「今日一日、か……。確かに、ドレスローブなんて滅多に着ないからね」

 温室に入ってドアを閉めれば、風や雪が当たることがなくなって多少は体感する寒さがましになった。だがそれでも十二月下旬、寒いものは寒い。まだショールを手放せないライジェルを、セドリックは髪から靴までしっかりと眼中に納めていた。

「なんだかいつもと雰囲気が全然違うね。化粧もしてるみたいだし」
「ああ……」

 化粧、と聞いてライジェルは脳裏にダンスパーティー開始前にパンジーらに化粧されたのを思い出す。元々父親似で中性的な顔立ちのライジェルではあるが、パンジー曰くライジェルは普段からの表情のせいもあって男のような顔つきになっているのだそうだ。化粧で女性らしさを出して、それに加えてパンジーには表情もいつものように引き締めているのではなくて柔らかな雰囲気を出すようにと念をおされていたのだ。元々ライジェルは雰囲気にまるっきり隙がないために女らしくないのであって、もっと隙を見せるようにすればダンスパーティーに合った女らしさも出せるのではないかとのパンジーのアドバイスももらっている。正直隙を見せろと言われてもわからないライジェルだったが、何とか実践できているのは先ほどのパーティーの準備の時間にパンジー達にご指導いただいたおかげだ。

「化粧も本当に違和感があるんだ。特に睫毛とかな」

 いつもは視界になど入らない睫毛が、今のライジェルには本当に気になっている。グロスも変な感触にむずむずするし、早く化粧を落としてしまいたくてしょうがない。

「いや、でも似合ってるよ。ダンスパーティーの時にちらってライジェルを見かけた時は普段とのギャップに本当にびっくりしたけど、慣れてきた今はこれはこれでありだと思ってる」

 微笑みながらさらりとそう言ってのけたセドリックにライジェルは不意を突かれ、一瞬間を置いてから軽く顔を赤くした。

「なっ……」
「あれ、褒められるの慣れてなかった? 君のことだから、パーキンソンさんやマルフォイ君に言われ慣れてると思ってたんだけど」

 冗談でなく本当に驚いたのか少し目を大きくするセドリックに、ライジェルはぎゅっとショールを握り締める。元々こんな格好をしていることすら恥ずかしいのに、褒められ慣れているわけでもない。そもそもどこに褒められる要素があるのかわからない。その動揺と羞恥から、ついセドリックから視線を外して彷徨わせる。

「そ、そういう世辞はチャンに言ってやればいいだろう。私なんかじゃなくて」
「もちろんチョウにだって言ったさ。彼女のチャイナドレスは素晴らしかったしね。でもだからって君に言わないってこともないんじゃないかな?」

 照れを隠そうと言ったライジェルのその言葉も、セドリックに軽く返されてしまった。その上セドリックは何でもないような様子でそう言うものだから、ますますライジェルの羞恥は増す。

「ほら、これ着たらいいよ。さすがに肩を出してるのはつらいだろうから」

 珍しいドレス姿のライジェルを見ることに満足したのか、自身の今の今まで着ていたコートを脱いでセドリックはそれをライジェルの肩に羽織らせた。

「いや、でもセドリック、お前が寒いだろう」
「ほぼショールしかない君よりましだよ。ほら、いいから着て」

 確かにそう言うセドリックはコートの下の私服も暖かそうで、何よりここでライジェルが再度拒否してはセドリックの顔が立たなくなってしまうことを知っているため、ライジェルはしぶしぶながらもありがたくそれを着させてもらうことにした。コートはいまだセドリックの体温が残っていて、かなり温かくてライジェルはその温かさに安堵にも似たため息を小さく一つこぼす。

「大丈夫? もう一枚着る? あ、僕は寒がりじゃないから、」
「いや」

 薄地のドレスにコートだけではまだ寒いのではないかと思ったのか、さらに上着を脱ごうとしたセドリックを、今度はライジェルは制止した。

「これだけで充分暖かいから」

 決して無理をしていないような声色、きゅっとセドリックのコートを軽く握る手、視線を軽く下にやりながらもほっとしたように浮かべられる柔らかな表情、ライジェルのそれらの全てにセドリックは上着を脱ぐのをやめてまた着直した。

「とりあえず、このまま立ってるのも何だから座らない?」
「ああ、私もそうしたいのはやまやまなんだがな……」

 ずっと立っているのも疲れることだしまずは座った方がいいだろうと思い、いつもの対抗試合の対策を練る時のように地面に座ろうとしたセドリックは、ライジェルの格好を見てはっとした。今のライジェルは私服に着替えたセドリックと違ってドレス姿だ。温室の地面は人工的な床ではない、土なのだ。せっかくのドレスが汚れてしまう、座れるわけがない。

「まあ、靴も慣れないものだから座れるものなら座りたいんだがな」

 靴ずれが痛い、とかかとに痛みを感じてきたライジェルはその箇所を見やって顔をしかめる。いつも履いている靴に履き変えてしまいたいが、今はどちらかと言えば靴を履き変えに戻るよりもどこかに座って休みたいという方が強い。

「どうしたものか……」

 やはり今からでも着替えてこようかとライジェルが考えた時だった。

「そうだ、」

 ライジェルがセドリックの顔を見ると、彼は名案を思いついたというような表情を浮かべていた。

「…………」
「や、やっぱり駄目だった、かな……?」

 その名案を実行してライジェルはようやく座ることができたのだが、その心は複雑だった。それは顔にも表れている。

「いくら私でも、本の上に座るのには賛同しかねるぞ……」

 ライジェルが腰掛けているその下にある物は、対抗試合のためにライジェルがレギュラスとルシウスに頼んで送ってもらった本の数冊であった。

「でも、君が座りたそうだったから……」
「何百年も前から代々受け継がれてきた我が家の蔵書の著者も、まさか椅子代わりにされるとは思わなかっただろうな」
「うっ……ごめん……」

