迫害の言葉

七海くんと二人、現地調査として赴いた学校にて。

事件のあった学校はやや急勾配な坂の上にあり、坂の下には学生御用達であろう文具店や画材店、安い値段の定食屋などが立ち並ぶちょっとした繁華街がある。
学校の形状としては、建物は古く歴史のありそうな佇まいをしており、五階建てであるためエレベーターが設置されていた。中庭を囲うような造りとなっていて、別棟には理科室や家庭科室、被服室などがあり、校舎裏にはグラウンド、その近くには平屋の部活棟が存在する。
一本道の坂の上ということもあり、吹き溜まりになりやすい形状だ。しかも、生徒の七割は女子ときた。そりゃあもう、色々と募る感情はあるだろう。生憎、私はそちらの方面に詳しくないが。

ザッと校内を見て回り、一先ず中庭へと我々は戻ってきた。
中庭に面する廊下にあった自販機で飲み物を二人分買い、七海くんへ一本渡す。ただのお茶であったが、色々見て歩いたため喉が渇いていたからだろう、やたらに美味しく感じた。

「やはり、被害者はイジメが始まるより前から色々やっていたらしいね」
「消されていましたが、痕跡がありましたからね。ですが、あれは…」
「そう、あれは"素人がやった"失敗の痕跡だ」

中庭にある木の側、ベンチの裏側。
そこにもまた、失敗した呪術的儀式の痕跡が残されている。

きっとローマの古代文学か何かを参考にしたのだろう、シンボルとなる「目」の模様が彫られており、掃除されてはいるが微かに残る呪術的痕跡から彼女が何をしようとしたのかが窺えた。

「狂犬の鮮血とつば、アイベックスの卵、乳香数滴と玉ねぎ、ネズミと共に石臼で挽き……ああ、えっと、そういう儀式があってだね」
「アイベックスとは?」
「野生のヤギだよ」
「は?ヤギの卵…?それに、狂犬の体液なんてどうやって入手しろと…」

私は一度首を横に振る。
先程も言ったが、これは『素人がやった呪術的儀式』だ。
狂犬の体液もヤギの卵も手に入るわけがない。だから別の物で補い、彼女はひたすら気持ちの悪い液体とマークを学校に量産していただけなのだ。

「ローマ文学、ルカヌスの詩集『ファルサリア』には、魔女エリクトが狂犬の体液を使って死者を蘇らせたという伝承がある」
「では、彼女は死者を蘇らせようとしていたのですか?」
「近辺調査をしたが、彼女の親族や周りで亡くなった人は見当たらなかったよ。ただね、家庭環境そのものには確かに問題点があった」

被害者の家庭環境はあまり一般的とは言えないものであった。
彼女の母親は夜の仕事をしており、父親は離婚済み。家には祖父母がいるが、祖父は介護が必要な状態。祖母も軽く認知症を患っており、被害者は放課後や休日に友人達と遊ぶことが中々出来ない状況であった。

募る不満、しかし同時に責任感や正義感が真面目な彼女を蝕んでいく。
忙しい母や結局どうすることも出来ない教師、離れざる負えなかった恋心、エスカレートしていくいじめ、誰にも相談出来ない中で彼女は以前から着目していたゴシックマジック…物語の中の呪術にのめり込んでいった。

「彼女の私室を調査して貰ったがね、黒曜石やらバジルやら…入手しやすい古代呪術に用いられた物が色々出てきたらしい」

拠り所だったのだ、呪術が。
憧れだったのだ、魔女が。

だからこそ魅入られたのだろう。呪いに。

何も無い空間から"保管"しておいた琥珀で作ったバターナイフを取り出し、ベンチの裏に掘られた目のシンボルを切り付けた。
これは先程が校舎内でシンボルを見つける度にやっており、恐らくは残り一つ程度と予想される。ある場所はきっと、まだ行っていない屋上だろう。

「七海くん、この事件はそもそも順番が逆なんだよ」
「…そうですね、私にも分かります。被害者は呪霊を呼び出したのではなく、被害者の周りの人間の感情が呪霊を呼び寄せた」
「グッド。素晴らしい推察だ」

被害者はただ気持ち悪い儀式をしていただけ。
その動機は「魔女の真似事」だ。彼女は死者を蘇らせたかったのではない、呪霊を呼び出したかったのでもない。ただ、自由になりたかったのだ。呪術を用いて。

だが、日々呪術に傾倒していく彼女の姿は小さな学生社会で気味悪く思われたのだろう。
元々は友人も多く、良い青春を送れていた。様々な要因で他愛無い日常は綻び、壊れ、彼女は拠り所を求めていく。
やがてイジメが始まり、魔女と呼ばれ、その言葉に彼女の精神はより拍車を掛かけて呪術に傾倒していった。
負のスパイラル。行き着く先は、負の感情に釣られた呪霊を呼び寄せるという結果だった。

