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ありきたりな表現になるが、目を覚ますとそこは見知らぬ天井だった。

消毒液の充満する、窓の一つも無い室内には痺れるような静寂が蔓延っており、未だシャッキリとしない頭でも今自分が置かれている状況が異常であると判断出来る。
重たい身体は指の一本もまともに動きやしない。唯一動く眼球を駆使すれば、ここが映画で見るような手術室のようだということが分かった。
よく見れば自分の身体からは何本もの管が垂れ下がっており、少し離れた場所には包帯やタオルなどと共に幾つかの医療用品が置かれていることに気付く。

一体ここは何処で、自分は何をしていたのか。
ぼんやりとする頭で辿々しくも記憶を掘り下げれば、一つの答えに行き着き吐き気を催す。

出会った呪い、授けられた思想、肯定された意思、与えられた力…そのどれもが間違いだったと気付いた時には、愚かにも魂は捻じ曲げられ、自分は自分を失っていた。
失っていた………はずなのに。

最後に覚えている記憶は何だっただろう、何処か知らない場所で…お茶を飲んでいた気がする。誰かと、話しながら。


『魂ってのは、そんなに大切なものなのかな?』


そう問い掛けた人の顔を僕はよく思い出せなかった。
けれど、その人は何もかもを間違えた僕を否定しなかった。
それもまた君だと、人間だと、当たり前のように肯定してくれた。

『そうだよ、そんな君だから私と夏油くんの…希望と未来を詰め込んだ子を託すに相応しいと思ったんだ』

白衣のポケットから取り出された一欠片の宝石はまるで生きているかのように鮮明に輝いていて、僕の歪んで意思を失った魂を一生懸命に照らし出す。

もしもこの世に神や仏がおわすならば、こんな光を放つ存在なのかもしれないと思った。
けれど、その救済の輝きを持つ彼女が神や仏なんかでは無いことを僕は思い出す。

そうだ、そうだった。思い出した。
あの時彼女は言っていた。
永久の闇すら敵わぬ光を持つ、天使の如き純白の白さを永遠に持つであろうあの少女は僕に向かって唇の端を釣り上げて言ったのだ。
「もう君は魂まで、私の物だ」と。





___



ベッドから起き上がろうとして失敗し、ベッドの上にべシャリと崩れ落ちた吉野順平に駆け寄って行った灰原くんは、吉野順平の身体の体勢を調節してやりながら「ごめんね、今は筋力を落としてあるんだ」と説明していた。

散らかったざっくばらんに伸びた黒髪を整え、布団を胸元まで掛けてやり、彼は様子を遠巻きに見ていた私に振り返る。

「先輩、どうやら意識がハッキリしたみたいですよ!」
「………うーん、いいなぁ」
「どうしたんですか?早く確認した方が…」
「ごめん、もうちょっとそのまま並んどいて貰えるかな?」

私は真面目な顔をして腕を組みながら二人の様子を真剣に眺めた。
だってめちゃくちゃ"良かった"から。

私好みの可愛い人間が並ぶ様は実に良かった。具体的に言うと心に効いた。

ここ最近、寝る間も惜しんでずっと『完成体』を無事仕上げることに気力と体力を使っていたので、もうフラッフラなのである。
何ならシャワーも浴びていないし、服もまともに着替えていない。あらゆる体液とは基本的に無縁となった私だが、それでも染み付いた薬品や血の匂いには抗えない。というわけで現在の私の様相はそりゃあもう、ひっでぇものだった。

白く滑らかな自慢の髪はくすんでクシャクシャで、眼の下には立派な隈をこさえ、白衣は何らかの液体に塗れて変色していた。
ついでに言うと、いつも履いている立派な革靴は最早どこで脱いだのかも覚えておらず、これまたどこで履いたのか分からない便所スリッパを着用している。
限界も限界な研究者の有り様は、様子を見に来た五条くん曰く「これはちょっと流石に…人様にお見せ出来ないね」との状態だ。

まあそんな状態になろうとも、流石は私…未だに意識はハッキリしており、問題無く稼働可能である。やはり天才。

一度眉間の間を揉みほぐしてから、私に注視する二人のうち片方にとりあえず声を掛けた。

「灰原くん、悪いけど夏油くんに"状態良好"と伝えてきてくれるかな?」
「了解!」
「あ、急がなくて良いからね」

と言う間にもすったかたーと足早に場を去った彼の背を見送り、少しだけその元気さに癒やされながら意識と気持ちを切り替えた。

そして、私を見上げるベッドの上の住人に視線を移す。

無造作に伸びた髪と、土気色をした肌。繋がる無数の管や紐はまるで蜘蛛の巣のように部屋のそこかしこへ張り巡らされており、心電図が絶え間なく心臓の動きを表し続ける。
濡れた小鳥のように哀れなその容姿に近寄り、私は一つ挨拶をした。

