Happy Birthday Levi 25/12/2019
11 ほがらかな祈り
パラディ王国。切り立った山の岸壁にへばり付くように建てられたこの小国にあって、その高台に位置する城の見張り台。そこから、はるか彼方まで広がる緑豊かな大地を見渡した。
この国は岸壁を背にし、大きな石を緻密に組み上げた擁壁が左右の岸壁から半月状に築かれおり、国全体がさながら一つの要塞のような作りをしている。これは大昔の戦の時代の名残り。かつて難攻不落と言われた擁壁は、今や時代の流れとともに風化しているけれど、それでも今もなお領民を守る盾としての役割を果たしている。小さな国故に領民と王家の繋がりも強く、皆一つの家族のように信頼しあっている。
城壁の外領域には、先祖たちが徐々に開拓した緑豊かな大地が広がっている。夏の畑には色とりどりの野菜がたわわに実り、秋には大麦を領民総出で刈り取る。羊や牛、馬たちは簡易的な柵の中で、自由にのびのびと過ごしている。金や鉱石などの目ぼしい産物は無いが、それでも国は豊かで活気に満ちていた。
―――――カーンカーン
穏やかな朝。一日の始まりを告げる鐘楼の鐘。
涼やかな風に王旗ははためき、遠くの鶏舎からは
鶏
ニワトリ
の鳴き声。家々の煙突からは煙が昇り始める。朝の労働準備を始める人々の声で、次第に賑わう城下。
それを盛り立てるように、パタパタと軽快に駆けていく足音。その音はこの街のとって当たり前の風景だ。
「おはよう、いい朝ね!」
走る速度に合わせて
靡
なび
く、長い袖と長い髪。少女と婦人の狭間に身を置くような彼女。その足音に、人々は作業の手を止め、穏やかな表情で声をかけていく。麓の畑でキャベツを育てている農夫は、収穫作業へと向かう準備をしながらも、皺くちゃの笑みを彼女に向けた。
「おはようなまえ姫様!今日は絶好の収穫日和だ。姫様はまた朝から抜け出してんのかい?」
「あら、朝早く起きるのは悪いことではないわ!民のお手伝いもできるしね」
「ははっ!そうかい。後で従者様に叱られないようにしな」
あとで畑に行くわ。そう言って彼女は走ってさらに下へと降りていく。朝食を待つ少しの時間、街に降りて領民の朝の手伝いをするのがなまえの日課だ。
パラディ国の王、エルヴィンの妹であるなまえは、継承順位第二位の王女。当然そんなことをせずとも良いのだが、本人はこの生活を少女のころから続けている。苦でもなければ、どちらかといえばこの時間を楽しんでいるらしい。目的地である城門までの坂道を、次々と声をかけながら降りていく。
「姫様、モーグルの家にやや子が生まれました!」
「まあ!それは吉報ね!ヘレナに身体を労わる暖かい料理を差し入れてちょうだい。落ち着いたらお祝いの準備だわ!」
この国に産声をあげた新たな命に喜び、また一層笑顔になった。比例して走る速度が上がる。彼女の動きに合わせて、ベージュの絹のワンピースが足に絡みついては外に弾かれるように揺れている。坂を下り切り、城門近くで荷馬車に荷物積みをしていた羊飼いに、勢いそのまま駆け寄った。
「おはようグルーヴ!これから朝の放牧よね、私も行ってもいい?」
「おぉっ、姫さんか‥。困ったな、こう毎日城を抜けられちゃあ、また俺らが叱られちまうよ」
「大丈夫!私がたしなめるから」
「嗜め‥まったく仕方ねぇ。落っこちねぇようにしてくださいよ」
「もちろんよ!」
馬車の荷台に登り、荷物を背に座る。投げ出した両足をぶらぶらと揺らせば、馬車が進むに連れ徐々に遠のく城壁と、新たに現れる景色のコントラストがなまえの好きなものの一つ。
牧羊犬と戯れながら、朝採れの林檎をシャクリと齧る。瑞々しい果実は国の豊かさそのものだ。幾ばくもしないうちに到着した牧場には、40頭ほどの羊が放たれている。牧羊犬が手際よく隣の放牧地へと誘導するのを眺めていると、首根っこを勢いよく摘まれ、母猫に咥え運ばれる仔猫のように固まった。
「今日はここか・・・朝からこんなところまで無断でお出かけとは、どういうおつもりですか、なまえ姫。」
「リヴァイ、貴方も毎朝毎朝よく追いかけるものね、これが騎士道精神なの?」
「断じて違う。おちょくってんのか。」
従者であり騎士長のリヴァイは、呆れ顔を隠しもせず、大きな溜息をついた。
彼は騎士見習いのころからなまえの従者として傍にあり続けている。故に、彼らは主従関係以上に友人として、それ以上に深い関係を築いていた。二人きりの時は言葉が崩れるのも、彼らの間では許しあっていたし、リヴァイは国を守る騎士長として領民から信頼されている。彼の名は各地に広がり、どんな国の
武士
もののふ
であってもパラディ国は落とせないと恐れられている程。国盗り合戦の乱世において、この小国が生き永らえているのには、彼の存在も大いに関係していた。
「どうしてここが分かったの?」
「俺が朝から城下に降りれば、街の連中は自然とあんたの居場所を教えてくれる」
「‥次は口止めが必要かしら」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで城に戻るぞ。‥こんな薄着で外に出やがって」
