馬鹿と煙は可哀想がお好き

俺が上戸野水面を好きな理由は幾つかあるが、その中でもとりわけここが好きだと思う要素は、「俺にだけ酷く冷たい」所だった。
幾ら色を掛けても好意を口にしても、彼女は決まって俺を視界に入れることもなく、小さく冷たい声で「気持ちわる…」と言うばかりの酷い女なのだ。
いや、そもそもこの女は大体の人間に対して多少も感情を割いてやることなく生きているので、もしかしたら俺以外にもあり得ないほど冷たく接しているのかもしれないが、それはそれとして俺はこの女が今日も今日とて俺に微塵も興味を抱かない様に気分を良くしている。

「なあ、少しで良いから首を絞めてみてくれねぇか?この前お前が殺した奴みたいに」
「うわぁ…顔見て早々に言う台詞がそれですか、甚爾さんって本当、その…終わってますよね…」
「あの時たまたま見掛けて暫く見ていたんだが、随分上手くやっていたな。お前の殺しは静かで見てて気持ちが良い」
「たまたまって…絶対何処かから付けて来てたでしょ、気持ち悪い…」

貧乏人御用達の路地裏にある寂れた定食屋で、具材の少ない焼きそばを突きながら携帯を弄る彼女の前にわざわざ座り、俺は話し掛けてやった。


上戸野水面は呪詛師という程にはその手の活動をしておらず、フリーの術師という程には呪霊を相手にもしておらず、かといって情報屋だとか仲介屋だとか、そういう生業でもない、よく分からない…つまりは、便利屋のようなことをしながらフラフラと生きている女だった。
業界の人間に彼女のことを聞いても詳しいことを語れる者はおらず、しかし仕事は寸分違わずキッチリ静かに熟すので恨みなども買っていない、そんな便利な人間である。

初めて会ったのは孔・時雨に紹介された時で、自分の手が足りない時は死体の処理や運搬、諸々はコイツに任せろと言われたのが切っ掛けだ。
最初に会った時に思ったのは、随分と表情の無いガキだという感想。
次に会った時に思ったのは、案外隣は居心地が良いという思い。
そこから会う回数を重ねていく度にどんどんと興味を抱き、今に至っては中々に仄暗い執着を抱えてしまっていた。

コイツ…俺が目の前に居るにも関わらず、何なら見つめてやっているにも関わらず、一人呑気に焼きそばを啜りながら依頼内容でも見ている上戸野は、人間に興味関心の一切を持たない奴だった。

人間に興味が無いから相手が何をしても何も思わない。そういう奴。
例えば他人からどんな好意を向けられ、贈り物をされようとも何とも思わないし、逆に相手がどんな失敗や罪を犯そうとも嫌悪を浮かべることもない。
ひたすらにフラット。何をしても気にせず、隣に居ることを許してくれる。何も求めて来ず、何も与えることの無い女。
人として最低限の尊厳と感情を持って生きている女に、俺はいつからか喜びを抱いていた。

コイツは自分よりも可哀想でどうしようもなく、惨めで哀れで救いのない、幸せになれるはずのない人間なのだと、そう思って近付いていった。
するとどうだろう、コイツは段々に俺へ、俺だけに、嫌悪を向け始めたではないか。
あの、喜びも悲しみも持ち合わせない女が、誰にも何も与えない人間が、俺だけには嫌悪を向けてくる。その事実に、何故かは知らないが酷い喜びと安心感を覚えてしまったのだった。


焼きそばを半分まで食った上戸野は水を少しだけ飲むと、まるで残飯処理でもさせるかの如く箸と皿を俺の方へと寄せてきた。

「食べていいですよ、味薄いけど」
「お前は?」
「仕事行ってきます」
「次、いつ会える」

俺の質問を無視した上戸野はレジに向かい金を払い、店員のお礼の声も無視して店からさっさと出て行った。
彼女が座っていた席に置かれたままの水が入ったコップを引き寄せ、たいして美味くも無い焼きそばを数口で食べ切り、水を飲み干し店を後にする。

