エピローグ


人類の誕生から約五百万年の時間が重ねられた。
人類は進化のスピードは急激に早まったが、それはこんにち、文化によるものであって生物学によるものではない。
我々人類は、自然淘汰から文化淘汰へと移行したのである。

人類の存在が星にどのような影響を及ぼしているか知っているだろうか。
いや、今の世界では最早常識であるからして、今を生きる者であれば知っていて当然の知識だろう。

我々人類が自然環境を激変させるのにかかった時間は、僅か数十年。
数十年しか掛けず、地球の環境を変え、種の家畜化をはかり、数多の動植物を世界の景色から消し去っていった。
即ち、環境破壊。そして、地球温暖化。
数多の生態系とそこに暮らす様々な種の破壊、あらゆる種類の汚染による食物連鎖の混乱、国から国へ移入される種の拡散など……我々は恐らく、自らの種に対する、種の維持に必要な最低限のものさえ提供出来ない、貧しい世界を未来の自分達に引き渡そうとしている。

私はこの先にもうまもなく続くであろうそんな未来が悔しくて、悲しい。

だから研究をする。
世界のために、種のために、未来の隣人のために。
それがきっと、私の愛の究極的な方向性であると知っているから。

違いを愛し、受け入れ、共に進む。
人間が目指すべき進化の方向性を、私は今なお探し続けている。



………




「準備は良いか?」と、ガラス一枚挟んだ白い部屋の向こう側で、椅子に座り私を観察する研究者の一人は言った。

彼等はここ、呪術高専に勤める研究者のような立ち位置の者達であり、現在私は彼等の研究に様々な形で携わっているのだった。

本日の彼等の仕事は私の「肉体強度の測定」及び「回復速度の観察」。
午前中から続いた測定も終盤で、これから私は肩関節の強度を測定するところだった。

「肩関節の強度を試したい、地面にしっかり足を開いて付いて、測定機を上に向けて全力で引っ張ってくれ」
「はい」

さあ、始めよう。

その言葉をスタートに、私は測定機に繋がるゴム質の紐を真上に向かって思いっきり引っ張った。

「筋力ゲイン、どうだ?」
「腹直筋、広背筋、共にまだ余裕が見られます」

測定室の内側に取り付けられているスピーカーから研究者二人の会話を聞き、さらに力を込めて測定機を引っ張る。
ギッ!!と音が鳴り響く程に力強く引かれた測定機の紐部分は、弛むことなく張り詰めている。
しかし、数値としてはイマイチなのだろう。
研究者はマイクに口を近付けると私に対して遠慮無く、「全力で引けと言ったはずだが?」と言ってのけた。

簡単なことを言うなと言いたくなるものの、口を開く余裕も無い程必死に引っ張り続ける私は、「もっと強く」「そう、強く」と命じられるままに力を出し続けることしか出来ない。

「強くだ、真知」
「グァッッ!!?」

パキッ、と首の近くから音が鳴るのが分かったが、命じられた通りに力を更に加えて見せた。
すると、とうとう肩からゴキンッッ!!という音が聞こえ、腕に力が入らなくなる。

「限界値付近で右肩関節脱臼」
「……ッ、」
「担当官の入室を許可する、速やかに規定の回復処置を行うように」

研究者が出した入室の許可と同時に部屋の扉が勢い良く開かれる。

「真知ちゃん…!」
「すぐるさん…そんなにあせらなくても、だいじょうぶだよ」

ジンジンと痛みだす肩を庇いながら振り向けば、測定室にまで入って来た夏油さんが検査のために薄着になっていた私に、すぐさま持って来たであろう上着を羽織らせた。
彼はキツい眼差しで研究者達を視線で一喝してから、私を連れてその場を後にする。


私の名前は禪院真知。
高専管理下に置かれている準一級受肉体である。
今の私の役目は、こうして高専の研究に付き合うことと、与えられた任務を行うことの二つである。
高専が私に対して行う研究というのは、肉体的な実験が主だ。実験内容は先程のような人道的配慮がギリギリ無いものであったり、そいじゃない楽なものだったり。
不満や不安、苦痛やストレスはあるものの、それでも未来の医療技術の発展のために、私は私の肉体を研究に提供している。
何故ならば、この研究の先には発展と進化が見えているからだ。

今となっては遠い昔の出来事だが、私は生命の発展と進化について研究を行っていた。
やっていたことは、先程私をガラス越しに観察していた彼等と同じこと。
つまりは、研究する側から研究される側に回っただけの話。

それだけの、立ち位置の変更があっただけのことである。

私の生命への進化の取り組みは今尚行われている。
私という個が、肉体という枷から脱却してみせたように、種…ひいては生命全土へのさらなる発展を願い、期待して、ここで研究を続けている。

…と、こんなことを話すとまるで酷い扱いを受け、飼い殺されているように感じてしまうかもしれないが、実際はそう悪いものではなかったりする。
一週間の内で私が高専の実験や任務に"使用"されて良い時間は三十時間までとなっており、それを超えた"使用"は申請による担当官からの許可と、本体の了承が得られない限り不可能とされている。
なので、残りの時間は自由にして良いとされているため、わりと気ままに穏やかに暮らしているのであった。