「おはよう、吉野順平くん」
「……甚輝、博士」
「だから言ったでしょ?私、実は凄いって」
「……ほんと…そう、みたい…」

力無く微笑む顔に私も得意気な笑みを浮かべてみせる。
近くにあった背もたれの無い椅子を引き寄せ、そこに掛けて脚を組む。
さて、何から話したことやら…。


お兄ちゃんに吉野順平を奪取して貰った後の話を少し振り返ろう。
あの後、私はすぐに領域展開を行った。
私の領域『愛執鉱床』は招き入れた対象の知性と理性を狂わせ、さらに"永遠に午後三時"の状態で領域内の時間を止め続ける、永遠を形にした領域だ。
本来の使用方法としては、永遠に3時のお茶会を続けることによる発狂と自害、もしくは傀儡化を目的としている。
しかし、今回は時の止まった領域という特性を利用して、吉野順平を死ぬ一歩手前の状況下で固定し続けるために使った。

私の領域は私のお腹の中に仕舞い込める。
そのため、がらんどうの腹の中に吉野順平を仕舞い込んでその場を後にしたわけである。
途中、すれ違った七海くんに「甚輝さん、貴女が何故ここに…は?助っ人に来たのでは無いのですか?何しに来たんですか?…はい?これから被害者で実験を行う?この外道が、直ちに灰原と縁を切って下さい」と凄まれたので、怒りを鎮めるためナマコを一匹押し付けておいた。七海くんはまたナマコを飼うことになった。

そんなこんなで研究所に戻って来た私は、灰原くんや夏油くんが何かを言う前に声を張り上げ、研究員全員に号令を掛けた。

「これよりX型魂化実験の最終実験を行う!!どうせ夏油くんの指示で皆準備してたでしょ、全員今すぐ実験に取り掛かれ!!」

私の号令に、皆が皆表情を引き締める。
ボディ開発スタッフはすぐに図面を掻き集めチェックをし直し、脳機能のマッピングスタッフは検査室に飛び込んで行った。人工循環器の研究を専門とする者は手術着に着替え始め、私も髪を一つに結んで指示を飛ばす。

「適正個体は魂を呪霊に弄られて肉体が変形している、けどこれは我々も予期していたことだ。肉体はどうしようとも魂に釣られる、だからまずは魂の執刀から始めるぞ!」
「パターンE2ですね、帰依魂黄玉準備します」
「魂の方は私が、変形してく身体の処理と維持は君達が頑張ってくれよ」
「そのためのイモガイ式治療術ですよね、分かってますよ所長!」

吉野順平と共に5月頃行った海で採取したイモガイの持つ毒性を元に生み出した、人体を効率良く乗っ取る救命システムを持つ鉱物生命体「おいもちゃん8号」は、きっとこの時のために生み出されたのだろう。

「先輩!僕は何したら良いですか!」
「灰原くんは高専との連絡担当、夏油くんは私の助手!」

先程出てきた単語である帰依魂黄玉とは、「魂の治療」の先触れとして行う処置の一つに使う、適合率を高めるためのシステムを内蔵した鉱物である。
この帰依魂黄玉によって、元の魂の情報をなるだけ完璧に抜き取り保管し、そこに我々が研究し開発した『魂転換システムX型-運命の卵』を発動させ、抜き取った魂に呪いへの耐性を付与させる。

この実験をするにあたって、数年に渡り私も自分の目や計算システムの稼働域を強化してきた。
人間の脳は3割しか稼働していないわけであるが、この稼働域を広げると人は本来見えないものが見えるようになったりする。
私はこの特性を応用し、短時間のみ自分の主軸とも言える計算システム部の性能を向上…いや、暴走させ、視覚による知覚状況のアップを成功させた。
ちなみに連続使用をしすぎると目が潰れる。しかしそこは替えの効く私、この際目ん玉の一つや二つ潰れても構わない、それよりもより正確に、精密に、少しでも魂という情報概念を捉える方が大切だ。

そんなわけで計算回路は焼き切れる寸前、眼球は右目を二回、左目を一回駄目にし、あの泥棒猫呪霊によって歪められた魂の正常化とシステムの適合作業、それからリーダーとして常に指示を回し、吉野順平が死にそうになる度に領域を使って領域内で安定化を図るなどの格闘を続けていた。

