馬鹿と煙は奇襲がお好き


上戸野先輩が高専からいなくなった…という知らせを受けた時、大体の者は首を傾げて事実を疑ったことだろう。
かくいう私もその一人で、上戸野先輩がそんなことをする日が来るなどとは一度たりとも思ったことはなかった。

上戸野先輩は私と悟、硝子の一つ上の先輩で、色々と器用なわりには二級止まりな人だった。
大体において丁寧で、どれだけ悟が馬鹿にしても怒ったりなどせず、落ち着いている大人っぽい人だと感じていた。
硝子なんかはかなり懐いていて、「水面ちゃん先輩」などと親しげに彼女を呼んでいたのを覚えている。

先輩の距離感はいつも正しかった。
私のことを男として見ず、ただの後輩として見てくれる。
頼れば力になってくれて、甘えれば背中を叩いてくれて、どうしても駄目な時は苦しみを肩代わりしてくれる。
私達後輩のことを良く見てくれていて、やらかした時などは水面下でフォローをしてくれていた。先生からも頼りにされていたし、補助監督達からの信頼も厚かった。

私達は彼女に何の不満も無かった。彼女も私達に不満など無いように見えた。
だから、どうして上戸野先輩が高専を去ったのか分からなかった。

分からなかったが、一つだけ確かなことがある。

あの人はきっと、誰にも相談せず捨ててしまえる程度には私達のことなどどうでも良く、好きでは無かったのだろう。
それを隠し通せる程には器用で、しかし逃げることしかしなかったあの人は、私達が思うよりずっと不器用だったのかもしれない。

もう全て一年前の話だ。
今も彼女の確かな足取りは、煙のように掴めない。



___




甚爾さんが去ってからの話だが、意外にも私は結構奮闘している。
流石に自分で自分を褒めたくなるくらいには頑張れている。

東名高速をぶっとばし襲撃者のバイク集団と銃撃戦のランデヴー。
途中で襲ってきた奴を捕まえ、無力化し、両手足を縛って助手席に乗せて尋問。
金を目当てに私に集る奴等に鉛玉をぶち込んでいく。

式神使いの呪詛師には煙幕を張った超近接戦で対応。馬鹿にしてるのかってレベルの速さのノロマをナイフで黙らし、色々集まっているだろう現場に向けて最後の移動を開始した。

「なぁ〜んか…やることが時代遅れなんだよなぁ、呪詛師の襲撃って…」

暗闇の中、スポーツメーカーの競泳用水着に着替え、港に停めてある水場バイクを持ち出し跨がった。

私が今回指定した家は北は山で南は海。四メートルはある柵が家の周りを囲い、監視カメラとトラップまみれの場所である。
トラップもただのトラップじゃない。私の術式を組み込んだ特別仕様のやつだ。


『煙宴術式』
煙を操り、自身も操る煙の一部となれる術式。
用意したトラップに仕込んだ煙は私の意思が遠隔で操作出来る優れもの。鼻から、口から、目から…空気と共に入り込んだ煙達は、内側から内臓をいとも容易く破壊していく。
ちなみに、この方法は高専時代は使ったことがない。めちゃめちゃ暗殺者の手法過ぎて流石に出来なかった。

「今頃家中血の海かな〜…やだなぁ、あの家高かったのに」

転がして高値で売っ払うつもりだったのに、ビジネスってのは中々に予定通りにはいかない。
まあしかし、今回は別に良い。あの家を売り払うよりも莫大な利益が出ている。半分くらいは後始末代で飛ぶが、それでも今後を考えれば全然アリだ。

トラップの仕組み上、山の方へは逃げられない。運良く逃げ切れたとしても、一度煙が覚えた情報は決して消えない。逃さない。
そして海の方へ出てきた連中は…これから全員狩り尽くす。