「真知ちゃん、肩はどうだい?」
「だいじょうぶいっ」
「なら良かった…いや、良くない。アイツら…また真知ちゃんを傷付けて…やはり私が下すしかないか、罰を」
「それきのう、さとるくんもおなじこと、いってたよ」

仲良しさんだねぇ…と、傑さんから渡された着替えを手に取りながら言えば、彼はちょっと微妙な顔をしながら「うん、とりあえず着替えておいで」と言ってくれた。

パーテンションを引き、その向こうで着替えを行う。

傑さんは現在、私の担当官という立ち位置にいる。
彼は高専に謀反を働いた立場ではあったが、あの日事が大きくなる前に悟くんが対処をし、話し合いやら何やらが行われた結果、縛りを結ばせられたりした後に、現在はこうして私の管理という職に就いている。
悟くん曰く、これは一種の「セラピー」らしい。なんだセラピーって…私は犬か何かかとツッコミたい。

傑さんは日々私についてのデータを纏めたりスケジュールを組んだり、その他色々と細かなことをしてくれている。マジ敏腕マネージャーだよ、この人。

着替えを終えた私は、パーテンションを片付けて帰宅のために荷物を纏め出す。
上履きを履き替え、春用のアウターを着ている私に向けて傑さんは明日の予定を話出した。

「明日は心臓のカラードップラーを撮る予定が入ってるから、すぐに終わるはずだ。今日のご褒美に何か甘い物でも食べに行くかい?」
「ジェラート!」

元気に言えば、彼は少し息を溢して笑ってくれた。

「じゃあ、明日はその予定で居てくれ。くれぐれも、気を付けて帰るように」
「はぁい」

肩下げの鞄を持ち、一度お辞儀をしてから待機室を出る。
多分、傑さんは今日も遅くまで私について色々調べたり、纏めたりして、その後に学長先生や悟くんに私への不当な扱いを訴えるのだろう。
今の彼にとっての使命はそれで、成さなければならない正義は私の元にあるらしい。
これまた悟くん曰く、これは私がどう思おうが関係無く突き進む問題で、私のことに取り組んでいるうちは逆に安心だと言っていた。
私はそれについて、そうかもしれないけれど、そうじゃないかもしれない…と、色々危惧しながら様子を見ている。

私がそうであったように、近い将来傑さんにも進化が求められるであろう。
それは肉体的な進化ではなく、精神的な進化が…という意味合いである。

だが、今はまだ時ではない。
だから私は一先ず聞き分けの良い、賢い真知ちゃんのフリを続けるつもりだ。

しかし、傑さんはそれでどうにかなっても、ならない人物も居たりする。
それがそう…色々あった後に、やっぱり一緒に居ることになった相手、甚爾さんだった。
私は結局彼から不安や悲しみを取り除くことも、全てを満たしてやることも出来ないままでいる。
いつかどうにかなる日が来ることを、努力を重ねながら待つ他無い。

だが、どうにもならないけれど、それでも共に在る奇跡はどんな時も大切にしたいと思う。
許される限り、ずっと。


えっちらおっちら、短い足をセカセカ動かし研究棟の扉から外へ出る。
黄昏と夕闇の入り混じる美しい紫陽花色の空を見上げ、もうこんな時間だったかと足をさらに早めた。
毎日…ではないが、時間が合う時、なるだけ甚爾さんは送り迎えをしてくれるようになった。
理由は、まあ…あの死亡事故があったからだろう。
そんなわけなので、私を待ち惚けているであろう甚爾さんを探すべく校舎の方へ足を向け小走りで進んでいれば、生徒達の騒ぐ声が聞こえて来た。

一応見てみるかと声のした方へと足を進める。
するとそこには、生徒達を相手に楽しそうに身体を動かす甚爾さんの姿があった。

「お、真知じゃん。見ろよアレ、お前のお姉ちゃん投げ飛ばされてるぞ」
「わ、わあ〜〜…おねえちゃん……」

私の気配に気付いたらしいパンダくんが振り返り、グラウンドの方へ向けてフカフカの指を差す。
その先を追って見れば、今この瞬間、派手に投げ飛ばされてキレる姉の姿と、その姉に変わり勝負を仕掛けに行った恵くん、そして端の方で大の字に転がる狗巻先輩の姿を確認出来た。

あっ!と思ったのも束の間、甚爾さんへ向けて長い棒を振るった恵くんは、棒ごと振り回されて吹っ飛ばされてしまった。
なんだろう…この、犬がはしゃいで玩具をブンブン振り回しているかのような感じは。あの人幾つだったっけか…大分良い歳だった気が…いや、まあ良いか。競馬やら何やらで遊ぶよりかは、生徒相手に身体を動かす方が余程健全だろう。うん、そうに違いない。
どうせ私のことは絶対に巻き込まないだろうし、暫く様子を見守っていよ〜っと。

パンダくんの側にあった木陰にしゃがみ込み、膝に肘を付いて甚爾さんの様子を眺める。
すると、何やらニヤニヤとしながら私に合わせてしゃがみ込んで来たパンダくんが、身を寄せて話掛けてきた。

