お砂糖漬けの独占欲をぱくり
翌朝は、いつもより寝覚が良かった。…ような気がする。もしかしたら気分的な問題なのかもしれないけれど、妙にすっきり目が覚めたのは間違いない。
ぱちり。ぱちぱち。数回瞬きを繰り返している最中にも触れ合った箇所から感じる体温に、昨日の記憶が蘇る。私、本当に二宮くんとセックスしちゃったんだ。初めてを捧げちゃったんだ。改めてそう認識すると、とんでもなく高い壁を乗り越えたような気になる。
「起きたのか」
「起きました」
「眠れたか」
「うん。ぐっすり。二宮くんは？」
「……普通だ」
「普通？」
「普通に寝た」
「そっか」
おはようというお決まりの挨拶すら素っ飛ばして会話を繰り広げる彼の顔色を窺うように少しだけ視線を上向かせた私は、彼の顔を見てギョッとした。寝た、と言うわりに、彼の目元が随分と虚げだったからである。なんなら薄っすらクマができているし、普通に寝たとは到底思えない。
私が凝視していることに気付いた彼は「なんだ」と言いたげだったけれど、直接口には出されず。普段のような覇気も感じられないところを見ると、彼は恐らく寝不足だ。寝た、って、どうしてそんな嘘を吐くのだろう。
「二宮くん、寝てないでしょ？」
「寝た」
「クマできてるもん」
「……少しは寝た」
普通に寝た、から、少しは寝た、に変わった。彼は私に寝不足を指摘されたのが不本意だったのだろう。不服そうに視線を逸らした。
「狭いから寝るのが難しかった？」
「そういうわけではない」
「暑かった？ 寒かった？」
「…………とりあえず起きたなら離れろ」
「え」
昨日の夜散々密着したというのに「離れろ」って何？ どういうこと？ 一回抱いたらもう良い、とか、そんなこと言うタイプじゃないよね？
私は「離れろ」という命令には納得できないのでその言葉には従わず、むしろ反抗するみたいに逞しい身体に擦り寄ってやった。軽く息を吸い込めば、彼の香りが鼻腔を通って肺に取り込まれる。それぐらいの距離だ。
彼は私の行動が想定外だったのか、擦り寄った直後に僅か身体をピクリと反応させた。私はわざとらしく彼の胸に顔を寄せているからどんな表情をしているかは見えないけれど「俺の話をきいていないのか？」と苛ついているかもしれない。
引き剥がされたらそれ以上の無理強いはしないようにしよう。ただ、私に「離れろ」と命じた意図は教えてもらいたいと思う。
「…なまえ」
「そんなに離れたいなら二宮くんがベッドから出てよね」
「誰も離れたいとは言っていない」
「離れろって言ったくせに？」
彼の発言は矛盾している。彼は間違いなく私に「離れろ」と言ったのに離れたいわけではないと言う。意味が分からない。
…ていうか、離れたいわけじゃないってことは、今の状況は満更でもないってこと？ 二宮くん、意外とスキンシップ好きなタイプなのかな。だとしたらちょっと可愛い。
「昨日の今日で、慣れない」
「どういうこと？」
「意識、するだろう」
言われて初めて気付いた。私の太腿に何か硬いものが当たっている。何か、って、たぶん、いや、絶対、二宮くんのアレ、だけど。
理解した途端、積極的に密着しにいった自分の行動がとんでもない痴女のように思えてきて、恥ずかしくて堪らなくなった。顔が熱い。そういえば何かの雑誌か、ネットの記事で見たことがある。朝勃ち、だっけ？
二宮くんのポーカーフェイスはこういう時に困る。何を考えているのか、どんなことを感じているのか、注意深く観察しても分かり難すぎるから。
「二宮くん、ムッツリなんだ」
「だとしたら何だ」
「否定しないどころか開き直るメンタルの強さ、尊敬するよ」
「男なら好きになった女に反応するのは当然だろう」
ちっとも羞恥心などない様子の彼は、ただじっと私を見つめていた。「好きになった女イコール私」という方程式を頭の中で成立させ、先ほどよりも更に顔の熱を上げている私は、その視線で焦げてしまうのではないかとすら思っているというのに、この期に及んで平然と「どうした」と尋ねてくるのだから、ほんと、二宮匡貴という男はトコトン空気やムードを読むことが苦手なのだなと思わされる。頭は良いはずなのに、なんというか、肝心なところでポンコツだ。