店の外の脇にある喫煙所、そこには未だに一服中の上戸野がおり、彼女は吸うことの無い火だけ点けた煙草を燻らし続けていた。

「一本」
「いや、これ仕事道具なので」
「クソ不味い焼きそば食ってやったろ」
「やっぱ不味かったですよね、あの店何が美味いんだろ…」

安さと客層で選んでいるであろうあの店に、上戸野はここ最近よく訪れているのを俺は知っている。
何を頼んでも大した味の飯が出てこない店のメニューを端から頼んでいっている上戸野は、きっとまだ暫くこの店に通い詰める。
通い詰めて、そして、無愛想な店員が彼女に心を開いて「ご贔屓にしてくれる常連さん」だなんて言い始めた頃合いに、彼女は何の躊躇いもなく通うのをやめて別の店に通い出すのだ。
俺はコイツがそのようなやり取りをするのを数回は見てきた。
コイツは相手が擦り寄って来たり愛情を抱いてきた瞬間に、躊躇無く自分勝手に捨てていく奴なのだ。

「美味い飯食い行こうぜ、今なら金あるからよ」
「すぐ無くなるんだから大事に取っといたら良いじゃないですか」
「貢がせてもくれねぇのか、酷ぇ女だなお前は」
「はあ、すみません…」

何も通じていなさそうな曖昧な謝罪をした上戸野は、吸っていない煙草の火を消し、携帯をカチカチといじりながらその場から去って行こうとした。
俺はまだ物足りなかったので、彼女の後ろをダラダラと付いて行く。ダボダボのパーカーで膨らむ背中に触れたくて手を伸ばす。ひらり。嫌そうに身体を揺すって躱される。これだ。

「飯が駄目ならホテル行こうぜ、金出してやるから」
「……………」
「無視かよ、そんなにお喋りが嫌いか?まあ、お前友達の一人もいねぇ根暗コミュ障だもんな」
「………はあ…」

俺の方を見ずに溜息を吐き出した上戸野は、そのまま歩みを止めることなく進んで行く。

「言い返さなくて良いのかよ」
「素直に言って怒りませんか?」
「ああ」

彼女が振り返る。
その瞳は何処までも冷たく、鋭く、到底人を見る目ではない目で俺を見上げた。
身体の奥からそこはかとない悦びが込み上げてくる。俺は、この目に見つめられると安心感と喜びを感じるのだ。

コイツだけは俺に何も与えず、奪わず、寄り掛からず、期待しない。
それが心地良くて仕方がなかった。

彼女が口を開く。
声まで冷たい女は、俺を嫌う言葉を遠慮なく吐き出した。

「どうしようもない、だらしない、カスゴミクズが…気持ち悪いのでこれ以上付いて来ないで下さい、何なら死んで下さい」
「なら、お前が殺せば良いだろ」
「何で私が貴方のために労力と時間を割かなきゃいけないんですか、そんなに死にたいなら一人で首括って死んでくれば良いでしょう、気持ち悪い…あっち行って」

グチグチと言う上戸野の身体を追い詰めて腰に手を回し顔を近づける。
頬を赤らめるでもなく、声を上ずらせるでもなく、ひたすらに嫌そうにする彼女は可愛くて健気に見えた。健気に、俺のことを嫌い続けてくれている。それがどうしようもなく嬉しいのだから、俺はとんだ変態野郎であった。

「近い近い近い、キショいキショいキショい」
「何で喜ばねぇんだよ。昨日引っ掛けた女は似たようなことしたら、自分から押し付けて来やがったぜ」
「何も嬉しくないから喜べないんですよ、離れて下さい」
「良いだろ、少しくらい」

何も良くない…と、これでもかと嫌そうに吐き捨てた女はとうとう術式を使い、プシュリと煙になってその場から消え去った。
もう一度だけ虚ろを抱き締め、アイツがしていたような溜息を吐き出す。
逃げられた。その事実は悔しいのに、同時に「これでいい」という気持ちにもなる。

