1-9




戦いが終わるといつも高揚している。
神経が昂っているからだ、その状態が何だか自分らしからぬ気持ち悪さがあって嫌いだった。
だから私は煙草を吸って、ぼんやりとする時間を欲した。

煙草を吸うと、一瞬だけ記憶力が鈍る気がする。
メントールの煙草を唇で挟むように咥えながらライターをいくらカチカチ弄る。だが、なかなか火が着いてくれないものだから、私はポケットを漁って取り出した、いつ貰ったか分からないマッチを擦って火を着けた。

空気と一緒に苦くて重い煙を肺まで吸い込み、口の中で遊ぶように煙をゆったり回してから夕陽で赤く染まった空に向けて吐き出す。

別に美味いものでは無いが、一度吸ってから手放せなくなってしまっている気がする。
身体に悪いことは百も承知だが、良し悪しで判断が出来る程出来た人間じゃ無いので勘弁願いたい。


ケホケホッ
隣から咳込む音が聞こえてきて、ああしまったと思ったが既に遅い。
今日は学生を引率して任務に出てるんだった、任務が終わって気が緩んだのかド忘れしていた。やはり煙草は記憶力を鈍らせる。

「おかか!」
「ごめんごめん、狗巻くん」
「いくらぁ…」
「ハハッ、煙かったね、消すよ」

私は現在呪術師をしている、年齢は確か…21歳だ。

あの後、結論を申せば私は40億年をやり直すことになった。
どうやら、託した糸は何処かで途切れてしまったらしい、つまりは私が見た地獄絵図が開幕してしまい、世界はおしまい。となってしまったわけだ、えらいこっちゃ。

というわけで、何の意思が働いたのか、はたまた神の気紛れか女神の悪戯か、気付けば私はアメーバから霊長類へ進化を終え、人間としてこの時代に戻ってきてしまった。

いやぁ疲れた疲れた。

別にアメーバから霊長類までは思考なんて大した物では無く、意識も浅く、夢を見ているように疎らだったから良かったのだが、人間になってからが長かった。
前のように揺蕩って生きる海藻類みたいな精神していれば楽だったんだろうが、一度「心」とかいう無駄な機能を手に入れてしまったため、最初のうちは言い知れぬ怒りと孤独に嘆き苦しむ時間が続いた。
そうしてそのうち段々手入れのされない心は荒んでいき、煙草やら酒やらを嗜んだり、モルヒネが合法的だった時代は中毒になりかけたり、男に産まれた時は女に慰めて貰ったり、そんなことを経験して段々全てがどうでも良くなって、気付けば常にナップザック片手に何処かを宛ても無くプラプラ歩き回るだけの人間になっていた。

今が何年だとか、親から貰った名前が何だったかとか、そんなこと気にもせずに足が向く方へと歩いては適当な街で暮らして、適当に歳を取ったり取らなかったりしながら生きては死んでを繰り返し、今に至る。


携帯灰皿に火を着けたばかりの煙草を押し付ければ、かつて私が一度だけ恋を経験した相手と同じ姿形をした人が、文句を言いたそうにじっとりとこちらを見ていた。
ピョンピョン跳ねた毛先は相変わらず可愛らしい、思わず撫でそうになった手をなんとか抑えて曖昧にヘラリと笑ってみせる。

「怒んないで、可愛い顔が勿体無いよ」
「た、高菜……」
「これくらいで照れないでよ」
「ツナぁ〜〜!」

あ、このツナは分かる、弄ぶな〜!的な意味合いだ。
私は彼に不用意に触れないようにと、両手をコートのポケットに突っ込んだまま歩き出した。
彼は私の隣をやや怒ったように歩きながら、「明太子!」「おかか!」「すじこ!」とおにぎりの具を連呼している。

その可愛さに思わず口元は緩み、フッと空気が漏れでてしまった。

本当は撫でたいけど今の私は成人済みだからね、未成年に接触するのはどうかと思っちゃって。それくらいの良識はありますので。

「分かったよ、分かった分かった」
「ツナマヨ〜?」
「本当本当、私おにぎり語には詳しいんだよ」
「しゃけ!」

今の元気なしゃけ!は知ってる!という肯定だな。
まあ、私が君の言葉を理解出来るのは君自身のお陰なんだけどね。

狗巻くんはよく懐いてくれている、この狗巻くんが私が恋した彼と同一人物かどうかは流石に判断出来ないが、それでも私という人間はやっぱり狗巻棘という人間の隣に居る時は、幾分かマシな人間になれるらしい。今度こそ本当に情報として遺伝子に刷り込まれてしまったのかも、なんて。

