馬鹿と煙は信頼がお好き


空中から襲ってきた呪詛師と海上で戦った。
思ったよりも手練れだったらしく、倒せはしたが削られた。装備も、体力も、気力も。
術式を使うためにバラ撒いたドライアイスの煙がジワジワと立ち籠める中、返り血を海水でバシャバシャと洗って落とす。

「……疲れた」

本当に疲れた。
早く安全な場所へ帰って、泥のように眠りたい。
いやダメだ、今日一日は警戒をしておかないと。だったら誰か護衛を雇うか?それもダメだ、今は誰を何処まで信用出来るか分かったもんじゃない。もう一度情報を洗い出して見直してから、冷静に考え、見極めるべきだろう。

完全なる静寂が支配する、月光照らす夜の海の上。私は項垂れていた身体を起こして再度水上バイクを疾走らせた。
疲れた、疲れた、疲れた。
美味しい物が食べたい。大きくて肉汁たっぷりのハンバーガーとか、シロップとバターが掛けられたふかふかのホットケーキとか、アツアツトロトロのたこ焼きとか。
片付いたら全部食べてやる、と決める。それくらいしか人生の楽しみが無いのだから仕方無い。

バシャバシャと水飛沫を上げながら海の上を走ること十数分。
ようやく目指していた家が見えてきたので、スンッと鼻を鳴らした。
どうやら、私のトラップは上手く発動してくれたらしい。血、臓物、糞便、火薬、粉塵…そういったものの匂いがするのが水上からでも分かった。

殺せば殺すほど己が研ぎ澄まされていくのが分かる。
そしてそれを実感する度に、言い様の無い不安と嫌悪が胸の内をズキズキと痛めた。
割り切ってしまえ、と思う。そうしたらきっと、派手で楽しくて、気持ちの良い生き方が出来るようになるから。最高の悪い子は、案外私の性にあっているのかもしれなかった。

けれど、心の何処かでそれを拒む自分がいる。
抗うのは苦痛だし、良いことなんて何も無い。ただひたすらに重荷が積み重なっていくだけ。
でも、それでいい。擦り減っていつか無くなったとしても、構わない。

私はまだ、良い子のフリがしていたかった。
期待を捨てられないくらいには、子供だった。


バシャシャシャシャ…ボボボッ…

家の裏手に水上バイクを停め、陸地に降り立ちリュックを背負い直す。
つい先程から降り出した雨はどんどんと強まっていき、辺りの匂いをすっかりと掻き消してしまった。
一先ず塀を越えて敷地内に入り、サブマシンガンを構えながら辺りを慎重に見回り移動する。
庭、クリア。バルコニー、クリア。耳を澄ましても家の中には物音はおろか、生き物の気配さえ感じない。まあ居たとしても、充満した煙が処理してくれるだろうから、私の仕事は無いだろう。

雨脚が強まる。
この状態では、流石に煙は立たない。
ドライアイスはもう尽きた。サブマシンガンのマガジンも残り一本、ナイフは…銃剣が二本のみだ。

一通り見て回り、庭へと戻って来る。人工芝の上に転がる死体を横目でチラリと確認してから、携帯を取り出し情報の確認を行おうとした。

その時だった。

「あれ、圏外だ…さっきまで何とも無かったはずなのにな…」
「ああ、それは私達がやらせて貰いましたよ、上戸野先輩」

頭上、一瞬の気配。
振り向くより先に反応した身体がバックステップを刻み、抜いた銃剣を即座に構えた。

トッ、と軽い足音を立てて私の目の前に降り立ったのは、高専から寄越されたであろう術師…特級の位を持つ後輩、ムカつく顔その一、呪霊操術の使い手…夏油傑だった。

「先輩、どうどう、落ち着いて」
「夏油、お前ここへ何しに来た。返答によっては海に沈めるぞ」
「貴方を保護しに来たんですよ、上戸野先輩。争う気は無いので落ち着いて下さい、ね?」
「なんだと…?」

人の良さそうな笑みを浮かべて手を差し出す彼をグッと睨み付ける。
保護しに来た?拘束して連行する、の間違いだろ。そんでその後、秘匿死刑。こんだけ派手に暴れて死体を量産したんだ、そうなることはほぼ確定だろう。それに…、

「じゃあなんで、五条がこっちに標準合わせてるんだ。やはり殺す気だろう、違うか」
「…やっぱり先輩、高専での実力は嘘だったんですね。それとも、今になって殺しの才能が開花してしまったのか?あんなに優しい人だったのに、何故」
「知るか。私だって別になりたくてこんなになってる訳じゃない」