リヴァイは自らの肩にかけた深緑のマントを脱ぎ、薄着のなまえの肩に回し掛けた。甲冑のリヴァイに丁度よく作られたそれは、彼女の全身を覆ってしまえるほどの大きさだ。少しむくれながらも、大人しく片手でマントの合わせ目を握るなまえのもう片方の手を取り、リヴァイは乗ってきた馬の方へと進む。道すがら、遠くで作業をする羊飼いへと大声で呼びかけた。
「グルーヴ!姫が迷惑かけたな。連れ帰る」
「へい、騎士長も毎朝大変ですねぇ」
「‥まったくだ」
身軽に愛馬の背に騎乗するリヴァイに掬い上げられるように、なまえも彼の前に乗る。腹を軽く蹴り、馬はゆったりと城への歩みを進めた。
カツカツとテンポよく鳴る蹄の音を耳に入れ、彼女は後ろのリヴァイへと体重をかける。見上げるように首をひねると、リヴァイの呆れ顔に見下ろされた。普段からしかめ面の彼だが、今日は一段と影が深い。どうやらご機嫌ナナメらしい。なまえはその眉間のしわに手を伸ばし、指を押し付けた。そんな怖い顔をしないでちょうだい。そうへらりと笑うと、さらに眉間の皺が深くなる。リヴァイはその華奢な手首を掴み、そのまま彼女の唇に自らのそれを重ねた。不意打ちのキスに少し驚きつつも、彼女もそれを受け入れる。
唇を離せば、彼の纏う雰囲気は幾分か柔らかくなっていた。
「もう‥首が攣るかと思ったわ。」
「何か不満か?減らず口を塞いだだけだろう。」
「減らず口はあなたの方ね。それに不満よ。従者とはいえ、そんなに血眼で探さなくてもいいと思うのだけど。」
「あぁ?壁の中なら俺だって文句は言わない。あんたが直ぐに外に出ちまうからだ。」
「この辺はまだ領地内よ?」
「国境に兵士はほとんどいねぇ。族が入り込んでいたらどうする。」
「‥心配性は昔からね。」
「馬鹿言え、俺は割に放任主義だ。あんたは度を越えて自由すぎる。・・・・こっちの心労も考えて欲しいもんだ。」
「はいはい、‥っくしゅん。」
「言わんこっちゃねえな。」
リヴァイは愛馬に駈歩の指示を出し、城への歩みを早めた。陽は高く上り始め、青白い空を薄らとその色に染めている。
今日もこの国の、穏やかな一日が始まった。
◆
「おはようございます、兄上。」
「おはよう。今日も早起きだったようだな、なまえ。」
城に戻り、リヴァイに追い立てられて小綺麗な服に着替えさせられたなまえ。彼女が大広間に入ると、食事用の大きく長いテーブルの上座では兄のエルヴィンが紅茶を傾けていた。彼女が入ってきたことに気づき、柔らかい笑みを浮かべている。当のなまえはバツが悪そうに、少しだけ目線を逸らして元凶のリヴァイへ、じとりと湿った目線を向けていた。
「‥騎士長は口が緩すぎるわ。」
「なんの。王に城下の様子を報告するのは、私の責務です。」
「もう!‥こんな時だけ騎士長にならないでちょうだい。」
むくれる彼女の顔を見て、リヴァイはくつくつと喉を鳴らしていたが、宮女達が入ってくるのを確認すると、すぐに何時もの仏頂面になってしまった。
パラディ国の現国王であるエルヴィンと、その妹であるなまえ。彼らと騎士長のリヴァイは幼いころからの友人だ。
リヴァイは5つにもならない頃に迫害を受け、隣国マーレから母と共に亡命してきた。 もともと身体が丈夫ではなかった母クシェルは、亡命して1年ほどで流行り病で病死。以降、身寄りのないリヴァイは騎士見習いとして王宮に入った。リヴァイとスミス兄妹は、大人ばかりの王宮の中でゆっくりと確かな友情を築いてきたのだ。それ故、3人の時は表情を緩め友人として接するリヴァイ。その上、この15年ほどで、リヴァイとなまえはお互いに想い合う仲にまでなっていた。だが、王家と騎士という関係上、公の場ではその立場を守っている。それでも領民たちは3人の関係を知っているし、暖かく見守っていた。何より、知略に富んだ国王エルヴィン、領民思いで美貌と才気に溢れる王女なまえ、パラディ国最強の騎士リヴァイに絶大な信頼を寄せている。
なまえとエルヴィンの前に朝食が並べられ、今朝献上されたばかりの卵や野菜を使った朝食たちがテーブルを彩る。なまえは焼きたてのオムレツを口に運び、もぐもぐと咀嚼してからミルクティーのカップの手を伸ばした。彼女は朝に限りミルクと砂糖たっぷりの紅茶を飲みたがる。
「民といい兄上といいリヴァイといい、この国の人は私への信頼が無いのかしら。」
「皆お前を好いている故に心配なんだ。そう言うな。」
「‥分かっているけれど。」
「元気なのはいいが、淑やかさもそろそろ覚えねえと嫁の貰い手がなくなるぜ。」
「まぁ、リヴァイってば!失礼しちゃうわ。そういう場ではきちんとしてるもの。」
「そうだったか?」
「もうっ・・・!」
穏やかなエルヴィンはいつものように、平素は仏頂面のリヴァイも、この時ばかりは表情を和らげ笑っている。―――――これが3人の朝、日常だ。
正午。昼前の兵法会議が終わり、なまえの部屋を訪れたリヴァイ。昼からは彼女の望む場所に連れて行くと約束していた。しかし、部屋の扉の前に立って数回のノックと声かけをしたものの、待てど暮らせどそれに対する返答がない。嫌な予感がする。一言詫びを入れて扉を開けると、そこはもぬけの殻。机の上には書きかけの書類とペンが無造作に転がっていて、昼までは書き物をしていると言ったはずの当の彼女の姿はどこにもない。‥またか。溜息と共に舌を打ち、一目散で厩舎へと足を向けた。
