脚が思うように動かない。この目で見ている景色がどこか夢のようで、おかしな気分だ。けれどライジェルの足が止まることもなく、一歩ずつ引きずるようにしながらも歩みを進めていく。ざわり、ざわりと人のざわめく声が聞こえてくる。目的地まで、もうすぐだ。

「ポッターだ! 優勝したのはポッターだ!」

ライジェルが第三の課題が行われている会場に入ったのと、観客が爆発するように歓声をあげたのはほぼ同時だった。人の波に埋もれてハリーの姿を見ることはできないが、どうやらあの墓場から無事に生還できたらしい。さすがは生き残った男の子、ということなのだろうか。
ひとまずはハリーの無事が確認できて、ライジェルは安堵のため息を小さく漏らした。

「あれ、でもそうしたらセドリックは……?」
「棄権の知らせも出ていないならどうしたんだろう……」

しかし、セドリックを応援していたのだろう一部の観客の困惑した声に、そういえばセドリックはどこへいるのだろう、とはっとする。どこかもわからない墓地から先に帰したのだからセドリックは無事である、はずだ。ペティグリューの作ったポートキーが正しくホグワーツ内へ帰ることができるなら、の話だが。
夢の中にいるような心地が一気にさめた。もしもペティグリューの作ったあのポートキーがセドリックをホグワーツでないどこかへ連れていったとしたら? 一応杖は肌身離さず持ち歩いているだろうが、もしも彼の身に何かあれば──そこまで悪い想像を膨らませていた時。

「ええと、今これどういう状況……?」

観客の一番後ろにいるはずのライジェルのそのまた背後からよくよく知った声が聞こえてきて、それが誰の声であるのか理解するより先にライジェルは後ろを振り向いた。

そこにいたのは、ちょうどライジェルが悪い方向へ想像をしていたセドリック本人であった。改めて見てみると第三の課題のためにあつらえたらしい競技用のユニフォームは土ぼこりにまみれ、いろいろな場所で引っかけたのかぼろぼろだ。顔や腕などにも傷が多く見え、しかし彼は無事であった。
セドリックも、無事に帰ってくることができたのだ。

「セドリック、」

ライジェルが呟いた声は思いのほか他の観客にも聞こえていたようで、今まで壁のようにライジェルの視界を遮っていた観客の人だかりがセドリックのいる方へと振り向き、彼の帰還に再度歓声をあげる。

「セドリック! セドリックだ!」
「よかった!」
「セドリックお前なんでホグワーツ城の方から出てきたんだ?」
「さあ、ちょっと僕にもあまりわからないんだけれど……」

ハリーを拉致してくるはずの罠に巻き込まれ、さらにライジェルによってわけもわからずホグワーツへ戻ってきたセドリックに、もろもろの事情がわからないのも当然だろう。困惑を含んだ笑みを浮かべながら首をかしげる彼に、観客達は審査員らのいる方へと道を開けた。
セドリックがハリー達のいる方へ歩いていき、ライジェルとすれ違う時に一瞬だけ視線が交わった。けれど、どちらも何も言わない。ここで言葉を交わすにはまだ頭の整理がつかない。だが、話をするのは後でいい。今こうして彼は無事にホグワーツへ帰ってくることができたのだから。

「ハリー、セドリックも、よくぞ無事で戻ってきた。何らかのアクシデントがあったじゃろうが、事情を聞くのは後にしようかのう」

あまり表情には出さないがどこかほっとした様子のダンブルドアがセドリックの肩をぽんぽんと叩く。

「優勝杯を手にして帰ってきたのはハリー・ポッターであった。よってわしは彼がこの試合の勝者であると思うのじゃが、反論はあるかのう」

静かな、しかしなぜかよく通るダンブルドアの声に、手を挙げる者はいなかった。

「セドリック、君はどうかね?」
「異論ありません」

ダンブルドアがセドリックに視線を向けると、セドリックは即答した。

「でもセドリック、優勝杯をつかんだのは同時だったのに、」
「この試合の優勝はハリー・ポッター、彼です。試合の中、僕は彼に何度も助けられました。見捨てられても、何をされてもおかしくなかったのに、彼は助けてくれました。彼こそ対抗試合の優勝者にふさわしいと思います」

この場で、セドリックの言葉に不満げな様子なのはハリーのみで、他の誰もが納得していた。むしろ、それが当然だろう。観客達の目の前で、優勝杯を手にして戻ってきたのは他の誰でもないハリーなのだから。

