02

この世の全ては陰と陽でできてる。
太陽と月、光と影、男と女。

真逆のものが常に隣り合わせで世界を作るのだとしたら、これもきっと仕方のない現象なのだと思う。

そう、例えばあたしを映す好奇の視線にいろんな物が混じるのも、それに居心地の悪さが湧き出るのも。

自分が思ってたよりその遥か上を行く。
A級1位の肩書きは想像以上に荷が重かった。
















「お、似合ってんじゃん」
「言わないでー、もうそれトラウマレベルに聞きたくないです」
「どうしたの花衣ちゃん、ブスになってるよ?顔」
「ブスは元からです」

相変わらずな毒舌を披露した迅さんは、ラウンジのソファーで悶えるあたしに苦笑いを向けた。

どこにいようがどこを歩こうが常に見られる。知らない人からの視線は不快感を煽って、こないだ二宮さんにガン見された時は本気で死ぬんじゃないかと思った、怖すぎて。

でもね。
100歩譲って見られるだけならいい
まだ耐えられる。

問題は見るという行為からもう一段階踏み込んだ先のこと。

頑張って下さいね
応援してます
私もやる気出ました。

なんであんなヤツが太刀川隊に入ってんの?
媚びでも売ったんじゃない?
アイツがA級1位かよ、ボーダーのレベル低くないか?

対極の感情をひっきりなしで見聞きすれば、いくら知らないフリを決め込んだとして、面の皮が電話帳並みに分厚いあたしとてへこむ、落ち込む、嫌になる。

それを女子トイレから出ようとしたタイミングで、洗面所の目の前で数人が話してるのを直接聞いてしまえば尚更。

そりゃブスにもなりますよ。

とそこまで一気に捲し立てると、あたしの顔を覗き込むように凝視する迅さんはどこか怪訝そうな表情をしてた。

「花衣ちゃんさ、虫苦手?」
「は、…い?」
「いや、虫、苦手?」
「あの、迅さん?話し聞いてました?」
「聞いてた聞いてた、で、苦手?」
「好きではないです、けど」
「台所で良く見るあれとかは?泣いて発狂したりする?」
「そこまでしませんけど、びっくりはしますよね」


話しを聞くどころか話しをすり替えられて唖然とするあたしに、あれ、読み逃したか、なんてぽつりと呟く迅さんは自分の世界から暫く出てこなかった。


「なに話してたっけ」
「ほらやっぱり聞いてない」
「あぁ、そうそう、やっかみに潰されるってヤツね」
「そこまで言ってないですけど、そんなとこです」

ぼーっと考える素ぶりを見せたこの人の焦点はどこを捉えてて、その目の奥で何を見てるのか。計り知れない情報が常に頭の中を右往左往してるんだろうなと思ったらゾッとする。

あたしならそれこそ絶対発狂もの。太刀川さんなら今以上にちんぷんかんぷんな言動が増えると思う。

こっち側に戻ってきた迅さんは、花衣ちゃんて変なとこ神経質だもんなって他人事みたいに笑うけど、当事者はなかなかに悩みが深いんですよ。

「そんなのも全部ひっくるめておれと訓練したんじゃないの?」
「まぁ、そうなんですけど」
「今のままじゃ名前負けするの分かってるから頑張ってたんでしょ」
「その頑張りが足りない気がします」
「そんなことないよ、もっと自信持っていいと思うけど?」
「唯我くんよりは強くなったかな」
「今度やってみれば?面白そうだからそうなったら俺も見に行くよ」

同じ隊服を身に纏ってからの、初めての任務の時、モールモッドの大群の中へと本人の意思関係なく放り込まれた唯我くんの、青ざめた顔を思い出して吹き出しそうになった。

スパルタなのか単に面白がってやったのか、太刀川さんと出水くんが逃げ回る唯我くんを見て、抱腹絶倒してた姿は確実に後者だ。

何故かあたしとはあまり話してくれないけど、迅さんが言うみたいに今度手合わせお願いしてみようかな。

「すーぐマイナスに考えるのはちょっと頂けないな」
「性分ですから仕方ないです」
「ここでは良いよ?それでも。けどさ、これが遠征先ならどうする?自分の思考が命取りになることなんてザラにあるよ」
「あー、」