厩舎になまえの愛馬がいないことから行き先を予測して向かったのは、城外の森。昔からの彼女のお気に入りの場所。赤や黄色に色づいた葉が、地面に色鮮やかな絨毯を作っている。ゆったりとその上を歩き、少し進むとようやく見つけた。草を
食
は
む栗毛の馬。なまえの馬だ。同じ場所に自らの馬を留め、ふかふかの落ち葉を踏みしめ、森のさらに奥へと進んだ。道の脇には群生するコスモス。その一本を摘み、さらに奥へ。慰めのような秋の日光が樹木の間に差し込んで、風に乗って落ちゆく枯れ葉がぱらぱらと宙に舞っていく。空気は少し冷たく乾いていて、すぐそこに迫る冬の到来を予見させる。―――――美しく見事に紅葉したオークの木の下で、彼女は本を読んでいた。
足音に気づいたのか、手元の文字に落としていた視線がリヴァイへと向けられる。
「遅かったわね。」
「朝は牧場にいたと思えば、昼は森か?何故いつも俺の目を盗んでしか出かけられないんだろうな。」
苦言を呈せば、楽しそうに笑う彼女の目線は、すぐに本へと戻ってしまった。
「あら?貴方が忙しそうに会議していたから、邪魔をしないようにと気を使ったのだけれど。そんな王女に暴言が吐けるなんて、騎士様というのは随分偉いのね。」
「お前こそ、こんな時だけ王女ぶるんじゃねえぞ‥。」
「ふふっ、朝のお返し。」
リヴァイは彼女の横へと腰を下ろし、手元の本を覗き込んだ。
「また飽きもせず読書か。」
「飽きないわよ?日によって見える景色は違うもの。」
「どうやら同じ本ばかり読んでても、景色とやらは違うらしいな。」
彼女が読んでいるのはこの国に伝わる神話を纏めた本。この世界を創造した神々のお話。女神が世界を救う幸福な話から、酒池肉林泥沼の愛憎模様までが収められている。リヴァイにはまったく楽しさが理解できなかったが、昔からこの本をこの場所で読むのが彼女のお気に入りらしい。おかげで新品だった本は随分とよれて使い込まれている。
「そう。その日の気分、季節、時間、天気。いろんな状況の違いで感じ方は変わるし、見える景色も違うわ。全く同じ日なんてない。」
「よく分かんねぇな。」
「ふふ、貴方はそうかもね。」
リヴァイは興味なさそうにその辺の落ち葉を指でくるくると回し、風に乗せて遠くへ飛ばした。この時だけは、誰の邪魔も入らない二人だけの時間。鼻歌まじりに本を読み進める彼女の横で、彼は静かに目を瞑っていた。少しして、彼女の鼻歌に遠くからの鳥の声が入り交じり、思い出したようにぱちりと目を開く。
「すっかり言いそびれちまった。秋は野生動物が腹空かせて狂暴化してる。危ないから森に入るなと言ったろう。」
「まあそうね。でも、読書の秋とも言うでしょう?」
「また減らず口か。そんなに塞がれたいのか?」
「リヴァイ・・・その言い方は情緒がないわ。」
「はっ、ならどんな言葉をご所望だ?」
「んー、例えばそうね、”貴女様の瞳は私を捉えて離しません。貴女様の唇は摘みたてのチェリーのように魅惑的です。どうか私めにその麗しい果実を‥”みたいな感じかしら。」
「・・・オイ、そんな歯の痒くなるような言葉を俺に言わせたいのか?」
「言わないと分かっているから言ったのよ。」
からかうように横目を向ける見る彼女に、リヴァイはむっとして、手の中の本を取り上げてしまった。
「・・・なまえ、こっち向け。」
言いながら指で顎を固定され、無理矢理目を合わせられる。そのグレーがかった
三白眼
さんぱくがん
は、普段は感じ取れない程に熱い温度を宿しているように見えた。そのまま沈黙。さすがのなまえもたじろいで、口ごもる。少しからかい過ぎたかも知れない。
「なによ‥怒ったの?なら「この本に書かれてる、居るとも居ないとも分からねぇ女神よりも、あんたは俺に愛ってのを与えてくれる。なぁ、教えてくれ、・・・これ以上を欲するのはあまりに罪深いことだろうか。」・・・っ!?」
耳元で囁かれる言葉に、びくりと跳ねる小さな肩。リヴァイはさっと手を放し、所在なく降ろされた彼女の手に指を絡めた。
「‥‥貴方って、意外と詩人なのね。」
「二度はねぇよ。これで満足か?」
「‥‥今日のところはまぁいいわ。」
「余裕ぶるな。耳が赤い。」
「‥‥うるさい。」
そっぽを向く仕草とは反対に、なまえの指は、筋張ったリヴァイの指をしっかりと握り返した。
「なぁ、お前はここを出ていきたいとは思わねぇのか。」
「思わないわね。貴方は出ていきたいの?」
「思わねぇな。だが、自然に囲まれてる生活で満足できるってんだから、欲のねえ姫さんだって有名だ。」
「そうかしら。優しい兄に領民、素敵な騎士様をこうやって独占できるなんて、贅沢な生活だと思わない?」
「は‥どうだかな。」
「私はね、今のこの生活が好きなの。‥いくら大人になっても変わらないわ。」
少し強く吹いた風に目を瞑り、乱れた髪を耳にかけると、リヴァイの手が耳元に伸びてきていた。先ほどの焼きつけるようなものではない、優しげな瞳がまっすぐに見つめている。
気づけば、耳元に少しの違和感。
「‥あぁ。いくつになってもお前には
秋桜
コスモス
が似合うな」
「‥‥ありがとう。」
そういうところはリヴァイも昔と何ら変わらない。詩的な熱く甘い言葉よりも、こちらの彼の方が落ち着くし、心の底から愛しいと思う。なまえははにかんで笑い、そんな彼女にリヴァイはそっと口づけた。
