名前もない青い芽を

「えー!!土岐先生が戦ったの!?見たかったー!」
「まあ、本人は戦いじゃないって言ってましたが…」

事件現場で被害者を救出した翌々日、一日報告やら何やらで学校を休んだ土岐先生は今日から通常業務に戻るらしく、私と灰原は教室で朝のホームルームまでの時間を二人で過ごしていた。

事件がどうなったか知りたがる灰原に、私から話せる内容を話す。
被害者は救出され、その日のうちに意識を取り戻した。現在は高専の息の掛かった病院に入院中であり、通っていた学校については転学の予定となっているらしい。
また、土岐先生の口添えや手回しもあり、被害者の祖父は適切な介護が受けられる場所へ、祖母も同じく病院を手配されたとのこと。
私は同席していないが、今日の朝先生の元に向かった時に聞いた話によると、被害者と被害者の母親、それから担当する後任の補助監や医師と先生の話し合いによって今後の方針は大方決まり、事件は無事に収まる所へ収まるだろうとのことだった。

「突然物凄い呪力を感じ取ったかと思えば、ものの数秒で収まっていて…私が駆け付けた時には呪霊は祓われていました」
「七海も見れなかったんだ、残念だね」
「はい、正直悔しいです…」

そう、悔しい。
土岐先生の戦う姿を見れなかったこともだが、土岐先生の前で見事にふっ飛ばされてしまったこともだ。

確かに自分より格上の呪霊だったとはいえ、情け無い。
私は一体何をしに行ったというのか。先生が戦わなくて良いための私だというのに。

「クソ……」
「七海、元気出して!土岐先生はきっと七海が居てくれて良かったと思ってるって!」
「そんなこと…」
「ね、先生!」

「そうだね」と、柔らかな声が突如降ってきて、思わず俯いていた顔を挙げた。
そこには普段通りのグレーのスーツを身に纏い、革靴を履いた先生がこちらを静かな眼差しで眺めている姿があった。先生の顔を見た瞬間、喉の奥がキュッとなる。

「い、いつからそこに…」
「七海が落ち込んでからずっと居たよ、ねー先生」
「そういうことは先に言って下さい…!」

教卓に進まずこちらに近付いてきた先生は、灰原の頭をぽんぽんと撫でて「おはよう灰原くん、次は君も頼むよ」と微笑みを浮かべた。

「勿論!次は必ず手伝いますよ!」
「私も、次は役立ってみせます」

慌てて負けじと私も主張する。
土岐先生はそんな我々を微笑ましそうに見て「ああ、頼りにしているとも」と言ってくれた。

灰原の次は私の頭に手を置き、同じように数回撫でる。
むず痒い心地だが、妙に安心する指の動きと体温に、焦っていた心が穏やかになっていくのを感じた。

この人の役に立ちたいと思う。
戦闘であれ日常であれ、尊敬する師の役に立ち、いつの日か認められたい。
並び立つことなど到底出来ない事ではあろうが、それでも支えになる存在にはなりたかった。
そして出来ることならば、この先もずっとこの人から学び続けたい。
この人が知る世界の心理を、余すことなく見聞きしたい。

私の師はきっと極限とは何か、神秘とは何かを知っている。
貴女の側にいれば、いつか私も何かに辿り着けそうな気がしてくるのだから、土岐先生はやはり偉大な術師なのだろう。

「さて、ではそろそろ朝のホームルームを始めようか」

革靴がコツコツと鳴る。
教卓で微かに微笑むその人は、誰もが心を落ち着かせてしまう柔らかな声を、三人だけの教室に響かせた。


「おはよう諸君、今日も良い朝を迎えられて何よりだね」




___




1692年、魔術を行使したとして捕らえられ処刑された魔女狩りの被害者は、己を魔女と判決した者達へこう訴えた。

「自分は、生まれていない子供のように無垢です」

と。

罪の無い、清く弱い人間。

こういった者達は何故犠牲となったのか。
そこには中世の歴史と教育が関わってくる。
元々、魔女裁判により処刑される者は立場の弱い独身女性、老人、嫉妬の犠牲者、鬱患者などが多かった。
言わば一種の口減らしであり、日本における人柱伝説と目的としては同じだ。
要は、『弱い者を理由を付けて殺し、減らす』 そのために、人々は言葉によって狂乱の渦に飲み込まれ、罪無き者に殺戮の限りを尽くしたのであった。

そういった思想に行き着くのは、宗教と芸術、そして教育が問題とされている。
ルネサンス期に教育を受けたヨーロッパ人にとって、悪魔は魔術・呪術という概念の最も中心にあるとされていた。
悪魔とはキリスト教において、神の致命的な敵である。
そして、魔女とは悪魔の代理人とされていたのだ。