「ならば、決まりじゃのう。今までの三つの課題の結果も含め、三大魔法学校対抗試合の優勝者は、ハリー・ポッター!」

わっと観客が沸く。大きな拍手、ハリーの優勝を称える歓声。ライジェルも異論は何一つないため、素直にハリーへの称賛の拍手を送る。……目の前の出来事に心を向けていたかった。先ほどの出来事ときちんと向き合うのが嫌だったから、今だけは対抗試合の結果を喜んで、何も考えないでいたかった。

「表彰式は後ほど、宴の席で行うとしよう。ハリー、セドリック、疲れているところ悪いのじゃが、課題の中で起こったアクシデントについて聞きたくてのう。この後──」

ざわめきと歓声がやまない中、ダンブルドア達がハリーとセドリックを連れていく。ちらりとライジェルを追いかける視線が、どこか様子のおかしいライジェルを案じているのがわかったが、心配するなとひらりと手を一度振った。
会場から選手達が去り、お開きの雰囲気になりつつあり、ぽろりぽろりと観客がいなくなっていき、ライジェルもふらりとその場を後にする。この後、どうしようか。
ドラコには会いたくない。ルシウスが死喰い人であるとお前は知っていたのか、と聞いてしまうだろうから。パンジーにも話ができる状態じゃない。自分の内心の荒れを気づかれたくない。

気がつけば、無意識のうちに足が向かっていたようで、ライジェルは温室の前にいた。誰もおらず、しかし植えられている植物の存在のおかげか、不思議と孤独感はない。この一年弱、よく足を運んだ場所だ。ライジェルはそのいくつかある温室のうちの一つに足を踏み入れる。ライジェルとセドリックが対抗試合のためにスプラウト教授から一年間借りていた場所だ。
レギュラスから借りていた本は数日前に屋敷へと既に返してある。ライジェルがよく居座っていた時よりも広々としたその空間の端へ向かい、腰を下ろした。数日前には本が積み重なっていた区画だ。
もうこの場所はスプラウト教授に返さなければならず、私物などは一切ないのにもかかわらず、どうしてか居心地のよさは変わらない。どれほどライジェルの内心で嵐が吹き荒れていようとも、この場所のあたたかさは変わらないまま。だからこそ、ここへと来てしまったのだろうか。
きゅうと両腕で膝をかかえ、そこに顔を埋めた。数日後には帰宅することとなる。そこで、今度こそレギュラスと向き合わなければならない。……否、本当に向き合うべきは単にライジェル自身の心なのだということはわかっている。けれど、まだまだ向き合うまでの猶予がほしくて、この場所のあたたかさにこの時間だけはすがっていたい。

帰りたくない。
ライジェルが初めて自身の住まう屋敷に抱く感情だった。










「ライジェル、」

いつのまにか眠ってしまっていたようで、ライジェルは自身の名前を呼ぶよくよく知った声にまどろみから重たいまぶたを引き上げた。太陽はもうとうに地平線の下へ潜ってしまい、あたりは暗闇に包まれている。そんな光の乏しい空間で、ルーモスの魔法はやわらかに温室内を照らしていた。
そのルーモスの光を放つ杖を持っていたのは、やはりセドリックだった。試合用のユニフォームから制服へと着替え、顔に付いていたかすり傷なども今はもうきちんと治療されている。学内でよくよく見知った状態でライジェルを覗き込んでいた。

「パーキンソンさん達から、ライジェルが寮に帰ってきてないって聞いて。なんとなくここにいると思って来たんだ」
「……すまない」
「謝らないで。試合が終わってから一時間も経っていないんだ。別に寮の門限を破ったわけじゃないし、それに僕も静かになれる場所に来たかったからね。やっぱり寮にいるとみんながいるから落ち着けなくて」

立ち上がろうとしたライジェルを制して、セドリックはライジェルの右隣に同じように座り込んだ。ふう、と一つため息をついて、何だか少し疲れたかな、とライジェルに聞かせているのかそうでないのかわからないようなくらいに小さく呟く。

「疲れたなら表彰式まで寮で仮眠をとればよかったんじゃないのか」
「ううん、そういう疲れたじゃなくて。……僕達さ、今日の試合中に、会った、よね? どこかわからない墓場みたいな場所で」

彼の言葉に思わずセドリックを凝視すると、やっぱり、と確信をもった瞳がライジェルを見つめ返してくる。

「……ああ。夢みたいにぼんやりしているが」
「ハリーもしっかりとダンブルドア校長に話していて、僕も確かにあの場所に飛ばされて。おまけにライジェルも覚えているならもう白昼夢なんかではないんだよね」