◆
枯れ草に雪が積もり出す季節に、その知らせはやってきた。
南の大国、敵国マーレとの同盟締結、そして同盟の証になまえを妃にもらい受けたいという親書。要は同盟の人質として姫を寄越せという書状だ。
マーレは戦争に滅法強く、近年は強引な方法で周辺諸国に戦を仕掛け、最新の機械兵器でもって蹂躙しては国土と兵力を増やしていた。エルヴィンは間者を各地に送り込んでいるため、その辺の国家情勢にも敏感に対応できている。その手腕もあり、これまで多くの策略で他国の侵略を許さなかった。そんなパラディ国とはいえ、世界統一を画策するマーレ軍が本格的に侵攻してくるのは、時間の問題だった。
机に置いた親書という名の要求書をじっと見つめ、エルヴィンは思案した。脇にはエルヴィンに呼び出されたリヴァイが立ち、書状の内容に苛立ちを隠せずに舌打ちを打っている。
「どうしたものか。」
「何を悩む?同盟を結ばず全面戦争になったとしても、俺が蹴散らしてやる。」
なまえをマーレにくれてやる必要はない。
そう不機嫌そうに吐き捨てるリヴァイを、エルヴィンは目で制した。
「ここは西のヤルケル国との国境。この国を落とすことができれば、マーレはヤルケル侵攻にも乗り出すだろうな。」
「それがどうした。ウチを盾にして、兵力もロクに育てねぇ荒廃した王国に義理立てする気か。」
「ああ、向こうまで侵攻させてしまったら、ここ数百年均衡を保ってきたこの世界の地図が大きく変わることになる。」
貿易協定を結んでいる西のヤルケル国との国境は安全地帯。ヤルケル側はパラディとの国境に殆ど兵を配置していない。それはパラディが平和志向でかつ戦に強い事が大きかった。パラディが健在であるうちは他国からの攻撃の心配が皆無だと考えている、つまりはパラディ国を盾として考えている証拠だ。その分の兵力を北方と東方に当てているわけだが、その腐った考え方がリヴァイは気に食わなかった。
「・・・なぁエルヴィン。お前はそんな紙切れの線引きを気にするような、ちんけな野郎だったか?」
「ふっ、・・・お前は、よほどなまえに嫁いで欲しくないらしいな。」
「あ?いい年こいて、妃の一人も貰わねぇシスコン国王に言えた事か?」
「ははは、全くその通りだな。」
「認めてんじゃねえぞ。」
忌々しげに顔をしかめるリヴァイに、エルヴィンは喉で笑ってみせるだけだった。主題に戻るように再度書状へと目を向ける。
「‥‥マーレには、『同盟関係を受け入れる』と返答せよ。」
「てめぇ、なまえをマーレに行かせるつもりか?」
「あぁ、そうなるな。」
「‥‥ふざけるなよ。何をどうすればそんな結論になる?」
「この国の民のため。そのためならなまえはこの話を受けるだろう。」
「あいつの領民を想う心を利用するってのか。テメェそれでも兄貴かよ。」
「リヴァイ。‥‥瞳孔が開ききっているぞ。少し落ち着け」
「落ち着けだ?俺の気持ちに気づいててよくその台詞が吐けたもんだな・・・おもしれえ冗談だ。」
「いいから、聞け。」
「・・・あ?」
「お前が言うように私はシスコンだからな。妹に近づくのは例え誰であれ目の上の
瘤
こぶ
だ。マーレ王でも、お前でもな。少しはこの兄の気持ちを汲んでくれ。・・・手放すのは寂しいということだ。」
たとえなまえが選んだ男でも。閉じた瞼の裏側で、妹の成長していく姿を回想する。両親を早くに無くした彼は、それから親代わりとしても妹を守ってきた。リヴァイという友と出会ってからは彼の力も借りて。守る対象として妹を見ていた友人の視線が、年齢を重ねるにつれ別のものに変わっていくのに気づきつつも、それを黙って見守ってきた。
「エルヴィン、・・・何を考えてやがる」
「なまえも民も、お前も救う唯一の方法だ。」
私のお守りはもうお役御免らしい。彼の中に、確固たる意志が芽生えた。
◆
時の流れはあまりに残酷だ。有意義な時間は刹那に通り過ぎて、訪れてほしくない時間ほどあっという間に迫ってきてしまう。
ひと月前に知らせられたマーレ王との婚姻。エルヴィンの予想通りに、なまえはそれを承諾した。残りの日々も民と共に過ごしたいと、いつも以上に駆け回っていた彼女だが、あっという間にその日がやってきた。
出立の前の晩、なまえのマーレ移送のためにマーレの大使と女官、護衛ら30名余りが城へ入った。今夜はなまえを送り出す宴が催され、翌朝の調印をもって正式に婚姻が認められることとなる。
続々と城門から入ってくるマーレの隊列を高台から眺める。随分な護衛団だ。あれが明日からは自分の家臣たちらしい。書面上ではそうなっていても、人の心は単純ではない。世の姫君たちはよく受け入れているものだと心底思った。雪を降らせる冬の空気はとげとげしいまでに冷えている。身震いひとつ、腕を交差して二の腕を摩ると、見慣れた新緑のマントが肩を温めてきた。
「こんな時間に一人で外に出るもんじゃねえぞ。」
どうやら彼のマントは自分の身体を温めるためにあるらしい。上の空でぼんやりとそんなことを考えて、また城下を見つめた。
「・・・貴方がいるのだから問題ないわ。」
リヴァイの大きな手がマントの上から両肩を温める。あの冷たい甲冑の護衛30人よりも、この勇猛な騎士一人がいるだけでこんなにも心も身体も暖かい。当の本人は相変わらずの呆れ顔だが。
