4-9


「おや、解いてしまったんだね、私からのプレゼント(呪い)を」
「ええ、お陰様で」
「気分はどうだい?」
「愛情爆裂って感じですかね」


真正面から得意気にブイサインを羂索に向けてした真知は、真っ黒いAラインのワンピースを着ていた。
まるで喪服のようなワンピースは、しかし羂索が真知のために用意した衣服の中で一番値が張っており、尚且つ最も彼女に似合っていた。

滑らかな黒が少女の細く繊細な身体を妖美に引き立てる。三つ折りの靴下を履いた小さな足には同じく黒いストラップシューズが履かれており、高貴さと幼さが入り混じった彼女にしか無い美しさを保っている。

正に小さな花のような美しさ。
羂索は目を細め、そんな少女を見つめた。
素直に美しいと思った。美しい生き物だと。

他の世界、他の理、他の常識を携えて現れた未知の生物。
他者を想うことに全力で、自分の痛みを無視して突き進める強さを持った、繊細で熱い、輝かしい生き物。
はっと目を引く美人ではないが、引っかかりのない涼しげな美しさを携えた少女。

自分の計画には必要の無い存在は、だからこそ何処までも自由に可愛がることが出来た。

洗脳も贈り物も羂索には同義であり、全て真知のためだった。
前の世界ではなく、こちらに…自分に執着を見せて欲しいからしたことでもあったが、真知の憂いを取っ払ってやりたかったからだ。
過酷な環境下で生まれ育ち、親から見捨てられ、大人に囲まれた世界で大人を相手に生きねばならない少女は、無理矢理にでも成長しなければならなかった。
本来、幼児が無垢に見返りなく愛されるべき期間に、彼女はそのように愛されることなく育った。
見返りを求められ、必要性を確立させられることを望まれた。その結果、己から愛すことでしか愛とは受け取れないのだと彼女は思い込んでいる。

羂索はそんな真知を知り、惨めで哀れで馬鹿だと思った。

だから自分が捕まえて愛でようと考えた。
馬鹿な子程可愛い、惨めな者ほど幸せにした瞬間が分かりやすい。

色とりどりの服やアクセサリーを贈り、甘やかし可愛がり、多少の呪いによって他者を気にせず自分の心に従いやすくしてあげた。
だが、それら全てを真知は必要無いと言い切り、彼女は生き辛い道を選ぼうとしている。


羂索はふと息を零し、真知に思いを伝えた。

馬鹿で哀れ、惨めで貧弱。
どうしようもなく愚かで愛情深い生き物。

「君に最初に出会ったのが、私だったら良かったのに」

何処かの世界の別の男じゃなくて、私が見つけて私が囲っていれば、幸せだけを感受して生きさせられたのに。

最初に海の上に君が現れた時から、ずっと今日までそう思っている。
ずっと、自分だけで満たせたら良かったのにと思いながら眺めている。

「君が私の前に現れなければ、こんな馬鹿な気持ちに悩まされず済んだのだけれどね」

羂索の言葉を聞いていた真知は、あんぐりと口を開けていた。
上手い言葉が纏まらず、沈黙が場を支配していく。

そしてややあった後、「そ、それって…」と、声を震わせ身体をワナワナさせながら真知は珍しく大きな声で言った。


「わ、私のことがめっちゃ好きってことじゃん!!!」
「そうだよ」
「告白、じゃん!!!!」
「だから、そうだってば」


わあーーー!!!!!

謎の奇声をあげた真知はその場で頭を抱えて蹲った。
突然叫ばれた羂索は、真知が意味のない叫び続ける中ニコニコと笑みを浮かべて側に近寄って行く。

「わ、私…人生で初めての告白だったのですが…!」
「君の初めてを貰えたなんて光栄だね」
「ロリコン…!ペドフィリア…!」
「私が生きていた時代では問題にならない年齢差だったよ」

呪術の全盛期平安の世で生きてきた奴には『ロリコン』の四文字も効かなかった。
あわあわとしゃがみ込む真知の隣に座り込んだ羂索は、宥めるように真知の頭を優しくゆっくりと撫でながら笑みを深める。

「普通、好きな子に変な物食べさせたりしますかね…」
「君だってノリノリで食べていたじゃないか」
「誰かさんに洗脳されてたんですよね、実は」
「それも私なりの愛情表現だったんだ、許してくれるかい?」

