×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

09


 あれは夢だったのかもしれないなあ、と。毎晩布団の中で考えていた。本当のクリスマスマジック。魔法が解けたら全てなかったことになる。そんな、儚い夢。
 それならそれでもいいや、って。あれだけ幸せな夢を見せてもらえたんだから文句は言えないもん、って。何度も自分に言い聞かせた。そして同じ数だけ、夢じゃなかったらいいのに、って思っていた。

「ごめんね、なかなか連絡できなくて。ボーダーの方で色々立て込んじゃって」
「今日はいいの?」
「うん。ていうかおれと二人で年越しちゃっていいの?」

 クリスマスが終わるとあっという間に年の瀬だ。大晦日の今日まで連絡が取れずにいたのだけれど、彼は市民の安全を守ってくれているボーダー隊員なのだから仕方がないと割り切っていた。だから余計に、クリスマスのことは夢だったのかもしれないと思っていたのだ。
 そんな不安定な気持ちのままで日々を過ごしていたからだろう。彼から初詣のお誘いの連絡が来た時には、まだ夢が続いているのかと思って自分の脳の機能低下を真剣に疑った。ベタにも自分の頬をつねってみたりしたけれど当然のように何も起こらなかったので、たぶんこれは現実ということでいいのだろう。
 今も彼は私の隣を平然と歩いているし、なんなら何の違和感もなく私の手を握っている。これは現実なのだ。私は彼のことが好きで、彼もまた私と同じ気持ちでいる。身体だけではなく心まで繋がった。……やっぱり夢じゃないかな。

「おれさあ、毎年大晦日の夜にわざわざ初詣に行く人の気持ちって全然理解できなかったんだよねぇ」
「私も。寒い上に人が多くてお参りするのに時間がかかるし、わざわざ年越しのタイミングで行く必要ないじゃんって思ってた」
「それそれ。でも今年初めて理解できた」
「……私も」

 私たちの周りだけ、一気に空気が生温くなるのを感じた。もちろん、突然異常気象によって気温が急上昇したわけではない。ものの例えだ。
 ちょっとした会話のやり取りから、両想いになったことを実感する。世の中のラブラブな恋人たちは常にこんな空気の中で生きているのだろうか。だとしたら私は耐えられそうになかった。
 今まで冷ややかに生きてきた反動かもしれない。彼と恋人らしい雰囲気になると息が苦しくなってきて、それに伴って心臓も喧しく鳴り出して、簡潔に言えば死にそうな状態になるのだ。こんな状況で彼との関係を続けることができるのか甚だ疑問だけれど、別れるぐらいなら死んだ方がマシだと本気で思っている自分がいる。
 ああ、私、犬飼くんのことが好きなんだ。好きすぎて壊れちゃったんだ。これが、恋をしているってことなんだ。じわじわ、今更のように気付かされる。

「あれ? 犬飼先輩?」
「え? あ、ひゃみちゃん」

 背後から可愛らしい声が聞こえて振り返るのとほぼ同時に、咄嗟に繋いでいた手を離した。決して悪いことをしているわけではないのに、なんとなく、見られたらいけないような気がしたのだ。
 ひゃみちゃんと呼ばれた女の子の他にもう二人女の子がいて、どうやら彼女たちはボーダー隊員のようだった。そんなに距離があるわけでもないのに、彼と彼女たちの会話は私の耳に届かない。ただ、可愛い女の子たちからチラチラ送られてくる視線だけは感じた。その女の子たちと親しげに話す彼が私の方を気にする素振りはない。
 ボーダーのことは私には全くわからないから、私は待つことしかできずに冷たくなってきた両手を擦り、白い息を吹きかけて暖をとる。自分から離した手が、ものの数分で熱を失っていくのが切なかった。
 ああ、面倒臭いなあ。誰かを好きになったら、こうやっていちいち小さなことでモヤモヤしなくちゃいけないのか。私が面倒臭い性格なだけかな。そうか、うん、そうかも。つくづく、恋愛向いてないなあ。
 白濁した息が空気に溶けて消えていくのを何度も眺めながらそんなことを考えていたら手だけではなく心まで冷えてきてしまって、彼が「お待たせ」と戻って来てくれた時には、すっかり氷のようにカチンコチンになっていた。だから、彼が女の子三人にヒラヒラと振っていた手で再び私の手を握ろうとしたのをわかっていながら、避けるみたいにポケットの中に自分の手を突っ込んだ。

「なまえちゃん?」
「ごめん、やっぱり私、寒いの苦手みたい」
「……怒ってる?」
「怒ってない」
「でも手繋がせてくれないし」
「手冷えちゃったからポケットの中に入れただけ」