「体よく使いやがって。」
「それが貴方の職務だもの。」
「とんだじゃじゃ馬になったもんだな。」
「ふふっ、仕え甲斐があるでしょう?」
「随分も気楽なもんだ・・・あんたはいつだって悩みの種だってのに。」
見張り役の兵士たちは、リヴァイの申し出で少しの間休憩を取っているらしい。その言葉通り、他に人の気配はない。皆気を利かせたのだろう。それに何となく気付きつつも、なまえも何も言わなかった。今は自分自身の事で手一杯だったから。
「・・・明日でこの国ともお別れね。」
「西は風土に恵まれている。・・・いつまでもこんな辺境の小国にとどまる必要もないだろ。」
「・・・行くなって、止めてくれないの?」
「俺はあんたの兄貴に忠誠を誓った。裏切るような真似はできねえよ。」
「そう、そうよね。リヴァイは昔から、私より兄上だもの。」
リヴァイとエルヴィンは幼い頃から剣の訓練でずっと一緒だった。今でも時間があれば手合わせしている程。対してなまえは宮廷女子ならではの作法や手習い教育が多く、彼らと過ごせない時間も多かった。彼女はそれが好きではなかったし、だからこそそれ以外の時間は兄やリヴァイにずっとひっついて構ってもらっていた。
兄が王位継承に向けての帝王学を学ぶようになってからは、リヴァイが彼女の従者として共にあり続けている。元々は、活発でどこにでも駆けていく彼女のお守りのような役割だったが、友愛などとっくの昔に恋情に変わっていた。それは彼女も同様‥それでも、王族と領民出身の騎士。身分の違いは明らかだった。
「そんなことは無ぇよ。ガキの頃、なまえを守る役割をもらった。他所へ嫁ぐまでとな。・・・だから俺の役目は明日までだ。」
伏し目がちに城下を眺める彼に、なまえは儚げな声で問いかけた。
何を勘違いしていたんだろうかと自己嫌悪に駆られる。いつか彼と結ばれる日が来るかも、なんて。そんな未来、来るはずもなかったのに。いつか他国に嫁ぐ事なんて、生まれた時に決まっていたのに、と。今更現実を突きつけられて動揺している自分が彼女自身情けなかった。それでもここまで育ってしまった気持ちを、簡単に無くすことなんて出来るはずもない。
「・・・その役目が終わったら、貴方はどこへ行くの?」
「さぁな。新たな役割を与えられればそれに命を懸けて務める。無けりゃ、‥まぁ適当に暮らす」
俺はもともと
さすらい人
レンジャー
だからな。いうが早いか、なまえは振り向いてリヴァイの胸に額を押し付けた。肩のマントが滑り落ちて、パサリと乾いた音を立てる。彼女の細い指はリヴァイの服を弱々しく握り、それに呼応するように彼の心も引き寄せられた。
「っ、‥オイ」
「リヴァイ、私、‥‥本当は行きたくない。」
「それは・・・俺が決めるには事が大きすぎる。」
「分かってる。分かってるわ。・・・ふふっ、大国の5番目の妻ですって」
そう自嘲するように笑った。普段表情豊かな彼女の姿を考えるとそれは痛々しさすら感じる程だ。それでもリヴァイには簡単に「行くな」とは言わなかった。言えなかった。なまえが嫁ぐのをやめるという事は、相手国との戦争を意味する。書状が届いたとき、エルヴィンに啖呵を切ったものの、国土60ku程度の小国が、戦争で領土を広げてきた大国相手に勝てる勝算はほとんどない。男は殺され、女子供は奪われる。この国を愛する彼女にはそんな選択は出来るはずもなかった。だからこそ、彼女は最終的にはこの婚姻を受け入れている。それを分かっているから、リヴァイも己の感情だけで動くことはできなかった。
護衛団が王宮の厩舎へと入っていくころ、なまえは身体を離し、リヴァイへ背を向けるようにもう一度街を眺めた。涙で濡れた顔を隠すように。彼はそれを察し、落ちたマントをはたいて肩に掛けなおしてやった。
「もう少し風に当たったら支度するわ。‥‥下がってちょうだい」
「あぁ‥身体は冷やすなよ。」
「えぇ‥行って。」
リヴァイの去った見張り台で、声を押し殺して彼女は泣いた。
休憩から戻った見張り番の兵士たちに、彼女の嗚咽を聞いた者は「偶然にも」一人もいなかった。
◆
夜。王宮では盛大な宴が催された。
それはなまえのために催された宴。この国を出てマーレへ嫁げば、生涯二度と戻ることはできない。豪華な料理に広間の装飾、女たちの踊り、最大級のもてなしだ。明日のためにマーレから派遣された大使や護衛の兵士たちにも酒がふるまわれ、王宮からは賑やかな声が深夜まで漏れ出ていた。
早めに切り上げたなまえは、マーレの大使たちへ心行くまで楽しむようにと声をかけ、会場を抜け出した。いまは顔を合わせ辛いリヴァイは、どういうわけか宴の途中から姿を消している。正直なまえはホッと安堵していた。自室へ戻る途中、参謀のミケに声を掛けられ、兄の私室へとルートを変える。部屋の前につくと、軽く扉をたたいてそのまま中へ入った。
「兄上、お呼びですか?」
「ああ、なまえ。宴は楽しんだか?」
「ええ。明日は早いので、もう休もうかと」
自室の机で書き物をしていたエルヴィンは、その手を止めて彼女に目を向けた。なまえはいつものように兄のベッドに腰を下ろして身体を向ける。椅子ではなくベッドに行くのは昔からの癖らしい。いくつになっても変わらないな。幼い頃の妹を思い浮かべて、エルヴィンは微笑んだ。筆を置き、なまえの横に腰を下ろす。
