿はそれほど増えていなくて、私は内心で首を傾げる。意外と少食なのだろうか。お寿司は好物だと聞いていたのに。


「あんまり食べないんですね」
「食欲ないねん」
「じゃあどうして今日夜ご飯に誘ってきたんですか…」
「誰のせいやと思うとるん?」


じとりとした視線を向けられた私は、口に運ぼうとしていたお寿司を皿に戻す。なんだその言い草は。私のせいだと言いたいのか。


「私の奢りなんですよ?何が不満なんですか」
「元々名前ちゃんに奢ってもらう気あらへんもん」
「はい?お礼だって言いましたよね?」
「一緒に飯食えとるだけで十分やから。俺が女の子に奢ってもらうわけないやん」
「はぁ…」


宮さんのこの、男なら奢るのは当たり前という精神はどこから湧いて出てくるのだろうか。そういう考えは古いと思うのだけれど。このご時世、男女平等が謳われているというのに。
それでも、こう言い出したら宮さんがどうやってもお金を払わせてくれないことは実証済みなので、私が奢るという選択肢はなくなった。これではいつものランチと何ら変わらない。つまり、お礼にならないということ。
困った。宮さんに貸しを作っておきたくないと思っているから夜ご飯のお誘いを受けたというのに、これでは何の目的も達成されない。何か代わりにお礼になるようなことはないだろうか。そう思案し始めて、ふと、思い至った。
いや、でもこんなことでお礼とは言えないか。けれど、もしかしたら、今の宮さんにとっては1番喜ばしいことかもしれない、なんて。自惚れも良いところだ。まあ、試してみる価値はある。


「いつもご馳走様です」
「別に気にせんでええよ」
「……侑、さん」
「!」


頬杖をついて流れるお寿司を眺めていた宮さんが、もの凄い勢いでこちらに顔を向けた。驚きと、遅れてやってきた歓喜の表情が入り混じって、宮さんは私が今まで見たことのない表情をしている。
そんなにこだわる必要ないだろうと思っていた呼び方。ただ、名前を呼んだだけ。それなのに宮さんは、とても幸せそうに見えた。


「もっかい呼んで」
「…侑さん?」
「……あー…どうしよ」


急に机に突っ伏してしまった宮さんは頭を抱えていて、随分と情緒不安定だな、と少しばかり心配になる。どうしよう、とは、一体どういう意味だろう。疑問を抱いた直後、へらりとだらしなく頬を緩ませた宮さんが私に視線を送ってきて、僅かに心拍数が上がった。


「めっちゃ嬉しい」
「…それは良かったですね」


ほんの少しでも動揺を悟られないように、いつも通り素っ気ない態度を取ってお寿司を口に運んだ。その姿さえ目を細めて眺めてくるのだから居た堪れない。私はその視線に気付かぬフリをして、なんとか店を出るまで生温い空気に耐え続けた。
これがお礼ということにしてしまっても良いだろうか。そんなことを考えながら。


◇ ◇ ◇



「1人で帰れます」
「最近物騒やん。ええから素直に送られとき?」


宮さんはいつだって強引だ。お店を出てすぐ、それではまた会社で、と別れを告げた私を引き止めて家まで送ると言い出したかと思ったら、それを断る私と押し問答。結果、いつもと同じように私が折れるハメになった。
私は別に押しに弱いタイプというわけではない。むしろ、その手のことは上手くスルーできる方だと自負している。それがこの有様なのだから、宮さんは相当押しが強いというか、人を丸め込むのが上手いと思う。
なかば押し込まれるようにして乗らされたタクシー。否が応でも飲み会の帰りの出来事を思い出してしまう。けれども、覚えているのは私だけ。つまり、変に意識してしまうのも私だけなのだ。


「これで2回目やな」
「何がですか」
「2人でタクシー乗るの」
「…あの時のことは覚えていないんでしょう?」


翌日、全く覚えていないという風に接してきたことを、私は忘れていない。それで良いと思っていたし、それを望んでいた。だから確認のつもりで問いかけたのに。何も答えない宮さんの顔をそろりと窺うと、綺麗な笑顔を返されてぞくりと背中が粟立つ。
え、何?もしかして…?有り得ないと思いながらも頭に過ぎったひとつの仮説。その瞬間、左手にするりと指が絡められた。この感覚は。


「お酒、そんなに弱ないねん」
「…なんで忘れたフリなんか…」
「名前ちゃんの素の反応、見たかってんもん」
「ちょっと…!」
「前はこのままでも怒らんかったやろ?」


握られた手の感触も、肩にのしかかってきた重みも、身に覚えがある。確かに私はあの時、怒ることもなければ嫌がることもなかった。けれどそれは決して、受け入れたからではない。と、思う。だから、今この状態で拒絶したっておかしくはないのだ。
それなのに、私はどうしてか動けずにいる。やめてください、とも、離れてください、とも言えず、ただ戸惑っているだけ。あの時みたいに酔っているわけではないのに。


「名前ちゃんの手、あったか」
「…誰にでもこういうことするんですか」
「せぇへんよ」
「信じられません」
「ちゃんと言うた方がええ?」


好きな子にしかせぇへんよ、って。


どくり。心臓が跳ねた。好き、なんて、たった2文字。誰に言われたって、何とも思わない。言葉ではなんとでも言えるから、いちいち揺さぶられたりしない。そうやって生きてきたつもりだった。宮さんも勿論例外ではないはずなのに。
まただ。いつかと同じように、手が、熱くなる。


「止めてください。ここで降ります」
「家、ここら辺なん?」
「違います。けど、歩いて帰ります」
「は?ちょ、」
「ご馳走様でした。おやすみなさい」


宮さんの手を振りほどき適当にお金を押し付けて、逃げるようにタクシーを降りる。もしかしたら追いかけてくるかもしれないと思っていたけれどそんなことはなく、私は無事に1人で家に辿り着くことができた。
これ以上は乱されたくない。変な感情を抱きたくない。だから、宮さんから逃げた。こんなに必死に心を落ち着けようとしている時点で、最早手遅れかもしれないけれど。それを認めるには早すぎる、なんて。こんなの悪足掻きだって、分かってるよ。


城塞はされました