 言って、お参りする予定で目指していた神社とは反対方向に歩き出す。手も心も冷えきっているのに頭だけはカアっと熱くて、血が上っているようだった。
 彼は何も悪くないのに、言葉では言い表せない嫌な感情が雲のようにもくもくと広がっていく。それが爆発してしまいそうで、彼に無駄な八つ当たりをしてしまいそうで、逃げたかった。
 彼の人当たりの良さは知っていたことだ。私の知らないところで知らない人たちと知らない話題で盛り上がっていたって、それは構わない。でも、今は私がいたのに。それがたとえ付き合いだったとしても、ボーダー関連の大切な話だったとしても、もう少し気にかけてほしかった。
 こういう思考を、彼はきっと面倒臭いと思うだろう。だからぶちまけてしまわないように、逃げた。態度が悪いとか、ころころ心変わりする身勝手なヤツだとか、どれだけマイナス評価を積み重ねられてもいいから、最悪な醜態を晒すことだけは避けたかったのだ。

「待って」
「また連絡するから、」
「おれに何か言いたいことあるんじゃないの」

 私の腕を掴む彼の力は強い。振り払えそうにはないけれど、痛くはない。絶妙な男の人の力加減。
 言いたいことはある。しかし、言えることはない。私はぎゅっと口を結んで、醜い感情を溢さないよう必死に沈黙を守った。彼が呆れて手を離してくれるまでの辛抱だと、自分に言い聞かせながら。
 ところが彼は、何分経っても私を解放してくれなかった。神社へ向かっているのであろう人たちが擦れ違いざまに私たちを一瞥して行くことにも気付いているはずなのに、微動だにしない。ついでに何も言ってくれない。きっと私の言葉を待っているのだろう。
 私の理不尽な態度に愛想を尽かすことも呆れて放り出すことも怒って怒鳴りつけることもせず、黙って私を引き止めてくれている彼に対して、今更ながらに申し訳なさが募る。彼は何も悪いことをしていないというのに、とんだ一年の締め括りだ。
 ふう。肩の力を抜く。どうにか胸の奥にわだかまりを押し込んで、私は恐る恐る口を開いた。

「犬飼くん、ごめん」
「何が?」
「急に帰るって言われても困るよね」
「帰るのは別にいいけど、勝手に一人で行かれるとおれでも傷付くよ」
「うん。ほんとに、ごめん」
「でも、そうさせたのはおれかな」

 違うよ、と。すぐに否定しなければならなかったのに、私は押し黙ってしまった。そうよ、あなたのせいよ、なんて言えるはずもないけれど、違うよ、とも言えない。取り繕うのは上手いと自負していたのに、変なところで馬鹿正直な自分が嫌になる。
 沈黙を肯定として受け取ったらしい彼は「やっぱりかあ」と困り顔で笑った。ごめんね、と言っているくせにちっとも申し訳なさそうじゃないところが彼らしくて、不思議と腹が立つことはない。

「嫉妬した?」
「……」
「まさかそこまで怒ってくれると思わなかったけど、ちょっと意地悪しすぎちゃったね」
「もしかしてわざと?」

 沈黙は、肯定。深まる笑みに、怒りたいという気持ちよりもぞくりとしてしまった。なんと性格の悪いことか。私はとんだ男に惚れてしまったようだ。いや、まあそんな気はしてたけど。ていうか知ってたけど。

「なまえちゃんいつも落ち着いてるじゃん? おれのことだいぶ好きって言ってたけど嫉妬して乱れてくれたりするのかなーと思って」
「さっきの子たちってたまたま会ったんだよね?」
「うん」
「ほんとに?」
「さすがに仕込んだりはしてないよ」
「犬飼くんって性格悪いよね」
「よく言われる」

 そうして彼は「でもそんなおれが好きなんでしょ?」と。自信満々な表情で確認してきたかと思うと、返事を聞く前に不躾にも私のポケットの中に手を突っ込んできた。ポケットの中で私の手を握って、にっこり。私は永遠にこの男に勝てないと思わされる。

「ほんとに冷たい」
「ずっと待ってたからね」
「おれがあっためてあげるから帰ろっか」
「やっぱりお参り行く」
「うわあ、あまのじゃく」

 くるり、方向転換して、もともと目指していた神社に向けて歩き出す。今年が終わるまで一時間を切った。じんわりとポケットの中で熱を取り戻していく手。新年はどうにかこうにか、暖かくスタートすることができそうだ。