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I

wの日常

※高校卒業後プロヒーローになってからの話


 卒業して二年。私と彼との関係は高校時代からあまり変わっていない。変わったことをしいて挙げるとするならば、彼の性格が少し丸くなったことぐらいだろうか。彼は絶対に認めないだろうけれど、高校時代の同級生も私と同意見だと思う。
 相変わらず忙しい彼と、そこそこ仕事を頑張りつつ適度にリフレッシュしている私の生活パターンは合わないことも多い。お互い時間がある時には相手の家に行って帰りを待ってみたり、連絡を取り合って食事だけは一緒に食べてみたり。
 そんな日々を過ごしていたら、何の前触れもなく同僚に尋ねられた。「同棲とか結婚とか考えないの?」と。
 全く考えたことがない、とは言わない。もっと一緒にいられたらなあと思うことはよくある。けれど、同棲も結婚も私の一存では決められないし、彼は今のところそういうことを望んでいなさそうだから、話を持ち出すこと自体憚られるのだ。
 まだ二十歳。結婚するには若すぎる気がする。私は仕事に漸く慣れてきて、今から更なるキャリアアップを図りたいと思っているところ。彼だって、今はできるだけ多くの経験を積んでヒーローとして少しでも早くスキルアップしたいと思い邁進しているところだろう。
 つまり今の私たちは、同棲だの結婚だの、浮き足立ったことを考えている暇はないのである。一に仕事、二に仕事、三四がなくて五に仕事。そういう時期なのだと思う。
 だからといって、二人の時間を疎かにしているつもりはない。先ほども言ったように時間がある時には会っているわけだし、そりゃあ時々寂しくなることもあるけれど、それでも私は現状に不満を抱いてはいなかった。

「お邪魔しまーす」

 誰もいないことは知っているけれど、なんとなくいつも言ってしまう口癖。合鍵を使って家主がいない家にお邪魔することにはもう慣れた。彼の香りで溢れた家の中にいるというだけで、私の心はかなり満たされる。
 彼は今日遅くなると言っていたから、一緒に夜ご飯を食べよう、なんてことは最初から考えていない。ただ、自分の家で一人寂しくご飯を食べるぐらいなら、彼のもので溢れている彼の家で、彼のことを考えながら食べたいなと思っただけ。我ながら変態じみていると思うし、どれだけ彼のことが好きなんだと恥ずかしい気持ちもある。
 しかし、どうしようもなく疲れている時は自然とこの場所に足が向いているのだ。優しい言葉をかけてくれるわけでも、どろどろに甘やかしてくれるわけでもない。なんなら正論で厳しいことを言われて落ち込むことも少なくはないけれど、それでも彼は最後に私が元気になれる魔法をかけてくれるから。たぶん私は本能的にそれを求めているのだと思う。

 フライパンも皿もコップも箸も、どこに置いてあるかは自分の家と同じように知っている。それが普通になっていることが地味に嬉しかったりして。私は疲れていることも忘れて野菜を切り始めた。
 何時に帰ってくるかわからないけれど、私が何か作って置いておいたら彼は必ず食べてくれる。無理に食べなくてもいいと言ったら「食いたくねーもん食うわけねェだろが!」と理不尽なキレ方をされたことがあるから食べたくないわけではないらしいし、作るなと言われたこともない。だからなんとなく、やる気がある時は二人分作るようにしているのだ。
 野菜を切ってお肉と炒めて、適当に味付け。今日は味噌味にしよう。豆板醤を入れたら彼が喜ぶから、ちょっと多めに入れてピリ辛に。そういえば作り置きしていたナムルがあった気がするから一緒に食べよう。
 そうして二人分作って皿に盛り付けたら、一人で手を合わせてゆっくり食事を始める。食べ終わったら後片付けをしてお風呂へ。一人で入るのにお湯をためるのは面倒だしもったいないので、シャワーで軽くすませて寝間着用のTシャツを着ようとした私は動きを止めた。
 あれ。いつも置いてあるところにTシャツがない。彼が勝手に片付けるとは思えないし、私がどこか別の場所に置いちゃったのか……と記憶を辿って思い出した。つい三日前、裾が破れてたから捨てちゃったんだ。寝間着用の新しいTシャツを持って来ようと思っていたのにすっかり忘れていた。
 さて困った。今日の寝間着がない。まさか裸で寝るわけにはいかないし……と思っていたところで彼の寝間着用のTシャツが目に入る。今日だけ借りちゃってもいいかな? いいよね? 彼の家なんだから他のTシャツだってあるはずだし。
 私は勝手に自己完結して彼のTシャツを拝借する。彼にとってぴったりサイズのTシャツは、私には少し大きめだ。とはいえ、太腿を半分程度隠してくれてはいるもののワンピースとまではいかない長さなので、短パンは履いておく。
 少しイレギュラーな事態はあったけれど、お肌の手入れを済ませて歯磨きをしたら今日のやるべきことは滞りなく終了した。時計を見れば夜の九時をすぎたところ。彼が帰ってくる気配はない。
 テレビでも見ながら帰りを待ちたいのは山々なのだけれど、あいにく今日はクタクタで座っただけで眠れそうな状態だ。彼には申し訳ないけれど先に休ませてもらおう。私は寝室のベッドに倒れ込むと、ものの数分で意識を手放した。

◇ ◇ ◇


 心地良い温もりと重みを感じてうっすら目を開ける。少し身を捩ると、それに合わせてまとわりついてくる重み。寝ぼけ眼に飛び込んできたのは肌色。仄かに香るのは嗅ぎ慣れた彼の甘い匂い。