「・・・いよいよ明日だな。」
頭を撫でてやれば、こてんと倒れてくる細い身体。迎え入れる様に片腕を広げて胸に抱きとめる。思えば最近は政務に忙しくて構ってやれていなかった。その事を少し後悔した。
「はい、こんなに寂しいものとは想像しておりませんでした。」
「あちらは色濃い文化が根付く都。お前が飽きることもないだろう。」
「ええ・・・そうだと信じております。」
皆が口をそろえて言う。マーレは文明が進んでいる。食事も文化も豪華で華やかだから、そこでの生活は楽しいはずだ。‥‥それが何だというのだろう。そんなものに別に要らないのに。この質素で自然体な文化が好きなんだ。無理やり笑ってみせるも、きっと笑えてなかっただろう。でも、兄を困らせてはいけない。彼女は本当は言いたい言葉をも、全部心の内に飲み込んだ。
そんな彼女に、エルヴィンは真剣な声音で問いかけた。
「‥‥本当に良いのか?」
纏うその空気は、先ほどとは随分異なる。彼が妹の前ではほとんど見せたことのない、いつになく真剣な表情。それを感じ取り、彼女も不安げに兄を見つめ返した。
「‥‥兄上?」
「確かにマーレ国は大国、だが、お前一人に国の命運を託すのは酷なことだ。」
「‥他に手立てはありません。領民たちを戦に向かわせるわけには行きませんもの。」
何より出立は明日だ。今更駄々こねようが、決定は覆せない。国と国との契りを簡単に
反故
ほご
にできるわけもない。
「お前が領民を思うように、彼らもまた、お前を好いている。」
「‥彼らが私に良くしてくれたのは、私が王女だからです。それはいざという時、彼らの盾となる役目があるからこそ。だからこそ私達王家は王族として存在出来ている‥その義務を放棄するなど。」
エルヴィンはなまえの両肩に手を置き、また優しく見つめた。
「なあ、なまえ。亡くなった母上の言葉を覚えているか?」
「‥はい、もちろんです。『兄妹手を取り合って、しっかりと生きてゆきなさい』と」
「あぁ、兄思いの妹を持って、私は幸せ者だ―――――」
すまない。ただそれだけ言って、エルヴィンは妹をすっくと抱きしめる。彼女は目を閉じ、兄の背中に手を滑らせて受け入れた。
◆
エルヴィンの部屋から自室へと戻ると、女官たちが寝台の準備をしている最中だった。それを待つ間、出された紅茶を飲みながら、窓から見える月をぼうっと眺める。
この部屋でみる最後の月は、ずいぶんと不格好なものだった。このまま暖かいベッドの寝たら、もうこの国の人間ではなくなる。そう考えると、眠気なんてまったく襲ってきやしない。ひとりぼっちの部屋に響く振り子時計の秒針音に、どことなく孤独を感じる。どうしてこんなにも寂しいのか。いつもなら、ここにはリヴァイがーーー
「まだ寝てなかったか。」
あぁ、まったく何て図ったようなタイミングなのか。来てほしいと思ったときに、彼は来てくれるのだ。
「ええ。・・・さっきは姿が見えなかったわね、リヴァイ」
「悪いな、野暮用で外していた。」
「そう。・・・ねぇリヴァイ。」
「何だ、また考え事か?」
「これが本当の最後だから。リヴァイと話したかったの。来てくれてよかった。」
「明日は準備だ式典だで忙しいからな。」
リヴァイはなまえの手を引き、ソファへ誘導した。3人掛けのファブリックソファが2人の重みでぎしりとしなる。膝を向き合わせるようにして座ると、先に口を開いたのはなまえの方だった。
「さっきはごめんなさい。 これまで本当にありがとう。」
「ああ、俺も悪かった。」
「たくさん迷惑かけてごめん。」
「あぁ‥。」
「我儘に振り回したこと、怒ってる?」
「気苦労は絶えなかったが、まぁ‥存外悪くはなかった。」
「そう、‥よかった。」
ほっと息を吐く。心残りの一つ。彼と会いづらいままでこの国を離れるのがどうしてもいやだったのだ。もう二度と会えなくても、恋仲ではなくなっても、友人としての関係まで失くしたくはなかった。リヴァイ本人と話せたことで、いよいよ、彼女は彼女自身を引き留めるものをなくしてしまった。これで本当にお別れだ。
「この先、兄上を‥民とこの国をよろしくね。」
留めきれなくなった涙が溢れて、両頬を伝っていく。リヴァイは黙ってそれを見つめたのち、ゆっくり口を開いた。
「‥‥なぁ、なまえ。」
「?」
伏せた瞼を開くと、リヴァイは両手で彼女の頬を包み込んで、頬に残る涙の跡を指で拭った。まっすぐな瞳から目が逸らせなくなって、涙でぼやけた視界のままで見つめ続ける。
「最後に、俺の我儘を聞いてくれるか?」
「っ‥言ってみて?」
「何の因果か、明日は俺の誕生日だ。」
「ええ、今年は何を差し上げようかしら。まあ、直接祝えるのは・・・これが最後なのだろうけれど。」
これが最後。またじわりと目が熱くなるのをごまかすようにして、なまえは目線を上に、キョロキョロとどこかを見やった。例えようのない感情をぶつけるように、服をギュッと握り込む。やはりこれ以上は耐えられそうもない。でも最後に逃げてはいけないから、と。
「来年はいい。だが今年だけは俺の望むものをくれ。」
「あら、珍しいわ、あなたが何かを欲しがるなんて。」
「これが最初で最後だ。」
