降りしきる
※誰のお話かは伏せます





玄関の窓から外の様子を見た。雨が降っている。
「行くのか」
二十時近く。するはずのない声に、靴を履きかけた俺は少し驚いた。振り向くと普段この時間にはソファーでひっくり返るように眠っているはずの義父が立っていて、「気を付けろな」なんて言う。その深刻そうな表情を見て、俺はつい苦笑してしまった。
「急にどうしたの」
「いつも適当に出掛けっちまうけど……」
彼は言った。お前は俺たちにとって初めての子どもなんだ、誰より心配するに決まっている、と。改まってそんなことを言われたって、恥ずかしいだけだ。……それに、そんな台詞はますます意思を鈍らせる。





本当は、消えてしまいたかった。
唯一の肉親も、せっかくできた友達も、一挙に失ってしまって。目が覚めたら全部夢だった、なんて展開に期待もしたけれど、現実は焼印を入れられた痛みに目を覚ましたってだけの結果で。
「次会うときは、……」
「嫌だよ、なんで!どういうことなの!?」
月の時間、数週間ぶりに俺の姿を目にして顔を綻ばせた友達。自分でも残酷だと思ったけれど、フードを被ってうつむいて、真っ黒な刃を背中に隠してそう言うしかなかった。嫌だと頭を振って追い縋ろうとしてくる彼には申し訳なかったけど、見られたくなんかない。こんな、黒ずくめの姿。
俺はあれ以来よく泣くようになった。
「あいつの泣き虫、うつっちゃったかな……」
つい最近仲良くなった泣き虫の友達。口を利けるのもこれが最後と思うと別れるのが嫌で、咄嗟に手を伸ばして掴み取ったのがこの泣き虫だったのかもしれない、と。
元々大勢で騒ぐのが好きな性格だったせいもあって、次第に独りでいることに耐えられなくなっていった。もういっそ、と与えられた得物を手に何も考えず闇へ飛び出したけれど、打ち合った相手は誰も弱すぎた。鮮やかな血に彩られて倒れ伏した体を見下ろしながらぼやく。こんなことになるなら俺は強くなろうなんて頑張らなかったのに。消えることすらできないなんて。俺は望みがふつりと絶たれるのを感じた。
「死ねよ」
ちょっと前まで一緒に騒いでいた集団の喧騒を蹴散らしながら夜を舞った。フードを目深に被っていればそれが、ちょっと前に姿を消した俺だと知られることもない。
「早く、死んじゃえ……」
生死の境目まで相手を追いやって、とどめを刺さずに去る。俺のやり方。案外それが一番残酷だと周りには言われたけれど、やり方を変えてやろうなんて気はとりあえず起こらなかった。

「あふぇえ……?」
「事故だよー!」
「護!セクハラはやめろ!……愛も!怒るべきところで怒らないでどうすんだっ!護が将来性犯罪者にでもなったら……」
「へ?護くんこんなに可愛いんだからそんなことにはならないよー?」
「ギャーギャーうるさいなあ。キミらはホント下らないことばっかり」
消えたがりの自分に、もう友達なんて必要ない。
そう割り切れていたはずなのに、いざ同じ境遇の者が集まるとついそのまま群れてしまう。歳も性別もバラバラだった俺たちにとって、治癒能力のせいで中途半端に崩れた焼印が此処での友達の印だった。しばらくの間喪われていた笑い顔だけど、その人たちと居るときだけは自然と頬が緩んだ。まだ自分は消えなくてもいいかもなんて思えた。一人、二人と消えていってしまう前までは。

それから三年と経たない内に、俺たちは三人にまで減ってしまっていた。現実は覚悟していたよりもずっとシビアで、歳が二桁を数える頃に達したときにはもう子どもらしい表情なんてできなくなっていた。
そんなときに、また会ってしまった。霧雨が装束の表面を湿していた。霧雨が視線の先の人物を軽くぼやけさせていた。以前自分から言ったことだ、今日はもう友達なんかじゃなくって、敵同士になる。
「……いし、づか?」
被っていたフードを限界まで引き下げる手が、肌寒さとは別のもので震えた。
「待てよ!!」
怖くなって戦闘を放棄し身を翻して逃げ出した俺の背を追って響いた声は、完全に"逃がすものか"と執念に駆られたものだった。
希望を棄てきれていなかったことに気付いた。この人とだったら、昔みたいに、仲良くしていられるんじゃないかって、立場の違いなんて関係なしに。自分がどれほど甘い考えに囚われていたかは、敵意を向けられて哀しさが胸を衝いて初めて自覚できた。
……忘れなきゃ。もう、あのときの思い出をたどって得になることなんて、何もないんだ。
細かい雨が降り止まない深夜に、風をしのげるような場所も見つけられず塀に寄りかかって能力を弄んだ。手のひらで踊る光の粒子を視界に入れながら現実逃避ばかりしている自分を蔑んだ。
「お前……独りで、何してるんだ?」
元友人たちを統率している男が、雨のせいで崩れた髪型を無理にオールバックに掻き上げ直しながら、目の前で屈む。派手な金髪。人相の悪い顔。俺はそっぽを向いた。
「……何でもない」
「こんな時間まで外ほっつき歩いてんなよ、親に心配掛けんぞ」
「わかってるよ……すぐに帰る」
塀から背中を離すとすぐさま、どこへ、と訊かれる。返答に迷って固まってしまった俺の頭に大きな手のひらが乗っかってきて、そのまま乱暴に撫でられた。そのとき何か言われて俺も何かを言ったけど、特に記憶には残っていない。ただ、掛けてもらったのはきっと優しい言葉だったんだということだけはわかる。
それが同じ力を持った"仲間"だと誤認していたことから生じた親切心であるとわかってしまっていても、精神的に脆くなっていた俺がすがるには丁度よすぎた。自分が憶えている中で、誰かの前で泣いたのはそれが最後。





俺がいつ命を落としてもおかしくない状況にいるのは父さんだってわかっているはずだ。それでも引き留めることなく送り出してくれるのは、かつて彼も同じように戦ってきたからだ。
でも父さんは知らない。
いつもいつも、毎日、裏切っているようなものだ。
「……そうだな。ごめんなさい、いつも」
突然謝った俺に、何も察せていない父さんはきょとんとしている。
「……何でもない!心配しなくてもっ、帰ってくる!」
また何か優しい言葉を掛けられてしまう前に、鞘入の刀を握りしめて俺は雨に濡れる夜へ紛れていった。
何も返せない俺にとって優しさは重たい。向けられる愛情も何もかも全て邪魔なものだとしか思えない。なのにどうしようもなく嬉しくて。いちいちそれにすがってしまう俺はなんだかんだでずっと生きることを諦めきれていないんだと、悔しくなってまた闇色の空を仰いだ。

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