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隙を隠して、ぐしゃり

コンビニでの邂逅から数日。あの日以来、名前ちゃんには会っていない。ついでに、あれからゴムを買い足してないのでヤってもいない。人間の三大欲求のうちのひとつである性欲が、ここ最近抑えられている。これはいよいよ病気かもしれない。
俺が真面目にそんな馬鹿げたことを考えながら歩いていると、噂をすれば何とやら。名前ちゃんがいつかも見かけた自販機の前で、これもまたいつかと同じようにボタンを同時に押しているところを発見してしまった。デジャヴかよ、と心の中でツッコミつつも、折角なので肩をポンと叩いて名前を呼んでみる。


「うわっ!」
「なんでいつもそんなに驚くんだよ…」
「逆にききますけど、どうしていつも気配を消して忍び寄るんですか…」
「気配消してるつもりねーんだけど」


俺は忍者か。またもや心の中でツッコミを入れて、名前ちゃんの手元を見る。またバナナ・オレだし。


「バナナ・オレでいーの?」
「今日はバナナな気分だったので満足です」
「あっそ…」


バナナな気分ね。俺、生まれてからそんな気分になったこと一度もねーわ。そもそも、最初からバナナな気分ならボタン2つ同時に押す意味なくね?名前ちゃんと話をしているとツッコミどころが多すぎて大変だ。いや、これはこれで楽しいけど。
俺がそんなことを考えているなんて知る由もない名前ちゃんはご機嫌な様子でバナナ・オレにストローをさすと、目の前でちゅーっと音を立てて飲み始めた。自由な子だ。話すこともないくせにぼーっと名前ちゃんを眺めていたからだろうか。俺の視線が気になったらしい名前ちゃんは、飲むのを止めて暫く何かを考える素振りを見せた後、おもむろにポケットから小銭入れを取り出した。また何か買うのだろうか。


「黒尾先輩も欲しいんですか?何にします?」
「は?いや……………、つーか、名前、」


そんなにもの欲しそうな目で見ていたつもりはないが、名前ちゃんにはそう映ってしまったらしい。別に喉は乾いてないし、たとえ喉が渇いていたとしても後輩に奢ってもらうつもりはない。
そんなことよりも、俺には名前ちゃんの口から自分の名前が飛び出してきたことの方が重要だ。思えば、出会ってからというもの、俺は名前ちゃんに名前を呼ばれたことがなかった。だからつい反応が遅れてしまったけれど、今確かに、名前ちゃんは俺のことを、黒尾先輩、と呼んだ。


「俺の名前、初めて呼んだろ」
「そうですっけ?」


特に意識はしていなかったらしく、はて?と首を傾げる名前ちゃん。なんだか自分だけが意識していたようでアホらしい。とは言え、名前を覚えていてくれたことは嬉しいので素直に喜んでおく。


「クロでいい。研磨も山本もそう呼んでる」
「え!なんか馴れ馴れしくないですか」
「むしろ黒尾先輩って響きがよそよそしくてキライ」


俺の申し出に、名前ちゃんはうーんと考えている。そんなに悩むことじゃないと思うのだが、どうやら名前ちゃんは上下関係というものを気にしているらしい。壁があるというかなんというか…。
そういえば俺が今キープしている女達は、こっちが良いとも言っていないのに、鉄朗、と勝手に呼んでいたな、と思い出す。別に名前で呼ばれるのが嫌だと思ったことはないが、嬉しいとも思わない。
しかし仮に名前ちゃんが、鉄朗、と呼んできたらどうだろう。そんなことはあり得ないということは分かっているが、想像しただけで結構嬉しいような気がする。…やばい、また名前ちゃんに毒されかけていた。危ない危ない。


「じゃあ、」


どうやら考察が終わったらしい名前ちゃんの声で我に帰る。そして、何の気なしに名前ちゃんの方に視線を落とすと、なんということだろう。あざとくも上目遣いで俺を見つめているではないか。