 確かに、本来ならば文化財指定されてもおかしくないくらいに古い本もグリモールド・プレイス十二番地にあるブラック家本家の屋敷の方には多々眠っているだろう。だが、屋敷の外に持ち出す上にこれらの本を扱っているのは未だ十四歳の子供であるライジェルだ。レギュラスとルシウスとて、未成年の子供にそのような一族に代々受け継がれている家宝とも言えるほどの本を託すような馬鹿な真似はするはずがない。此処にある本は、内容は別として、それほど厳重な扱いを必要としないようなものばかりだろう。そういう事情もライジェルは考えついてはいたが、セドリックには黙っておいた。大層なものではないとしても、セドリックに勝手に内容を見られたり軽々しい扱いをされるのは避けたい。

「まあ、助かったのは事実だ。多少は痛みもましになった。ありがとう」

 だがセドリックのすまなそうな表情をずっと見ているのも逆に悪い気がしてきて、フォローの意味も込めてそう礼を言えばセドリックは、よかった、と言うようににこりと笑んだ。





「あ、そうだ。僕、君にクリスマスプレゼントがあるんだ」

 しばらく座って落ち着いていた後、突然セドリックがあっと声をあげた。

「プレゼン、ト?」
「うん。この前の休みにホグズミードに行って選んできたんだ。ほら、君がレポートを優先させて課題について取り組まなかった日にね」

 首を傾げるライジェルをよそに、地面に座っていたセドリックは立ち上がってライジェルに近づき、ライジェルの着ているコートのポケットに手を突っ込んでそこから小さな包みを取り出してライジェルに手渡した。包みの大きさはライジェルの手の平よりも少し大きめで、重さもそこまで重いものではないようだ。

「開けてみてよ。気に入ってもらえるかどうかわからないけど」

 セドリックに言われ、彼が手元を覗き込む中ライジェルはその包みの封を切った。可愛らしいラッピングをできるだけ破かないように気をつけながらテープを剥がして包み紙を開くとそこにあったのは、

「チェーン……?」

 白銀に煌めくチェーンだった。太さは細めで、ライジェルが指で掬うとしゃらしゃらと涼やかな音をたてる。飾りなどはなく、しかしそれが逆に余計なもののないシンプルなデザインでいい。

「ライジェル、懐中時計持ってたよね。それにつけるのにどうかなって思って。あ、ほら、この金具があるからわざわざ店に持って行かなくても簡単に時計に付けられるんだ」

 今はライジェルはセドリックの言った例の懐中時計は寮の部屋に置いてきていて持ってはいないが、確かにこのチェーンに付いている金具ならば引っ掛けてチェーンと繋ぐことができそうだ。

「さすがに純銀製ではないけどね。そんな高価なもの、僕なんかじゃ買えないから」
「いや、逆にそんなものもらえない。ありがとう、部屋に帰ったら早速付けさせてもらう」

 まさかセドリックからこんなものがもらえるとは思ってもみなかったライジェルは目をきらきらと輝かせながら顔を綻ばせて、そんなライジェルをセドリックは安堵の入り混じった満足げな表情で見ていた。

「…………そういえば、私、お前に何も贈ってない」

 チェーンを見つめていたライジェルは、はっとしてセドリックの顔を見た。そう、他でもない対抗試合のために今年ライジェルは誰にもクリスマスの贈り物をしていないことに今さら気づいたのだ。

「君が何かに集中して取り組んでいると他のことに気がつかないのは充分わかっているよ。そんなこともあるだろうなって考えてたら、やっぱりそうだったんだね」

 くすくすとセドリックに笑われて、ライジェルはまたもや顔を赤らめる。

「なっ、何がほしい?」

 もう今さらセドリックにプレゼントとして何をあげるのか考えていることもしないある意味で潔いライジェルに、セドリックはもはやくすくすと笑うのを通り越して声をあげて笑い出した。

「ははっ、君って焦ってるとかなり言葉が直球になるよね。ライジェルって結構単純っていうかわかりやすいや」
「わっ、笑うな! いいからさっさとほしいものを言ってくれ!」

 元々肌の白いイギリス人の中でも特に色の白さが際立っていたライジェルは顔どころか首や耳まで全てが真っ赤になってしまっている。

「そんなこと言われても困るな。そもそも対抗試合の手伝いだって去年の借りがどうのこうのってやつだし、そう言われても考えつかないよ」

 後頭を手で書きながら言ったセドリックの言葉は至極尤もで、確かに自分に同じ質問をされたら自分も答えられないだろうなとライジェルも黙った。

「じゃあさ、来年のクリスマスに二つ何かプレゼントしてよ。その二つは君が決めていいからさ。それでいいかな」

 そうだ、とセドリックの出した提案は、それならば、とライジェルも頷けるものだった。

「わかった。なら来年楽しみにしていてくれ」
「うん。楽しみにしてるよ」

 他の女子が見ていたなら卒倒するであろうセドリックのにこりとした笑みを真っ正面から受け止めたライジェルは、だがライジェルはそこらの女子とは違って周りにレギュラスやらシリウスやらナルシッサやらルシウスやらの美形や美人がいて慣れているため卒倒も何もせず、同じように笑い返した。先ほどまではパンジーに言われた通りのいつもとは異なる表情や雰囲気をしていたが、今のライジェルは普段通りの顔だ。やっぱり君にはその表情の方が似合ってるよ、とセドリックは思ったが、それを口に出すことはなかった。

もう少しだけこのままでいよう。二人だけの温室で、星あかりのきれいな夜に。

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