Novel | ナノ

「あれ?土井先生じゃないですか。いらっしゃいませこんばんは」

「はい、こんばんは」

土曜日の夜、私のアルバイト先である小料理屋にお客として現れたのは別の学校の教師である土井先生だった。

土井先生と知り合いになったのは、ちょっと前に3Zのみんな+坂田先生と一緒に街を歩いていた時のこと。その時に土井先生が坂田先生に声をかけてきて、その流れで私たちも自己紹介をしたのだ。なんでも、坂田先生とは教師のための研修会というもので知り合いになったらしい。

「俺の教え子、頭悪そうな奴ばっかだろ。チャイナにドSにドMにマヨラーにヅラにツッコミに地味にストーカーに」と適当な紹介をし始めた坂田先生に苦笑いを浮かべていた姿が印象に残っている。ちなみに坂田先生はその後みんなに蹴られまくっていた。

「えっと、前と変わらずタバコはお吸いになられないですよね?」

「ああ、相変わらず非喫煙者のままだよ」

土井先生が少し笑いながら頷くのを確認してから「お一人様、禁煙席にご案内です」と叫ぶ私。あちこちから従業員の返事が聞こえる中、奥の席へと案内してお冷やとお絞りを用意する。

「先週の土曜日に続いて今日も真面目に働いてるんだね」

「そりゃアルバイトでも仕事には変わりないですからね。マジメに働く大人気の女店員、略してマダオを目指して私は頑張りますよ」

そう言って私が接客モードの笑顔を振りまきながらメニューを差し出したにも関わらず、目を伏せながら「けれど君はまだ高校生なんだから、くれぐれも無理はしない程度にしておきなさい」と無表情で言うだけの土井先生。何でしょうねこのテンションの差は。

なんていうか前々から思ってたけど、土井先生ってたまに雰囲気がすごく暗くなる人だよなぁ。独身貴族こじらせるとそうなっちゃうのかな。もしそうなら大変だ、月曜日の学校で坂田先生に教えてあげないと。ああ見えて坂田先生は寂しがり屋さんだもんね。

心の中で月曜日の予定を立てつつも、土井先生にマニュアル通りの接客をして次の作業に向かおうとする私。

「ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンで店員をお呼びください。それではごゆっくりどうぞー」

「あ、ちょっと待ちなさい衣織ちゃん。今日も先週と同じ時間に終わるのかい?だったら、前と同じように私が家まで送って行くよ」

「了解です」

きっと今日も言われるんだろうなぁと予想していた私は、その申し出をすんなりと受け入れた。だって土井先生ってばいくら断っても引いてくれないし、寄りたい店があるのでって言っても「学生が夜に町を出歩くものじゃない」って怒ってくるし。何でこの人は他の学校の生徒まで面倒みようとするんだろう。もしかして夜回り先生でも目指してるのかな。

まぁ、土井先生は独身貴族だから他人と喋ることに飢えてるんだろう。それなら人助けと思って付き合ってあげようじゃないの。そりゃ最初はもしや土井先生って幼気な女子高生を狙う変態教師なのかと警戒したりもしたけど、普通に送ってもらっただけで何事もなく終わったし。その節はゴメンね土井先生。



一人で色々と納得しながらもバイトをつつがなく終わらせた私は、接客用の着物を脱いで帰り支度をする。今日は土曜日なので制服ではなく私服に着替え、店長に挨拶を済ませてから退勤。お疲れさまです私。

爽やかな気持ちで店の外に出れば、人通りの邪魔にならない場所で立っていた土井先生の姿がすぐに見つかった。

「すみませんねェお待たせして。それじゃ行きましょうか」

「ああ、そうだね」

ぼんやりしていた土井先生は、私に気付くなり柔らかい微笑みを浮かべて歩き出す。ちなみにこの時に土井先生と私が喋る内容は、ほとんどが私の学校生活についてだ。坂田先生がどうしたとか3Zのみんながこうしたとかの本当に他愛もなくてつまらない、話。

「この前はですね、避難訓練の訓練をやったんですよ。でも土方君が逃げるより立ち向かう方が大事なんじゃないかって言うのを聞いたら、私もそうかもしれないなって思えてきちゃって」

「相変わらず楽しそうなクラスだね。避難訓練の訓練をする必要性というのがちょっと私には分からないけれど」

「訓練の訓練のおかげで訓練も上手くやれたんですよ。五限目に非常ベルが鳴ることはみんな予め知ってたんですけど、ちゃんと驚いたフリしながら避難することができましたし」

「衣織ちゃん、避難訓練って何の為にやるのか分かってるかい?」

「ちなみに土井先生は逃げるのと立ち向かうの、一体どっちが正しいと思いますか?ちなみに坂田先生は、汚れた現実から逃避して人は大人になるから逃げろって言ってたんですけど」

「汚れた現実うんぬんの前に火事や地震からは逃げなさい」

土井先生はげんなりした様子で「坂田先生は何をやってるんだ……」と呟くけれど、でもその口元にはいつも笑みが浮かんでいる。こんな話を聞いていて一体何がそんなに楽しいのだろう。社会人なら、子供の学生生活なんて聞いてても馬鹿らしいと思いそうなものなんだけどな。

そうだ、せっかくだから今日は私が土井先生の話を聞いてあげる側になろう。坂田先生も「社会人はマジで辛いんだからお前ら労れよな。ジャンプで現実逃避しなきゃやってらんねェくらいしんどいんだぞ」って、いつも苺牛乳飲みながら言ってるもんね。

「そういえば土井先生ってどこの学校に勤めてるんですか?公立だったらここら辺の学区の学校ですよね?」

「私立だよ。ここからそれほど遠くないかな」

「そうなんですか」

「ああ」

………あれ?もう会話が終わっちゃったぞ。おかしいな、ここから「実は俺あそこの学校に勤めてるんだけどさー、生徒がマジうざくてやってらんねェんすわ」みたいな感じで会話が広がりそうなものなのに。コミュニケーションって難しいですね坂田先生。

どうしたもんかと首を傾げながら歩く私と、そんな私の隣を黙ったまま歩く土井先生。繁華街を抜けて人通りの少ない住宅街を歩きながら、私はひたすら盛り上がりそうな話題を探す。そして閃いた。あっ、そういえば一つだけ共通の知人の話題があったんだ。

「土井先生は、坂田先生と何で知り合いになったんですか?」

「坂田先生と?」

「坂田先生が言ってたんです。研修会で声をかけて来たのは土井先生の方からだったって。俺が読んでたジャンプ貸して欲しかったのかもしんねェなって坂田先生が気にしてましたよ」

「……それは絶対にないから気にしなくとも大丈夫ですと、坂田先生に宜しく伝えておいてくれるかな」

「了解です」

任せてください、と笑顔で頷いた私に土井先生は「本当に頼んだよ」と心配そうな表情で念押しした。そんなに心配しなくても、ちゃんと土井先生はサンデー派だからジャンプの敵なんだよって坂田先生に伝えとくから大丈夫なのに。

「これを言ったら坂田先生が怒ってしまうかもしれないが、あの人の髪って銀髪の天然パーマで珍しいだろう?」

「あれは先生のチャームポイントですからね。目立ってなんぼです」

「ははっ、確かにそうかもしれないね。……しかし私は目立っていたから坂田先生に声をかけたわけじゃないんだ。昔そんな髪型をした男性のことを、ある人から聞いた覚えがあってね」

「ある人って坂田先生の友人とかですか?」

「いいや、坂田先生とは他人だよ」

とても穏やかな声色でそう言った土井先生に、首を傾げながら「その人が言ってた人と坂田先生は別人だったってことですか?」と尋ねる私。だけど銀髪天パの人なんて世の中そんなに沢山いるもんかなぁ。

「どうだろう。実を言うとその人はもう亡くなってしまっていてね。私もその男性のことはよく分からないんだ」

「……えーっと、なんかスミマセン。その、ご愁傷様です」

あれ、おかしいな。土井先生の話を聞いて労ってあげるはずが暗い話題になっちゃったぞ。苦笑いを浮かべている様子からして土井先生も気にしてないんだとは思うけどやっちまった感がハンパない。本当にコミュニケーションって難しいですね坂田先生。

「気にしなくても構わないさ。とても、遠い昔の人のことだから」

「だけどその人のことを気にしてなきゃわざわざ坂田先生に声をかけようとは思わないんじゃないですか?」

「………そう、かもしれないね」

歩く足を止めた土井先生は、私を見て困ったように微笑みながら「後悔しているから忘れられないのかもしれないな」と呟くように言う。後悔?それってつまりその人に土井先生が何かやらかしちゃったのかな。ジャンプのネタバレでもしちゃったのかな。もしそうなら私も土井先生のことは擁護できないぞ。

「その人、突然いなくなってしまったんだ。しかしすぐに戻ってくるものだと思っていたから探し始めるのも遅くなってしまってね。ようやく見つけた時にはもう、亡くなる寸前だったよ」



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