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▼ 願望

「おはよう会長」
「あぁ、おはよ」

 一日六時間も寝ることが出来る。それに、ちゃんとした食事も食べられる。誰かに挨拶をしてもらえる――。編入生が来るまでは当たり前だと思っていた事が、こんなに嬉しいと感じる日が来るとは思ってもみなかったと、弥生は改めて隣に座る恩人に目を向ける。
そして、何よりも変わったことと言えば、弥生自身だ。弥生には今、はっきりと恋人だと言える人がいる。
 この前はキスもした。しかも、めちゃくちゃ深い、舌と舌が絡み合うキスだ。抱かれたいランキングの一位に選ばれている所為か、卯月はてっきり弥生はこういったことに慣れているものだと思っていた。
 ところが蓋を開けてみれば、唇が触れ合うだけでも弥生はぎゅっと目を瞑り、がちがちに緊張していたのだ。そこまでがっつくつもりはなかったというのに、卯月は弥生が腰を抜かすまで続けてしまったことは記憶に新しい。
 あと、何度かデートっぽいのもして手を繋いで歩いた。その度に、弥生は心臓が爆発するかもしれないと思うぐらいにドキドキしていた。

「会長、何をさっきからうんうん唸ってるんですか?」
「あ、いや……その、ちょっとな」

 歯切れ悪く返事をする弥生に、卯月はとりあえず深刻な問題ではないと見抜いた。弥生の隣へと移動して、ソファーに座る。

「どうかしたんですか?」

 弥生を抱きしめて、とんとんと背中を優しい手つきで叩く。これがすごく安心出来るようで、弥生は卯月の胸元にぐりぐりと頭を押しつけた。
 前副会長にフラれたことが軽くトラウマになっているようで。弥生は元から自分が我儘だと思ったことや自分のイメージには合わないと思ったことを内側に溜め込む癖があるのだが、より一層悪化していて、何でも勝手に一人で抱え込んで顔を顰めている。
 器用な人間ではあるのに、自分のこととなると不器用な弥生を見ることも卯月は好きではある。だが、もっと我儘になっても構わないのに、と卯月は弥生が甘えやすいように弥生を精一杯甘やかす。

「かーいちょー?」

 もう一度、弥生に呼びかける。ちゃんと話を聞いているから、溜め込んでいるものを吐き出しても良いのだと分かるように。
 顔を上げた弥生が視線を右へ左へ何度か彷徨わせた後、じっと卯月を見つめた。

「……聞いて欲しい事があるんだ」
「はい、なんですか?」

 ある程度の欲が満たされると、次から次へと新たに欲は出てくるもので。だからといって、何でもかんでも卯月に言うには躊躇いが生じた。
 我が儘だと嫌われないか、卯月はこれで楽しいのだろうかと考え出したらキリがない。
 それでも、目の前にいるのは恋人なのだから、これぐらいの望みは聞いてくれるはずだ、と弥生は願いを口にした。

「名前、で呼びたいし呼ばれたい」

 会計の下半身馬鹿には乙女すぎるでしょ、と散々笑われた。が、弥生自身もこんな女々しいことばかり考えて、悩んで、とにかくどうしたらいいのか分からないのだ。
 卯月はぽかんと口を開けたまま固まっていて、今のこの沈黙が非常に気まずい。

「……駄目か?」

 しゅんとした表情を浮かべた弥生を見て、慌てて卯月は返事をした。

「弥生、って呼んだらいいですか?」

 どきりと跳ねる。卯月が名前を呼んでくれた。そのたった三文字が、どうしてこうも嬉しいのか。
 にやける口元を隠しきれないまま、弥生は卯月に抱きつく。

「卯月!」
「ふふっ、はい。なんですか? 弥生」
「好き、卯月が好きだ」
「名前呼びぐらい喜んでしますから、弥生はもっと遠慮しなくていいんですよ?」

――卯月とずっと一緒に居たい、ただそれだけが叶えばいい。
 それが一番の幸せだと弥生は卯月に口付けた。




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