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#11




「名前ちゃんちって結局どこら辺なん?」
「急になんですか」
「彼女の家がどこにあるんか知っときたいなー思て」
「まだ彼女(仮)って感じなんですけど」
「(仮)ってなんやねん!」


私と侑さんが付き合い始めたということは、瞬く間に社内全体へと広まった。それは勿論、侑さんが誰彼構わず言いふらしたせいである。
うちの会社では社内恋愛が禁止というわけではないけれど、私としては妙な気の遣われ方をしたくないし、何より侑さんのことを狙っていたであろう女性社員達からの嫌がらせが面倒だなと思っていたので、できる限り周りには知られたくなかった。
まあ今更そんなことを言っても後の祭り。今のところ嫌がらせはされていないし仕事に支障をきたすようなことも起こっていないので、とりあえずは良しとするしかない。
例の如く仕事中にもかかわらず隣の席から話しかけてくる侑さんの手はちっとも動いていないけれど、恐らく心配せずとも仕事は終わっているのだろう。この人は一体いつ仕事をしているのだろうかと、甚だ疑問だ。


「で?どこら辺なん?」
「そんなことをきいてどうするんですか」
「仕事帰りに送ったりとか」
「とか?」
「休みの日に遊びに行ったりとか」
「とか?」
「……たまーに泊まりに行ったりとか?」


キーボードを叩いていた手を止め、パソコンの画面に向けていた顔を侑さんへと向ける。へらりと笑うその表情に注ぐのは冷ややかな視線だ。


「しゃーないやん!俺男やし!彼女の家行きたいて思うんは普通やろ!」
「私、何も言ってませんけど」
「目が怒っとる!」
「怒ってはいません」


そう、怒ってはいない。ただ、男の人ってやっぱりそういうことを考えているものなんだなと思って、少しばかり落胆しただけだ。軽蔑まではしないし、男の人ならそれが当たり前だとも思う。少なからず好意をもっている相手から、そういう対象として見做されることを嫌だとも思わない。けれど、会社でヘラヘラと話す内容ではないだろう、と嫌悪感を抱いたのは事実だ。
私がそれ以上何も言わず仕事に戻ったのを、侑さんはどう捉えたのだろうか。珍しく静かに自分の仕事に戻った侑さんは、それっきり仕事が終わるまで話しかけてくることはなかった。


◇ ◇ ◇



その日の仕事終わり、侑さんは当たり前のように私の隣を歩いて帰路についていた。夜ご飯を食べて帰らないか、というお誘いは、そういう気分じゃない、という理由で既に断っている。だから、侑さんが私と行動を共にする理由はないはずだ。
私は赤信号で足を止めると隣に立つ侑さんに、どこまで一緒に来るつもりですか、と尋ねた。今日の会社でのやり取りからすると、このまま家に付いて来るつもりだろうか。そんな懸念を一蹴するかのように、侑さんはけろりとした顔で答える。


「俺の家、こっちやから」
「…そうでしたっけ」
「気になるなら付いて来てもええけど」
「いえ、結構です」
「…まだ昼間のこと怒っとるん?」
「だから、怒ってはいませんってば」
「ほな何?どう思うとるん?」


ここで素直に思っていることをぶち撒けたら、侑さんはポカンと呆けてしまうことだろう。お堅い女だと幻滅するかもしれない。それが怖くて、というわけではないけれど、私は返答に困ってしまった。
彼女(仮)の私は、きっと恋愛に臆病になっているせいでガードが堅い。自分でもそれぐらいは分かる。けれどもそんな私とは対照的に、恐らく私なんかより恋愛経験豊かで様々な女性を相手にしてきたであろう侑さんは、恋人同士の過ごし方ってものを充分に心得ていると思う。
普通の彼女なら、一緒に夜ご飯を食べて、いい雰囲気になって、どちらかの家に行って、そのままよろしくしたり…なんてこともあるのだろう。けれども私には、そんな風に流れるように事を運ぶのは無理だ。
つまり何が言いたいかというと、やはり侑さんは私とは付き合うべきではないということだった。釣り合わないということは最初から分かっていたし、だから受け入れることを拒んでいたというのもある。感情的になって気持ちを吐露してしまった結果、今に至るのだけれど、付き合い始めて日が浅い今のうちなら傷は最小限にとどめることができるだろう。
根本的に、私と侑さんでは考え方も価値観も違いすぎる。幸い、侑さんのことは好きだけれどまだ引き返せるギリギリのところではあると思う。だから、引き返すなら今しかない。


