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KOIじゃ多いの、Iにして

 トップヒーローの夫と可愛い息子に囲まれて、何不自由なく過ごす毎日。誰がどう見たって幸せな家族の形、幸せな生活だ。それなのに私は、どうも釈然としていなかった。

 息子の誕生からあっという間に三ヶ月。気付けば夏は終わりかけていて、秋に片足を突っ込もうとしている。夜泣きに悩まされる日々を覚悟していたのに、ありがたいことに息子はよく寝るタイプの赤ん坊だったから、私は思っていたよりもずっと快適な生活ができている。
 授乳を終えるとすやすや寝てくれて、こちらが心配になるほど起きない。お腹がすいたりオムツが汚れていれば当然泣くけれど、それ以外の時は比較的静かで、周りをキョロキョロ見つめたり自分の手やいただきもののおもちゃと戯れてくれている。両家の両親も驚くほど手のかからない子だ。
 だからいらぬことが気になって余計なことばかり考えてしまうのかもしれない。もちろん息子は何も悪くない……というか、子育て初心者の私にとっては申し分ないほど素晴らしい子だと思っている。問題は息子よりうんと出来損ないの私の方だ。

 彼の個人事務所が始動して約半年。相変わらず大人気の「大・爆・殺・神ダイナマイト」は各所に引っ張りだこのようで連日帰りが遅い上に、まったく休みがなかった。毎日忙しいなんて、事務所を経営する立場としては嬉しい悲鳴だ。しかし家族の一員としては、正直、嬉しくない。
 家で息子と二人きりで過ごす時間が長くなればなるほど彼が離れていくような気がして不安になる。彼が私たちのために働いていることも、事務所の経営者として責任をもって仕事していることもわかっている。だから「たまには早く帰って来て」なんて、口が裂けても言えない。そして「早く帰って来てって言わなくてもわかって」なんて、もっと言えなかった。言われないとわからない性格なのは、彼も私も同じだということを知っているから。
 それに、忙しくて帰りが遅いだけなら、私もここまで情緒不安定になったりしない。気がかりなのは、彼女の存在だった。

 彼女、というのは、事務所で一緒に働いている一人の女性ヒーローのことだ。風を武器にできる“個性”をもっていて、風向きによって天候がわかったり、自分の周囲であれば制限はあれど風向きを操ることができるらしい。出産するギリギリまで事務所で働いていたから私もよく知っているけれど、すらりとした体型の綺麗な人で愛想もいい。それでいてさっぱりとした性格だから、彼とも上手く連携をとって仕事をこなしていた。
 彼が女性ヒーローと仕事をすること自体は、特に何とも思わない。彼女と仕事をすることも、最初は気にしていなかった。しかし、私が出産して事務所に行かなくなり、ちょうど夏頃からだっただろうか。彼の口から彼女の名前をよく聞くようになったのだ。
 私が仕事のことを尋ねると、ほぼ確実に彼女の名前が出てくる。連携がとりやすくてそこそこ相性がいいのはわかるし、彼女と仕事をすることで効率よく依頼をこなせるなら何も言うべきではないのだろう。だから、たまたま一緒に任務にあたることが多かったのかもしれないと考えるようにしていた。
 しかし九月に入ってからは、どうやら仕事終わりに彼女と食事に行くことがしばしばあるようなのだ。彼女のSNSに彼がチラチラ写っているものだから、気になって彼に直接確認までした。けれど「仕事だ」の一言を突きつけられたら、私はそれ以上踏み込めない。まるで「お前には関係ない」と言われているみたいで、より一層不安が増して距離が遠くなった。