「真知、お前ってやっぱ…甚爾ラブなのか?」
「いやぁ、そういうのではなくて…」
「でも今、めっちゃ大事そうな目でアイツのこと見てたぜ?もしかして〜…無自覚ってやつ?キャッ!!」
「えぇ…?」

う、う〜〜ん…大事…と言われると、まあ否定しようが無い程には大事に思っているし、大切にしたいと思っている。
けれど別に私は彼に何かこれと言った関係性を求めているわけではなく、むしろ自由に穏やかに在ればそれで良いと願うばかりで…。

「あ、もしかして、これが…?」
「お、何だよ。もしかして気付いちゃった?自分の気持ちってやつに…」

うん、気付いちゃったかも…。
私のこの気持ちってアレだ…つまりは、その…。

甚爾さんを見る。
すると彼はこちらに気付いたらしく、少しだけ動きを止めると、復活して立ち向かって来た恵くんを片手でいなしてから私へ向けて歩き出した。
のっしのしと歩いてくる彼に向けて小さく手を振って見せる。
そんな私の様子を、パンダくんはニヤニヤとしながら見下ろしていた。

「なぁに真知〜?どんな気持ちなんだよ〜?誰にも言わないから、俺にコッソリお・し・え・て♡」
「いいよ、みみかして」

立ち上がり、座るパンダくんの耳に向かって背伸びをしてコソコソと喋ってやる。

「わたしね、とうじさんのこと…」
「おう」
「こうほうかいぬしづらして、みてるみたい…」
「お、おう…?」

賢い私が導き出した、甚爾さんに対する気持ち…それは、後方彼氏面ならぬ後方飼い主面、というやつであった。
だってほら、甚爾さんってデッカイ猫ちゃんみたいだし…ねむねむニャンコの甚爾にゃんだから…ね?
飼い猫がいつまでも元気で健やかであれば良いな〜と思うのは、飼い主として正しい感情でしょう?
いやぁ…理解っちゃいましたね、感情ってやつを。

と、いうようなことをパンダくんに説明していた途中、私の腹に突然背後から腕が巻き付いてきたかと思えば、そのまま抱き上げられて、ついでに鞄を奪われた。
振り返ると、何だかちょっぴり不機嫌そうな顔付きの甚爾さんが居て、私はとりあえず手を伸ばして鼻を掴んでみたりなど。

もに。
鼻を抓んでも美形は美形のまま。なんか悔しい。

「近ぇ」
「なにが、なにと?」
「パンダとお前。なぁ今、何話してた」
「とうじさんのことだよ、ネコみたいって」

鼻を掴む私の手を取って離し、片手で抱え直した甚爾さんは「まあいい、帰んぞ」とぶっきらぼうに言って歩き出す。
一応、甚爾さん越しに皆へ向かって手を振る。本当はちょっとお喋りなどしたかったけれど、疲れているのも事実なので私を抱えて歩く彼に抵抗はしなかった。

今日あったことを話そうとして、やめる。
どうせ傑さんから聞き出すだろうし、ならば今くらいは憂いを持たず、互いに安らかであるべきだろうと判断した。

それよりも今はちょっと甘えたい気分だ。
何故だろう、今日は色々と長く頑張ったからだろうか。うん、そういうことにしておこう。

逞しい首に自分の短い両腕を回し、ぎゅっと抱き着けば甚爾さんは一度立ち止まった。

「どうした、また何かあったか」
「ちょっと、あまえたいだけ〜」
「珍しいな、何処か寄ってくか?」
「んー…」

少し悩んで、首を横に振る。

「はやくかえろ、おうちがいちばん」
「じゃ、さっさと帰るか」
「うん!」

ちょっと身体を離して甚爾さんを見上げる。
近い距離で合った眼差しは、ゆるりと穏やかに弧を描き、眩しそうに私を見た。
そんな彼を見て、私の鼓動は静かに、しかし確実に早まっていく。


ねぇ、今だけ…この胸の中だけで、本当のことを言ってあげる。


鼓膜を揺らす甘い囁き。
脳を撫でるような優しい視線。
美しく靡き風に舞う夜空色の髪をした、一等美しい緑の瞳の獣よ。
瞳に貴方が映る度に、私は思う。

私の心臓はこのまま貴方によって破裂してしまうのではないかと。
ああ、見つめ合う今は、呼吸さえもが恐ろしい。

同じ陽の中で生きる、愛の片割れ。

貴方が否定する貴方さえ、私は肯定し受け入れよう。

貴方に会えて良かった。


ああ、きっと。
貴方ならば骨になっても愛せるだろう。
同じ地獄へも、きっと貴方ならば共に着いて来てくれるだろう。

果て遠き進化の巡礼。
魂だけが行き着くことを許された先の未来。

「ひえるね、ここは」
「まだ春だしな、お前の身体じゃ寒ぃだろ」
「うん…だからね、ぎゅってして?」

壊れてもいい、こんな身体なんて。

貴方がいればそれでいい。
だからもっと強く抱き締めて。

骨が忘れないくらい、強く、強く。


エピローグ・完


mae ato
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