だが私の意思とは反して気付いてしまったモノを見て見ぬ振りをするのは思った以上に難易だった。何気ない会話をしていても自分の気持ちを悟られない様に、と彼に取り繕う様になってしまったのだ。

「なんか最近変だな」
「齢の所為かなー」

彼のそんな言葉にもそんな風にはぐらかして笑った。と云うか中也が勘付いているのが内心ハラハラものだった。

(限界かな)

彼の恋心を聞いてから、三週間が過ぎていた。正直最近は此処に来るのが少し億劫になっていた。上手く笑えるか、話せるか。あの話題が出たら、彼からもう会わないと云われたら。彼女が出来たと、嬉しそうに微笑まれたら。

流石に笑って居られる自信は無かった。恋って厄介なんだな、と他人事の様に感じていた。だがまだそんな風に思えている今離れておくべきなのでは、と云う考えがふと浮かんだ。

傷付く前に距離を置こう。そう頭で結論付ければ行動は早かった。

「そう云えば、もう告白したの?」
「・・否」

問い掛けに中也は否定の言葉を漏らした。さぁ、頑張れ私。これが最後だ。そう思って中也にグッと顔を近付けた。彼はその目を目一杯広げて驚いている。そんな中也に可愛い、なんて彼に怒られそうな単語を浮かべて笑った。

「大丈夫よ、あんた顔は良いんだから」
「・・・」

そんな私の言葉を中也は面を食らった様に聞いていた。

「云う時は真剣に!真っ直ぐ相手の目を見て!悔しいけどあんたが云えばイチコロだろうしさ」

そう、最後だから良き友達として終えたかった。

「私は中也の恋を応援してるよ」
「・・あ!おい!」

そう云ってそっと立ち上がった。マスターの顔は見れなかった。屹度バレてる。こんな強がり云いたいんじゃないんだって事が。

「頑張れ、中也」
「ナマエ・・」

そう笑って店を出た。彼は混乱している様だった。云われた言葉の意味を直ぐには理解出来ずに、唯云われた言葉を飲み込んでいた。


「・・さよなら、中也」


夜の空を見上げて呟いた。星が僅かに滲んで見えた。

そして−−その日を境に、私はあの店へと行かなくなった。





「はぁ」

思わず一つため息を吐いた。

「如何したんですか?」

横からそんな声がしてハッとした。仕事中だったのだ。隣で同じく受け付けを担当する子が驚いた様に「ミョウジさんのため息なんて初めて聞きました」と漏らしている。

「ごめんなさい、ちょっと疲れてるのかも」
「ミョウジさんは社長からもお呼ばれしたりしてますもんね〜」

若い子独特の緩い口調で彼女は「今日も呼ばれてましたしね」と特段気にせずにそう続けた。完全なる勘違いだが「そうね」なんて苦笑いを浮かべた。

そう、今日は社長宛に人が訪ねて来る。それを案内する様頼まれていた。大きな声では云えないがこの会社は完全ブラック企業だ。裏では非合法組織と遣り取りなんて日常茶飯事。懐からチラリと拳銃が見えた事も何度もある。

この会社をあみだくじで選んだ自分を激しく後悔したのも昔の事で、この八方美人が思わぬ所で役立ち、気付けばそんなおっかない人達が来る時は私に話しが回って来る。

二年ほど前までは別の人がその役を負っていたが私に切り替わると驚くべき早さで辞めて行った。転職も考えたが面倒過ぎて求人誌をパラパラと捲っただけで終わった。

(いかん、仕事に集中しなきゃ)

