その魔女の名は

空に棚引く雲は実に穏やかで、新緑を迎える前の花の盛りの季節は清々しさを人々へ運んでいる。
木造建ての校舎の一角、窓を開き春の風を吸い込みながら、たった二人の生徒は担任の教師が来るのを待ち侘びていた。

授業開始のチャイムと共に、ガラリと教室の引き戸を開けて一人の女が入室してくる。女は、ここ呪術高専にて七海と灰原が在籍する一年生の担任をする教師であった。

グレーのダブルスーツに同色のパンツ。足元はツヤのある黒の革靴で、凡そ若い女の装いではなかったが、彼女は若い見た目をしながらもその渋い衣服を完璧に着こなしているのであった。

コツコツと、革靴の底が木造の床を叩く音を立てながら、彼女は教師として七海と灰原の前に立ち、手にしていたテキストを開いて第一声を発する。


「おはよう生徒諸君。さて、これより本日の授業を開始するとしようか」




___




「本日は呪術における儀式について、及びその歴史について解説していこう」

私の声に合わせて姿勢を正した彼等は若々しく、未熟な術師の卵とも言うべき存在だった。

この春、東京都立呪術高専に入学してきた生徒は男子が二人。
丁度去年度、自分の担当していた学年の生徒達を無事卒業させた私は、今年度から新しい学年を担当することとなった。

生徒は両者共に一般の出であり、呪術師の家系に属する者ではない。
即ち、彼等はまさにぺーぺーのひよっこで、呪術における前提知識すら持ち得ていないルーキー。言い換えるならば、新品未使用な、学ばせがいのある若々しい脳みそを持った子達だった。

いやあ、若いってのは良いもんだ…と、彼等を見ているとしみじみと思う。
七海くんについては元々真面目で勉強熱心な性格もあってか、予想通りに授業にのめり込んでくれていたが、灰原くんについても興味関心を引き出せば、瞳をキラキラとさせて喜んで学んでくれている。二人共、とても可愛い。

今年はアタリを引いた。
それが私の素直な感想だ。
何せ呪術師になる奴なんてのはイカれた人間しかいないのだ。大抵はまともじゃなく、問題だらけの人間ばかりなのだが、今年のルーキー二人はそれでも随分とマシな方であった。
一つ上の学年、夜蛾さんが担任をしている子達なんてもう大変も大変。彼の苦労は察してあり余るものがある。

ノートを開き私の解説を書き記していく彼等は生徒として非常に優秀だ。
だが、生徒として優秀なだけでは困る。これから訪れるであろう様々な困難や死線を乗り越え潜り抜けるため、呪術師として優秀になって貰わなければならない。
私は彼等を優秀な呪術師にするために、今日もこうしてせっせと教鞭を取っている。

全ては可愛い生徒を過酷な戦場に送り出すための、出来うる限りの下準備というわけだ。

「では、先史時代の呪術的痕跡について解説しよう。ところで、そもそも先史時代が何かは分かるかな?はい、七海くん」
「はい、文字を持つ前の人類に関する時代の呼び方です」
「その通り。"歴史時代"と呼ばれる、人類が文字を得てからの歴史ではなく、文字を持たず、文書記録の残らない時代の名称だ」

では、講義に戻ろう。

「九万五千年前のネアンデルタール人は、イラクの小洞窟に子供の死体を丁寧に埋葬していた記録がある」

ネアンデルタール人とは、現代人につながるとされるヒト科の生物である。
彼らは埋葬時に人間の形に見立てた小石を洞窟内に共に埋葬していた。そのことから、古代の人々も死後の世界を信じていたと伺えるだろう。

私はチョークを持ち、黒板に年代と簡易的な解説を書き記す。

「そしてさらに紀元前二千五百年頃には、一年のうちの特定の日の出や日没に合わせ、ストーンサークルなどが建造された」
「ストーンサークルって、大きな石が並べられてるやつですよね!テレビで見たことあります!」
「そう、そのストーンサークルだ、よく知っているね灰原くん」

元気良く右手を挙げながら声を発した彼に、私は頷きながら笑い掛ける。

ストーンサークル、ストーンヘンジ、カルナック・ストーン。
六千年も前に建造された三千個にも及ぶ巨大な石が並ぶ様は荘厳極まる風景だ。
ちなみに余談だが、巨大な石が直線上に並ぶ光景を見た中世の人々は、これを魔法で石に変えられたローマ軍だと信じていたらしい。

