▼ 退屈から抜け出す
「君のことは知ってるよ。名前ちゃん」
クイっとメガネを上げながら、そう言う彼の台詞にゾクリとした。
「話が全然わかりません。いきなりブルーロックのマネージャーってどういうことですか?私、サッカーとは何の関わりもないんですけど」
「ここまで連れて来てるんだから裏は取れてるに決まってんだろ」
「なら、それは昔の話です。誰かマネージャーが欲しいならサッカー部のマネージャーをしてる人を誘ったらどうですか?」
「昔って言ったってつい最近のことだろ?別にただのサッカー部のマネージャーが必要な訳じゃねぇんだよ。俺は世界一のストライカーを創る実験をする。だから、名前ちゃんみたいな優秀なマネージャーが必要なんだよ」
“君のことは調査済みだ”
隠しても無駄だ。お前のことは全部知っている。
まるでそう言われているようで、私にとって死刑宣告にも聞こえた。
心当たりがあるとすれば、今後ろで顔を青くしている彼女だ。
「…アンリちゃん?」
「ごっごめん名前!!」
「違う違う。アンリちゃんには“帝襟名前は君の親戚か何か”って聞いただけ。君は自分が思ってるより有名人なんだよ。関係者なら知る者も多い」
とあくまでもアンリちゃんには私との関係性を確認しただけだと説明する。
彼女から事情を聞いた訳でないにしろ、私は騙されてここに連れてこられたのだから言いたいことは沢山あったが、アンリちゃんにとってこの男は上司で、しかも逆らうことのできない存在なのだろう。
力関係を察すれば責めることはできない。
「ごめんね、私がうっかり……!」
「うっうぅん…仕方ないよ」
私が今、どうにかしなければいけないのはこの人なのだ。
「…だったら知っていますよね?私がもうサッカーから離れているということも」
「もちろん。つまらん理由で辞めたこともな」
「別にあなたには関係ないと思うんですけど」
「ちょっと名前!」
こちらを煽っているようにしか見えない態度に腹が立つ。
何も知らないくせに。
こんなに感情が昂ったのは久しぶりだった。
「私はもうサッカーとは関係のない人生を歩むって決めたの」
彼の隣にいた頃は全部の時間をサッカーに当てていた。
彼とサッカーのために異国の地で生活するのは大変だった。
でも、もう解放されたから自分のことを考えるだけでいい。
汗をかいたり重労働をすることがなくなった。不安になることも悩むこともなくなった。私は自由になった。
「私は今が楽しいんです」
“自分から○○を取ったら何もなくなる”なんて言う人も言うけど、私はそうは思わなかった。
サッカーがなくなっても何も変わらない。
ニコニコ笑っておけば自然と人は集まってくるし、元々何でも器用にこなせるタイプだから勉強も運動も特に困ったことはない。
このまま推薦で大学に進学し、いい会社に就職して素敵な男性と結婚する。
彼のこともサッカーも全部忘れて。
それが私の思い描く人生だ。
「君はそれで満足するのか?」
「別にいい。私はそれを望んでるの」
「本当に…か?」
ギラリと光った絵心さんの目に再び体が震える。
本当に全てを見透かされているような気分だった。
「君は本当にそんな人生でいいのか?退屈しないのか?」
「退屈なんて……」
“しない”
それを私はすぐには言い返せなかった。
毎日毎日退屈していたのは事実だから
「君は日本がサッカーで世界一になる瞬間を見たくはないのか?」
「…今の日本が世界一になれるなんて思えない」
「だから、ブルーロックがあるんだ。君の力で世界一のストライカーを日本から生み出すんだ」
「へぇ、すごい施設ですね。でも、私は関係ありません」
あの頃は毎日が生き生きとしていた。
忘れたくても忘れられない“あの人”の姿が思い浮かんだ。
「俺は君を評価してここに呼んだんだ、名前ちゃん。君はブルーロックに必要な人材だ」
「別に私なんていなくても……」
「いいや、君は間違いなくこのブルーロックに必要だ。過去に何があったかは実績以外興味ない」
「………私が必要…」
日本で世界一のストライカーを生み出すなんて、なんて無謀な挑戦なのだろうと呆れた。
もう、サッカーには関わらない。
だって嫌でもあの人のことを思い出してしまうから。
そう思っていたけれど、
必要とされていることにイエス以外の返事なんて見つからなかった。
「わかったわ」
この日、私の人生は再び大きく動き出す。
それが良い方向なのか悪い方向なのかはまだ誰にもわからない。
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