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短文集です。一つ一つの話は独立しています。ジャンル、カップリング共に統一性はありません。

ジェイカリ

 薄暗い部屋に、影が一つ。少年はのそりと緩慢な動作で起き上がるとペタペタと自分の頬を叩いた。痛み、痺れ、特になし。拘束具、特になし。部屋の扉は薄く開いているのが見てとれる。
 明らかにおかしい。罠?一体何のために?彼はうーんと頭をひねらせた。誘拐なんて飽きるほど経験してきたけれど、誘拐というのは基本的にその後の監禁暴力恫喝その他とセットだ。誘拐してハイ終わり、だなんて一度も経験したことはない。ひとしきり考えを巡らせた後、彼は部屋を出ることにした。ここにいても自分に出来ることなど一つもない。それに何より好奇心が勝ってしまった。此度の犯人が何を考えているのか知りたくなってしまったのだ。
 部屋を出た先、薄暗い廊下の突き当たりに下向きの階段を見つけた。既に地下のような趣だが、更に下があるらしい。躊躇いもなく降りていく。
「わぁ!」
 飛び出したのは歓喜の声だった。
 きらめく水面が彼のことを囲っていた。そこは色とりどりの海草と魚で埋め尽くされていて、目まぐるしく変化する光景はまるで動く絵画でも眺めているようだった。銀色の大きな群れを追いかけてみたり、こちらに寄ってきた小さな魚の相手をしてみたり、ゆったりと泳ぐ巨躯を眺めたりしているとカツンと一人分の靴の音が響く。水面から目を離した彼はぐるりと振り向き犯人を確認すると一目散に駆け出した。
「ジェイド!」
 飛び付く体を少しよろけながら受け止めて、二足歩行の人魚は彼の頭上でニコリと笑った。単純に言えば賭けだった。彼が一言でも従者の名前を口にしたのなら、帰らせてあげようと思っていたのだ。
「まず最初は、暖かい海にしてみました」
 地上なんて息苦しい場所、捨ててしまえばいいのに。理由なんてそれだけだ。
 次はもう少し静かな、けれど美しい海に連れていってあげましょう。そうして終わらない異郷視察を続けましょう。何せ海はとても広いのだから。
2020/08/18

ラギジャク

「ゲェッ」
 見たくないものを見てしまったオレの口は素直に不満を音に出した。ただでさえ図体がデカいのに、その上に更にデカい耳がのっかっているものだからとにかく目立つのだ。そしてそのデカい耳は、厄介なことにオレの音を逃すことはしてくれない。
「ラギー先輩、今日もお疲れ様です!」
 大股で近寄ってきてはキラキラした瞳を惜しげもなく晒すものだから気が滅入ってしまって生返事しか返せない。そうしてあからさまに迷惑な態度を取ってみてはいるものの、そんなオレに気をつかう気配は一切ない。そもそもこんなことで凹む精神の持ち主なら今こんなことになっていない。強く頑丈。己が正義を信奉する真面目ちゃんは、今日も今日とて元気だった。
 正義。耳障りの悪い言葉、唾を吐きかけたくなる概念。正義を体現する彼は、つまり、オレにとってそのような存在だ。
「ジャックくん、オレにつきまとうの辞めた方がいいッスよ」
「そんな、先輩にはまだまだ遠く及ばないってのに!」
「あー、言い方が悪かったかな。辞めろって言ったんスよ」
 へばりついてくる後輩と共に人気のない廊下に移動してから口を開く。ひらり、分かりやすく少し大仰に手を振って、宙に投げたそれをキャッチした。黒くて四角い、軽いけど重い、どこかの誰かの、財布。
「なっ!?アンタまた、」
「ジャックくんは、自分の財布が盗まれた時、盗んだ相手を殺せるッスか?」
 彼が振りかざそうとした正義を遮る。スラムに法はない。優しい奴から死んでいく世界で明日を生き延びるためには正義など邪魔でしかない。万引きや窃盗なんてかわいいものだ。殺されないために殺す。それが常識。
「アンタの目の前にいるのは、そういう人間ってことッスよ」
 財布の中から札だけを抜き取って、本体を後輩に向かって放る。さっきよりも軽くなったはずの財布をデカい手のひらが大事そうに抱える様はとてもとても滑稽だった。
2020/08/18