吐き捨てるように言って気配を探る。
上だ。かなり上。五条は上にいる。私のサブマシンガンでどうにかなるか?無理だ。そもそも私の反射神経じゃ、この雨の中特級を二人も相手にするのはキツ過ぎる。

「上戸野先輩、高専へ帰りましょう。悟が必ず口添えします。絶対に貴方を見殺しにはしない」
「…………」
「その剣を置いて、どうかこちらへ」
「……………」

気配を探る。
顔を伏せて目を閉じる。
雨で匂いは掻き消えた。音もこれじゃ分からない。気配だって、アイツのを掴むのは不可能だ。

でも、信頼している。
アイツはきっと、私の覚悟や努力を打ち砕いて嘲笑いに来ると、確信している。
だから居る。居るはずだ。今もきっと、ずぶ濡れで惨めに歯を食い縛る私を見ているに違い無い。

ならばその嘲りと歓びすらも踏み台にしてやろう。
貴方は私に酷くされると嬉しいと言った。だから、貴方の愉しみを奪ってシナリオを狂わせてやる。

これが私の、賢いやり方だ。


「来いッ!!甚爾さんッッ!!!!」


放たれた熱量が、呼び起こされた呪霊が私目掛けて突っ込んでくる。
接触まで残り0.3秒。その、一瞬にも満たない時間で、私の身体は何かに包まれ地を跳ねた。

見える景色は逆さまの空と海。
唖然とする五条くんの顔。

瞬き一つ。
その間にもう、景色は切り替わってしまっていて、私は男の腕の中で窮屈に身を縮こまらせていた。

追ってくる音が聞こえる。でも、もう届かない。
ほらもう、足音は聞こえない。
私の耳に聞こえてくる音は、彼の確かな心音と、煩い雨音だけだった。




___




とりあえずで連れて来られたいかがわしいホテルにて、私は速攻でシャワーを浴びてそのまま髪も乾かさず水分も取らず布団にダイブした。
そしてそのまま三秒で眠りに落ちて、起きたら昼のてっぺんを過ぎた時間であった。

キュぅぅ〜〜〜…コロコロコロ……

寝て起きて一番最初に聞いたのは自分の腹の音。
丁度シャワーを浴びてきたらしい全裸の男は、そんな私を見て「健康過ぎるだろ」と呆れながら言った。

「朝から下品で汚いものを見せないで…気持ち悪い、最低…お腹空いた……」
「罵倒するか腹空かすかどっちかにしろよ」
「お腹空いた…ケーキと寿司とラーメンが食べたい…」
「食欲の権化か」

下着だけは履いてくれた甚爾さんが手渡してきたペットボトルの蓋を開け、勢い良く水を飲む。
ゴク、ゴク、ゴク。喉を鳴らして冷たい水を一気に半分程飲み切った。疲れてカラカラな身体にひんやりとした水分が染み渡る。

「水うまっ!」
「お前もう一生水だけ飲んでろ、この無茶苦茶馬鹿が。俺がいなけりゃお前あの時死んでたって分かってんのか?」

上から見下され、手を伸ばされる。そのまま頬を片側ぐにぃっと引っ張られ、「分かってねぇだろ、馬鹿だしな」と言われた。

「いひゃい、いひゃい」
「何処まで計算してたんだ?あ?手のひらの上で転がしたつもりになってんじゃねぇぞ。あと外で平然と着替えんな、分かったな?」
「わかっひゃぁ〜」

頷いて分かったと言えば、パッと手を離される。頬を擦りながら息を吐き出せば、甚爾さんは隣にボスっと音を立てて勢い良く座ってきた。お陰様で、私は身体が一度縦にボヨンッと跳ねた。

膝に肘をつき、手のひらで顎を支えながら明後日の方向を向く甚爾さんに向かって、首を傾げながら問う。

「ムカついてます?」
「まあな」
「あ、なんかちょっと貴方の気持ちが分かった気がします。ムカつく貴方を見るのは気分が良い」
「今からでも犯してやろうか?なあ?」

こっちを向いた甚爾さんの顔を見た瞬間、何故かは知らないが笑いが込み上げてくる。
我慢しきれなかった笑いは沸きあがるように口から出て、私は本当に久し振りに…きっと、この人の前では初めて声を挙げて笑ったのだった。