「ストーンサークルの誕生とは即ち、宗教的世界観の洗練が続いていたことを意味している。宗教の発展と共に人類は悪魔や呪術とも関わりを見出していったのだ」

黒板に向かい合い、先程書いた年代と解説の下に今の説明を書き記す。

さて、今回の授業はここからが本題だ。

少し大きめの文字で『先史時代の呪術と初期の宗教について』と書いた私は、彼等に向き合い疑問を投げ掛ける。

「さて、こうして人間は古くから宗教を開拓していったわけだが、より人間が呪術や魔術、儀式に関わり合うようになっていった理由は何故だろうか?」
「……災害、いや…道具…」
「よし、では少し話し合って考えてみてくれ」

そう言って、彼等に自分で考えさせた。
二人はすぐに顔を突きつけ合ってあれやこれやと語り出す。
私はそれを眺めながら、ふむふむと笑みを浮かべつつ頷いていた。

いいね、実に良い。
与えられる情報を脳に仕舞い込むだけじゃ勉強にはならない。黒板の文字をノートに書き記すだけじゃ何も学べやしない。自分で考え、答えを導き出させてこその教育だ。
七海くんと灰原くんはああでもない、こうでもない、いやこうかもしれない…と、各々の意見をぶつけて答えを見出していく。

やがて暫しのセッションが終わり、意見が纏まったらしい二人は前を向いた。

「はい!やっぱり火だと思います!」

灰原くんが元気に述べる。
それに続くように、七海くんが口を開く。

「火は文明の象徴であり、火の誕生によって人類は環境を支配することを学んだ…それにより人類は目覚ましい進化を遂げていくため、そこが起点になったのではないかと…推測します」

彼が語り終えた後、一拍開けて私は「素晴らしい!」と拍手してみせた。
灰原くんは照れ臭そうに、七海くんは澄ましているが嬉しそうに視線を外して喜びを表している。

「二人共素晴らしい推測だ、流石は私の生徒達」

褒め称えてから黒板に向かい合い、私は解説しながら必要知識を書き記していく。

「その通り。火やそれに付随する技術は人類に一定の力を与えた。しかし…」

黒板に書くべきものを書いた私は、彼等の方へと振り返った。

「同時に人は、自分達には手に負えない強大な力の存在にも気付かされることになる」

賢い彼等は私の言わんとすることを察して表情を引き締めた。
そう、これこそが"呪い"だ。

「太陽が昇ったり沈んだりする現象」「生と死」「狩りの辛さ」そういった物事に対し、ある者は謎の解明のためにその存在を重要視し、ある者はただ魅了され、またある者は抗うことなく受け入れ畏怖した。
そうして生まれていく宗教的感情、恐怖、支配、冒涜、畏怖、怒り、嘆き。
古代人は、次第に様々な現象に感情を込めはじめ、そうして「精霊の力」という概念を生み出したのだ。


「人間の感情が、呪いを生み出す」


出された結論に、二人の生徒は表情を固くした。

人間が感情の全てを制御出来ないように、呪霊を生み出すこともまた制御出来ないのだ。
この世界はどうやったって未知や恐怖に満ちていて、人と人が関われば怒りや嘆きが発生する。
それを止めることなど、我々には出来やしない。

出来ないからこそ、向き合い続け、対処していくしかないのだろう。


「さて、次の時間は確かグラウンドで体術訓練だったね。先輩達を待たすのも悪いだろう、少し早いがノートに書き終えたら終わりにしようか」
「はい!先生はグラウンド来ますか!」
「ハハハッ、誰が行くか馬鹿者」
「でも僕、先生が戦ってるとこ見てみたいです!」

なんてことを言い出すんだ、と私は首を横に振った。
とんでもないことを言うもんじゃない。誰が楽しくて自分より圧倒的に強い人間と戦わなきゃならないというのか。私は痛いのも疲れるのもごめんなんだよ。

そもそも私は戦うために呪術師をしているのではない。戦闘なんて専門外だ。やりたくない事ナンバーワンだ。

灰原くんは丸い瞳を瞬かせ、「先生はなんで戦わないんですか?」と不思議そうに尋ねてきた。
私はそれに対し、当たり前だろうと真顔で返す。

そう、私が戦わないのはここでは当たり前のことであり、絶対的事実であり、許容されている事柄であった。

何故ならばそれは。


「私は探偵だから、事件を解決することこそが専門なんだよ」


呪術師で探偵。
探偵で教師。

何故呪霊が湧いたのか、誰が事件をどうして起こしたのか。
自然現象から人為的事件まで、私の仕事はそれらについて推理し、回答を導き出し、解決の糸口を作り出すことだ。

だから戦いは君達に任せるよ。
可愛い可愛い、私の生徒達よ。

prev / next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -