景晴
特定の人間に執着を燃やすことは「愛」と呼ぶのだと教えてもらった。
「つまりこれも『愛』ということですね!」
大きな声で宣言したところ晴信は盛大に眉間に皺を寄せた。私の頭から垂れる血がそこに滴り落ちる。それはあっという間に晴信の額を赤く染めてしまった。私の血をものともせずに睨みつけてくる様を、眩暈がするほどに美しいと思う。眩暈は普通に失血のせいかもしれない。まったく人の肉体とは不便なものだ。
「誰の入れ知恵だ?」
私は晴信に馬乗りしており、私の槍は晴信の喉を捉えていた。つまり、今回は私の勝利だ。喉を掻き切って仕舞いにしようと思ったが、晴信が喋りだしたのでやめた。晴信とのお喋りは高揚する。これも愛の力ってやつなのかもしれない。
「ノッブです!」
「余計なこと言いやがって……」
私は晴信の上に乗ったままじっと顔を覗き込んだ。なんとなくそうしたい気分になったのだ。ぐっと顔を近づけて観察する。愛する人の一挙手一投足はもちろん、産毛の生え変わりに至るまで決して見逃したくはないのだと、これは信長の弟が豪語していた。信長はドン引きしてた。
ぽたぽたと血が滴る音が早くなる。私の血が、晴信を覆いつくそうとしていた。……なんか急に冷めてきた。これじゃ晴信じゃない。私じゃあないか。
顔を上げる。ぼーっと愛が存在しなかったことへの残念さを感じていたら急に姿勢が崩れて晴信の上から振り落とされた。見れば槍の穂先が晴信の喉元を離れている。じゃあどこに行ったのか。晴信の手の中である。どくどくと晴信の血が流れていた。私の血の隙間から、ぎらぎらした瞳が覗いていた。
「ああ、嗚呼! 貴方はそうやって私の興味を離さない! 思い出しました! 全部貴方のせいです!」
「黙れ」
私の愛が失われる時、いつも貴方は自分自身で私に己への執着を植え付ける。この場合、愛の生産者は貴方で加工工場が私になるんでしょうか。これが、相思相愛と呼ばれるものなのでしょうか。私は人間が作った感情のことはよくわかりません。ですがきっと喜ばしいことなのでしょう! よくわかりませんが!
2024/08/01
シャカールとフライト
※捏造ウマ娘注意
どよめき、歓声。地球そのものを震わしているんじゃないかと錯覚する程に湧き上がる観客達を、冷ややかに見下ろしていた。否、見下されているのはオレ達の方か。
「よかったねぇ。ラスボス討伐完了。ゲームクリアだ」
「……ドトウやデジタルが先に勝ってただろ」
「プレイヤーはそれじゃ納得しなかったんだよ。“王道”の“クラシック”を走った“次世代”による討伐じゃないと」
手をひらひらと振りながらフライトが言う。その顔はオレと比べればまだ晴れやかだ。妹が後悔を振り切ったのを見届けたからだろうか。その妹のせいで、お前自身の評価は必要以上に下げられているのに。
「なんだかんだかわいいものだよ、妹って。キミも姪っ子だっけ? に、懐かれてなかったかい。あんな感じさ」
「路線が違う。オレの戦績はメサイアの評価に影響を与えないし、逆もそうだ」
「キミは周囲の視線を気にしすぎだよ」
東京競バ場、観客席最上段。勝者も敗者も等しく豆粒のようにしか見えない場所でも、人は皆その光り輝く豆粒に目を凝らす。おかげでオレ達は何も気にせず会話ができる。オレ達が何かを為す前に、新時代は訪れてしまった。そうなったら、残されるのは何にもなれなかった哀れなナニカだ。
「シャカール、体調はどう?」
「来年には復帰できる。そっちの怪我は」
「私はまだかかりそうかな。また一緒に走れるといいねぇ」
妹のように間延びした口調。見た目が瓜二つなくせになぜそれ以外も似せていくのか。そんなんだから比較され続ける。幻相手じゃ分が悪いだろうに。
「でもこの後年内にエクストラステージありそうじゃない?」
「……あるぞ」
「やっぱりそうなんだ。私はキミやタキオンのような未来予測はできないと思ってたけど素質があったりするのかもしれないねぇ」
「ハッ、ねェよ」
素質があっても良いことないしな。言葉は内に留めておく。Parcaeの嘲笑を聞かせないのは、せめてもの思いやりだ。
2024/05/27
一次創作
あけすけにバカみたいに笑っている面をぶん殴ってやろうと思った。しかし振り上げた拳が下ろされることはなく、虚しく空中で瓦解した力のないパーの形をした手のひらが別の手のひらに絡め取られる。こんなクソ野郎でもいっちょ前に体温ってヤツは温かいらしい。くつくつと堪えきれていない笑い声を八重歯の隙間から零しながら、両目を愉悦に歪ませたお前は俺に何を期待している?