 彼は浮気なんかする人じゃない。それは結婚する前からわかっているし、信じ続けてきたことだ。彼が仕事だと言えば、それは間違いなくそうなのだろう。
 しかし、心の狭い私は思ってしまうのだ。「彼女と食事に行く時間があるなら少しでも早く帰って来て家族との時間を増やそうとは思わないの?」って。そして、そんなドス黒い感情を抱えているものだから考えてしまうのだ。「本当に仕事なの?」「彼女と仕事していることが多いのには、何か他に理由があるんじゃないの?」って。
 彼のことを信じている……はずなのに、信じきれなくなっている自分に絶望した。でも、だって、最近いつ彼とキスをした? 抱き締めてもらった? それ以前に目を見て話すことすらご無沙汰かもしれない。
 おはよう。いってらっしゃい。彼の背中に向かって、簡素なそれらの言葉を投げかけてばかりだ。それに加えて、息子の夜泣きで彼の眠りを妨げないようにと寝室まで別々にしてしまったから、夫婦の時間なんてものは皆無に等しい。いくら彼が私たち家族のことを大切にしてくれているとわかっていても、さすがに心が揺らぐ。

 そんな状況の中、およそ二ヶ月ぶりぐらいに彼が早めに帰宅した。久し振りすぎて、声をかけていいのかどうかもわからない。夫婦なのに、家族なのに、ギクシャクする。
 彼は私のことなど気にする素振りも見せず、寝たばかりの子どもの顔を見に行って「でかくなったな」と、まるで他人の子どもの話をするみたいな感想を落とした。その一言で、また、距離が遠くなる。胸の中のモヤモヤが増える。駄目だ。頭の中も胸の奥もぐちゃぐちゃ。
 今の精神状態で彼と普通に会話できる気がしなくて、ついでに近付くことすらも憚られてしまって、無意識のうちに彼を避けていた。だから、私の小さな変化を見逃してくれない彼は気付いてしまう。今日ぐらいは気付かないフリをしてくれたらいいのに。

「言いたいことあんなら言えや」
「……何もないよ」
「なかったら避けねえだろ」
「避けてない」
「何でも言うっつったろーが」
「夫婦だからって何でも言わなきゃいけないわけじゃないでしょ」
「つーことは俺に隠してェことがあンだなァ?」
「隠したいことがあるのは勝己の方じゃない?」
「は?」

 久し振りの会話なのにあんまりだった。まるで出会ったばかりの頃のようにお互い刺々しくて、冷ややかで。気持ちの整理ができていないばっかりに、喧嘩腰で嫌な言い方をしてしまう。これでは冷静に話なんてできやしない。

「ごめん……最近疲れやすくておかしいのかも。先に寝るね、」

 早口でそれだけ言って、逃げるように子どもが眠る寝室に行こうとしたけれど、納得していない彼は当然のように私の腕を掴んで引きとめた。そんな気はしていたけれど、やっぱり逃してもらえないようだ。しかし、奇しくも腕から伝わる彼の温度が嬉しくて、たった二ヶ月程度なのに懐かしくて、泣きそうになる。

「疲れてんのは俺のせいか」
「……、」
「おかしくなってんのは、俺のせいか」
「……違うよ」
「違わねンだろ」
「私の問題」
「お前の問題は俺の問題だ」
「ちが、」
「違わねェ」

 彼の優しさと正論による責めは苦手だ。心身ともに逃げる気力を失うから。彼のことを少しでも疑っている自分が、彼に対して散々嫌な感情を蔓延らせている自分が、とんでもなく矮小で惨めな存在に思えてくるから。
 無言でただ俯いている私を、彼がやんわりと引き寄せた。彼の腕の中にすっぽり包まれるのはいつぶりだろう。ずっと待っていたものが与えられて、堪えきれずにぎゅうっとしがみつく。そうすると今まで喉でつかえていたものがするすると溶けて吐き出されてしまうのだから不思議だ。

「勝己ずっと仕事忙しそうだし、あの風の……綺麗なヒーローさんとご飯とか行ってて仲良さそうだし、家で私と過ごす時間よりそっちの方が楽しいのかなって……私のこと飽きちゃったんじゃないかって……信じてないとか浮気かもとか思ってたわけじゃなくて、なんか……寂しかった……、」