魔女は邪悪で、自然の摂理に背き、悪魔と強力して人々に害を齎す。

ルネサンス期、様々な芸術や文学が発展し、悪魔と魔女を形作っていく。
『ライティング・ハイ』アルブレヒト・デューラーは悪魔の象徴たるヤギの背に乗り、自然の摂理に背く魔女の姿を描いた。
『魔女に与える鉄槌』聖職者ハインリヒ・クラマー、『悪行要論』司祭フランチェスコ・マリア・グァッツォは邪悪な魔術・呪術の害について、彼等は人々へ向けて解説した。
そしてジャン・ボタン著の文学作品は、魔術・呪術、それを行使する者を強く迫害したと記されている。

「こうした文化や思想が行き着いた先、それが魔女狩りの始まりとされているのだ」


先日あった事件を元に、本日の講義にて改めて近代の魔女とその歴史について語った。
二人の生徒は私の話を真面目に聞きながら、少し悲しげな目をしていた。

「でも、魔女って元々は悪者じゃないんですよね?」

灰原くんがそうっと疑問を口にする。
私はそれに「ああ、勿論」と返す。

「古代北欧において、ヨーロッパの魔女の起源とされるSeidbr(セイズ)という呪術は女性が使う術とされており、その術を用いて幻視や霊界との交信を行っていたとされる。その術の使い手である魔女の一人は美の神フレイヤと繋がっており、フレイヤは主神オーディンに女性が行使する術であるセイズを教え授けたとされている」

神々さえ使った術を、その在り方を、人々はいつからか捻じ曲げ、歪め、迫害のための理由に仕立て上げてしまった。

「先生は…悲しくないのですか」
「悲しい、とは?」

静かに、七海くんが私へ問い掛けた。
彼は言う、「先生も魔女と呼ばれているでしょう」と。

「なるほど。つまり君は、私が迫害の言葉を受けている…それが悔しいのだね?」
「土岐先生は慕われるべき人だと、私は思っています。だから、」

彼の瞳が揺れ動く。
確か、事件の日も彼は似たようなことを私へ問うていた。
感情が昂り出しそうな所へ待ったをかける。それから私は、フッと笑って答えてやった。

「いや、私は一度だって迫害などされていないよ」

言葉を止めた彼に…いや、彼等に私は過去の授業内容を思い出させる。

「言葉には力が宿っている…そうだね?」
「はい、覚えています」
「僕も覚えてます、目には見えないけど、確かに力が宿っているって」

私の授業をしっかり覚えていた二人を肯定するため一つ頷いた。
そう、言葉には力が宿っている。
目には見えないけれど、言葉には確かに力が宿っていて、言葉によって世界は創造されていくのである。

確かに私を魔女と呼ぶ者はいる。今も昔も。
けれどそれは迫害のための言葉ではない。
私を魔女と呼ぶ時、人々はその言葉に別の意味を、力を宿して呼ぶのだ。

「人が私を"魔女"と呼ぶ時、そこには畏怖と憧れ、名誉と恐怖が伴っている」

畏怖には信仰を。
憧れには憧憬を。

名誉には救済を。
恐怖には隷属を。

人は宿す。たった二文字の言葉に、沢山の思いと力を。
私はそれを正しく受け止め、糧とする。
糧とは即ち誇りであり、私を私足らしめる重要な存在だ。

「じゃあ、僕達が先生を"先生"って呼んだ時の思いも、ちゃんと伝わってますか?」
「勿論。全部ちゃんと伝わっているよ」

五条が突然私を「つがるせんせえ〜」と甘ったるい声で呼ぶ時は、大抵甘やかされたい時だ。
夏油が控えめに「あの、つがる先生…」と呼び止める時は、大人に構って欲しい時。
家入くんが「つがるせーんせっ」と後ろから呼ぶ時は、何か知りたいことがある時だろう。

灰原くんが私を見つけて「土岐先生〜〜!!」と大きな声を挙げながら走り寄って来る時、そこには喜びが溢れている。
そして七海くんが「おはようございます、土岐先生」と私を起こす時、彼の声色は一等甘やかで、愛しさや憧れ、尊敬…私を想い慕う感情が詰まっているのを、私はしっかり理解している。

伝わっている。君達の言葉は私を私足らしめている。
それはきっとこの上なく幸福なことであり、歓びに他ならないだろう。

「だってよ、七海!良かったね!」
「は?」
「七海の気持ち、全部先生に伝わってるってさ!良かったね!」
「……は?」
「僕はこれからも七海を応援してるから!」
「灰原、待て。違う、私は別にそんな、」

うんうん、今日も私の生徒達は元気があって素晴らしい。
さて、ではそろそろ授業に戻ろうか。

「灰原くん、七海くん」

思いを込めて、名前を呼ぶ。

「では、授業を再開するとしよう」

私は彼等に授ける。
あらん限りの知恵と勇気を。

そして、私の生徒としての誇りを。
今日もここでは、青い芽が天へと向かって育っている。

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