「本当に可愛いなぁ、オマエは」
否、何も期待していないのだ。ただこうしてボロ雑巾のようになった俺を家に迎え入れて、飯を食わせて、風呂に入らせて、跨って。体験型エンターテインメントに必要な都合の良い存在を欲していたコイツの前に降って湧いた何か都合の良いヤツ、それが俺だ。降って湧いたというか、殴りかかったというのが正しいけれど。職はない、金もない、住処はあるが住めたもんじゃない。ボロ雑巾として転がっていた俺をニヤニヤと見下ろす顔に、無敵の人間となっていた俺の沸点はいとも容易く臨界点を突破した。殴られた頬を擦りながら、ガヤガヤと人だかりが出来つつある路地の端っこで、あろう事か、お前は。
『キミに決めた!』
殴るための拳を両手で握り込まれ面を食らった隙に何処ぞに引き摺られ、……今にいたる。
「オマエは可愛いなぁ。ずっとそのままでいてくれよ」
その可愛いが惨めの言い換えであることくらい気付いている。今日も身の丈にそぐわない綺麗なおべべを着せられて、外の世界に放り出された。当然、体力も知性も社会性も適応力も地に沈んでいる俺はせっかくの服を汚して帰ってくる。でも、此処に帰るしかない。
「アッハッハッハ!!!」
ヤツの大笑いは止まらない。汚れた体ごと優しく抱きとめられて、力なくもたれ掛かる俺の耳元でくつくつと笑い混じりの音が鳴る。
「あーあ、安心するなぁ。オレがずっと、ずーっと、面倒見てやるからな。……見せてくれるよな?」
拒否権なんてない。うわ言のように同意を示せば抱きしめる力が強くなった。骨が軋み始めるほどに。所詮、俺は可哀想で可愛い、都合の良い人形だった。
2024/03/20
姉ぴとネーレウス
何もかも、全てを、差し出しても、私という代償は、存外、ちっぽけなものでしかなく。
「世界をあるべき姿に戻すのです」
女は言った。いや、男だったかもしれない。でも、少なくとも今は女だ。だって私は女だったから。
「矮小な海原、動かぬ星空。貴女の星々が見えないことが、私には耐えられない」
視界が落ちた。文字通り、ストンと。びっくりして腰が抜けたとか、苦しくて膝を付いただとか、そういうのではなく、ただ落ちる。目の前に私の足先が見えた。私“だった”はずの足先が見えた。
体が動かない。いや、厳密には動いている。私は私を見下ろし、私は私を見上げている。自分の顔をこんなにじっくりと見るのは初めてだ。あの子に似ている。私のことが大好きな、私にとっても大切な、いもうと。
そうして暫くが経って、私の目の前で私の体は私を拾い上げると私を宙に放った。
「不在の神を嘲笑せよ」
不在、存在しないこと、あるべき場所にいないこと。なぁ、神の存在を語るのが私の、そしてお前の、役目だったのではなかったのか。
視界が真っ暗になる。あの子は無事なのか。あの子は私がいないと生きていけない。今も腹を空かせている。すぐにでも野垂れ死んでしまう。私が、私が、世話を焼かなければ、あの子こそが不在となってしまう。どうか神様、私をあの子の元に送り届けてください。……この場合、不在届けは受理されるのだろうか。
「お姉ちゃんっ!?」
酷くやつれた妹が、私を見下ろしていた。
「お姉ちゃんじゃない……」
そして失望のまま、私を拾い上げる。
「何このナイフ。…………ベガルタ?」
そう、私は短剣ベガルタ。貴女を愛し、貴女を守るもの。貴女が大好きな■■■■■。
2023/09/15
玄実
その熱視線を無視することはできなかった。戸惑い、飢え、歓喜、絶望。様々が入り混じった瞳は何万回も見たはずなのに初めて見た色をしていた。
「……何してんだオメェ」
返事はない。己の手を轡のように噛みしめて、それでも垂れる唾液は地に水溜りを作ろうとしていた。ダラダラと垂れる唾液には見覚えがある。この世にはびこる憎き生き物が俺を認識した途端に垂らすものだった。
最愛の弟に、食物としての視線を向けられている。サァと冷めた頭は凍てついたまま事実の確認をする。凍った頭はバカになって、バカな行動を止めることはない。
「腹減ってんのか」
不用心に近づいた自分を叱るものはいなかった。さっき自分で切りつけた腕から流れる血液を、唾液を垂らし続ける口元に持って行ってやる。親が子供に菓子を食わせてやるようにして。愛しの家族が腹を空かせているのであれば食い物をもっていってやるのが兄の勤めというものだろう。
「ほら、食えよ」
新鮮な血液を目の前にしても相手はただ言葉にならない音を唸るばかりであった。轡代わりの己の手に人ならざる鋭い牙が突き刺さって血が滲んでいる。痛いだろうに。苦しいだろうに。自分の血と弟の血が地面に垂れる。同じような色をしているくせに、きっと混ざることはない。呆けた頭がぼんやりとそれを眺めていた。
2023/06/17