全てが終わったのは数週間後、もうすぐ京都校との交流会が行われる時期だった。

「もうむりぽよ…お兄ちゃんはどこだ…吸わせろぉ……」
「私なら居るけど、どうかな?」
「夏油くんはお呼びじゃない…っていうか……勝手に何もかも準備してんじゃないよ、お陰様で120%の実力出せちゃったじゃん」
「君から褒めて貰えるなんて光栄だね。ありがとう、お疲れ様」
「うるせぇやい」

気分的な効果しか無いが、それでも気分だけでもマシになろうとドロッドロの珈琲…通称"モカ汁"を自分のついでにと振る舞ってくれた夏油くんとそんな会話をした。

まあ、全部知ってたよ。君がこの研究をやるために色々手回しをしてこの研究所を牛耳っていたことを。
誰かに強制されて何かをするのは好きじゃない、それが別に好きでも無い相手からの強制と圧力なら尚更だ。
それでもやったのは夏油くんのためではなく、私のためだ。
私は己のためにしか研究しない。いつだって世界の中心は自分で、周りのことなんて二の次だ。

この実験は、私をより完璧にするためにきっと役立つ。
完璧になれば、お兄ちゃんに近付けるかもしれない。
いつか憧れ、今も焦がれる、愛しい恋しい兄に私は一歩でも近付きたい。
そのために、私は夏油くんの理想と探究心を…吉野順平の魂と人生を…研究所の皆の時間と良心を犠牲にした。

いつの間にやら私は御伽噺に出てくる悪い怪物のようになっていた。


というような話を、まるで懺悔するかの如くベッドに横たわる少年に告白すれば、暫しの沈黙を挟んだ後に「どっちかっていうと…」と掠れた声で話し出した。

「博士は、フェアリー・ゴッドマザーじゃない…?」
「ふぇ…なんて?」
「シンデレラのさ、魔法使い…シンデレラを変身させて助けてくれる…知らない?」
「あれってそういう名前だったんだ」

思わず感心するが、言われたことに首を傾げる。
いや、それだと私が君を救ったみたいではないか?あと、シンデレラの魔法は12時になったら解けるが、私の開発した術は私が死ぬか君が死ぬまでは機能するはずで…。

「あの、だからこれは全部私のためのことで、君は巻き込まれただけっていうか」
「はいはい…今更まともなフリしなくて良いからさ」
「遠回しに狂人って言ってる?」
「で、本当の所は僕をどうしたいの?」

な、なんだコイツ…まるで、「僕には全部お見通しだから真面目な話をしても無駄なんだよな」みたいな態度しやがって…!
お前は私の彼氏か!!理解のある彼氏みたいな面して話を聞くな!こっちにはもう妻と子供と兄と運命共同体とズッ友と面倒臭い彼女が居るんだよ、大渋滞っていうかもう玉突き事故してんだよ。
でも実際、吉野順平の言う通りなのだ…私はまともなフリをして許しを請うているだけで、反省なんて一ミリもしていないし、何なら自分の所業を「やっぱ天才はいるんだよな〜悔しいけど〜〜!」とか思っている。
というか、皆の気持ちと時間と技術を利用したことに関しては何とも思っていない。だって私が所長だし、リーダーだし、偉いんだし!ここは私の国じゃ!!夏油傑がなんぼのもんじゃい!!

開き直ってしまえば真面目な顔の仮面なんてすぐに剥がれ落ちるもので、私は悪びれることなく言った。

「私がやりたかったのは"復元"ではなく"進化"、魂の進化なんてまさに未知の領域…君のお陰で私はまた一つ進化出来そうだ、人間の上位種として」
「君は…何になるつもり?」
「そうだな…言い表すのは難しいけれど、敢えて言うなら…」

そこで言葉を途切れさせ、左手首に付けた時計をふと確認する。
ああ、もうこんな時間か…次の業務に移らねば。
仕方なしに、名残惜しいが席を立ち、まだ一つ言っていなかったことを彼に伝えてから部屋を後にすることにした。

「そうそう、凪さんは生きてるよ。君の家に置きっぱなしにしていた鉱物の中にいた、掃除用に開発した巨大ミルワーム型鉱物生命体…アブソレムくん3号が丸呑みにして呪霊から守ってくれていたみたいでね」
「待って待って待って、全部分からなかった。え…?母さん丸呑みにされ…は…?」
「ま、そういうわけだから!じゃあ、まったね〜!」
「本当に何も反省してないじゃん…」