ジャミカリ

 日当たりの良い室内、整然とした空間の中でも一等美しいものとして、彼は朝の陽光に照らされていた。慣れない人間であれば手を触れることさえ躊躇ってしまうような、傷を付けることを忌避させる顔が、俺の前に無防備に晒されている。剥き出しの細い喉に薄い唇。まぶたの下で見えなくなっている宝石のような眼球だって、宝石とは違って酷く柔い。それこそ今まさにアイラインを引いているこの筆を逆さに持ち変えるだけで簡単に潰せてしまうほどに。
 美しいものとは、往々にして破壊を想起させる。
「終わったぞ、カリム」
 まぶたが開かれる。最後のパーツである深紅のルビーがはめ込まれたことで、芸術は完成した。
「いつもありがとうなぁ」
「どういたしまして」
 ウィンターホリデーであんなことがあったというのに、何故か俺は今も毎日カリムの世話を焼いている。自分で言うのもなんだが信用の置けなくなった人間を側に置くことに躊躇いはないのだろうか。やっぱりコイツの思考は理解できない。
 ……毎朝、ほの暗い衝動に駆られそうになる。カリムの、その美しい顔をめちゃくちゃにしてやりたい、壊してしまいたいという衝動。細い喉に爪を立て、薄い唇を噛みちぎってやりたいと、一瞬、思ってしまう。美しいものとは、往々にして破壊を想起させる。想像してしまえば、それを実現したくなってしまうのが人間だ。どうしてかって?そんなもの、優越感に浸りたいからに決まっているだろう。俺は唯一になりたいのだ。美しいものを壊してやったという、美しいものを最後に見たという、唯一に。
「さぁ、今日も一日頑張るぞ!」
 だけど現実のカリムはそんなにやわじゃない。自棄になって暴走したホリデーだって、結局この男を破壊することはかなわなかったのだ。きっと永遠にかなわないのだろう。
 祝福の光を浴びながら彼は朗らかに笑う。俺にはもう、その喉に爪を立てる気力はない。
2020/08/18

ジャミカリ

 生きていることが奇跡そのものだと、医者は言う。医者はすぐにハッとして口を覆うと「申し訳ありません。失言でした」とオレに謝った。オレは医者の言ったことに、本当にその通りだなぁとしか思わなかったので謝る必要なんてないのに。
 けれどこの家では、そしてこの国では、本心がどうであれオレの最悪を口にすることは禁忌とされている。オレが死ぬかもしれないこと、オレに死んで欲しいと思うこと、それらは決して口にしてはいけない。オレはすぐに死にかけてしまうので申し訳ないことをしているなと思う。言葉にしてしまった方がよほど楽だし、オレとしてもありがたいのだけれど。
「医者は何だって?」
 部屋に戻るとジャミルがお茶の準備をしてくれていた。胃に優しいハーブティーに、果実を使ったジェラート。体調はもうすっかり回復していたけれどきっと気をつかってくれたんだろう。
「特に問題はないってさ。普段通りの生活に戻っていいらしい」
「そうか。まったく、お前のせいではないとは言えそう何度も死にかけてくれるな。こっちの手間も増えるんだぞ」
「ヘヘ、ごめんなぁ」
「そうやってヘラヘラすんのやめろ」
 ごめんな、ジャミル。でも嬉しいんだ。
 オレに「死ぬな」って言ってくれるのはいつの間にかジャミルだけになっていた。あまりにみんなに仰々しくされると、自分がみんなと同じ人間であることが不安になってしまう。別のナニカなのではないかと疑ってしまう。オレとみんなを隔てる薄膜。それが日に日に強固になっていくのが、どうしても怖くて堪らないのだ。
「またオレに何かあったらその時はよろしくな!」
「だからなんで死にかける前提なんだよ。相変わらず話聞かないな」
 だから、オレに面と向かって「死ぬな」と声を掛けてくれるジャミルに感謝をしたい。オレを人間に繋ぎ止めてくれるのは、ジャミルだけだから。
2020/08/18
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