鎮魂歌
※基本的に倫理観がひどいです





ざくりと肉を割く感触は生きた人間のそれと同じものだった。
まっすぐに胴体を貫いた剣刃の向きに逆らわず、本来は脾臓があるあたりから無理やり刃を取り出した。散々血を流したはずの体からまだ黒い体液が噴き出す。それは地面に触れるか触れないか程で黒い塵になって掻き消えた。
「ダラダラしてんなよ。行くぞ」
「おん。わかっとるよ」
相手の完全敗北を確信した雷人が背を向けて歩き出す。純平も分かっていた。傷を負いすぎた闇の肉体は、壊れて消滅する。だが、今はまだ。





目の前で男が、こと切れている。
街に光が灯り始める、赤い空の下で。蛾がたかって鱗粉を落とす街灯の根っこ。
元々深手を負っていた。久々に再会したと思えば、肩や脚に傷を負い失血がひどく這うことすらままならない状態。無様だ。この男には相応しい終わり方。そう思ったから、僕は彼の願いを叶えてやった。本能から生まれる、最期の抵抗に遭いながらも。
男の左脇腹からじわじわと広がる吹き溜まりにつま先を突っ込んで赤を引き延ばして、それが冷めて固まるまで、遊んだ。
「いいなぁ、純平くん」
女児用の小さな赤い靴を履いた足が、視界に入ってきて止まった。
「香純もまぜて、欲しかったな」
前髪だけ目にかかる程度の長さできれいに切りそろえられた黒いざんばら髪をまとめる、赤いバンダナ。丸襟の白ブラウス。赤い膝丈のプリーツスカート。肩には赤いサスペンダー。そして赤い小さなポシェットバッグ。今年小学校に上がった自分よりも頭一つと少しだけ背丈のある女の子……姉ちゃんだった。
相槌を打つことはせず、鋭利な刃物に付着した血を、服の内袖で拭った。
……この血は、腐っている。
「あれれっ、これ、パパだよねぇ?どうして?」
どこか楽しそうに姉ちゃんは腰をかがめて男の死体を眺めている。
狂っている。そんなことは分かっている。
僕は仕方なく答えた。
「……しくじった、みたいなんだ」
第三者の介入があって、目標の夫婦は始末したが、本命の財産までは手にできなかったということ。目撃者が三人、あるいは四人出てしまったということ。この家業を始めて以来の失態だったということ。すべて、途切れ途切れに父ちゃんが話したことだ。たった今。
姉ちゃんは両手を後ろで組んで首を傾げていた。
「でも、どうして殺しちゃったの?」
「頼まれたんだよ」
「うふふ、パパらしいね」
姉ちゃんは致命傷となった脇腹の傷に触れ、にじむような笑みを浮かべた。「あったかい」と味気ない感想を口にして。
「よく知らない人に殺られるくらいなら、純平くんやあたしに、って。パパはそういう人だもんねぇ」
父親が死んだと知ってもなお、笑い続ける姉。
狂っている。
「じゃあこれで二人になっちゃったってことかぁ」
僕の物心ついたときから全く変わらない姉ちゃんの腕が、僕を強く抱きしめてきた。
「大好きだよぉ。香純、傍で守ってあげることはできないかもしれないんだ。でも、純平くんのこと、大好き。ずっとずぅっと、こうしていたいくらい!」
僕は父ちゃんの脇腹を割いた包丁をまだ右手に握っていた。その気になれば、姉ちゃんくらい、殺れる。
……その気に、なろうか。
「……」
少し離れた公園の木の際からの夕日を受けて、姉ちゃんの目がぎらぎらと光って僕を見ていた。僅かな筋肉の動き、呼吸の変化を捉えられた僕は、動けなかった。風がざんばら髪をなぶり、赤いバンダナの下からむき出しの耳が間近でのぞく。僕が生まれるより昔に耳殻を失った耳は、目にして気持ちのいいものではなかった。
吐き気がした。姉ちゃんの体に染み付いた二十弱年分の死臭が、鼻をつく。
風が止み、姉ちゃんは僕から体を離した。十歳程の少女の笑顔を見せて……それは家族や友人、兄弟に向けるようなものとまったく同じだった。
「上手く稼ごうね!純平くん!」
まったく。……狂っている。
僕は石塀にすがって吐いた。

どうやって生きてきたのかはわからない。それでも、僕に死臭が染み付くことはなかった。実の父親が、僕にとっての最初で最後。
僕は自分自身を護りたくて、光の能力に目覚めた。
まっとうじゃない家庭で一番まっとうに生きてこれたということに対するささやかなご褒美だろうか。それとも、罰。
本当に、まっとうだっただろうか?姉の陰を避けるようにしながら懸命に普通を装って生きてきた自分は。あの後あの街灯の下から消えた父の屍を、光の剣片手に探してきた自分は。





「おい、マジでいつまで油売ってやがる」
入り組んだ道だからだろう、わざわざ曲がり角で待ってくれていた雷人が、さすがに我慢できなくなってか再び声を掛けてくる。目の前にあった敵の体はとっくに夜の闇にさらわれて消えてしまっていた。
「……すまん。行こか」
純平は踵を返した。感傷にふけるのは一瞬でいい。それに、今の戦いでひとつの過去を、清算できた、そんな気がした。この男と戦うことで。雷人とともに戦うことで。今度こそ、

――さようなら、父ちゃん。

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