反省も後悔も今したって無意味だろう。何せ私は最高の結果を叩き出したのだ、むしろ自分で自分を褒めたいくらいである。

汚れた白衣を揺らしながら病室を後にする、一先ずこれにて一件落着、報告なんかは後回しにして少し仮眠を取らせて頂くとしよう。
グリグリと肩を回し、首をコキコキ揺らしながら凝り固まった肩を解す。
流石に天下無双のプリティー生命体な私でも、今の状態は人様にお見せしたくないなと我ながら思う。
とくにお兄ちゃんとか…恵くんとか…家族には見せらんないボロボロっぷりだ。間違ってもすれ違いたく無いので、高専校舎の方には行かず、研究所の仮眠室…と言う名の物置きで寝ることにした。
あそことっ散らかっててあんま好きじゃないんだよね〜、みんな私物持ち込み過ぎ!誰だよバランスボール置いたやつ、邪魔でしかないんだけど…。

疲れた疲れたと声に出しながら仮眠室の扉を開ける。するとそこには天才も予想しなかった人物が待っていた。

高い背に筋肉質な身体、黒髪の間から覗く瞳は鋭く、しかし少し眠たげな様子を見せる。
私に気付いたその人は、眺めていた競馬新聞を雑に畳んで近くに置くと、こちらを見てニヤリと笑った。

「遅かったな、何処で油売ってたんだよ」
「お、お兄ちゃん…と、その荷物は…」
「お前の着替え…なに顔隠してんだ」
「むり、むりぃ…いま、顔ひどいの〜!」

まさかの今一番会いたくないなと思っていた人物の登場。なんと華麗なフラグ回収。両手で覆った顔面なんぞ絶対に見せられなかった。

「見ないで〜!帰って〜!!今本当酷いの、乙女心を理解して!」
「折角来てやったのに…まあ、帰っていいってなら帰るが、ここ薬品クセェし」
「やだ〜〜!やっぱ帰んないで!」
「分かったからさっさとこっち来い」

逞しい両腕を広げられてしまえばもうおしまい、抗うことも出来ずにフラフラと近付いて行き、まんまと腕の中に収まってしまう。
胸に顔を埋める。お兄ちゃんの匂いがした。世界で一番安心出来る、大好きで離し難い、何よりも大切な場所だと素直に思った。

どんなに化け物だ何だと言われても、私も所詮は人間の端くれ。限界を超えた限界、疲れ切って色々な物が可笑しくなってしまったのだろう、気付けばグスグスと鼻を鳴らして冷たい宝石の瞳から冷たい涙を泣いていた。

ある人は私を"比類無き天才"と称す。
ある人は私を"孤独な化け物"と称す。
ある人は私を"宝石のお姫様"と称す。

私が何になりたいのか、そんなものは最初から決まっている。
私は妹でありたい、お兄ちゃんの妹でいたい。大切な人になりたい。
いつか、貴方を思ったまま砕け散って、貴方の眠る土の中で一つになりたい。

そうなるために、私は頑張って探している。
永遠の正しい終わりを。

キツく目を閉じて、今だけは許してくれと誰に言うでもなく心の中で呟き、兄の体温を身に伝わせる。

「みんな私に期待しすぎ、全部ほっぽりだして逃げちゃいたい」

鈍い声で微睡みながら弱音を吐けば、兄は鼻で笑って「なら逃げるか?付き合ってやっても良いぜ、金さえあんなら」と言った。
私はそれに少し悩む素振りを見せながらも、首を小さく横に振る。

「大きな期待も、無理難題の押し付けも、全ては天才が天才たる証拠なのだ…フフフッ」
「俺は別に、お前が天才じゃなくても構わねぇけどな」
「お、お兄ちゃん…!私もお兄ちゃんがへちゃむくれのおじいちゃんになっても愛してるよ!!死ぬほど愛してるよ!!何なら最後は…この手で……」
「結構疲れてんな、さっさと寝ろ」

布団に雑に転がされ、ボスッと布団をこれまた雑に掛けられる。
横に並んで寝っ転がったお兄ちゃんは私の身体を優しくポンポンと叩き、大きく欠伸を一度した。

「お兄ちゃん」
「ん、」

疲れた身体に薄明のような眠気がやってくる、くっつきそうになった瞼を何とか持ち上げて隣で瞳を閉じる兄を眺めれば、朦朧とした頭は「このまま一緒に死ぬのもアリだな」と馬鹿げたことを思い付いた。

それを欠伸と共に噛み殺して、私は兄の身体に擦り寄り目をしっかりと閉じる。

「おやすみなさい、良い夢を」

小さく呟いた言葉は、津波のように押し寄せてくる睡魔にフワリと攫われた。


いつか貴方と永遠に眠れる日が来ることを夢に願う。
一つになりたい、なれないのなら魂の一欠片まで砕け散ってしまいたい。

歪んだ願いは微睡みに溶けていく。

いつまでもどこまでも、私は貴方の私でありたい。
本当は、それだけだ。


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