「ふふっ・・・そう。何なりと、騎士様。」
そう誤魔化すようにおどけてみせる。頬に添えられた手を解き、なまえは膝を折った。降ろされたリヴァイの大きな手を掬い、小指の指輪に唇を落とす。それは幼き頃に彼女自身が贈ったプレゼント。かつて彼の親指に嵌められていたそれは、今や小指にしか合わなくなってしまった。それでも彼は、今でも肌身離さず身につけている。一々話題にすることはなかったが、それがこの上なく嬉しかった。
唇を離すと、リヴァイは伏し目がちな彼女の顎に手を添える。ゆっくりと、2人の視線は重なった。
「お前が欲しい。」
少しの沈黙。大きな彼女の瞳が更に大きくなって、中途半端に開いた唇が少し震えた。
「・・・リヴァイ?」
「俺と共に生きてくれ。」
胸元で握られた指が僅かに緩み、再び握られる。それは一度緩んだ心を再び閉じるように、拓けかけた逃げ道を自ら閉じるように。本心を抑え込むような仕草に見えた。
「・・・でも、それでは民が。」
「国も守る。一人も死なせねえ。エルヴィンも民も、俺自身もだ。」
「待ってよ‥兵も兵力も違いすぎる。どうやって守るっていうの。」
「エルヴィンの野郎がついさっき提案してきた。策はある。」
「兄上が・・・?どんな策が。」
「国を空にする。」
「何を・・・言っているの。」
彼の言葉が理解できず、怪訝そうに眉を寄せる。兄がこれまで様々な策で窮地を脱してきたのは知っていたが、彼女は策謀に精通していない。こんな逃げ道のない状況から、自分を含め領民すべてを守り抜く策が本当にあるのか。自分のせいで最悪国が滅ぶなんてことになったらと考えると、簡単に返答をしていいのかもどうかも判断できない。
それでも本当は、彼女は心の奥深くでは何かを期待する彼女自身の存在にも気が付いていた。
「それは私から話そう。」
ノックもなしに、正面の扉からエルヴィンが入ってきた。先ほどなまえが彼の部屋を訪れたときは外交用の着飾った衣装だったはずだが、いまは出陣用胴着に防具まで装備している。これに甲冑が追加されれば戦場の衣装そのものだ。リヴァイは眉間にありったけのしわを刻み、エルヴィンに鬱陶しげな視線を投げた。
「チッ、‥立ち聞きしてんじゃねえよクソ国王。」
「ハハハ、ここは王宮の中だ。どこにでも私はいる。」
「・・・悪趣味な野郎だ。」
「兄上、何をなされるおつもりですか?」
「全領民、兵士を連れて国を出る。」
「それでどこへ行くとおっしゃるの?老父や乳飲み子も多いというのに。」
「昨日、東のカラネス国と同盟を結んだ。カラネス国南方のシガンシナ城を我々にくださると言っている。」
「くれるって・・・そんなわけが。」
「もちろんタダじゃねえ。あちら側の思惑もある。」
シガンシナ城はマーレとその隣国と隣接している。昔から領土争いが絶えず何度も焼け野原になった地だ。だが、その母体の大きさから、マーレはあまり積極的に攻めることはしていない。
「カラネス国を統治するピクシス卿は、稀代の変わり者だ。」
「それは承知していますけれど‥」
東領域で最大のカラネス国。その執政であるピクシスは民間の出自ではあるものの、前王から寵愛を受け、その手腕と人柄から、執政に抜擢された傑物だ。まだ幼い新王に代わり、
政
まつりごと
の一切を取り仕切っている。エルヴィンに負けず劣らずの奇策家で柔軟な決断に長けているが、それと同時にかなりの謀略家であり、自国の益しか省みないこともある。つまりは狸じじいという話だ。
予想通り、次に兄の発した言葉になまえは固まった。
「ただし、国ではなくなる。私はこれから一城主の身だ」
「それで民は納得しましょうか。パラディの栄光や誇りを捨てて、マーレとの同盟を破棄してまでカラネス国の一部となる理由など‥」
この兄は国王としての威厳を捨てて、大国の将になると言うのだ。何のためにそこまで。
「・・・私の、ため?」
「いいや、私の我儘だ。同盟のために妹を売る兄になど、なりたくはない。」
「兄上・・・。」
「皆、私の考えに賛同してくれたよ。私たちは民に恵まれたな。」
エルヴィンは目を細め、なまえの髪を梳くように撫でた。これだけの大きな決断だ。彼も相当に悩んでの判断だった。先祖代々守り抜いた土地を捨て、城を捨て、別の国へ下る。そして極秘裏に城下の一軒一軒を訪ねて話をし、民に頭を下げて回った。最後の一軒に、つい先ほど承諾を得たということらしい。自分の知らぬ間に実行目前まで進められていた計画。率直に驚きつつ、それでも、本当にうまくいくのかは半信半疑だ。マーレへの出立は明日。ここからシガンシナまでは馬で3日の距離。時間がないなんてものではない。
「・・・いつ、決行するのですか?」
「もちろん、今からだ」
「今!?・・・でも、いまこの国にはマーレの大使や護衛がいるのですよ?全員の移動なんて、確実に気づかれます。」
「彼らは今日の酒宴で熟睡中だな。」
給仕が彼らのワインに、眠りが深くなる粉を誤って混ぜてしまったのはほんの些細なミスだ。意地悪く笑う兄に、彼女は固まるしかなかった。そして彼は何の裏も企みもない慈しみの感情で妹の眼を見つめる。
「民の準備は整っている。あとはお前の返事次第だ。決行も、取りやめもな」