水場だからと私が不利になることは無い。水辺にだって煙は立たせられるのだ。

高専の方の情報も、もう掴んでいる。
私に懸賞金を掛けた田舎者の馬鹿野郎は、来る途中に術式を使って狙撃してやった。
あとはただ、来る者を片っ端から蹴散らせば良い。

「ドライアイス用意よーし…ナイフよーし…」

時刻は午前二時きっかり。
ぼちぼち始めるとしよう。

良い子じゃなくなった私は、そこそこやるぞ。



………




アイツの行動はずっとバレない位置から見ていた。
感想としては、上戸野は思った以上に良く奮闘している。めちゃくちゃ頑張っていた。

「しかも水着まで…おいおいおいおい、暗いからって屋外で着替える奴がいるかよ。わりとデカいな…」

しっかり目を凝らして着替えまで見届け、とうとう水上バイクに跨がった彼女を見つめて考える。
先程は彼女の釣れない態度にムカついて面倒になったが、そろそろ戻ってやらんこともない。何せ、ここからは高専も出張ってくるだろう事態だ。流石に一人でどうにか…いや、どうにか出来てしまうのがアイツの凄い所なのだが、一人でどうにかさせると後が面倒なのだ。

そう、アイツは良い子のフリをやめた途端、大抵のことを一人で出来てしまうようになる。
今の状況が良い例で、追い込まれれば追い込まれる程に真価を発揮するタイプだ。
だが、デメリットも勿論ある。アイツは『自分でやりたくない仕事』を熟した後は大体塞ぎ込むのだ。早い話が鬱状態。"そういうこと"が出来る自分を嫌悪しているため、落ち込んでしまう。

そういう所も可哀想で報われなくて良いのだが、卑屈になり過ぎて罵声すら返さなくなるのは面白くない。
なので、生着替も見れたことだしそろそろ出て行ってやるか…という所で、近くで車が停車する音が聞こえた。

こちらに向かって歩いて来る人間の足音には聞き覚えがあった。孔・時雨のものだ。

「上戸野からの伝言を届けに来てやったぞ」
「は?アイツ俺が付けてたの知ってたのかよ」
「みたいだな。正確な位置は気付いて無いだろうが…まあ、こうして読みは外れなかったんだから凄いもんだ」

水上バイクがエンジンを吹かし始めた音が聞こえる。
そちらを横目で見ながら、手早く内容を聞いてやった。

「で、何だその伝言ってのは」
「邪魔をするな、だと」
「は?」
「あと、武器は返せとのことだ」

伝えたからな、と去って行こうとする男に待ったを掛けて、咄嗟に尋ねる。

「高専はどうすんだよ、アイツ一人で何とかなるわけねぇだろうが」
「俺も言ったんだがな…上戸野の奴、ありゃ相当拗ねてたぞ」
「可愛いな、おい」

ガキかよ、おい。
と、言おうとして本音が間違って出てしまった。
時雨はそれに表情を顰め、結局それ以上何も言わずに去って行った。

口角が上がるのを抑えきれない。
アイツ、俺がいなくなったことに不満抱えて拗ねたのか。そういうのも良いな、アリじゃねぇか。

ああ、そうだ。そうだよ。
俺はアイツが俺のことを嫌っている瞬間が好きで嬉しいんだ。
良く似た鏡写しの人間が、俺を否定してくるとこに安堵するし、そんな人間が自分よりも惨めで哀れな様を見るのが好きなんだ。

だったらどうする?
そんなもん、決まってる。

伝言なんて無視だ無視、盛大に邪魔して、嫌がらせしてやるしかない。
これでもかと嫌な顔をして罵声を吐き出す上戸野の姿が目に浮かんでくる。これだ、これでいい。
下手に優しくして頼られるよりも、こうやって嫌われている方が良い。アイツの嫌そうな顔は興奮する。


遠ざかっていく水上バイクの音を聞きながら、脳内で上戸野が指定していた家までの最短ルートを考える。
建物の上を突っ切って行けば、当たり前だが上戸野よりも先に付くだろう。先回りしてここ一番という時に邪魔してやることにした。そこまで決めると、気分は一気に良くなった。

俺に捨てられ、自分の決意すら踏み躙られ、アイツは一体どんな顔をするだろうか。今までよりも激しい怒りを感じてくれるだろうか。それとも自己嫌悪でも始めるか。

どうか、願わくば。
あの日見た、彼女が首を絞めて煙で殺した男のように、俺から空気を奪って欲しい。
俺に良く似たお前にならば、殺されても構わなかった。

もう一人の自分が自分を罰し、裁くならば、その選択に悔いなどありはしなかった。

彼女は俺だ。
俺の、俺だけの鏡なんだ。


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