俺を嫌うアイツが好きだ。
俺を嫌い、他人に興味を持たず、掴んでも消え去ってしまうアイツが好きだ。

俺は、傷の舐め合いすらさせてくれない、傷だらけのあの女のことがどうしようもなく好きだった。





___




本当は他人行儀に「伏黒さん」と呼びたいが、彼は名字で呼ぶと決まってわざと返事をしないので、仕方無く名前で呼んでいる男…甚爾さんと初めて会ったのは、仲介屋と呼ばれる孔・時雨に紹介された時の話だった。

凡そ一年程前、当時通っていた呪術を学ぶ学校にて、同じ階級の年上術師を筆頭に、その近辺の者達に軽いハラスメントを受けていた私は、ある日唐突に色々なことが煩わしくなって学校を辞めた。
適当な住所から退学届と手紙を添えた物を出し、最低限の荷物だけ持ってトンズラした私は、そのままアングラ方面で活躍することとなった。

術式のお陰で逃走や隠蔽工作に役立つとアングラな方々から評価を貰うようになった私は、その活動の一環として孔・時雨に出会い、そのまま甚爾さんの仕事を何度か手伝うなどして交流を深めていった。

最初はえらく顔の良い男だな…と思っていた。
特別嫌いだとか、面倒だとか、そういったことは思っていなかったはずなのに、ある時から私は甚爾さんを嫌い始めてしまった。
それというのも、彼…殺し方と笑顔が汚いのだ。私の主観での話だが。
物は壊すし、血はぶち撒けるし、人が嫌がり泣き叫べば鼻で笑う。汚くて煩い。勘弁して欲しい。

なので、私は仕事が終わった後の彼の前で言ってしまったのだ。「気持ち悪いな…」と。
そしたら何をどうしたのかは知らないが、彼はそんな私の反応に興味を示して剰え喜んだのだ。それがまた気持ち悪くて、私はさらに嫌悪を見せた。そしたらさらに喜ぶ。後はその繰り返し。

よせば良いのに、私は我慢が出来ないからすぐに彼を嫌う態度を取ってしまう。そうして喜ばせて、気付いた時には何だか知らないが懐かれてしまっていた。
どうやって知ったかは知らないが(恐らくは孔・時雨だとかに金を払って情報を買っているのだろうが)彼は何かにつけて私の前に現れるし、肉体関係への発展を誘ってくる。
恐らくは暇なのだろうな…と、最近は思うことにした。だって、プラプラしながら女を引っ掛けては捨て、賭け事をしては負けて帰る…くらいのことしか彼は普段していないので。多分、私への干渉も暇潰しの一環なのだろう。傍迷惑な人間である。

そんな感じであるにも関わらず私が彼を決定的に遠ざけないのは、彼が持ち込んでくる仕事のお給金が良い値だからであった。そう、結局世の中は金なのだ。

学生の身分でありながらも、術師としてそこそこ稼いでいた私であったが、それでも稼げなくなったり高跳びするハメになった場合を考えれば心許ない貯金額だったので、こうして給料の良い仕事を持ってくる相手を手放せないでいるのだった。
そもそも、私に回される仕事なんてのは謂わば雑用で、勿論そこまで良いお値段ではないのだ。
けれど甚爾さんが仕事を持ち込んでくる場合はそれなりな金額を提示してくれる。なので、厄介払いは中々に難しい。


自室で一人、稼いだ額を計算し、そこから諸々の費用や生活費を差し引いた分の殆どを貯金に入れ、余りをお小遣いとして使おうと電卓を叩いている時だった。
ピンポーン…と、間延びしたチャイム音が鳴ったので部屋着のままインターホンを見遣れば、部屋の外には何故か甚爾さんが居たので、声を掛けずにそのまま無視をした。
放っておけば、それからまた二回チャイムが鳴った。私はそれも無視する。

そうして数分後、冷凍のたこ焼きをチンしに冷凍庫を漁り始めた時だった。
ガチャガチャとベランダの方から音がしたかと思えば、次の瞬間にはガラリッとガラス戸が開き伏黒甚爾が勝手に我が家へ何食わぬ顔で侵入して来たのだった。

