買い物
「ああ、申し訳ないけれど、かごを取ってきてもらっていいかな沙良。……沙良? あれっ、沙良?」
……またこれだ。
はあ、と盛大にため息をついたシキは、手に取った売り物のうち一つを棚に戻して顔を上げた。十秒も前にはすぐ隣で話に相槌を打ってくれていたはずの弟が、見渡した視界から消えている。
「まったくあの子は……」
仕方なく自分の足で買い物かごを取りに行き、片腕一杯になっていた商品をそちらへ移す。野菜、果物、非常食。補習を受けさせられて帰りが遅くなる光政に代わって、シキと沙良の兄弟はこうしてスーパーに買い出しに来ていた。
一応広告に目を通しはしたが、二人は家庭的な光政のようにスムーズに買い物を済ませることは得意ではない。ただでさえ時間がかかるというのに、沙良は何処へ行った。
「まあ構わない。ええと、あとは卵と牛乳……かな」
卵はどのあたりにあったっけ。
入口と逆方向の生鮮食品の売り場へ向かって歩く。
卵よりも先に尻が見つかった。
(……尻)
棚の陰に隠れて少し高い位置に尻だけが見えていた。シキはふと思い立って気配を消して近付く。まさかこんな平和なスーパーマーケットで、自らの気配を消すことになろうとは彼自身も思っていなかった。
尻の真後ろにうまく位置取る。腰より少し低い高さに設置された、つまり子供用に置かれている食玩付き菓子がばらばらと盛られたワゴン台車に、沙良が頭を突っ込んでいた。僕の弟はいい年して何をやっているんだろうね。こんな、世間の目に晒されるような場所で。
シキはピースサインの人差し指と中指をぴたりとくっつけ、それを沙良の肛門と思しき場所に突き立てた。まあ、人体を知り尽くしたシキにかかればピンポイントで当たるのだが。
「あふっ!」
奇妙な悲鳴を上げて沙良が崩れ落ちる。その体重に引かれてひっくり返りそうになった台車をシキはすぐさま支える。
「突然消えたと思えば何をやっているんだきみは」
「痛い……痛い……」
沙良は尻を押さえて切ない声で痛い痛いと繰り返すが、それを哀れに思う気持ちを羞恥が上回っていたシキは弟を静かに見下ろした。
「こんな意味不明なものの何が面白いんだい。付加価値が無駄に上がっているだけじゃないか、こんなの」
「無駄じゃないもん、おいらの満足度は上がってるもん!」
屁理屈にシキは閉口する。背後の通路を、他の利用客が通過していく気配と、その中からいくつかの視線がちくちくと刺さるのを感じた。
マンガやアニメの世界に浸かり始めて以降沙良は頑固な一面を見せるようになっており、その度にシキは言葉で負かせてかわしてきていたが、沙良が賢さもそなえたここ数年はより厄介だ。兄の方が折れることも多くなってきている。
「……いつも言っているよね? 外でははしたないところを見せない。それくらい幼稚園生でも言うことを聞いてくれるよ」
「余所は余所、うちはうち!」
「ああ言えばこう言う……!」
なぜこんなものにそこまで一生懸命になれるんだ、とシキはふとワゴンの中の菓子に目をやった。きらきらと派手なプリントの外袋にはアニメのタイトルだろうか。シキはひとつ手に取った。表裏返して眺める。食玩は全15種類。単価が税抜きで350円。ワゴンのプレートを見ると、賞味期限が近いという理由で1つ100円引き。
なるほど、とシキは頬を緩めた。
「で……これ、いくつ欲しいんだい?」
レジを通すと沙良は早速食玩の袋を開封していた。やはりシキには魅力がいまいち伝わらなかったが、沙良はその中身を見て喜色満面であった。
沙良は嬉しそうに荷物持ちを引き受け、シキはその様子を見て色々とどうでもよくなり後に続いて店を出た。その程度で機嫌が戻ったのは、元々些細な問題であったからなのかもしれないけれど。
結局二人は卵と牛乳を買い忘れて組織メンバーから非難され、その日は戦闘を終えた後も「沙良が変な物につられるから!」「兄貴がうっかりしてるから!」と夜遅くまで言い争う声が三階の一室から響いていたとか。