強くなりたかった。
強くなって遠征部隊に入りたいと思った。
でも今の自分の実力じゃ絶対ダメだと思った。
胸を張ってこの隊服を着たかった。

目的がズレそうになった自分に、この人の言葉はいちいち刺さる。


そうだよ。
あたしは周りの目を気にしてる暇なんてないんだ。
そんな所に意識を割いてる時間もないんだ。
だったらそんなもの、クソ喰らえと跳ね除けてしまえばいいんだ。

「なんで迅さんはいつもそうやってあたしを上手く刺激するんですか」
「なんでだろうね、おれにもわからない」
「乗せられて転がされてる感じがすごいムカつく」
「はは、おれの手の上で踊ってくれるの?それはそれで面白いな」
「あたしは面白くないですけどね」
「いいよ、花衣ちゃんなら大歓迎」
「ほんと人の話聞かないのは太刀川さんとそっくり」

なんだろうな、この感覚。
この人と話しをする時、太刀川さんとはまた別な安心感がある。

太刀川さんが飴なら迅さんは鞭?
あの人はあたしの言葉に的確な答えはくれないけど、その代わりちゃんと受け止めてくれる。
対照的にこの人は厳しいことも言うけど、答えにたどり着くまでの道を作ってくれる。

だから、可愛くないお口はここぞとばかりに嫌味ったらしいのに、心の内をすんなり見せることができるんだと思う。

頑張ろう。
こんなとこで立ち止まってちゃいけないよあたし。

「あの、望月さん、ですよね?」
「……あ、はい、えーっと、」

解決したみたいだし、コーヒー買ってこようかな。
迅さんが立ち上がって背中を向けた直後、視線を感じた。声のする方に顔を向ければ白い隊服を着た知らない人。

うん、慣れた、大丈夫。
ここ数日の入れ替わり立ち替わりな他人との接触に、少しだけ腹が据わった。良いことも悪いことも、自分が不快だと感じるなら、耳には入れても心には入れない。自分で自分を守ってやらなきゃまた揺れる、惑わされる。そんなの嫌だ。

薄く笑みを乗せる目の前の人に、あたしも同じような表情を向けて、小さく手のひらを握った。

「入隊する前からホームページ見てて、ずっと憧れてました」
「あ、りがとう。えっと、最近?入ったんですか?」
「はい、こないだ入隊式終わったばかりで」
「そうなんですね」
「ほんとは自分も頑張って早く強くなって望月さんとチーム組みたかったんです、けど、」
「あー、」
「先越されちゃいましたね」

一瞬、ほんの一瞬だけ歪んだ表情につられてあたしも苦い笑いを貼り付けた。こんな風に言ってもらえるのは有り難いけど、なんにも知らない人に勧誘されてもきっと首を縦に振ることはないと思う。

「あの、もし良かったら握手、」
「ん?」
「いや、なにもないです。それじゃ僕はこれで失礼しますね」
「はい、頑張って下さいね」

目を細めて、弧を描いた唇からふっと笑みが消えた。あたしを映してたはずだった彼の視線が、後ろに飛べば言葉も消える。それだけ残して早々に立ち去ったすぐ後、見計らったみたいに名前を呼ぶ迅さんの声が聞こえた。

「なんですか怖い顔して」
「怖い顔?してる?」
「今は普通ですけど、振り返った時別人かと思いましたよ」
「やだなー、おれはいつも通りだよ?はいこれ」
「ありがとうございます」
「そういえば花衣ちゃんこのあとの予定は?」

この人のポーカーフェイスには毎度のことながら感心させられる。どうすればこんな飄々とした態度ができるのか、それも粗が出る所かほつれもしない完ぺきな表情に、出会った頃のあたしならきっと騙されてた。