白昼夢なんかではない。それはライジェルもいやというほどにわかっている。むしろ夢ならばよかったんだが、とは言わないでおいた。自分の父親が死喰い人だった、なんてことはさすがにセドリックにも言えるわけがない。

「ハリーが、例のあの人がよみがえったって。そう言ったんだ。ついさっき、試合が終わった後にね。あまり信じがたい、いいや、信じたくない話だけれど」

びくり、ライジェルの身体がわずかに跳ねる。例のあの人──闇の帝王ヴォルデモート。彼の復活について信じる信じないの話ではない。ライジェルはその現場に居合わせた。しっかりとその目で、かの人の復活を見届けた証人に奇しくもなってしまったのだ。ライジェルは、闇の帝王が復活したことを知っている。
しかし、もはや世論は闇の帝王をハリー・ポッターが退け、もはや死んだも同然として扱っている。確かに復活したのだと言っても、目の前の彼は信じてくれるだろうか。
セドリックに話すかどうか悩んでいると、僕はね、と彼はライジェルの返事を最初から求めていなかったのか、さらに口を開いた。

「僕はハリーに、信じるよって言ったんだ。例のあの人が復活したって話を」
「…………」
「信じられない、かな。他の誰も、賛同はしてくれなかったけどね。でも僕は実際に試合に組み込まれていなかったあの場所へ確かに飛ばされたから」

だから、僕はハリーを信じるよ。そう言ったセドリックの笑みは、自分の目で見たわけでもないのに確信をもっていた。

「世迷い事を信じようとする馬鹿だって僕を笑う?」
「いいや、別に。私も同じものを見たから」

セドリックを愚か者だと笑うことはありえないが、しかし結局のところ闇の帝王がよみがえったのだと言葉としてはっきりと彼に伝えることもできなかった。セドリックが信じられないのではなく、口に出してしまったらここにいるはずのない誰かに聞かれてしまうような気がしたからだ。結局、ライジェルは例のあの人に立ち向かえず、名前どころか復活したことを口に出すことすらできない臆病者なのだ。

きっとセドリックは、どうしてあの墓場にライジェルがいたのか疑問に思っていることだろう。対抗試合の選手でなく、優勝杯のポートキーによって連れてこられたわけでもない。ライジェルは闇の帝王の復活に何かしら関わりがあるのではないか、そんな疑念を抱かれてもしょうがない。
しかし、それを直接ライジェルに聞いてこないのは、セドリックがライジェルを疑いたくないからなのか、元より疑う気すらも起きないのか。どちらなのかはライジェルの知るところではないが、きっと混乱が伝わっていたのかもしれない。この目で闇の帝王の復活を見たライジェルですら自身があの場に連れてこられた理由を知らないのに、どうやって説明できるだろうか。
セドリックはきっと、聞いたところでライジェルが明確な答えを持てていないことをわかっている。だから聞いてこないでくれているのだろう。
ありがとう、と声に出さないで口だけ動かした。すぐ隣にいるセドリックのことだ、きっとそれにも気がついたことだろう。






魔法学校対抗試合の課題の手助けをする、ということで、何だかんだで今年一番一緒にいたのはセドリックだったように感じる。実際、学年も寮も違うために授業中こそ同じ教室にいたことすら一度もあるはずないのだが、それ以外はよく顔を合わせていた。
けれど、手伝いなんて名目がなくてもいいのかもしれない、と今では思える。この一年間、最初こそまるで許されない恋人同士の密会のように忍んでいたが、いつからかセドリックの隣をライジェルが歩くという光景は特に珍しくもない光景と化していた。
来年以降も話をするくらいはできるだろうか。きっとできる。クィディッチの話や、勉強の話。進路についての相談だってするかもしれない。セドリックが何か相談を持ってくればライジェルはもちろん聞くつもりだし、逆にライジェルが悩みを打ち明ければどんな些細なことでもセドリックは真摯に受け止めてくれるだろう。あまり個人的な悩みをパンジー達にも話すことがないライジェルだが、セドリックになら話すことがあるかもしれない。
屋敷に帰りたくない気持ちの方が大きい今、ライジェルは来年に期待を含んだ思いを馳せていた。

「来年もよろしくね」
「ああ。こちらこそ頼む」












そう、来年もまたこうしてほんの少しだけ関係の変わった友人と何の憂いもなく笑い合えるのだと、思っていた。

そんなことは叶わないのだと、この時はライジェルもセドリックも知らなかった。

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