「……起きたンか」
「わ! びっくりしたー……」

 頭上から降ってきた声にびくりと肩を震わせて見上げれば、眠そうな赤い双眸と視線がぶつかった。どうやら私は家主である彼が何時に帰ってきたのか全くわからないほど熟睡していたらしい。

「なんで服着てないの」
「てめえが俺の服着て寝てっからだろ」
「他にもいっぱい服あるでしょ」
「俺ンちで俺がどんな格好して寝ようが文句言われる筋合いねェわ」
「そりゃあまあそうだけど」

 目のやり場に困るんだもん、と言ったら揶揄われること必至なので言ってやらない。見慣れていると言えばそうだけれど、それでもやっぱり彼の男らしい身体を目の当たりにすると、どんなタイミングでもドキドキしてしまうのは仕方がないことだ。
 彼に私の妙な緊張感が伝わらぬよう、平然を装ってベッドから出る。彼も起きることにしたらしく、上体を起こして欠伸をしていた。本来ならだらしなく見えるその動作ですら、剥き出しの鍛え抜かれた筋肉のせいで絵になるのだから癪である。
 意識し始めるとドキドキが増してしまうから、極力彼の方を見ないようにしながら台所へと向かう。今日は珍しく二人そろっての休みだから、ゆっくり朝ご飯を食べよう。買い物に行きたいって言ったら付き合ってくれるかな。
 今日の過ごし方を考えながら冷蔵庫を開けようとしたら、ふと影が落ちてきて動きを止めた。背後に人の気配。確認せずともわかる。私の後ろに立っているのは間違いなく彼だ。どくどく。意味もなく心音が大きく聞こえてくるのが耳障りでならない。

「水」
「あ、うん、ごめん」
「……何固まっとんだ」

 冷蔵庫からペットボトルの冷えた水を取り出した彼がごくごくと飲み下す様をぼーっと眺めていたら、怪訝そうな顔で見つめられて咄嗟に顔を逸らす。まさか、上半身裸でただ水を飲んでいるだけのあなたに見惚れていました、なんて言えやしない。
 何度も見たことがある光景なのに、どうして私の身体は慣れてくれないのだろうか。こんなことでいちいち胸を高鳴らせていたら身がもたないというのに。
 彼は今の反応を見て私の様子がおかしいことに気付いたのだろう。私がどうにかこうにか冷蔵庫から取り出した卵を背後からパックごと取り上げて割れない程度に乱雑にまな板の横に置いたかと思うと、強引に私の身体の向きを彼の方に向けさせた。

「こっち向け」
「なんで」
「向けねえ理由があンのか」
「逆に訊くけど向かないといけない理由があるの?」

 屁理屈を捏ねる私に、彼は沈黙した。高校時代の彼だったら無理矢理にでも顔を上げさせただろうし当然のように怒鳴っていただろう。しかし、少しだけ大人になった彼はそんなことをせずとも、私がどうやったら顔を上げるのか知っている。
 ただ、名前を呼ぶ。低く落ち着いた声音で「なまえ」と。たったそれだけで私が絆されることを、彼は知っているのだ。
 私だって知っている。彼に名前を呼ばれるだけでいとも容易く自分が懐柔されてしまうことを。だからいつも抗いたいと思っているのに、彼の思い通りに動いてやるもんかと気を張っているはずなのに、今日も私は顔を上げてしまう。悔しい。目が合った瞬間、ニヤニヤした意地悪な笑みではなくちょっと安心したような微笑みを浮かべている彼に、キュンと胸が疼いてしまうことも。悔しいけれど、こればっかりはどうしようもない。

「……服着て」
「ならそのシャツ返せや」
「えっ!? ちょっ!」

 彼がシャツの裾を捲り上げてくるのを阻止しつつ抗議の意を込めて睨みつける。ナイトブラをつけているとはいえ、ここで急に脱がされるのは嫌な予感しかしない。
 彼は私の睨みなど全く気にしておらず、いつの間に微笑みからすり替えたのか、憎たらしいニヤニヤ顔でシャツを引っ張り続けている。その気になればすぐに脱がすことができるはずなのにそうしないのは、私の必死な様子を見るのが楽しいからだろう。彼は昔から悪趣味だ。
 それから無意味な小競り合いを続けること一分少々。彼は漸く私で遊ぶことに飽きてくれたのか、Tシャツから手を離した。「飯にすんぞ」って、どの口が言ってんだ。

「その前に服」
「しつけェな」
「目のやり場に困る」
「あ? どんだけ見りゃ慣れんだよ」
「知らない」

 ぶつくさ言いながらも、ちゃんとシャツを着るために寝室に消えてくれる彼にホッと胸を撫で下ろす。これで平穏無事に朝ご飯を食べることができそうだ……と思ったのも束の間。
 要望通りシャツを着てきた彼が「そのシャツ着たままうろうろしてっと襲うぞ」と不穏なことを言ってきたので、私は慌てて着替えるハメになった。もしかして密かに彼シャツに悶えてたとか? いやでもそんなの初めてじゃないし、短パンだっていつものことだし……と考えながら着替えていてハッとした。
 彼も私と同じでいまだに見慣れないのかも。実はドキドキしてたのかも。真実はわからないけれど、わからなくてもいい。そうだったらいいなって、いつまでもドキドキしていられる関係でいられたらいいなって、そう思うだけで幸せの空気が膨らむから。
 私と彼との関係は高校時代からあまり変わっていない。そしてたぶんこれからも変わらないだろう。同棲とか結婚とか、いつになるかはわからないけれど、なぜか別れないという自信だけはあった。一緒に生きていく。それがいつか、私たちの変わらない日常になりますように。