1-9


宇宙船には丸い窓が一つあった。
その窓から、離れ行く青い故郷を見つめ続けた。

故郷のことはよく知らない。
だって私は工場の中から外に出たのは一度だけだったから。
船に乗り込む時の数分だけ、青い空と白い雲と、何も無い地平線を風を感じながら眺めたのだ。

私には価値が無い。
同じように、私の故郷にも価値はもう無い。
生きているかも死んでいるかも分からない同胞も同じだ、皆、意味の無い生を生きている。

そうして、意味の無い明日に絶望しながら眠るのだ。








高専内は入り組んだ作りをしている。
張りぼての神社仏閣が立ち並ぶ細い路地の間、夏油はあちこちを見て回っては肩を落とす繰り返しをしていた。

気分としては迷子になった娘を探す母親のそれであった。
もしかしたら高専の外に出てしまったのでは無いかとか、今この瞬間も一人で泣いているんじゃないかとか……逸る気持ちを抑え、とにかく捜索を続ける。

五条との怪獣大戦争を何とか止められた後、夏油は少女が逃げてしまったことを聞いた。
話を聞いた五条は口の端を切って血を流しながらヘラヘラとした表情で、「何それ、意味とか価値とか厨二かよ」と少女の言葉を鼻で笑ったため、そこでまたブチギレそうになった夏油は後輩達に止められ捜索を優先させた。
が、しかし、全く見つからない。
一応手の空いている者も数人捜索を手伝っているが、赤い空から太陽が落ち行く時間になっても白い姿は何処にも見当たらず、夏油は焦っていた。

自分が喉を痛めて吐き出した子は、自分とは真反対の純粋無垢な汚れ無き存在だった。
天上からの贈り物、はたまた神の悪戯か。
銀河をさ迷い孤独に浸った生命体は、人類の知恵によって産み出された物。

夏油は少女を通し、人の可能性を微かに感じ取れた。
それは大変小さな変化ではあったが、渇いた心にもたらされた潤いに他ならなかった。

大切にしていた、大切にしようと思っていた。
だから「教育」という名目で五条に手を出されたことに腹を立てたし、今こうして探している。
だが見つからない、何処にも居ない。


結局、日が落ちても少女は見つからず、明日正式に人員を割いて捜索をすることとなった。


心配する後輩に礼を言い、自室へと向かう。
溜め息を堪えながら鍵を差して回し、ドアノブに手を掛けた所で扉が勝手に内側から開き、夏油は驚いて手を離した。
そのまま数秒様子を見るも、扉は僅か数センチ開いた状態で止まっており、それ以上開く様子を見せない。

廊下には夏油しか居らず、隣部屋の五条はあの後任務に出たから不在であった。

そういえば、高専の狭い路地などばかり探して、自室には足を伸ばしていなかった…と思い付いた夏油は、もしかしたら少女が居るのかもしれないと ややあってから扉を開いた。


瞬間、冷たい空気が肌を撫でる。

夜の闇が身を覆った。

足先に着くはずの床は無く、滑り落ちるように体が宙を舞う。

否、宇宙を舞った。


扉の先に広がっていたのは星々が瞬き爆ぜる、広大な宇宙であった。
視界の先、何処までも続く果て無き天も地も存在しない世界に思考と呼吸を奪われる。

夏油は瞬時に理解する。
これは宇宙を真似た"領域"であると。

呪術師が至るべき最終極致、己の術式と呪力、そして極限のインスピレーションから成り立つ技。
それを今、夏油は体感していた。

これは、この領域の持ち主は………


「特級呪霊、真珠星」


その名を口にした瞬間、夏油は背後から名を呼ばれた。
聞き覚えのある柔らかで、何処か無機質な声が「傑さん」と呟く。
振り向けば、そこにはふわりと佇む白い少女が怯えた眼差しをしながら浮いていた。

「傑さん、あの、あの……」
「落ち着いて、大丈夫だから」
「大丈夫なんでしょうか…」
「多分大丈夫、私が取り込んだやつだからね」

夏油に向けてソロソロと伸ばされた手を掴んで優しく引き寄せれば、少女は簡単に夏油の腕の中にやって来た。
抱き寄せながらよしよしと頭を撫でると、少女はホッとした様子で小さく息を吐き出す。

「いつの間にかここにいたのです、何だかとても懐かしい場所なのですが……」
「恐らくは領域だろうね…一回吐き出しちゃったからかな、上手く取り込めて無かったのかも」

そして恐らくは、この子も何かしら関係している。

私が喉を痛めて吐き出したと言ったが、そもそも吐き出す原因となったのは真珠星を取り込んだことが原因なのだろう、未登録の特級呪霊である真珠星を取り込んだその日から様々な現象が起きたのだから。

吐き出した黒い呪霊の玉となっている状態の真珠星から聞こえてきた声は、この子の物だった。
そしてあの時この子は繰り返しこう言っていた、「コール、コール、こちらM87銀河観測員QQ42-C」と。
話によれば、M87銀河とやらは乙女座の方角に位置する銀河らしい。
そして真珠星とは、乙女座の別称だ。

偶然にしては重なり過ぎている。
いやむしろ、これだけ要因が揃っているとなると、考えられる選択肢は一つだ。

夏油は自身の腕の中で自分を見上げている少女を見下ろす。
そうして、「教えてくれないか?」と優しい声で尋ねた。

「君は、一体何を呪ったんだい?」

少女はその問いに瞬きを繰り返した。
徐々に目を見開き、「あ…」と小さな声を漏らす。


ああ、そうか………。


夏油からの問いで少女は理解した。
何故自分が夏油の元に吐き出されたのか、真珠星という呪霊がなんなのか。

その答えは簡単なものだ。

全ては彼女の「人類種への憎悪」と「宇宙への絶望」から始まった呪いだった。
彼女が真に呪っていたのは宇宙では無く、果て遠き"何処か"に存在するかもしれない人類であったのだ。



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