「クロ、先輩?」


きゅん。………って、ばっかじゃねーの!何が、きゅん、だ。俺はそんな純情少年じゃねーだろ。俺は1人で焦っていた。
分かってる。これは名前ちゃんの素だ。誘ってるわけでもなければ、何かを企んでいるわけでもないだろう。そもそも俺がクロと呼べと言ったのだ。名前ちゃんは何も特別なことをしたわけじゃない。
女に上目遣いで見つめられるのなんて慣れている。ベッドの上では大体の女がしてくることだ。今更、興奮材料になんかなりゃしない。けれど、今のこの状況。俺は間違いなく乱されている。この、純情天然後輩に。
焦りのあまり逸らしていた視線を元の位置に戻すと、そこにいたはずの名前ちゃんが消えていた。あれ?いない。俺が軽いパニック状態に陥っている間に、どこかへ行ってしまったのだろうか。と思ったら、自販機からがこん、という音が聞こえて、名前ちゃんが茶色いパッケージのそれを取り出すのが見えた。そして、つい今しがた買ったばかりのそれを、俺に差し出す。カフェ・オレ?


「前、イチゴ・オレもらったお返しです」
「は?あれは俺が勝手にあげただけだろ」


律儀にもお返ししようとしてくれている名前ちゃんには申し訳ないが、俺は生憎、後輩にたかる趣味はない。ズボンの中に小銭あったかなーと、ポケットに手を突っ込んだら、チャリン、という鈍い金属音がしたから、ジュース代ぐらいはありそうだ。
金返すから…と、俺がポケットから小銭を取り出して、お金を渡そうと名前ちゃんを見ると、そこには悪戯っ子みたいな笑顔。そして、


「私も、クロ先輩にあげたい気分だったので。お金はいりません」


そんなことを言ってきたのだった。
なーんか…調子狂うなあ…。困ったことにその笑顔を見るとどうにも逆らえない俺は、不覚にも後輩に奢られるハメになってしまった。


「クロ先輩っぽいかなと思って」
「は?」
「カフェ・オレ」


茶色いパッケージと名前ちゃんを交互に見つめて、固まる。ああ…前、俺が名前ちゃんにイチゴの方が似合うって言ったから、そんなことを言ってきたのか。それは察することができたのだが、どう反応するべきか非常に迷う。
あの時の名前ちゃんもこんな気持ちだったのかと思うと、自分はなんと微妙なことを言ってしまったのだろうかと反省する。けれども名前ちゃんは戸惑う俺を見て、ふふふ、と楽しそうに笑っているから、きっと何も気にしていないのだろう。
名前ちゃんはいつも無邪気で素直で純粋だ。子どもがそのまま高校生になったみたいな、そんな綺麗さを持ち合わせている。それが俺には新鮮で眩しくて、それと同時にひどく恐ろしかった。自分と関わるだけで汚してしまいそうで。簡単に傷付けてしまいそうで。
けれど、だからこそ、興味を持ってしまったのかもしれない。手に入れたくなってしまったのかもしれない。俺は、随分と強欲だ。


「名前ちゃん、あのさ…、」
「はい?」


とりあえず連絡先だけでもきいておこう。そう思ってスマホを取り出すのと、チャイムが鳴るのがほぼ同時だった。名前ちゃんは慌てて教室に向かって走って行ってしまい、俺は1人、ポツンと取り残される。
なんというタイミングの悪さ。まあ、また会った時にでもきけばいいか。授業間に合わねーなあ…と思いつつも、走る気にはならない。どうせ次の授業は古典だから、おじいちゃん先生にバレないようにこっそり教室に入れば問題ないだろう。
俺はのろのろと歩きながら手元に残されたカフェ・オレにストローをさして、ちゅーっと吸い上げる。…甘い。名前ちゃんに勧められたものは、今のところ甘いものばかりだ。


「らしくねぇよなあ…」


つい先ほどのやり取りと信じられない感情を思い出し、ポツリと呟く。名前ちゃんに出会ってから、俺はおかしくなってしまった。遊び相手にはならないと分かっているのに、それでも尚、手に入れたいと思っている。つまり、それは。
…ないない。脳裏に浮かび上がった感情の名を掻き消すように、俺は数回、首を横に振る。あーくそ。溜まってるせいかイライラする。今日、ゴム買いに行こ。俺はまるでその感情を揉み消すかのように、飲み終わった紙パックを強く握り潰した。


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