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禪院真知、五歳。
身長、とっても小さい。体重、とっても軽い。
好きな物、お饅頭。嫌いな物、不明。
特徴、猫目猫毛。その他備考、食べ過ぎるとすぐ吐き戻す。
というような、上記の事柄が記載されている資料を手にした高専メンバーの一人である五条悟は「いや、何も分かんねぇんだけど」と困惑した顔を見せた。
「なあ、写真も無ぇの?」
「ああ。ついでに言うと、両親すら彼女の正確な身長や好物などを知らないらしい」
「相変わらず、終わってんなー」
夜蛾の言葉にとうとう資料を投げ出した五条は、それはもう大きな溜め息を吐き出したのだった。
彼等は現在、禪院家から行方不明になった女児の捜索を行っていた。
事件は凡そ数週間前に遡る。
禪院真知は任務中、同行していた術師と補佐役が呪霊の攻撃によって意識を失ってしまったことにより、呪霊の攻撃の的となった。
経験不足の五歳児に出来ることなど限られており、何とか意識を失った術師と補佐役を彼女の術式を駆使して安全圏へ移動し、その後彼女は呪霊を引き付けながらその場から逃走。
以降、行方不明となってしまっている。
はじめは禪院家だけで捜索をしていたものの、とうとう数週間経っても足取りどころか所持品の一つも見つからないため、彼等は仕方無し高専へと協力の依頼をしたのだった。
しかし、高専側からの親族に対する取り調べに対し、出てきたのは先程のような意味のあまり無い情報ばかり。
浮き彫りになった事実といえば、禪院真知という子供がまともな食事を与えられない環境下で、虐待とも言える訓練続きの日々を送っていたということのみ。
さらには、親、姉妹、その他親族全てから「よく分からない子」だと思われていたということ。
これには流石の高専もお手上げに近い状態だった。
「つーか失踪したのだって、かなり前じゃね?これ生きてると思うか?」
「悟…確かに私も思う所はあるが、言い方には気をつけるべきだ」
「あー出た出た、良い子ちゃんお疲れ様〜」
「そもそも、君は会ったことがあるんだろ?だったら他に何か特徴とか…」
「雑魚ガキのことなんて、一々覚えてるわけねぇだろ」
減らず口を叩きながらも、五条は記憶を探って禪院真知について何か新しい情報は無かったかと考える。
暫し頭を悩ませた後、「あ、そういえば…」と唐突にある出来事を思い出した。
それは、彼女にとっては何でもない、しかし五条にとっては普通とは言えない出会いの話だった。
___
着物姿の子供が一人、自分の住まう屋敷の庭の外れで花を眺めているのを見た。
いや、正確に言うならば、彼女は虫を見ていたらしい。卵を抱えたカマキリがそこを歩いていたのだと、声を掛けた時に言われたからだ。
あの子供は、燃ゆる朱に染まる良くできた紅葉が彩る庭よりも、茶色い虫をただひたすらに眺める方が好きな子供だった。
そういう、確かによく分からない感性をした子だった。
どうやら親が参加している会合に一緒に来ていたらしく、名前を聞けば「禪院真知」と名乗る。
「禪院のガキかよ」
「なかよくしてね」
「ぜってーやだ」
「そんな…ひまそうなおにいさんに、せっかくだから、いいものみせてあげようとおもったのに」
"いいもの"
どうにも特別な響きを持つその一言に釣られ、俺は小さな子供の隣にしゃがみこんだ。
彼女はしゃがんだ俺の側にちょこちょこと近寄り、「みててね」と言うと、小さな両手を握り締めて呪いを込める。
「インテリジェント・デザイン」
パキリ、パキリ…。
小さく空気が爆ぜる音が、小さな手の内側から聴こえてくる。
それは段々と重なるように響き出し、やがて硬い物と物とが擦れ合い、嵌り合う奇妙で奇怪な音が鳴り出した。
俺の目にはそれが何を意味するのかハッキリ分かっていたが、分かっていたからといってすぐに理解出来るとは限らなかった。
そう、何故ならば。
「このてのなかではね、ごおくねんまえからのしんかが、こうそくでおこなわれているんだよ」
その手の中では、進化が行われていたからだ。
今この世に生きる生命は全て、進化の果てに今のような姿をしている。
最初から今の形をしているわけではない、7〜8億年前はネズミもカメもトラもヒトも、皆同じただの単細胞だった。
それから5億4000万年前頃、生物の種類がいきなり増加した。何十万もの種が出現し、身体の大きさや構造がますます多様になっていった。
そして、地球はその後何度か大量絶滅を経験し、その度に生き残ったものが進化を遂げ世界を豊かにし、子孫たちは消えていった祖先が残した生態的地位を埋めていった。
