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「こちらがネズの瓶詰めになります。詰めてから一年ほど経つのでそろそろ廃棄を考えていたんですよ。一緒にメダカと水草が入っているので、日の当たる場所に置いてあげて下さい。」あなたがその球形の瓶を手に取ると、瓶の中でうつむいていたネズは泣き腫らした目であなたを見上げた。


***

「瓶は割れにくくできていますが強い衝撃を受けると破損することがあります。鑑賞用として長く楽しむ場合はくれぐれもご注意を」

化かされたような気持ちで店のあった路地を出て人の頭ほどの大きさの瓶をまじまじと見つめる。
いくつかの魚影と水草に囲まれた水の中からこちらを見つめ返してくる小さな生き物は、てのひらに乗せられるようなサイズにまで縮んではいるが、店主の言葉通り間違いなくネズだった。

「お前、ネズだよな?なんでそんなことになってるんだ」

瓶の中のネズが腫れぼったい瞼でぱちりと瞬き、ぱくぱく口を動かすと小さな泡が数個浮かんで水草にひっかかる。
聞こえない。
困って眉を下げるとネズも釣られたようにへにゃっと眦をさげた。
それは喧嘩別れする前のネズが見せてくれていた、気の抜けるような笑みだった。

人に見つからないよう上着で包んで家に持って帰った瓶詰めのネズは、確かににネズなのだけれど本物より随分おさないというか、かわいげがあった。
瓶に指を当てればすいと泳いで寄ってきてガラス越しにキスしてくれるし名前を呼べば必ず振り向いてじっと様子をうかがってくる。
話しかけても照れ隠しで一瞥すらくれず「聞いてるんで勝手に話しててください」と言い捨ててきた本物のネズとは大違いだ。
しかしレースのカーテン越しに薄く日の光が差し込んできたときの嫌そうな顔なんかはやっぱり朝に弱いネズ本人にしか見えなくて、なんともいえない不思議な感じがした。

「……そういえばおれ、ネズが泣いてるところなんて見たことなかったなぁ」

瓶詰めのネズが店で売られていたときの泣きすぎて真っ赤に充血していた目や腫れたまぶた。
本物もあんな風になることがあったのだろうか。
例えば喧嘩別れをしたあの日。
お互いにイライラしていて「おれのことは放っておいてくれて結構」という売り言葉を衝動的に買ってしまいもう知らないと関係を絶ったあの日、ネズは一人で泣いたのだろうか。
だとしたらなんだという話だ。
なんだという話だが、気になった。
それはあのときネズの言葉を真に受けたりせずきちんと話し合っていればなにか違っていたのかもしれないという、有り体にいえば後悔というものだった。

「ネズ、元気にしてるかな」

店主曰く瓶詰めのネズは瓶を開けると消えてしまうらしい。
食事を必要としないとはいえ好物を作っても食べさせてやることができないのはかわいそうで寂しかった。
たまになにか歌っているようだが泡がぽこぽこ浮かぶだけで声は聞こえないし、ガラスに囲われていては触れ合うのも当然不可能だ。
ふと、本物のネズに会いたいと思った。
もう恋人ではないので手料理を振る舞ったり肌に触れたりするのは無理だが顔を見ることや歌を聞くことならおれにもできる。
思い立ったが吉日と唯一人並み以上だと自負している行動力で引き出しにしまいっぱなしにしていたライブのフリーパスを取り出すとおれの動きを気にしていたネズが瓶にはりついて目を輝かせた。
声はなくとも表情だけで「まだ持ってた!捨ててなかった!」というストレートな歓喜の気持ちが伝わってくる。

「そうだよ、持ってたんだ。捨てられなかったんだよ」

苦笑すると返ってくる例のへにゃりとした笑顔。
別れる前の年の誕生日にネズがくれた無期限パスが別れて一年近く経った今でもまだ有効かという不安はあったがその反応を見て少し安心した。
このネズと本物のネズが同じ感情を共有しているとは限らないのだけれど、なんとなく。


***


そうして無事入り込んだスパイクタウンのライブ会場はネズの集客力に対してあまりに狭く、ごった返す人の中、

ステージ上のネズと目があった


***


「ーーーー今更なにしにきやがった!」

目が合って数秒、歌うのをやめて呆然とおれを見ていたネズがマイクに向かって叫んだ。
歓声を上げていたオーディエンスは静まりかえり、いくつもの視線が突き刺さる。
ライトに照らされたネズの獰猛ともいえる表情はおれを見送ってくれた瓶の中の彼が見せたことのない類の顔のはずだがなぜかあの泣き腫らした目と重なって、咄嗟に「話がしたくて!」と叫び返すとネズは目を見開いて固まった。
ネズと別れたことを後悔している。
おれが悪かったと謝るのは違うと思うけれど、あのとき話し合うべきことはたくさんあったはずだし、ネズが向き合ってくれるなら話したいことも、たくさん。

「話がしたい!」

もう一度叫んだおれに会場のどこかで指笛の音が鳴った。
それを皮切りに拍手や歓声が湧き上がる。
呆れか安堵か諦めか、全身を使って大きく息を吐いたネズが顔を上げ、そして。


***


ネズを連れ帰ったとき、部屋の奥にはカーテンの揺れる窓際には砕けたガラスの破片と水たまりができていた。
誰もいない部屋で瓶が割れるような強い衝撃が加わることがあるとは考えづらい。
あるいは衝撃とは、瓶に対するものとは限らなかったのかも。
とにもかくにも瓶を開けると消えてしまうという店主の話し通り小さなネズの姿は見当たらなかったが、なぜか『消えたのではなく戻ったのだ』という確信がおれの中にあった。
手を握れば握り返され、見つめて笑えば気の抜けるような笑みが返ってくる。
瓶の中にいたのはきっとネズの愛だ。
瓶詰めのネズはネズの中に戻って、今日もおれのそばにいる。



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