「はー…任務も終わったしどうしよっか、ご飯食べて帰る?」
「しゃ………つ、ツナマヨ」
「どしたの」

突然立ち止まり、私のコートの裾を握り締めた狗巻くんは落ち着かない様子で視線を動かした。
辺りはすっかり夕暮れで、静かな風が小さく吹いている。

何かを迷っていた彼は、幾分か経った頃、決意を固めたかのような真剣な瞳でこう言った。


「すじこ…いくら…!」


随分と懐かしい響きがした、と感じた。

数秒の沈黙を挟んで、私の口からは「ハハッ」と渇いた笑い声が漏れる。

昔のように、この言葉の意味を理解出来ないわけじゃなくなってしまったことを悔やめばいいのか何なのか。
ああ、馬鹿らしい。私はもう青い春なんて二度といらないというのに。

だから私は、そんな気持ちを込めて言ってやる。


「狗巻くん女の趣味悪いね」
「おかか」
「付き合えるわけ無いでしょ、だって君は呪言師の末裔で、私は身元不明のフーテン女なんだから」


狗巻くんは学生で、呪術師の家系の出身で、仲間からも大切に思われている、夢のように可愛くて楽しい子だけれど、私は身元不明の成人女性、オマケに輪廻に呪われている。
最早今の私には、この世を救う気力なんて何処にも残ってはいない。ただ、こうなりゃ星の終わりくらいは見届けてやらんでもないかなって思いだけで何とか生きてみている。

そんな程度のちっぽけな意思しか持ち合わせて無い、正しさとは無縁の奴なのだ。
今の私じゃ、とてもじゃないが君とは釣り合わないだろう。

「ほら、コート離して、君きっと疲れてるんだ、帰ろう」

なるだけ優しく、気遣うように声を掛ければ、狗巻くんは掴んでいたコートの裾を離してくれた。
それを見届け、何処か薄ら寒いようなスカスカ心持ちになりながらも、何を今更馬鹿馬鹿しいと割り切って歩き出そうとした瞬間、右腕をパシリと掴まれた。

流石に予想していなかった動きにギョッとすれば、狗巻くんは私の意思を無視して、ポケットに突っ込んでいた手を取り出して指を絡めて握ってくる。
い、いやいやいやいや、アウトアウトアウト。つ、捕まっちゃう、私捕まっちゃう。
あ、や、違うんですよ、私がやったんじゃなくって、あと性的なことをしたわけでも無く、勿論非合意なことなど………頭の中で即座に言い訳を組み立てる。いや別に呪術師クビになってもいいけど、適当に生きるの得意だから大丈夫だけど、私はいいんだけど狗巻くんの経歴によろしくないというか……未来ある若者相手に手を出したとか思われたくなくて…。

だが、私が何かを言う前に彼はニコニコ笑って言う。


「ちゃんちゃんやき♡」
「え、」
「カラムーチョ♡」
「え………ちょ、えぇ???なんでぇ??」


……………ん?
………………???
……え、どゆこと………??

なんで、なんでそのマイナー変わり種おにぎりの具を君が知ってるの?
なんで、どうして?だって、君は狗巻くんであって棘くんでは無いはずで???

あ、いや待てよ……そう言えばいつか五条先生が言ってらっしゃったな………「愛ほど歪んだ呪いは無い」だとかなんとか…。

「……もしかして、私のせいだったりします………?」
「しゃけしゃけ」

うわ、ああ………どうしよう、ごめんなさい、身に覚えがあります。
思い出しました、私……君を好きだと思うこの気持ちが、どうか特別な物でありますように…って何とも知れぬものに祈ってました。
確かに恋する女の子の祈りは届いたらしい、特別なことになってしまった。いや…大変なことになってしまった。

ど、ど、どうしよう……どうすればいいの、私は一体何処の誰に頭を下げに行けば良いのだ、教えて偉い人…。

「ツーナ♡」
「は、ハハッ………」

絡めた指をほどいてくれたと思ったら、今度は右腕に身体ごと絡み付いて来た。いやもうこれは、しがみ付かれていると言った方が正しいかもしれない、絶対に離さないという強い意思を感じる。
そして先程の世界一可愛いツナは、「責任取って♡」の意味である。

「私も……………え〜っと……狗巻くんが好きだよ……」
「しゃけしゃけ♡!」
「あ、はい…明太子…煙草控えます…」
「いくら、高菜!」
「はい、住所もちゃんとします…」

あと草臥れたコートも卒業するし、空のライターは貯めずに捨てるし、もうちょっとだけ気力を回復出来るように頑張ります。
何度だって君が笑って生きられる未来を見つけるために生きてやるよ。

本当頑張るのでどうかこの辺でご勘弁を。


そして私はまた、燃えるようなわけでも、激しいわけでも無い、可愛くて特別な恋に踏み込むことになるのだった。

おしまい。


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