戦略
包帯を取り去ると、傷痕も残さず完治した素肌が現れた。これでやっとか、と光政は息をつく。
「今日から復帰していいよ。辛抱したね」
椅子から腰を上げる光政に対し、抗菌ガーゼを処分しながらシキが優しく言う。
目に付く箇所だからと本人以上に傷を気に掛けてきた彼が毎日少しずつ手当てを重ねた甲斐あって、つい一週間前には酷い出血があったとはわからないほど綺麗に、治っていた。初めはお節介だと感じていたがやっぱりこいつに任せておいて正解だったかもしれないと光政は思った。
「ありがとな! 今日からまた頑張る! めっちゃ頑張るから俺!」
「フラグみたいで笑えないから、それ以上は自重してくれるかい」
まあ、それでも光政ならなんとかなってしまうんだろうけれどね。そう呟いて苦笑するシキに、光政はまただと俯いた。
また、俺の知らない"俺"の話。
しかしそう憂えたところで結局なんとかなってしまうのが自分なのだ。それに厭うわけにもいかない。
今の俺がいるのも、きっとそいつのおかげなんだし。
「リハビリも兼ねて数日間は拠点近くの配置になると思うけれど」
言いながら救急箱を手に部屋を後にする背中に続いて光政は廊下へ踏み出した。体を反転させたシキはドアを閉めて光政をちらりと見上げる。
「張り切るのは構わないよ。ただ、空回りしないように……」
「おっ! いたいたシキに光政!」
声のする方を向くと、ちょうど渡良瀬が足早に近づいてくるところだった。するとすぐに、光政の隣でシキが浅く頭を下げた。
「お疲れ様です」
「先輩楽しそう! 夢の国にでも行ってきたの?」
「違げーよ。なんもないって、俺はただ若き日々を謳歌しているのさ」
特に反応を得ようという風もなくそんな台詞を口にしてから、渡良瀬は爽やかに笑った。
「さってリーダー会やるぞ」
聞いた途端にシキが眉間にしわを寄せる。
「あのリーダー会をですか?」
あー、と光政は苦笑いを浮かべた。先日のお菓子パーティーと化したリーダー会。夜遅くまでお菓子を食べられるということで光政は比較的楽しんで参加していたのだが、真面目なシキにとっては物足りなさすぎる内容だったのだろう。
渡良瀬は弁解した。
「だからこないだのはたまたまぐだったんだって。今回はきっちりやらせてもらうさ、前回なちるが何か言いかけてただろ」
あまり記憶に残ってはいないが、確かそのことについて話し合う前に、いつの間にか戦闘に出る流れになっていたのだった。
「分析……っつうか言うことまとめといてもらったんだ。だから心配無用!」
半信半疑な目つきのシキの方を見ることなく渡良瀬はさっさと話を切り上げてしまった。
「ああ、あと今日はメンバー全員拠点周辺一キロより外には出るなって言ってある。負傷者数はいつもに比べてぐんと下がるだろ、医療班もそこまで忙しくはならないはずだぜ」
「それは……僕も出席しろということですか?」
「さすがシキは察しがいいな!」
にかっと笑顔を作る渡良瀬に対し、シキは申し訳なさそうに、組んだ自分の腕に目を落とした。救急箱の中身がプラスチック製の箱に当たってカラリと鳴る。
「本日分の負傷者が減っても、ここ数日で出た重体のメンバーを診に出なければいけないかもしれないんですが」
「そん時ゃ途中で抜けてくれ」
「い、いいんですかそれで!」
拍子抜けしたシキが顔を上げる。
「お前には念のため確認を取る必要がある事項が若干あってな。それに戦略変更について伝えるから、医療班代表ってことで聞いといてほしい……次期チーフの超有力候補なんだろ?」
「超有力って」
困ったような声が光政の隣から聞こえる。
「そんなのわかりませんよ、それについての話なんて貰ったことありませんし」
「まあ恵もあと一年あるからな」
光政たちよりひとつ年上の彼女は力を失うまでにあと一年しかないが、集団を取りまとめる立場の者としては比較的長い時間が残されているといえる。
「でも引継ぎのことくらいそろそろあいつも考えているとは思うぞ」
それは確かにそうかもと光政は思った。
人一倍周到で注意深い性の彼女に限って、全く引き継ぎを視野に入れていないということはあり得ないだろう。役割を継がせる相手を完全に絞ったというところまでは行かないまでも。
「チーフ、その辺真面目だしね」
「やっぱシキを選びそうだよなあ、お前恵のお気に入りだから」
「ちょっと、やめてくださいよ」
「本当のことだぜ? あいつ言ってたしな。お前も満更でもないんだろ?」
「からかうのはやめてください……」
少し恥ずかしそうに抗議するシキの声は彼にしてははっきりせずやや聞き取りづらい。現在医療班のチーフを務めている恵という少女はしっかり者で仲間想いのおっとりとしていて、まさにシキが好く種類の人間だ。そう考えればシキの反応も至極ありがちなものであるのだが。
普段いじられることの少ないシキの珍しい様子が面白くてたまらない光政だったが、下手に刺激するのはやめておいた。
「引継ぎといえば、渡良瀬先輩は大体決めてんの?」
「そ、そうだよね、先輩なんてあと半年もないし……」
話題を軌道修正され、手をひらひらさせる渡良瀬。
「あー……それはお前らが気にすることじゃない! 俺に任せておけばいい!」
「決めてないんだ」
「決めてないんですね」
からかうような後輩二人の態度に、渡良瀬は誤魔化しのつもりか咳払いをした。そして思い出したように光政の方を向き改まった。
「ああそうだ光政、お前は今後しばらくリーダー会に参加してくれ」
「へ?」
「今日は沙良にも参加してもらう。……もう始まる頃だな、二人とも行くぞ」
携帯で時間を確認すると渡良瀬は早足で先に向かって行ってしまった。シキはすぐにその背を追って歩き出した。
リーダー会を行う部屋は前回と変わらないはずなので、置いて行かれたところで何ら問題はないように光政には思えたが。
「大変だ」
曲がり角まで廊下を突き進んだシキが、光政を振り返る。
「歩いていたはずの渡良瀬先輩の姿がもうないんだ」
「いや、別に問題ないんじゃ……」
時々小学生みたいなことを言い出す彼が可笑しくて追い付いた光政は苦笑したが、シキは深刻な顔で言った。
「僕らと脚の長さが違いすぎる」
「……はっ……!」
「とりあえず、急ごうか。僕は待たせる側にはあまりなりたくなくてね」
その言葉に普段ルーズな光政は失笑する。
「脚が短いんだからどうしようもねーじゃん」
その発言の後でシキと並んで廊下を小走りに移動しながら光政は、何故殴られたのか理解出来ずにずっと額のこぶをさすっていた。