脳裏に浮かんでいた一人の男を振り払う様に頭を振った。そんな私に隣の彼女は首を傾げていたが気付かない振りをした。

そもそも何故私がため息を吐いたかと云えば、今日の来訪者の名前だ。−−中原。それは皮肉にも彼と同じ名前だった。

何処かの会社の偉い人らしいがどうせ良くない会社に決まってる。社長が私に案内しろと云って来た時は大抵そんな人達ばかりだったからだ。

そんな人達を相手していたからか、あの店へ行くまでの裏通りも怖くは無かった。だからこそあの店にも、彼にも出会ってしまったのだ。

人生上手く行かないものだ、なんて手元の書類を見ながら哲学的な思考になる。

「失礼、今日此方の社長と約束をしているのですが」
「はい、」

そんな声が聞こえて、来たか、と顔を上げて思考が止まった。

「手前・・」
「嘘・・」

中也だ。目の前にはあのBARに居た時の格好の侭の彼が立っていた。お互い目を見開いて固まっていた。

「ミョウジさん、このイケメンと知り合いですか?」

コソっと隣の後輩が耳打ちをしてハッとした。慌てて立ち上がって営業スマイルを浮かべた。

「中原様ですね、社長にお伝えさせて頂きますので少々お待ち下さい」
「・・ああ、宜しくお願いします」

私がそう云えば、彼からも不自然な笑顔が返って来て思わず「なんだその顔は」と突っ込んでやりたくなった。だがそんな事を云える訳もなく慣れた手付きで内線を耳に当てる。

隣から「かっこいー!」と小さな悲鳴が聞こえたがそれどころじゃ無い。表情とは裏腹に逸る心臓の音を落ち着かせるのに私の思考は必死だった。

「申し訳御座いません。社長は少し遅れるとの事ですので暫く部屋でお待ち頂けますか」
「構いません」
「では、ご案内致します」

目の色を輝かせて中也を見詰める後輩に「あと宜しくね」と声を掛けたが、正直聞いているのか怪しかった。だがそれに構わず私は「こちらです」と先陣を切って廊下を歩いた。

そんな私の言葉に「お手数をおかけします」なんて声が聞こえて鳥肌が立つかと思った。彼は本当にあのBARに居た彼なのだろうか。否、それは彼にも同じ事が云えるのでは、と思って唯無言で部屋への道を歩いて行った。

「此方にお掛けになってお待ち下さい」

一つの応接間に入りソファーへと促す。流れ作業の様に茶を汲み、机の上へと置いた。だが彼が閉まった扉の前から動く事は無い。

「では、私はこれで失礼致します。何かあれば受け付けへとお申し付け下さい」

彼の横を通り過ぎて会釈をする。さっさと立ち去りたかった。この笑顔がポロポロと剥がれてしまう前に。

「・・おい」
「・・・」

だが彼に背を向けた途端、背後から腕を掴まれた。何時もの口調だ。それが判るのも、その腕から伝わる温もりも、久々の声に胸が音を立てるのにも堪えられなかった。

「今夜、あの店で待ってる」

廊下から此方に向かって来る足音がする。俯いた私の耳にそんな甘い言葉が響いて眩暈がした。

「・・失礼します」

中也の顔も見ず、返事もせずに半ば逃げる様に腕を振り払って部屋から出た。廊下を出れば直ぐに社長と鉢合わせ、「お客様をお通し致しました」と笑顔を貼り付けた。

屹度笑えて居なかったのだろう。社長は僅かに驚いた表情を浮かべ「ご苦労」とだけ云った。

其処からは体調が悪いと早退した。笑える自信が無かったのもあるが、後輩の子に色々聞かれたりするのが面倒だったのもある。

私が彼の事を語るのは気が引けた。だって彼の事を殆ど何も知らないからだ。それを改めて突き付けられるのが厭だった。唯の飲み友達だと思っていた頃はそれが楽で良いとさえ思って居たのに。

気付いたらあの店の前にいた。そんな自分に思わず自嘲する。もう何年とこの街にいるにも関わらず、私には此処以外行く場所が無いのだ。

まだこの裏通りでさえ明るい時間帯。開いている訳が無いと思いつつも"close"と書かれた木の板のぶら下がる扉を引いた。

「!」

だが思考とは裏腹にそれは何の抵抗も無く開いた。驚きに目を見開いて、其れでも中へと足を踏み入れた。

「いらっしゃい」
「・・マスター」

そう何時もと変わらずに云ってくれるマスターに思わず目頭が熱くなった。開店の時間までまだまだ時間が有るのに本当に何時もの侭だ。それに疑問を覚えつつも、矢張り私も何時もの場所へと腰を下ろした。

「はい、何時もの」
「ありがと」

目の前に注文していないにも関わらずマスター特製の酒が差し出された。まるで、自分が来る事が判っていたみたいだ。この酒だって私が我が儘放題で作って貰った私だけに振る舞われるモノだ。それを一口含めば、矢張り涙が出そうになった。

「ねえマスター」

グラスに口を付けながら小さく言葉を漏らす。それを何時もの様にマスターは黙ったまま聞いていた。

「あれから彼は此処へ来てたの」
「毎日来てますよ、貴女を探して」

真逆、と笑った。その理由が見付からなかったからだ。

「報告かな、付き合えましたーとかさ」
「さあどうでしょうね」

ご自分で確認されては、とマスターは鬼畜な言葉を並べる。

「・・ねえマスター」

机に腕を付けて其処に頭を乗せる。その手で髪の毛を掴めば、くしゃっと音を立てた。

「その時私、どんな顔したら良いのかな・・っ」

此れまでは笑って誤魔化して来た。相手の感情に同調すれば大抵のどうでも良い事は解決した。相手からも感謝され面倒だったがまぁ良いか、なんて思えたモノだ。

だが今回は如何だろう。何が正解なのか判らない。そう云えばあの時の彼の声は少し怒っている様な、寂しそうな声だったな、なんて今更ながら思った。

「素直になれば宜しいのでは」
「素直、ねえ・・」
「その席に座れば無敵なのでしょう」

全く、そんな事誰が云ったんだ。と恥ずかしくなった。恐らく酔った時に自分が云ったのだろう。覚えてはいないが。

「・・呑むわ」
「程々に」

もう自棄だった。呑まないとやってられない。屹度、伝えられない。いっそ相手の顔色なんて見えなくなる位呑んで云ってやる。

私の開き直りと紙一重の覚悟はその呑む酒の量に比例して増えていった。






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