突然変異、自然淘汰、そうしたものが種をより強くするのだと……子供は、手のひらをそっと開きながら、拙い語り口で俺にひっそりと語り聞かせた。
「わたしのてのなかでは、しんかをたどれるの」
コロリと手のひらの上に乗るのは、小さな鳥の頭部の骨だった。
白く、何でもない頭蓋だ。
「ほねしか、さいげんできないんだけどね」
そう言ってコロコロと頭部を揺らして見せた子供は、得意気な顔をして「いいでしょ、これ」と笑う。
幼さしかない笑みだったが、瞳には確かな知性が感じ取れた。
「お前…何者?」
「おまえってよばないで」
「真知、その知識とこの術式のコントロールの仕方、どこで学んだ?」
「よびすてもやだ」
俺の質問の腰を折り続ける子供に、俺は苛立ちを覚えて立ち上がった。
依然として手のひらの中にある鳥の頭部をふんだくり、持ち上げて観察してみる。
まさに"本物"であった。模した物ではなく、本物。一から設計されて月日を掛けて生み出された生命の一部。呪いから生まれた、進化の答え。
こんなこと、例えそういう術式だと言われた所でただの子供がやれるもんじゃない。
これは、知識が備わっていて初めて成立するシステムの一工程だ。
一体どうやってこの年頃の子供がこんな技術を身に付けたのか…例え才能にしたって、出来すぎている。
俺は、簡単に進化を語り、生命の一部を創造した子供が少しだけ恐ろしかった。
得体の知れない上位の何かを相手しているような、感じたことの無い薄ら寒ささえ感じてしまった。
「…何で俺に見せたんだよ」
「たいくつしてたでしょ?」
「術師が簡単に術式明かすなって、習わなかったのか?」
「なにそれ、しらん」
しかし、その薄ら寒さは一瞬にして消えた。
コイツ思ったより馬鹿かもしれないと、子供を見下ろして思い直す。
あの家が何を学ばせているかは知らないが、教育の順番間違ってるだろ。つか、何で俺こんなガキに一瞬でも怖気付いてたんだ。よく考えなくても俺のほうが強いし、コイツガキだし。あと馬鹿だし。
「術師は簡単に術式明かしちゃいけねーの、分かった?」
「わかった」
「で、真知ちゃんは誰にこんなこと教わったんでちゅか?」
「まえのじぶん」
まえの、じぶん。
前の自分………前世の自分ってことか?
コイツ、自分の前世を記憶してるのか?
どうして、何故。
そんな疑問は尽きなかったが、だがしかし、確かにそれなら理屈は通るだろう。
もし仮に前世を覚えているのが本当だったとして、その前世で学んだ知識を今活かせているのならば、それならばこの異様な成長スピードと知識量の理由はつく。
だが前世を記憶しているなど、脳への負担を考えればとてもじゃないが成り立つはずがない。
でまかせか、真実か。
どちらにせよ、この子供がただの恐れ知らずなガキでは無いことだけは、事実として確かだった。
「それ、誰かに言ったことあんの?」
「ないよ」
「…何で俺には教えてくれたの」
「なんとなく」
ぱちんっ。
子供が小さく両手を打ち鳴らした瞬間、俺の手のひらの上にあった鳥の頭蓋は泡のように消えていった。
創るも消すも主次第、なんて傲慢な術式だろうか。
だが、同時に美しいとも思う。
罪も運命も背負わない、ただ彼女の願いだけを寄る辺に創られる生命の一部達。
例えその生命が人間に害をなす種だったとしても、彼女の下では平等にただの美しい骨格標本だ。
それを何となく、羨ましいように思った。
…というのが真知ちゃんと俺の出会いだった。
あれからとくに会ってはいないし、噂話の一つもも耳にしなかったので忘れていたが、そういえばそんなことがあったんだったっけか。
でも、これを誰かに語るのは何となく惜しまれた。
あの時真知ちゃんは「なんとなく」と言ったが、多分本当は違う。
俺だったから教えてくれたんだと思う。
俺から似たような孤独を感じ取ったから、暇潰しに付き合ってくれたんだと、勝手に思っている。
だから言いたくない。
あの日起きた、暇潰しのためにされた生命の創造と破壊を、俺は俺の中の特別にしておきたかった。
「意味わかんねーガキだよ、アイツは」
何にも知りませんってツラして追求を躱す。
そうすればすかさず傑が口を開き、真面目なことを言い出した。
「仮にも知り合いなんだろ?心配じゃないのか」
「ぜーんぜん。だってアイツ賢いから、多分何だかんだで生きてるだろうし」
じゃなけりゃ、嫌だし。
俺はそのまま会話を断ち切って、終業のベルが鳴ると同時に席を立って教室を出た。
窓の外を見れば、高い空に一羽の鳥が飛んでいくのが見える。
きっと、彼女の創る鳥はあの空を飛ぶ鳥よりも、自由で平等で罪の無い生き物なのだろう。
俺は彼女の創る、汚れの一つも無い命にまた触れてみたい。
その日が来るのを、子供のような心で待っている。