▼手を繋ぎたい高尾さんの話(菜乃)


 雪が積もった。さすがにチャリアカーは動かせない、真ちゃんを迎えにいかなきゃ。マフラーを巻くのもそこそこに、いつもより早く家を出て、なれた道を早足で歩く。チャリアカーで来いって追い返されちゃったら、和成泣いちゃう、とか、頭のなかで茶番を繰り広げながら彼の家まで来ると、玄関先に緑色が見えた。おっはよー真ちゃん、声をかけると翡翠の瞳がぱちぱちと瞬く。お前、チャリアカーはどうした。雪こんなにあったら乗れねーって、それより寒いのに外でてんなよ。エース様が風邪なんて馬鹿らしいぜ。そんなことをいってちゃかしながら、真ちゃんが横に並ぶのを待つ。あーでも真ちゃんが風邪引いたらオレ、お見舞い行くからさ!ダイジョーブ!ぐいっと右手を引くと、転ぶのだよ、と不機嫌な声が返ってきたけれど気にしない。なんたって今日は手を繋いで並んで歩けるのだ、そんなちいさな、ほんとうにささいなことで心が躍る自分は相当にお気楽なのかもしれない。赤色のあたたかそうな手袋をぎゅうっと握る。何か言いたげに真ちゃんが口を動かすのを唇に手を当てて制した。大通りまでだからさ。目をわざとらしく逸らしながら、手を握り返してくれるものだから、自分からやっておきなか今更になってなかなかにむずがゆくなってきて、握っていない方の手をポケットにつっこんでみた。沈黙が降りる。意識したら喋れない。普段あれだけ真ちゃんの前でしゃべり倒しているのにどうした和成、しっかりしろ。これじゃあまるで昨日のドラマに出てた初々しいカップルみたいじゃないか。懸命に回転させた頭が絞り出したのは。

「し、真ちゃん、しりとり、しない?」

 こくり、真ちゃんがぎこちなく頷いた。はじめは、えーっと、はじめは、しりとりの、り。

「じゃあ、オレからね。り、りんご」
「ご、午後」
「ごま」
「孫」
「なんで真ちゃんそんな早いの、えーえーっと、ご、かい」
「囲碁」
「え、もうご、とかないじゃん……ご……あ、ごはん!」

 あ、ダメだ。気づくと同時に、さっきまでのしおらしさはどこへやら、人事を尽くせていないな、と真ちゃんが鼻をならして笑った。ハイハイ、降参ですよ。大きな道に出ると雪も少しすくなくなってきた。まだまだ学校への道のりは長い。それにしても真ちゃん頭の回転はえーな。ひらひらと右手を振ってみせると、あれは反射の問題なのだよと言いながらもまんざらでもないような顔をしたけれど、真ちゃん、オレの勝ちだぜ。だってまだ、手は握ったままだ。

pc[編]


▼イタズラ(鈴那)


俺がいつも決まって座るのは、自分の席ではなく彼の椅子だったりする。
「お前はいつも、いつもなんなのだよ」

少し前からは諦めたのが授業以外の時は座っていても何も言わなくなった。
それが俺にとっては少しさびしかったのかもしれない。

だからこんな事をやらかしたんだろうな。
教室に戻ると自分の席に座り本を読んでいる緑間を見つけると声をかける。

「真ちゃん、先に戻るなら言っておいてくれればいいのに」
「楽しそうに話してたからな、邪魔をするのも悪いと思ったのだよ」

気を使ってくれたのは嬉しいが、ちょっとだけだったし待ってて欲しいと思うのは俺のわがままかもな。

「そっか、ありがとな」
思わず照れてしまい、へへっと笑いつつも、座ったのは彼の膝の上で。
そのあと頭をはたかれたあげく、説教されたのは言うまでもない。

pc[編]


▼惚れた弱みというやつは(頼花)


高尾は授業に出るか否か、本気で悩んでいた。何と言っても辛いのは、いつもなら普通にできる「席に着く」という行為である。
朝のチャイムが鳴るまで自分の机の脇に立ってなにか鞄を漁ったりいろいろと用事がある風に見せかけながら、その実頭の中はうまい授業の受け方を考えるのに必死だった。

「ふん、高尾…辛そうだな?」

「真ちゃんてめっ!お前のせいなんだからな!笑ってんなよ!」

嫌味ったらしい笑みを顔に貼りつけて高尾の席まで歩いてきた緑間は、わざと腰あたりをつつくように触って言った。
かっと噛みつく高尾だったが、たとえそれが自らを小馬鹿にしている笑みでも惚れた男のものとなれば愛しく思えてしまうことが腹立たしい、とむくれつつ、臀部を庇うように緑間から遠ざける。

事の本当の発端はあまりにも馬鹿馬鹿しすぎて忘れてしまったが、昨日の夕方緑間が高尾の家に寄った折に、小さい頃なにか悪さをしでかすとお尻を叩かれた、などという昔話になった。
緑間もそうであったかと問うとそんなわけはないとムキになって答えたのを、高尾が「本当はそうだけど、恥ずかしいから隠してんだろ?お尻ぺんぺんされる真ちゃんとかかーわいー」と茶化したせいで緑間がキレてしまった。
しまったと思ってももう遅く、そんな悪さを言う口はこの口かなどと稀に見る鬼畜ぶりで酷い目に合わされた。その結果がこれだ。いまだにうっすらと赤い、高尾の後ろ。