ああ言えばこう言う。
口先では全く勝てない相手に、真知は諦めを盛大に含んだ溜息を零した。

もうやだこの人、無敵じゃん。
愛だとか好意だとか、そういう風に言われたら私が怒れるものも怒れない人間だと知っていて言っているのだろうか。いや、絶対知ってて言ってるんだろうな、たちが悪い。

頬だけでなく耳や首まで真っ赤にした真知は、人生初の告白に奥歯を噛み締めた。

「うぐぅ〜〜〜!」
「悔しそうだね、とても可愛いよ。君は慌てている時がいっとう可愛らしい」
「この人ずっと腹立つ〜〜〜!!」

暫くの間、真知は羂索にウリウリとつつかれ煽られ構われていた。
やがて顔の熱が大分マシになった頃、彼女は羂索に伝えなければならないことを伝えることにした。

今日貴方の前に来たのは他でもない、伝えたいことがあったからだと、真知は口を開く。

「貴方に、お礼を言いたくて」
「随分と突然だね、いったい何のことかな」

真知は立ち上がる。
自分の腰ほどの位置にある羂索の頭の痛々しい手術痕に、ひたりと指先を這わせた。糸の凹凸を撫でれば、羂索はゆるりと柔らかに目を細める。
彼等の触れ合いはいつしか距離の近い男女のそれと良く似ていたが、真知にとっては過去に慈しんだ相手に対する接し方と何も変わらなかったため、両者の間に存在する事実にはついぞ気付けなかった。

だから、彼女は告げる。
別れと感謝を。


「帰る方法を与えてくれて」

本当にありがとう。
貴方のお陰で、私は自分と世界を取り戻せるよ。



___



少し歩こう、と言ったのは偽傑さん…もとい、羂索さんからだった。

陀根ちゃんの海、その砂浜で私達は恋人みたいに歩いてみた。

「手とか、繋ぎます?」
「繋いだら一生離さないけど、それでも良いかい?」
「束縛彼氏って嫌われるんですよ、知ってます?」
「現代っ子だなぁ」

いや、実は全然現代っ子じゃないんですよね。精神年齢一体幾つなんだろう…って感じなのですが…。

結局手は繋がず、私は羂索さんの少し前を後ろ手を組み、ゆっくりゆっくり、丁寧に歩いてみせた。
潮風でふわりとスカートが膨らむ。
夕陽が差し迫る海はとても穏やかで、例え呪いで作られた空間だとしても素直に美しいと思えた。

改めて、自分は博愛主義者なのだなと思う。
想うことを許して貰えるならば、相手が誰で何であっても想い続けられるのだろう。
でも、その愛には残酷なことに順位があって、私は一番大切なモノのためには他の愛を切り捨てられる非情さが備わっていた。

好きな人がいる。
大切な人なのだ、とても。
変わりなんて居ないし、どうしてもその人じゃないと駄目。
ずっと好きで、ずっと大事で、諦めるなんて出来なくて。
私は彼のために、自分に与えられようとしていた幸福を蹴ってしまった。

羂索さんはもしかしたら、私のことを凄く大事にしてくれたかもしれない。
私が幼少期に…いや、それ以前、前世でもずっと得られなかった幸福や優しさ、自分らしさを与えてくれる人だったのかもしれない。

うーーん…そう思うと、私って馬鹿なのかも。
こんなに自分を想ってくれている人を捨てて、あんなどうしようもない方を選ぶのだから、生物として間違い過ぎている気がする。
いやでも、今更だな。生物として正しくないのも、どうしようもなく孤独な方を選ぶのも今更だ。私は神の計画から外れたはみ出し者、今更何も怖くないし、馬鹿で結構だ。

黒鍵のように滑らかに黒いスカートをゆるりとはためかせながら振り返り、羂索さんの顔をじっと見上げる。

「最後だから教えちゃいますけど、私の術式は、命の循環だったんですよ」
「そうだろうね。君の術式は、命を育み組み立てるのではなく、命を正しく還すための一工程。私は最初から知っていたとも、賢い子」