珍しく冷えた目つきで眉間に寄った皺を見間違うはずなどないけど、本人が隠したいのならそれ以上踏み込むのはルール違反。この人がもう一度隣に腰を沈めたタイミングで缶コーヒーのプルタブを引いた。

「この後は大学に忘れ物取りに行ってからそのまま帰ります」
「それ、明日じゃダメなの?」
「ダメですね、明後日提出のレポート間に合わなくなるんで」
「あー、じゃあさ、取りに行ったらもっかい戻ってきてくれない?」


それともう一つ。
こんな風に遠回しなやり取りを仕掛けてくる時は必ずその裏がある。

言いたくないのか言えないのか、今言ったら少し先の未来に変化が起きるのか、その変化とやらが良いものか悪いものか。

凡人のあたしからすれば理解できない、最早しようとも思わない迅さんのこんな言葉もいつもなら従ってる。

だけどどうしたって聞き入れられない時もあることを分かってほしいと思うのは決してワガママじゃないはず。

「それも無理ですね」
「やっぱ言うと思った」
「なら言わないで」
「じゃあこれならどう?」

未開封のコーヒーを片手で弄ぶ迅さんの顔は、相変わらず何を考えてるのか読めなかった。だからいつも次に投げられる言葉に驚かされる。




「今日一晩おれとずっと一緒にいて」




楽しい時間や穏やかな時間は、いつもその先にある暗雲を隠してしまうんだ。

「バカも休み休み言って下さいね」

声を張り上げることも驚きのあまり失うこともなく、寧ろくだらなすぎて笑いそうになって、歴代トップ3に入るんじゃないかぐらいのはちゃめちゃな爆弾をあたしは難なく交わして逃げた。




何か意図があったんだと思う。
でも種明かしもしないままのあれはさすがに無理だ。

帰り道、思い出してはまた笑いそうになってを数回繰り返し、漸く見えた集合住宅の、自分の苗字の付いたポストを開けた。

中身はデリバリーのチラシが数枚、その下に端末の請求書と、隠れるように重なってた白い封筒を取り出す。裏も表も真っ白、宛名も書いてなければ差出人の名前もないそれがなんだか無性に気になって封を切った。

二つ折りにされた便箋を開くと、ぎっしり詰まった文字の羅列に読まなくても分かる。

これは普通じゃない。
これは何かがおかしい。

得体の知れない恐怖心が全身を抜けた途端、足の裏が地面にめり込んだみたいに動けなかった。裏腹に見たくもない自分の目は必死に文字を追う。



今日もボーダーおつかれさま。
花衣ちゃんは大学に通ってるときも可愛いけどボーダーで活躍している時のほうが素敵だよ。
もうすぐレポートの提出期限だけど、大丈夫かな?
最近忙しいみたいだからちょっと心配しています。
いつも頑張り屋さんな花衣ちゃんだから無理してるんじゃないかなって。
でも安心してね、疲れた時はいつでも僕が癒してあげるから。花衣ちゃんは何も不安になることなんてないからね。
今日のスカートもすごく似合ってる、とっても可愛いよ。でもちょっと短すぎるかな。ただでさえ可愛いのにそんなの履いてたら変な奴らに悪いことされないか気が気じゃなくなるから、できれば外出する時はズボンが嬉し……。



震える指先で鍵を開けた。
気持ち悪すぎて最後まで読めなかった手紙が握った手のひらでぐしゃりと音を立てる。

なにこれ。
なにこれ。
なにこれ。

家に入って玄関の鍵を閉めると僅かばかり気が緩むも震えは止まってくれなくて、靴も脱がすにその場でへたり込む。

なんでこんなにあたしのこと把握してんの。
なんで今日の格好まで知ってんの。

パニクる思考が何度も同じ所をぐるぐる回って、そこからずっと抜け出せなかった。





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