「ですが、彼女にとって"魔女"と呼ばれることは不名誉ではなかったのですよね?」
「ああ、だがしかし、呼ぶ側からすれば迫害の象徴とも呼べる言葉だ」
「迫害…」

七海くんは私を見つめ、難しい顔をした。
私は彼を見つめ返し、ふっと小さく息をこぼす。

「よし、時間もあることだし一つ講義しようか…そうだな、議題は」


『現代における"魔女"について』



___



私の座るベンチの前に立った土岐先生は、教師の顔をしていた。
先程までは探偵の顔をしていたし、朝はダラシのない女性の姿形をしていた。

私は、土岐先生が何故"魔女"と呼ばれているかが分からない。
私は、土岐先生の"魔女"の顔を見たことがない。

「十四世紀から十八世紀に掛けて、ヨーロッパや北米では約五万人もの人が魔術の罪で処刑されたとされるが、そのうち五分の四は女性だった」

魔術裁判とその処刑の歴史については私も知っている。
最も有名なものはやはり、セイラム魔女裁判だろう。
十七世紀、米植民地のニューイングランド地方での出来事だ。セイラム村は孤立しており、保守的で閉鎖的、そのため家族間ですら対立が起こりやすい状態であった。
事件の内容は割愛するが、告発や眉唾な証言によりパニックに陥った村は五月から十月の間に十九人もの村人を「魔女」として絞首刑にし、この植民地へ永遠の傷跡を遺すこととなる。
かの地にて起きた事件は酷たらしく、1702年にマサチューセッツ州の裁判所が魔女裁判は違法であるとするまで、魔女狩りは続いていたのであった。

「魔女が女性とされる理由は、超自然的な理由で不幸を被りその理由が欲しい時に、貧しい…特に独身の女性を非難の的にしていたからとされる」
「被害妄想ですね、馬鹿馬鹿しい」
「それにまあ、中世の魔女のイメージに繋がる古代の魔女も、大抵が女で悪者だからね」

だったら尚の事、馬鹿馬鹿しい。
人間は果たして進歩しているのだろうかと疑問になるほど、時に有り得ない勘違いや被害妄想で自らを苦しめている。

先生は一度口を閉じると、「ここからは現代における話だが」と前置きをした。

「実は我々が生きる現代においても、魔女狩りの文化は絶えていないのだよ」
「…十七世紀には既に下火になっていたと記憶しているのですが」
「ああ、だが残念なことに残っているんだ。タンザニアなど、一部アフリカ地域では」

そう、ヨーロッパにおける魔女狩りは絶えた。
けれど、未だ伝統的な信仰が根強く残り、女性の地位が低い地域ではその文化は残っている。
ガーナでは魔女の疑いが掛けられた女性達が専用の収容所で今なお生活させられている。その多くは、家族にお荷物と判断された未亡人や老人、子を産めない者などだ。
また、パプアニューギニアやインドの農村地域でも魔女狩りは起きている。

地域社会から追放された立場の弱い者、それを現代では「魔女」と呼ぶ。

「"魔女"とは、迫害を意味している言葉だ」

言葉は力だ。
言葉から物事は創造される。
呪術においても、社会においても、言葉はあまりにも重要で残酷だ。

「土岐先生は…」
「うん?」

ことも無さ気に魔女について語った先生に、私は苦しさを覚えた。

貴女はそれでいいんですか。
貴女だって魔女と呼ばれているでしょう。
なのに、何故そうも平然としていられるんだ。

気付けば私はベンチから立ち上がっていた。
魔女と呼ばれた被害者への同情など頭の中からは消えていて、あるのはただ、目の前の尊敬すべき賢者が迫害の言葉を向けられていることへの、怒りと悲しみだけであった。

「先生は、いいのですか」
「ああ、私が魔女とか呼ばれてること?それは別に…」
「いや、いいわけがない…!」
「まあまあ、どうどう」

土岐先生は私の両肩をポンポンと叩いて咎めたが、言わずにはいられなかった。この気持ちを。
だって貴女は私の尊敬すべき師であり、憧れであるのだから。

「貴女が迫害されるなど許せるわけがない!貴女は、土岐先生は…尊敬されるべき人なのに…」

そして愛されるべき人であり、誰よりも賢く美しく尊い女性なのだ。
彼女が私達生徒に愛情を注いだ分…いや、それ以上に愛され慕われ、尊敬され続けるべきなんだ。
例え彼女にとっては万人が等しい価値であろうとも、生徒である私達は貴女のことを特別に想い慕っている。
少なくとも、私にとって貴女は…土岐先生は…何よりも特別で、讃美すらしていて、敬慕すべき人であるというのに。

「貴女は沢山の人を救っている、魔女なんかじゃない。賢者であって、迫害される魔女なんかじゃ…!」
「分かった、分かったからちょっと落ち着きなさい、あんまり言われると恥ずかしくて背中が痒くなるだろ!」

べちっ。
ヒートアップした頭にチョップをくらう。
大した力では無いが、突然手を上げられたことにより私は口を閉ざして感情を鎮めた。
するとどうだろう、目の前の尊敬すべき賢者は顔を赤くして「はー…全く、これだから純粋な若者は…」とグチているではないか。

瞬きを数回。
依然として顔を赤くしたままの先生を前に、私は物珍しさで固まってしまった。
まさかこの人、照れているのか?私が怒ったのを理由に?いや、確かに勢いに任せて色々言ったような…。
自分の言ったことをよくよく思い出し、釣られるように顔を赤くした。

「いえ、違います。先生のことは確かに尊敬していますが、別に変な意味などでは」
「うんうん、分かってる、分かってるよ。七海くんは本当に私のことが好きだね、うん」
「ちが、」
「私も君を可愛いと、常々思っているよ」
「な、にを言って!」

はい、講義はおしまい!
手を叩き、土岐先生は赤くなった頬を隠すように私に背を向け歩き出した。

我々は乱れた感情をそのままに、屋上へと向かう。
道すがら見た先生の表情は何故か嬉し気で、それがまた私の心をどうしようもなく乱したのだった。

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