「真ちゃんにお尻叩かれる日が来ようとは…」

「お前が悪い」

しれっと言い放って自席へと向かって行った緑間に「真ちゃんひでー」と非難を投げつつ、それでも緑間にされることについて嫌なことはなにひとつないのだと高尾は思う。
惚れた弱みってやつかねぇ。
苦笑を漏らせど痛みは引かないが、その痛みさえも少しだけ、愛しいと思ってしまったりするのだ。

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▼『てっぺんを、取れ』(樹理)


じりじりと焼き付ける日差しと、ひっきりなしに響く蝉の声。
胃の中のすべてを吐き出して気持ち悪さは消えたが、暑さでどうにも視界が揺れる。
思い切り蛇口を捻って、頭から水を被った。
水も太陽にやられてぬるいが、それでも何もしないよりましだった。
「……高尾」
じゃり、と砂を噛む音がして、気づいたら緑間が背後に立っていた。
いつかに見たような光景。
……2年前のこの時期も、俺はこんなふうに何度も吐いて、そのたび迎えにきてくれたんだっけ。
「部長直々にお出迎えなんて、いいのかよ」
「ばかめ。休憩をとらせてあるのだよ」
お前がここで使いものにならなくなったら、今年は本当に困るのだよ。
かろうじて聞き取れた緑間の声は、いつになく真剣みを帯びていた。
そりゃそうだろう。
最後の夏だ。泣いても笑ってもこれが最後なんだ。
何度だって思い出した先輩たちの背中がすぐそこに見えるようだった。
足掻いて、もがいて、手に届かなかった頂に涙したあの頃。
『緑間、高尾。一回だけしか言わねーから、よく聞いとけ』
そういったのは宮地さん。
『お前等は最高の後輩だ』
不敵に笑った、木村さん。
『だから。残すのはこの一言だけだ』
まっすぐに俺と緑間を射抜いた、大坪さんの強い眼差し。
いつだって背中を押してくれたあのことばを胸に刻んで。

俺たちは、歩き出す。

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▼その柔らかさで受け止めて!(みやま)


 リビングの壁にかけてあるコルクボードに、今度あるという個別ポーチの清掃のお知らせを画鋲で貼る。ついでに横のカレンダーに印をつけて、小さい字でメモを書いた。個別ポーチ清掃、物を撤去しておくこと。日曜の昼間にあるというそれ。土曜の朝にでもあいつにやらせよう。同居している男の顔を思い浮かべながらペンのキャップをはめる。がちゃりと開いたドアを振り返れば、今まさに思い浮かべたそれよりも、随分とだらしない顔がのぞいていた。

「真ちゃんおっかえりー」
「ただいまなのだよ」
「なんかのお知らせ?」
「ポーチに清掃があるらしい。植木鉢をどかしておけと」
「ほほー。日曜か、なら土曜にやればいいね。了解」

 なんの疑問もなく自分がやると言い出した和成に、思わず目を瞬いてしまう。良いのかと問うと、真ちゃんに指先危ないことさせられないっしょと即答された。こいつは今も、オレの指をとても大切にする。あの頃よりもずっと頼りなくなってしまったこの指に、何を見ているのかはオレも分からなかった。……というか、今はそれよりも。

「……和」
「なーに、真ちゃん」
「今すぐ手を離せ」
「嫌なのだよ?」
「なんなのだよ! 家庭内セクハラなのだよ! あと真似をするな!!」
「セクハラじゃなくてスキンシップだよ真ちゃん!」
「毎日毎日勝手にオレの尻を撫でまわすんじゃない!!」
「真ちゃん、お尻触ってもいい?」
「許可を取れと言ったわけじゃない」
「じゃあ勝手に触るっきゃないじゃん」
「自分の尻でも触っていればいいだろう…!!」
「んー……んー……うん、やっぱり真ちゃんのお尻の方が触り心地が良い」
「真顔でなんてことを言うのだよオマエは」

 自分の尻とオレの尻を交互に触って確信を持って頷く和成の頭をためらいなくはたく。グッジョブじゃない。せっかくプラスに受け止めてやったというのにこいつは。

「真ちゃんのお尻は多分、オレに触られるために生まれてきたと思うんだよね」
「尻だけ独立してるかのような言い方は頼むからやめろ」
「真ちゃんは多分、オレに触られるために生まれてきたと思うんだよね」
「気持ち悪く言い直すな気持ち悪い……!!」
「うわっそれ良い! もっかい言って真ちゃん!」
「和成きめぇのだよ!!」

 外から帰って来たばかりのオレにはじんわりと染みるようなあたたかさの中、フローリングに押し倒されて抱きしめられる。離せと言っても聞かない男だ。諦めて力を抜いた、ら、その勝手な手がまた尻を撫でまわし始めたので。

「……しねっ!!」
「うきょん!」

 とりあえず一発殴って昏倒させておこう。ばかめ。

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