魂には、命には、形が必要だ。

形とは謂わば器であり、肉体とも言い換えられる。

私の術式は長年に渡り、ずっと生命を生み出し形創るものだと解釈されてきた。
でも違った。私が生み出しているのは命ではなく、器。肉体。

何らかの原因で命を失う時に形を失ったモノに、適切な形を与えて一時的に自分に服従させる。それが本来の術式だった。

そして、役目を与えて全うした後に命を手放し昇華させる。

君は君の形を思い出せたかな?
もう私が居なくても、自分の形を失わないかな?
ならば新しい方へ向かうと良い。私のために沢山頑張ってくれた君ならば、きっと一番幸せな場所に行けるだろう。

そうやって、私は今まで沢山の命を正しい場所へと導き送り出していたのだ。


だからそう、次は自分の番。

自分の形を思い出し、自分が行くべき場所へと自分を送り出す。

羂索さんに育まれ手に入れた、この呪いで満ちた身体と…壊相さんの願いで取り戻した魂を持ってして。


「歩きながら色々考えてみたんですけど、」

私は海の方を見る。
奇蹟のように美しい夕陽が海面に映し出され、キラキラと赤く輝いていた。
遠くの方の空は微かに紫陽花の如き紫色に染まりだし、夢のように美しい一瞬が生まれる。

西日が私達の影を長くする。
地平に沈む金の輝きが、私の黒を星のように照らしていた。

「多分、こんなに必要ないなって思って」
「何の話かな」
「ああ、えっと…私の肉体に詰まった呪いの話です」
「ああ、なるほど。私に少し分けてくれると?新しい呪いでも生み出すのかい?」

海の先の地平では、夜の前ぶれが映し出される。
柔く波打つ音を背景に、私は服の下に隠し持っていた刃物を取り出した。
それは何処にでも売っている、切れ味の鋭いただの包丁。

私はそれを右手で持ち、呼吸をするように簡単に、相手が止める間も無く振るってみせた。

スパッ。
音にすればそんな感じ。
丁寧に丁寧に呪力を込めて、自分の左腕の肘から下をバッサリと斬り落とした。

砂浜が音を吸収しながら私の左腕をキャッチする。
断面からは血の一滴も溢れない。今の私の身体は人間の物では無いからだ。

包丁を砂浜にそうっと置き、変わりに左腕を手にする。
口を小さく開き、言葉を失っている羂索さんに、私はなるだけ可愛い笑みを浮かべて見せた。

「これはほんのお礼ですが」

羂索さんに向かって左腕を付き出す。
彼は驚いた表情を仕舞うと、何とも言い難い表情で私を見ていた。一番適切な表現は、悔しい…だろうか?うん、そんな感じの顔をしている。

「羂索さんのことだけを考えて想って切り落したから、きっと貴方の役に立つ物になるはずだよ」
「また、子育てか…」
「ある意味私達の愛の結晶です、もっと喜んで下さい」
「喜んでるよ、ただ…あまりにも君が眩しくてね」

それは夕陽のせいだろう。私は崇高な存在なんかじゃない、ただの間違えまくった孤独な魚だ。

もう一度広い海の向こうへと視線を投げる。
黄昏の西日に包まれた海は、じきに夜が来ることを予感させる。夜が来たら、そしたら…別れの時だ。

私の左腕を受け取った羂索さんは、慈しむように一度撫でてから私を見る。

「私は今も君のことが好きだよ、真知」
「…はい」
「でも、さようなら。君の愛が報われることを願っている」
「さよなら羂索さん。私のこと、お姫様にしてくれてありがとう、わりと幸せだったよ」

ずっと、本当はそうされたかったのかもしれない。
頭を撫でて、可愛いお洋服を着て褒められて、甘いものに楽しい時間、美しい言葉だけ与えられて、満ちた生活。
小さな頃手に入らなかった全てがここにはあって、私の好きな人が私に簡単にくれない言葉や物や時間をこの人は最初から私に与えてくれて。

でも行かなければ、帰らなければならない。
側に居たい人の元へ、全部捨ててでも。


星が散る夜の高波と共に、私の小さな旅は終わりを告げる。

前の時は"前世の私が居た世界"に帰りたいと願っていたからあの世界に魂が還った。
ならば次は"今の私が帰るべき世界"へと魂を還そう。

さあ、夜の向こうへ。
呪いよ、私を連れて行ってくれ。

mae ato
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