「あの、不法侵入って言葉知ってます?」
「居留守使うお前が悪い、何で開けてくれねぇんだ」
「家、教えましたっけ?」
「時雨から聞いた」

聞いたのではなく、金を払って聞き出したの間違いだろう、恐らくは。

一旦たこ焼きを諦めた私は、一応何をしに来たのか甚爾さんに尋ねた。彼は何てことのない顔で「最近見なかったから」と言った。この男に心配される事実が気持ち悪かった。

「んな顔すんなよ、せっかく様子見に来てやったのに」
「いや…頼んでないし…」

ここがマンションの十二階だとか、壊した鍵の修理費は誰が出すんだとか、そんなことがどうでも良くなるくらいには彼は自分勝手に私の部屋を物色し始めた。
と言っても、別段何かがあるわけでは無いのだ。変わったものと言えば武器の類くらいで、他には目ぼしい物もないはず。
一人暮らしにはやや広過ぎる部屋の中、彼は一頻り家探しをした後にゴロンとカーペットに横になった。本当に何をしに来たのだろうか、コイツは。

「上戸野、茶」
「今冷やし始めたとこなんですよ…あ、カルピスでも良いですか?」
「可愛いもん飲んでんだな」
「時雨さんもカルピス美味いって言ってましたよ」
「それは聞いてねぇよ」

私だって来いとは言ってないんですが。
それでも一応仕方なく、冷蔵庫から取り出したカルピスをトポトポとコップに注いでお出しした。

「で、本当に何しに来たんですか?場合によっては引っ越しも検討しなくちゃならないんですが」
「それはまだ大丈夫だ」
「…まだって?」
「気にすんな、今日はただの下見だ」

全くもって噛み合わない会話を重ねながら、私は電卓を仕舞って彼から離れた場所に腰を下ろした。

「何もしねぇって」
「気持ち悪いから近寄りたくないだけです」
「お前って好きな奴とかいねぇの?」
「なんでオッサンと恋バナしなきゃいけないの?」

似せた口調で拒絶してやれば、甚爾さんは満足そうに笑みを浮かべて鼻で笑ってきた。多分、私の返しに喜んでいるのだろう。本当に意味が分からなくて気持ち悪い。

「高専には恋人とかいなかったのか」
「いたらもうちょっと何とかなってたと思います」
「それもそうか…寂しい奴だな、相手してやろうか?」
「ああ…鍵、どうしよこれ…」

会う度に似たような誘い方をされるもんだから、最近は無視するようにしていた。一々反応するのも疲れるし、無視をすると彼は勝手に喜んで満たされているみたいなので、無視が一番コスパが良い。

壊れた鍵部分を眺めていれば、視線が突き刺さってきた。振り返って見てやれば、彼は眠たそうな目でこちらを見つめていたので、私は「まさか昼寝のために来たのか…?」と思って渋い気持ちになった。

どうやら彼は本当に寝るつもりらしく、私を眺めていた次の瞬間には大きな欠伸をくぁりとして、カーペットの上で寝返りを一度打ってから寝る体制に入ってしまった。
布団を掛けてやるのも癪なのでそのまま放置することにした。どうせ、頑丈を売りにしているのだから風邪など引かないだろう。

「なんだかなぁ…」

ポツリと独り言を漏らし、立てた膝に顔を埋めて溜息を閉じ込めるように吐き出す。

高専で頑張っていれば今頃ちゃんと青春をして、もっとしっかりとした生活をして、こんな変な奴じゃない人間と仲良くしていられたのかもしれない。けれど、私は人間関係をすぐに煩わしく想ってしまうから、きっと遅かれ早かれ似たようなことになっていただろう。

甚爾さんのことは嫌いだし、わりと本気で気持ち悪いと思っているが、それはそれとして私が本心を曝け出し拒絶しても離れて行かずにいてくれる所は有り難く思ってしまう。

彼があと十数年若く、同級生だったのならば、私は頑張れていたのかもしれない…とここまで考えて、大概な妄想だと馬鹿馬鹿しくなって私もその場にひっくり返って目を閉じた。

この後私は隣に嫌いな男がいるにも関わらず、すやすやと数十分眠りに落ちる。
そして、電子レンジが鳴る音で目を覚まし、勝手に温められたたこ焼きを見て腹を立てて、その決して私の力じゃどうにもならない背中を一発蹴って彼を喜ばしてしまうのであった。


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