「私、やっぱり侑さんとは付き合わない方が良いと思うんです」
「なんで?俺のこと軽い男やと思って嫌いになったとか?」
「違います。そうじゃなくて、なんというか…分かってたことですけど、私達、元々釣り合わないじゃないですか」
「は?」


信号が青になったので進もうとした。けれどもそれは叶わず、強い力で手首を掴まれる。私はいつも、こうして侑さんに捕まってばかりだ。そして捕まってしまったら逃げられないのもいつものこと。


「釣り合うとか釣り合わへんとか、そんなんどうでもええねん。俺が気にしとんのは名前ちゃんが俺のこと好きかどうかだけや」
「ちょっと…侑さん、人見てますから…」
「関係あらへん」


侑さんは嫌になるほど真っ直ぐな人だった。確かに言っていることは正しいと思う。思うけれど。私はそこまでメンタルが強くないので、道行く人にチラチラと見られているこの状況では、まともに話ができない。険しい顔をしたまま私の手首を離さない侑さんは、きっとこの話がひと段落しなければ解放してくれないだろう。
私は点滅する青信号に背を向けて来た道を逆戻りすべく、行きましょう、と強引に歩き出す。掴まれているのは私なのに、引っ張っているのも私というなんとも不思議な光景。とりあえず人通りの少ない路地裏まで来たところで、私は足を止めた。


「あの、侑さん」
「何?」
「もう分かってると思いますけど、私かなりガード堅いですし面倒ですよ」
「そんなんこうなる前から分かっとる」
「恋人らしい雰囲気にもなれないでしょうし、すぐに手を出したりもさせません」
「名前ちゃんはそういう子やろな」
「それでも私にこだわる必要ありますか?」


私の手首を掴んでいた手の力が緩んで解放される。と同時に、ちょうど壁際にいた私を追い詰めるみたいに顔の真横に手をつかれ、肩がびくりと跳ねた。
こんな侑さん、見たことない。これはもしかしなくても怒ってる?初めて向けられるビリビリとした空気に、私はごくりと息を飲んだ。


「こだわる理由なんか、好きやから以外に何がいるん?」
「…っ、」
「会社でああいう話したんは悪かったて思うてる…けど、俺は名前ちゃんのこと知りたいだけやねん。下心が全くないわけやないけど、それは二の次やから、」


俺から逃げんといて。


怖いと思っていたはずの雰囲気がぷつりと途切れ、崩れるように大きな身体を屈めて額を私の肩にのせてきた侑さんはなんだか弱々しくて、これもまた今まで見たことがない姿だった。どうしてここまで私を求めてくれるんだろう。好きだって、思ってくれるんだろう。
何も分からないけれど、侑さんの気持ちをきちんと考えずに不安から逃げようと別れを告げてしまったことには罪悪感が募る。だからだろうか。私の手はいつの間にか侑さんの頭を撫でていた。
逃げんといて。きっとそれは私のセリフだ。逃げられるのが怖いから、突き放されるのが怖いから、いつかそんな日がくるのが怖いから、自分から離れようとしただけ。


「ごめんなさい」
「…何が?」
「傷付けたかなと、思って」
「せやなぁ…めっちゃ傷付いたから、もう少しこうさせとって」
「…はい」


暗闇に飲み込まれそうな路地裏の隅。侑さんの手が私の腰を抱き寄せて、首筋には顔が埋められる。私はそれを、黙って受け入れた。お詫びのつもりで、というわけではない。私はその行為を嫌だと思わなかったのだ。
どろり、どろり。心臓が、溶けていくような気がした。


こうしてを知るのです