全員で食べられるようにと大きく開いた菓子袋に残った、ラストの歌舞伎揚げを摘まもうとしたところ、前方から伸ばされた誰かの手に先に取られてしまった。手を伸ばした状態で愕然とする光政の自然と開いた口に、乾いた何かが押し込まれる。甘辛い醤油の風味。取り損ねたばかりの歌舞伎揚げだった。
光政は驚いて視線を上げる。菓子のカスを指先からぺろりと舐め取って、沙良が綺麗に笑いかけてきた。
「ねね、帰ってきたら一緒にアニメどう?」
表情の爽やかさと言うことのギャップは沙良に関してはよく見られるものだ。口の中のものをバリバリと噛み砕きながら、慣れたように「なんで」と問う光政。
「兄貴、今日はメグちゃんに呼び出されてるらしくて、一人になっちゃうんだぁ」
ティッシュペーパーで軽く指を拭きながら言う沙良の隣で、シキは三枚いっぺんに頬張っていたクッキーを水で胃に流し込んでいた。
「医療班の手伝いをしてくれてもいいんだよ沙良」
「あのねー、簡単に言うけど戦った後に治療側に回るのめっちゃきついんだからね!?」
「ごめんごめん。わかっているよ」
光政は兄弟のやり取りを一通り眺めた後で、シキに向かって言う。
「やっぱあんたできてんだろ、恵さんと」
「そんなんじゃない!」
珍しく過剰反応したシキがそう声を張ると、部屋の中は一気に静かになった。誰の声もしない数秒の間、渡良瀬が人数分の茶を淹れる音だけがのどかに耳に届いていた。やがて渡良瀬と話していた純平の声が聞こえ始め、シキはため息をつくと彼も口を開く。
「チーフの負担が重すぎるからやれる人間ができるだけ手伝わなきゃいけないだろう。僕も仕事内容はだいぶ覚えてきたし、恵さんもそれを認めて……」
「はいはい」
光政はからかうのを適当に切り上げる。口調は落ち着いていても言葉が多くなるのは慌てているときのシキに顕著だ。横から沙良が口を挟んだ。
「で、光政くん、見てくれる?」
「でも俺、それよく知らねーんだよなぁ」
遠回しに興味なしと伝えたつもりだった。
しかし、どこから出したのか、沙良の手元には限定ボックスに収納された十巻近くあるDVD。
「じゃあこれ、前に放送した分! これ貸すね!」
「あ……ああ」
沙良の笑顔は拒否権を与えてくれなかった。「お菓子の油が付くといけないから」と、箱の各面で決めポーズを取った美少女たちが手提げ袋、さらに紙袋にしまわれていくのを、光政はぼんやりと視界に入れていた。
「怪我はどんな感じなん?」
光政の隣の椅子が動いた。なちるの分の空席に純平が移ってきて、光政にそう問う。
「あ、もう治ったよ! あとは感覚取り戻すだけだな」
「よかった〜。光政くんしょっちゅう無茶するからなんか心配になっちゃうよ」
「無茶ってよか、手前の力量わかってへんだけなんやでたぶん」
「ひどいな純平!?」
傷付いたような顔をしながら純平にヘッドロックをかける光政。
「やめぇやめえ! 死ぬわアホ!」
当然力は緩められていたが、組織の中でもトップクラスの怪力を誇る光政の絞め技には純平も早々に危機を感じたらしい。
「お、雷人やん!」
「おかえり!」
純平と沙良の声に反応して光政はドアのほうを見やった。騒いでいたせいかドアが開く音も気配もあまり感じられなかった。赤く染めた短髪がテーブルを周り込んで、渡良瀬の隣に腰を下ろした。
「そこ僕の席やで」
「知るか」
親しい仲間に対してもつんけんした態度の雷人は普段通り。渡良瀬は新たに湯を注いだ急須の中で茶葉を蒸らしつつ訊ねる。
「雷人、なちるとは会わなかったか?」
「……あ? ……あぁ、会ってねぇけどよ。もしかして俺のこと呼びに出たのか?」
渡良瀬は返事の代わりに無言で頷いた。
「あいつに電話掛けてくる」
さっさと腰を上げて入室時よりも早い歩調で部屋を出て行く雷人。ルーズに見えてこういったあたりはさすが良識があるように思えた。
「ふむ、電話終わって戻ってくる頃には用意できるな」
頬杖をついて急須をうっとりと見つめる渡良瀬。普段は尊敬の対象だが今の彼には辟易するばかりの光政と純平。
「まさか入れ違いになってしまうとはね」
「まーなちるちゃんも気を遣ってか電話、しなかったもんね」
口にはしないがこの場の全員が雷人の事情を知っていた。それはなちるも例外ではなかった。
年長のメンバーの中でもリーダーとサブリーダー、シキと沙良、それに彼らとは長年つるんできた仲の光政。彼らは互いの事情を大雑把には察している。何に触れてはいけないのかも、鈍感な光政でさえ把握している。そういった理由で離れられないグループになってしまったのかもしれない。上役でもない光政や沙良がこうして招集されたのも。
……腐れ縁みたいなものなのか。
光政は湯呑に口をつけた。