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#10




「俺ら付き合い始めたやん?」
「はい?」
「…いやいや、なんなんその反応」
「そりゃあ意味不明なことを言われたらこんな反応にもなります」
「意味不明て!そらおかしない!?」


侑さんの言いたいことは分かる。つい先日、私は危機的状況のところを侑さんに助けてもらって、その後で確かに良い雰囲気にはなった。私も雰囲気に任せて軽率な行動を取ってしまったとは思う。それは認めよう。しかし、それがイコール付き合っているということにはならない。私達の関係はあくまでも、ただの同僚のままなのだ。
例の如く社内で喧しい侑さんのことは、もはや皆、傍観を決め込んでいる。ツッコミすら飛んでこない。それゆえに、付き合うとか付き合わないとか、そういう内容を話していようが誰も気に留めていなかった。非常に有難いことである。


「ほなどないしたら付き合うてくれるん?」
「…気持ちの問題なんです」
「どういうこと?」
「だから、私の気持ちの問題なんですってば」
「つまり?」
「つまり…ああもう!今は仕事中です!」
「そうやってすぐはぐらかすんやもん。キリないわぁ」


逃げているということは理解していた。私に彼を受け入れる勇気がないだけ。認めるのが怖いだけ。今までが裏切られ続けてきた人生なのだから、防衛本能が働いてしまうのも無理はない。
しかも今回は女性に一際人気がある宮侑が相手なのだ。そう簡単にホイホイと、お付き合いしましょうそうしましょう、なんて受け入れられるほど、私は肝が座っていなかった。
どないしたら付き合うてくれるん?
仕事中にもかかわらず私の脳内では先ほどの侑さんの問い掛けが何度も繰り返し再生されていて、それに気付いて我に帰るたびに頭を抱える。そんなの、私だって分かりません。そう答えたら、侑さんはどんな反応をするだろうか。


◇ ◇ ◇



その日は、案の定というか、全く仕事が捗らず。定時退社時刻の時点で、私にしては有り得ないほど仕事が大量に残っていた。こんなに仕事が残ったことは、いまだかつてないと思う。


「名字、体調でも悪いんか」
「いえ。ただ集中力が足りなくて…」
「…珍しいこともあるもんやな」
「お気遣いいただいてありがとうございます」


自分で言うのもなんだけれど、私が遅くまで残業しているのはかなり珍しい。その証拠に、北さんが声をかけてきたかと思ったらこの反応である。どうやら会議があったらしく、北さんは自分のデスクに戻ると何やら仕事を始めた。
侑さんは夕方に外回りの営業が入っていてそのまま直帰コースなので、社内には私と北さんしかいない。お互い静かに自分の仕事と向き合い、パソコンのキーボードを打つカタカタという音が響いている中、私は頭の隅で考えていることがあった。
仕事関連のことではない。けれども、北さんに私の燻っている気持ちのことを相談してはいけないだろうか、と。北さんなら、何と助言してくれるだろうか、と。そんな、浅ましいことを考えている自分に驚いた。


「なんやききたいことあるなら早よ言い」
「えっ」
「顔に書いてあんで。名字は意外と分かりやすいなぁ」


北さんは人のことをよく見ている。私はそんなに、否、ほとんど気持ちが表に出るタイプではないから、こんなことを言ってくれるのは北さんぐらいだろう。ああ、でも。侑さんも同じことを言ってくれそうだなあ。…って、なんでそうなるんだ。


「で?ききたいことは?」
「あ、いや…仕事のことではないので…」
「……アイツは普段あんなんやけど、根っこはしっかりしとると思うで」
「へ?え?」
「あんまり遅うならんうちに帰りや」
「はい…」
「心配しとるやつもおるみたいやから」
「はい?」


会話中にパソコンの電源を切って席を立った北さんは、私の肩をポンと叩いて出口へ向かう。私、何も言ってないのに…なんであんなこと…そんなに分かりやすい態度とったっけ?頭の上に疑問符を並べながらなんとなく北さんが帰る姿を目で追うと、出口のところで見覚えのある金髪がチラついた。
心配しとるやつもおるみたいやから、って。もしかして。北さんはいつからその存在に気付いていたのだろう。足早に出口へ向かうと、そこにはやはりと言うべきか帰ったはずの侑さんがいて胸がどきりと大きく跳ねるのが分かった。