「アハ、アハハハハッ!アハハハハッ!!ハーッ…おもしろ、フフフッ」
「一応聞いておくが、何がそんなに面白いんだよ」
「私を苦しませて困らせるはずだった人が、私を助けて困惑しながらムカついてるのが面白くって」
「おい、マジ殴るぞ」

未だ笑いを堪え切れない私は、それでも口を閉じながら両手を上に上げて戦う意思はありませんのポーズをした。

散々やりたくないことをやって、嫌いな自分を研ぎ澄まして、もうこの先生きるのに価値なんて見出だせないとすら思ったが、終わってみれば存外そうでもない感覚に満ちる。
胸の中に積み重なってしまった自分への嫌悪感は消えないけれど、それよりも身近にある楽しさに惹かれる。

やっぱり彼はあの場に居たし、私の呼び声に応えてくれた。
自分の予測と彼を信頼して良かった。五条くんのあの、「何が起きた?」って顔はかなり見物だった。

晴々とはしていない。だが、燻ってもいない。
生温い曇り空の下が思ったよりも過ごしやすかった…くらいの印象だ。だが、私にとってはこれくらいが良い。甚爾さんもきっと、太陽の下で無邪気に笑う私なんぞ見たくは無いだろうし。

「報酬、一緒に暮らします?」
「は?とうとう惚れたのか?」
「違う。貴方がアホな火種を撒いたから、側でその尻拭いをしろってことだ馬鹿。誰が貴方みたいなキショくて面倒臭い人間なんぞに惚れるか、やることやったらさっさとくたばれ、ろくでなし」
「やべぇな、俺が惚れ直しちまいそうだ」
「気持ち悪いから嬉しそうな顔しないで、天井でも見てて」

言うが早いかベッドから抜け出し、洗面台に向かって歩き出した。
当然のように私の後ろを引っ付いて来る男を放って歯ブラシを手に取り、シャコシャコと歯を磨き出す。

「この後どうする、ここあと三十分なんだが…一発くらいなら出来るぞ、なあ」
「モガガガッモモモッ」
「分かった、歯磨いてからでいい」

ガラガラペッ。
口をゆすいで、ついでに顔を洗って髪を纏める。
足元にしゃがんだ甚爾さんは暇そうに私の脹ら脛をフニフニしていたので、ゲシゲシと蹴っておいた。

「飯!寿司!!あと温泉!!」
「温泉……ああ、暫く潜伏すんのか」
「そ、伊豆行きますよ。ついでに飯も食う。伊勢海老、椎茸、ところてん!」
「お前の頭ン中には色気ってもんは無いのか?」

そうと決まればさっさとこんな場所出るぞ、と意気込んで準備を進める。
どうやら装備品の諸々は甚爾さんが上手いこと片しておいてくれたらしく、随分と身軽になってしまった。
あーだこーだ言う甚爾さんにも服を着せ、駄々を捏ねるのを無視して腕を掴んでホテルの部屋から外へと出る。

ホテルから出る間際、甚爾さんは掴まれていた手を剥がし、私よりも一歩前へと出る。

「上戸野、お前なんで俺が来るって分かってたんだ」
「なんでって…」

ホテルから出る。外は思ったよりも日差しが強かったが、甚爾さんが影になってくれた。私は日の光を遮り、温度の無い瞳でこちらを見下ろす彼の顔を見上げる。

普通のことだ。
私にとっては当たり前の認識を、当たり前に言葉にしてやる。

「そりゃ、私がピンチの時にいつも甚爾さん側にいるから…今回もいるかなって」
「…………」

多分、というかまあ…この男は追い込まれて可哀想なことになってる私を見に来ているんだと思うのだが、本当に毎回いるから、今回も何だかんだでいるんだろうなって思っていたのだ。

私の回答に瞬きを繰り返しながら変な顔した甚爾さんは、何も言わずに歩き出した。それに伴って私も歩く。


こうして私の長い長い夜は明け、昼間の日差しの下を甚爾さんの影に隠れながら歩くこととなった。
途中の駅でデータを抜き取った携帯を捨て、靴も変えて先を目指す。どうやら一晩中気を抜かずに傍に居てくれたらしい甚爾さんは、電車に乗って暫くしてから私に凭れ掛かってすっかり寝てしまった。

重さと寝息を感じながら、一人で窓の外を見て考える。
甚爾さんは私を見てくれる。それは私の求めていた愛情や優しさではないけれど、別に構わないと思えた。

痛みは消えない。
けれど、同じ痛みが側にあるだけでマシになったような気がした。 

人はきっと、これを愛と呼ぶのかもしれない。
私は呼びたくないので呼ばないけれど。


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