 まとまりなくぽつりぽつりと吐き出して、ハッとする。しまった。彼の温度に安心しすぎてとんでもなく幼稚なことを言ってしまったような気がする。けれど、やっと自分の中で腑に落ちた。私はずっと、寂しかったのだ。
 とはいえ、急にそんなことを言われても彼は困るだろう。我に帰った私は、慌てて彼から離れた。冷静に話すどころか、一方的に感情をぶちまけるなんてやらかしすぎている。「ごめん、今のうそ、忘れて」と早口で言ってはみたものの、仕事で疲れ果てている彼からしてみれば「だったら言うなや」って感じだろう。まったく、ごもっともだ。
 今度こそ、逃げるように寝室へと足を向ける。しかし、一歩、二歩目を踏み出す前に背後から彼の腕が伸びてきて私を捉えた。ぎゅうぎゅうと、少し痛いぐらいの力で抱き締められて身動きが取れない。そもそも動く気もなかった。首元に彼の顔が埋められ、耳にツンツンの髪が当たるのが擽ったくて心地良い。

「寝るとこ」
「うん?」
「別にすんのやめる」

 唐突な宣言に、思考が追いつかない。戸惑っている私に、彼はひどく不服そうに言う。「寂しいっつったじゃねえか」と。拗ねた子どもみたいに。

「だからそれは、」
「そう思ってんのはお前だけじゃねえっつの」

 引き続き子どものように不貞腐れた口調で言って頭をぐりぐり首筋に押しつけてくる彼への愛おしさが溢れて止まらない。何を不安がっていたのか、何を疑っていたのか、何に不満を抱いていたのか、一気に忘れた。わすれたというより、愛おしさで押し流された。
 ごめんなさい、未熟で。ごめんなさい、我儘で。ごめんなさい、困らせてばかりで。ごめんなさい、こんなにもあなたのことが好きすぎて。
 私は身体を反転させて彼に向き合うと、たっぷりのごめんなさいをこめて頬を包み込み、自らちゅっとキスをした。今の私たちに相応しい子どもみたいなキスだ。彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっていて、珍しくなかなかこちらの世界に戻ってきてくれない。そんなに衝撃的なことだっただろうか。少なくとも出産前は口付けなんて日常茶飯事だったと思うのだけれど。
 ちょんちょんと、控えめに彼の服の裾を引っ張ってみる。ついでに、彼の発言に乗っかって「今日、どうする?」と、恥ずかしさを押し殺して精一杯可愛こぶったお誘いまでしてみた。
 するとどうだろう。一瞬でスイッチが入ったらしい彼が、私の唇に齧り付いてきたではないか。しかもそれだけならまだしも、あっという間に壁に押し付けられたかと思ったら舌をぬるぬる捩じ込まれ、ちゅぷちゅぷと唾液を絡め取られる始末。子どもみたいだった彼はどこへやら。私は息も絶え絶えだ。

「かっ、んん、んっ、は、んんぅ、」
「は……、ちょうど良かった」
「な、にが……?」
「限界だった」

 お前に触んねえようにすんの我慢してたんだよこっちは、と言われても、我慢してとお願いした覚えはないし、我慢する必要性もわからない。しかし「なんで我慢してたの?」と尋ねる余裕など与えてもらえるはずもなく、キスの嵐が再開される。
 不敵な笑みを浮かべて落とされた「泣いても止めてやれる自信ねェわ」というセリフは、子どもが泣いても、という意味なのか、私が泣いても、という意味なのか、はたまたそのどちらも含んだ意味なのか。考えても意味がなさそうなので、私は全てを彼に委ねることにした。

 口付けに溺れながら思う。彼に死ぬまで……いや、死んでからも、こうして愛してほしい、と。酸欠になっている頭で、ただ彼の愛を独り占めしたいと、思う。
 朦朧とする中で視界にとらえることができたのは、赤。彼の美しい瞳の色だけ。