しかし彼がいくらポンコツでも空気もムードも読めない男だとしても、それらは彼を嫌いになる理由にはなり得ない。そんなところも引っくるめて、私は彼のことが好きだから。
「じゃあどうしてなかなか手出してくれなかったの？」
「そう易々と奪っていいものじゃないだろう」
「大事にされてるんだ、私」
「今更気付いたのか」
「二宮くんってストレートだよね…」
彼には揶揄いというものが通用しないから、カウンター攻撃を食らった私はあえなくノックアウト。好いている。大事にしている。その事実を直球で真面目に伝えられる人なんて、そうそういないだろう。
恥ずかしさを紛らわすため視線を逸らすべく俯いて彼の胸板に顔を埋めた私は、そこでハッとした。太腿の感触、なくなってない。ということはつまり、私は彼から離れた方が良いということなのだろう、けれど。
むぎゅ。私はわざと彼にくっ付く。肌と肌が触れ合う面積が増え、互いの温度が混ざり合う。こんなことをしているのだから、私は本当に痴女なのかもしれない。
「どういうつもりだ」
「こういうつもり」
「……俺に喧嘩を売っているつもりということか」
「違うよ。お誘いしてるつもりってこと」
朝から盛るなんて女としてどうかと思われるかもしれないけれど、仕方ないのだ。どうしても二宮くんにくっ付きたくなっちゃったんだから。これで今から襲われても文句は言わない。
すり、と頬を彼の胸に擦り付ける。どくどくと脈打つ彼の心音は、心なしか速いような気がした。私もきっと、彼と同じぐらいか、もしかしたらもう少し速いテンポで脈打っているに違いない。
はあ、と聞こえた溜息。呆れられちゃったのかな、と落ち込む間もなく身体が上向かされ、視界に広がる天井と彼の端正な顔。常にポーカーフェイスを貫いている彼が立派な肉食獣だということは昨日の夜確認済みだから、こうなることはなんとなく分かっていた。というか、心のどこかで期待していた。だからつい、頬が緩んでしまう。
「良いんだな？」
「仕事は休むことにしました」
「俺は休めないが」
「でも夕方からなんでしょ？」
「……後悔するなよ」
するわけないでしょ、という言葉は音にしなかった。代わりにニッコリ笑って、さらさらの彼の髪の毛を撫でる。その動作で全ての意図を悟ったらしい彼は、珍しくふっと表情を和らげた。
それからはあっと言う間。唇が重なって、私の全身を彼の大きくて節張った手がなぞっていって、時々思い出したように熱い息を吐き出しては吸って、交わって、名前を呼び合って。彼の余裕のない顔は、これから先も私だけが知っていたいと強く思った。
そうして、気付いたら昼前だった。お昼ご飯どうしよう、なんて考える元気はなく、泥のようにベッドに沈むのが精一杯。後悔はしていないけれど、ちょっと手加減してほしかったなあと思ったりはする。
「寝るのか」
「寝ないけど、起きるのも無理」
「俺は先に忠告した」
「怒ってないし責めてもないよ」
「シャワーは」
「先にどうぞ」
「…分かった」
と、返事をしたくせに、彼はなかなかベッドから出て行かない。のんびりしていたら防衛任務に遅れてしまうのではないだろうか。まあ彼に限ってそんなことは絶対に有り得ないだろうけれど。
私が彼の髪を撫でた時のように、今度は彼が私の髪を撫でた。心地良くて、気怠さと相まって急激に眠気が襲いくる。そんな感じはしないけれど、思っていたよりも身体は疲れているのかもしれない。
「出る時にまた声をかける」
「二宮くん、やさしー…」
そんなに優しいなんて知らなかったよ、と皮肉めいたセリフを言う前に微睡んだ。私なんかより昨日まともに寝ていない二宮くんの方が眠たいに決まっているのに。しかもこれから防衛任務に行かなくちゃいけないのに。私だけ寝ちゃってごめんね。
微睡みながら思う。二宮くんがこんなに優しいなんて誰にも知られたくないなあ、って。私は随分と独占欲の強い女みたいだから、これから先もずっと彼のことを一番知っているのは私が良いなあ、って。