「なんで…、」
「今日、名前ちゃんの仕事の進みなんや遅いなーて気になっとって。どうせ暇やし来てみたら、まだおるんやもん。しかも北さんと2人で」
「北さんは会議が終わって少し仕事をしてただけですよ」
「そんなん知っとる。この時間に仕事終わってへんの初めてやろ。体調悪いん?」


私のデスクの方に戻りながら平然とそんなことを尋ねてくる侑さんに、お門違いだと分かりつつも苛々してしまった。誰のせいでこんなことになっていると思っているのか。
こんな風に仕事に支障をきたすようなこと、今まで1度もなかった。例え何があったとしても、仕事とプライベートはきっちり分ける。それが当たり前だと思っていたし、自分にはそれができると思っていた。それがこの有様だ。侑さんが来てからというもの、私は乱されっぱなしなのである。現在進行形で。


「体調なんて悪くないです」
「せやったらどないした…」
「侑さんは勝手です。好きなこと言って、好きなように色んなことして、なんでいつも私のことを振り回すんですか」
「名前ちゃん?」
「公私混同はしたくないんです。だから頑張ってるのに、色々考えてるのに、なんで、なんで…、」
「名前ちゃん」
「私、どうしたら良いんですか…」


侑さんにぶつけたってどうしようもない。これは自分の中で決着をつけなければならないことであって、むしろ侑さんは私の反応を窺っている立場なのに。
自分が自分じゃなくなるみたいなこの感覚が苦手だ。侑さんと居ると、いつのまにか我を忘れてしまうことがある。それが、怖い。理性だけで塗り固められていた自分が崩れていったらどうなるのか、それが分からなくて。
言いたいことを言って冷えた頭で、なんてことを言ってしまったんだと後悔する。侑さんは何も言わなくて、それがまた私の中で焦りを生み出した。どうしよう。逃げたい。ここから離れたい。
ごめんなさい。
その一言が届いたのかは分からないけれど、私は侑さんから距離を取りたくて出口の方へ駆け出した。けれども、数歩進んだところで呆気なく腕を掴まれたかと思うと、そのまま強い力で引っ張られ、ぶつかったのは侑さんの胸。


「難しいこと考えんと言うてみ?名前ちゃんの気持ち」
「……私は、」


私は、どうしたいんだ。そんなの何度も考えた。考えては首を横に振ってダメだと言い聞かせ、また考えては同じ答えに辿り着く。ねぇ、だって、都合が良すぎませんか。突き放し続けて、拒み続けて、逃げ続けてきたのに、今更、いまさら。
揺らぐ心を悟ったかのように、私を抱き寄せる侑さんの腕の力が強くなった。この腕から、この温もりから逃げない時点で、きっと答えは決まっている。本当はもう、随分と前から。


「私はたぶん、侑さんのことが…すき…っ、」


好きなんだと思います。そう言い終わる前に、ぎゅう、とキツく抱き締められた。息が苦しくなるぐらいに。
誰もいないとはいえ、ここは社内で、もしかしたら誰か来てしまうかもしれない。早く離れないと。そう思うのに身体は侑さんを享受してしまっていて、拒むことはできなかった。


「絶対後悔させへん」
「はい」
「たぶんじゃなくて、ほんまに好きやって言わせたる」
「はい、」
「せやから、俺と付き合うてや」
「………はい」


こうして私は、晴れて侑さんと付き合うことになった。私の返事をきいて侑さんがこれ以上ないほど強く、けれどもどこか優しく抱き締めてくれた時のことを、きっと私はこの先ずっと忘れないだろう。だって、初めてだったのだ。自分は愛されているのかもしれないと、体温だけで感じられたのは。
この選択が正しかったのかは分からない。けれども、漸く侑さんの表情を見ることができた時、今まで見たこともない柔らかな笑顔を傾けてくれたから。少なくともこの瞬間は、幸せかもって思うことができたから。後悔はしていない。


白旗をげました