結果を居間で待っていると部屋を出ていくエルヴィンを目で見送り、リヴァイは息を吐いた。やはり策謀では勝てそうにない。右腕である自分にすら、ついさっきこの決断を明かすような男だ。これは友人としての応援でもあり、兄としてリヴァイに出した課題でもあった。この大一番で自分の気持ちを伝えろという課題だ。今まで、最終的には彼女を手放さなければならないという分かり切った結末故に、リヴァイも決定的な言葉は伝えてこなかった。彼女も分かっていることだった。それは伝えてはいけない呪いの言葉となり、彼らの中を蝕んでいた。その呪いはたった今、王によって解かれたのだ。後はお前たち次第だ、と。大きすぎる借りを作ったことを疎んだが、彼女を前にしてはそんなもの取るに足らない小さなプライド。本人に言う事は一生ないが、心中でそっと謝辞を述べた。
「とんだ邪魔が入っちまったな。続きだ。」
未だに少し混乱したようななまえに向き合い、片膝を折ってその手を掬う。
「マーレから書状が届いてから、何度も攫っちまおうかと考えた。だが、それじゃお前の望む結果にならない。分かっていたから俺も動けなかった。情けねぇな。・・・一度でも手放そうとした俺を許せ。」
「いいえ、それが正しかったの。」
「初めから言葉にすべきだったな、心底愛してる。一生大切にすると約束する。お前の残りの人生を俺に贈ってくれ。なぁ、なまえ・・・俺の誕生日、祝ってくれるか?」
「っ、ズルい聞き方・・・私が祝わなかったことなんて、あると思うの?」
こみ上げてくる感情に胸の奥がいっぱいのなって、なまえはリヴァイの首に腕を回し、額を合わせた。
「連れて行って、カラネスでもどこでも。王女なんて肩書きは要らない。貧しくたっていい。リヴァイと一緒なら。」
「上等だ。」
この国で彼女が流す最後の涙は、愛おしさから溢れるものだった。リヴァイは彼女を強く抱きしめ、額に鼻に、そして唇にキスを落としてゆく。王宮の窓からのランプ信号を受け取った民たちは皆静かに歓喜し、夜更けとともにパラディ国は世界から消え去った。
次の朝、マーレの大使たちが目覚めると、鶏の声一つしない廃墟と化した城と街が目の前に広がっていた。
◆
7年後
◆
レンガ造りの花壇に、色とりどりの花が咲き始めた春。小鳥たちは戯れながら、枝から枝へと飛び移り、咲き始めたアーモンドの花びらがひらひらと辺りに舞い落ちる。庭の小さな石窯からは食欲をそそる香ばしい匂い。パーラーで焼き立てのオート麦のパンを取り出せば、一層漂う麦の香りが鼻孔を通り抜けていった。綺麗に膨らんだ美味しそうなパンを、紙で包んで籠に入れるなまえの横を、小さな二つの影が元気よく走り抜ける。
「行ってきまーす!」
「あ、ちょっと待って二人とも、」
いまにも駆け出していかんとする息子達に、なまえは慌てて手に持った籠を手渡した。
「はい、お昼のパンよ。怪我のないように。無茶をしないように。棒を振り回してはダメ。いいわね?」
「「わかってるよ!母さん!」」
言った傍から騎士ごっこをしながら訓練場へと走っていく我が子を、ため息交じりに見送ると、玄関扉に背もたれた夫が愉快そうに、遠ざかる二人を見ていた。手には紅茶のカップ。少し冷える朝の空気に湯気を立てている。
「あいつら今日も剣の訓練か?」
「どこかの騎士様に憧れちゃってるんだもの。毎日擦り傷ばっかり・・・」
なまえは自分たち用のパンの入った籠を手に持ち、夫へと近づいた。
戻りながら振り返れば、息子たちの姿は曲がり角に消えていくところだった。今日も彼らは全身に傷あてを貼り付けて、自慢げに訓練の様子を語ってくれるのだろう。まあ、この父親の血を引き継いでいるのだから、きっと止めても無理なのだろう。なまえはふっと苦笑した。
「そりゃ仕方ねぇよ。惚れた女を守るためなら、騎士ってのはいくらでも強くなれる。」
「そうなの?でも貴方は昔から強かったわ。」
「・・・言ってなかったな。俺は、騎士見習いになる前にお前に出会っちまったんだ。だから死ぬ気で剣を習った。」
「そうだったの?いつだったかしら。」
「・・・秘密だ。」
俺がいつか、お前に看取られながら死ぬ日までな。
いつか命が尽きる時、それは戦場ではなく、愛する家族に囲まれながらの眠るような最期がいい。その時は、白髪の妻の頬を撫でながら、どんな
御伽噺
おとぎばなし
より、どんな神話よりも胸躍る出会いだったか息子共々聞かせてやりたい。幼き日、街に馴染めず街から離れた大木の下で本を読んでいた自分に、屈託のない笑顔で花環をくれたあどけない表情の彼女を回想し、リヴァイはその瞼に
憧憬
どうけい
のキスを贈った。
>>ほがらかな祈り
fin.
ーーーーーーーー
あとがき
長文&駄文、お目汚し大変失礼いたしました!
個人的に大好きなファンタジー長編小説の世界観オマージュです。中世のお城をイメージしました。小説というよりも、短編映画の脚本のような書き方で、だらだらとしてしまったシーンもありました。分かりにくいことも多かったかと思いますが、少しでも気に入っていただければ幸いです。精一杯の愛をこめて。Happy Birthday LEVI!!!
執筆者さんに応援
コメント
を送る。
コメント数:1
「#寸止め」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -