Chapter 29 : 煉獄




長身で細身で
こんなに熱く息苦しい地獄にいるというのに
汚れの一つもない喪服の様な黒尽くめの服を着て
半分の頭髪をそり落としたような、妙な髪型をした
その男は、アンジェリカを見つめていた。

アンジェリカが眼を見張ったのは
その男の背中からは、漆黒の羽毛が禿げ上がったような
翼が生えていることだった。

その姿を見たとたんに、それがルシファーだとすぐにわかったのだ。
地獄が出来てからというもの、天に脅威を与え続けたサタン
そしてその息子、ルシファー。

倒さねばいけない敵、そう感じ取った。

「・・・ようこそ地獄へ。」
「神をここから出せ。」
「うーん、本人がそう望めば出すよ、でも・・・どうやら彼もココが気に入ったらしい。」
「んなわけねえだろ!」
「口に気をつけてくれ。さ!仕事の時間だ。」

ルシファーはアンジェリカの額に手のひらを当てた。
軽く触れられただけで、アンジェリカの身体には恐怖が走り
されるがままに、その場に膝から落ちた。

「意外と恐がりだなあ・・・。しょうがない、教えてあげよう。」

「な・・・何を。」

「いままでこの試練をクリアしたのは、
 そこにいる神と
 ウリエルと
 ふふっ、レイブンだけだ。

 それ以外の堕天した天使も・・・生命も・・・
 地獄の業火に焼かれ、自ら消滅を願い出て消えて行ったよ。」
「し・・・試練って・・・。」


「君を今から焼くんだ、炎で。」


ルシファーも膝をつくと、両腕をアンジェリカの肩にかけた。

無機質で感情を感じられないその瞳に捕われたようにアンジェリカは自分の動きを全く制御できなかった。
ルシファーの、綺麗に折り目のついたような
動きは、まるでアンジェリカを操り人形のように動かした。


「この試練を生き抜いたら・・・君をここから出す。」
「なんのつもりだ・・・。」
「強き心が無ければ、君を助ける価値はない。」

熱せられた地にめり込むような力でおさえつけられ、アンジェリカは
激痛を感じ、思わずルシファーの腕にしがみついた。

「ぁあっ・・・やめろ!やめてくっ・・・!!」

「ふふっ、まだ何もしてないよ。」

ルシファーは涼しげな表情でアンジェリカに
笑いかけたかと思えば、突然眉をしかめた。


「・・・俺は、あの哀れな父とは違うんだ。
 早計で快楽にだけ走るような、あの哀れな父とは。」
「・・・サタンか。」
「そう、君にも是非みてほしかったよ・・・、エデンをね、本当に悲惨だ。」
「!?どういうことだ。」
「父はもう何千年も前から・・・エデンに入ったっきり出てこられなくなった。」
「サタンが・・・エデンに?」
「アンジェリカ、ここから出て、父を救ってくれないか?
 仲違いをしても、俺にとってはたった一人の・・・父なんだよ。」

「どうしてわたしがっ!」

「それもこれも、君が試練をクリアしたらの話だ。」


辺りの熱や、血が沸くような音が
アンジェリカの恐怖心を煽る。
アンジェリカは抵抗の意思をその表情に剥きだしながらも
その瞳の奥では逃れがたい恐怖に震え、救いを求め、
必死にルシファーの腕を強く握り続けていた。


「怖がらなくてもいい、クリアできたら解放。
 できなかったら消滅だ。
 プシュってね。君の魂も意志も存在もなくなる。
 その全身の痛みから解放されるんだ。」


アンジェリカは背後にあるルシファーの両手に炎が灯ったのを、その熱で感じた。

その炎から聞こえる声・・・炎から感じられるのは
アンジェリカが辿ってきた、人間の感情の数々だった。


((・・・欲・・・憎悪・・・))

アンジェリカはガチガチと震える歯を押さえ込むようにぐっと唇を閉じ
眼を閉じた。

背後の炎は地を這うように伝わり、アンジェリカとルシファーを囲んだ。

((・・・恐怖・・・嫉妬・・・))

「さあ、アンジェリカ・・・苦しいだろう?消滅したくなってきたかい?」

吸い取り、体得してきた感情。
その負の感情とも言うべき
ドロドロとした黒く重苦しいものが、アンジェリカの中で膨れ上がっていく。

同時に更なる黒く濁りきった感情がアンジェリカに流れ込んだ。
ルシファーの言う通りに、消滅して楽になってしまいたいと、アンジェリカは思った。

((・・・怨み・・・苦しみ・・・・))


「天使よっ!おまえは既にその炎から幾度も逃れたであろう!思い出すのだ!」

煉獄の中からは、神の叫びが聞こえた。
アンジェリカは片目を少しだけ開き、自分の眼の前で起こっている事象そ¥を覗き見た。

自分を包み込むような炎・・・自分を引き裂くような苦しみ
過去にも同じようなことがあった、そう思い起こさせるような情景。

「・・・エースっ。」

「思い出せ!どうやって逃れてきたかを!」

((・・悲しみ・・・怒り・・・))

「いやだ・・・もうやめてくれ!・・・。」

ルシファーは更に力を入れ、アンジェリカを押し付けた。

「・・・まだまだ。」

ルシファーの炎はさらに強さを増し、アンジェリカの心の中に入ってくる。

((・・・無念・・・罪悪感・・・))


「天使様!負けちゃだめだーっ!!」

「その炎を前に、おまえを生かしたものは何じゃっ!」

アンジェリカは力の抜けて行く感覚を味わいながらも、もう片方の眼を開いた。

あの日、炎が見えた・・・苦しかった・・・
湖に浮かぶボートで一人、苦しみを、痛みを飲み込み続けた。

エースの消えて行く声を聞き・・・何もできなかった
それは、罪悪感・・・


((・・・絶望・・・))

そう、絶望した

((・・・空虚・・・))

そう炎が告げた時、アンジェリカは掴んでいた手をルシファーの腕からだらりと垂らし
眼を開けたまま、後ろへと倒れかけた。

ルシファーはアンジェリカの首を両手で掴むと、その身体を高く持ち上げた。


「どうした、もう終わりか?」

アンジェリカの周りには火柱が立っている・・・アンジェリカを焼き尽くすのを待つように


「天使よっ!眼を逸らすな!!
強くあれ!おまえが得た感情を強く持つのじゃ!」


「・・・パパ。」

アンジェリカは薄れ行く意識の中、炎の最奥にある記憶をたぐり寄せた。





夕暮れのあの心地よい夏の日の、波の音がちいさく聞こえるあの場所を。
ゆっくりと聞こえる父の声、父の鼓動を。

「神の意志は・・・受け継がれた。」

パタンと本を閉じ、本をテーブルに置くと
ミホークは少し眠そうに眼をこするアンジェリカの頭を撫でた。

「パパ?戦士はわるものを見つけたの?」
「まだ見つかっていないそうだよ・・・。」
「じゃあ、戦士はまださがしてるの?お馬にのってぱかぽこ走ってるの?」
「ああ、そうだ。何人もの戦士がね・・・。」
「わたしも探さなきゃ。」


そして訪れた最初の試練・・・あれが・・・ルシファーの炎


((・・・怒りに飲まれるな。何も、憎んでならん、恨んではならん!))

((その空虚の心は、何にでも毒されてしまう、特にお前のような・・・))


父の言葉が、アンジェリカの意識が現実へと引き戻した。
天使は力を込め、再びルシファーの腕を掴むと、翼を大きく広げた。

「わたしを・・・救い出した・・・。」
「弱き心よ・・・。」

ルシファーは笑みを浮かべると、アンジェリカの首をさらに強く締め上げた。



「思い出すんじゃ!そして答えよ!天使っ!!なぜおまえは生きながらえた!」



眼前に迫る炎を睨みつけ、しっかりと眼を開いたアンジェリカは
息を大きく吸い込んだ。


「愛だっ!」


アンジェリカはそう叫び、ルシファーの顔を力強く蹴り、その強大な炎から逃れた。

「レイブン!刀をっ!」
「はい!」

アンジェリカは煉獄から滑り込んできた刀を構えると
ルシファーに切っ先を向けた。

「はぁ・・・はぁ・・・たすかった・・・ルシファー・・・。」

「なあに、お安いご用さ。」

ルシファーは切れた唇から流れる黒い血を拭いながら、アンジェリカに微笑みかけた。


「生命は弱い・・・いつも感情に揺らされ
る・・・。だけど、乗り越えられる・・・
どんなことも・・・必ず・・・。」

アンジェリカは眼を閉じ、呼吸を整えながら
話した。

「誰かを愛し、愛されていれば・・・乗り越えられる。パパやエースがわたしを救ったように・・・
パパが、わたしを・・・愛してくれたように!」

頬を伝う涙が、焼け爛れそうなアンジェリカの皮膚を優しく拭った。
流れ続ける涙は、いままで流してきた涙とは
違って、どこか自分を励ましている気がした。


「はぁ、ひやひやさせおって・・・。」

神はため息をつくと、笑い声を上げた。

ルシファーは立ち上がると、アンジェリカの肩を抱き煉獄の格子の前へと
進ませた。

「神を・・・出してほしいか?」
「あたりまえだ。」
「じゃあ、聞いてごらんよ。」
「え・・・?」

尚も得意げにそう告げるルシファーに怪訝の表情を向けつつ、
アンジェリカは張り付けにされた神の眼をまっすぐに見つめた。

「神よ・・・天へ戻りましょう。」
「いやじゃ。」
「はっ??」
「何千年ここにおると思うとるのじゃ、
 まあ環境は悪くともわしゃここで十分じゃよ。」
「な・・・何を!だって、あなたがいなければ・・・。」
「言ったじゃろう・・わしに力などもうない。
 全ては天使たちに委ねられている
 何千年も前からな・・・計算外だったのは、
 裏切り者がおったということだけじゃ。」
「ガブリエル・・・ですね。」

「わしが恐れてしまったのは、サタンの天への侵攻、それだけではない。
自ら生み出した水・・・それが進化し、やがて生まれた生命・・・そして生まれた感情
それに押しつぶされている自分自身を恐れた。
やがて天使たちは正しい見解をもってわしを助けた・・・だがそれもまた
感情という複雑な問題の前で光を失いかけた。
生命たちが辿るもっとも惨い結果・・・同じ種族、同じ生命であるのに互いを殺しあう
戦争が起こることを恐れたのだ。
サタンとの戦争ではなく、天使たちの戦争をな。

最後の最後にわしが下した決断、それがウリエルの転生と復活じゃ。」

「転生と・・・復活?」

「失うことによりウリエルの裁きの必要性を理解し、和解してほしかった・・・。
じゃが、それも上手くはいかんかったようじゃ。時間が・・・虚しく流れた。
そしてサタンは天使たちの置かれた状況を逆手に取り、易々と天に上って行ってしまった。」

「どうして止めなかったのですか。」

「そのときにはもう、わしゃすでに張り付けられとった・・・ガブリエルによってな。」

「ガブリエルが?」

「もう何千年も転生の方法を聞きにきておる・・・じゃが、あいつにゃわからんさ、一生な。
ともかく、裁きを与えるウリエルがおらぬ以上、わしは消滅することも天に帰る事も望まぬ。」

アンジェリカは呆然と神を見ていた。
横からルシファーがククっと笑っているのが分かり、思わずその顔を見上げた。

「だってさ。はははっ、レイブン・・・出ておいで。」

レイブンは笑顔を浮かべ、神の頬にキスをすると格子の間から走り出てきた。

「さあ、強き心の持ち主よ・・・ここは君の眠るべき場所ではない。」

ルシファーはレイブンを抱き上げると、自分の頬をレイブンの顔に差し出した。
だが、レイブンはオエっとした表情でその頬を退けた。

「はあ、あんたはモテモテで羨ましい・・・神よ。」

ルシファーは至極残念そうな顔をすると、神に笑いかけた。

「血は争えん、欲張りじゃのう、ルシファー・・・はっはっはっは。」

なんとも不気味な光景に、アンジェリカは開いた口が塞がらなかった。
「ど・・・どうなってるんだ、ここは。」
「ああ、驚かせたね。俺は世界にもエデンにも興味はない。
権力や信仰にもね・・・ただここに堕ちてきた魂と語らうのが好きなだけ。
だから欲深い父とは、そりが合わなくてさ。

真実・・・隠され、暴かれ・・・その繰り返しの歴史を魂たちから聞いたり
まあ、ときどきは地上に炎を送って遊んでるけど。
最近はだれも堕天してこないから、そこの神の話し相手さ。」

「いや・・・理解できない・・・。」

「地獄も慣れれば、悪いとこじゃない
・・・少なくともそこの変人はそう思っているんだろ。

さて、君とレイブンを天に送るとするか・・・まだやることがあるんだろ?」
「あ・・・ああ。」
「強き心だ・・・アンジェリカ。
俺は嫌いじゃないよ・・・その強き心。
またいつでも遊びにおいで。
さあ、レイブン、おやすみの時間だ・・・。」

ルシファーはレイブンをアンジェリカに渡すと、何歩か離れて二人にまた向き直った。

「天使よ・・・ご武運を。」

口をすぼめ、息を吹き出すと、アンジェリカは激しい熱風を感じ
レイブンが飛ばされないように強く抱きしめた。

その熱風を受け入れるようにアンジェリカの左手のフィアマが火を纏い
右手のルースは強く光った。

その炎と光を導きであると感じ取ったアンジェリカは
レイブンを抱きしめたまま、その熱風に乗るように
遠くへ、遠くへと飛ばされた。

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