Act1-19


「え…ここ日本?あっっっつ………」


早朝より灰原・七海、補助監督と合流し、羽田空港へ連れられるがままになまえは飛行機に乗せられた。初めて乗る飛行機にやや興奮気味ではあったが、着陸後沖縄に脚を踏み入れた瞬間のむわっとした熱気と強烈な日差しに思わずうげぇと顔を顰めた。
傘がなければもしかすると春雨の元第七師団団長を務め、江戸の吉原で死んだあの恐ろしい男と同じ末路を辿るかもしれないと身震いし、いつもより強く傘を握った。


「なまえさん、体質的に日光に弱いんですよね?沖縄もしかして辛いですか?」
「こんな暑いところだったとは…長時間傘無しで日光浴しようものなら干からびて死ぬかもね」
「まあ今日の任務は空港内の監視ですから。私たちが屋外の見張りメインでなまえさんは施設内の見張りということにしておけばいいですかね」
「助かるけど、何かあったら絶対遠慮しないで連絡してよ?念のため腕と脚と顔面に包帯巻いとくから」
「が、顔面に包帯は…通報されるのでは……?」
「じゃーマスクとサングラスと帽子でも買ってくるわ」
「…それも通報案件では…?」
「じゃー顔面包帯でいいね。買うのめんどいし。準備してくるから待ってて」



そう言って女子トイレから帰ってきた衆目を集めすぎているなまえに七海は思わずため息を漏らした。真っ黒のチャイナ服を着たミイラ女が小脇に人間を抱えて戻ってきたからである。おそらく沖縄に潜んでいた呪詛師のうちの一人なのだろうが。より通報案件感が高まっている。



「トイレから出た瞬間怪しいやついたから捕まえといた。最初に女狙うなんて想定通りすぎて笑えるね」
「………」
「さすがなまえさんですね!」
「どうするこいつ?綺麗な海に沈めとく?」
「…海洋汚染に加担するような真似はやめておきましょう」
「それもそだね」


捕まえた呪詛師はぐるぐると手持ちの呪符で呪力を封じた上で、同行していた補助監督のうちの一人に引き渡すことに決まった。
ここにくるのはなまえ一人で事足りたのでは?と七海は思わないでもなかったが、なまえの体質を考慮して自分たちが派遣されたのかもしれないなと無理矢理納得することにした。




「どう考えても一年に務まる任務じゃない」
「僕は燃えてるよ!!夏油さんにいいとこ見せたいからね!!」
「灰原は夏油が好きだねえ」
「はい!!もちろんなまえさんのことも尊敬してます!」
「いいやつだねえ灰原はホントに」


沖縄のただでさえ暑い気温がさらに上がるのではというほどに燃え上がるやる気を見せる灰原になまえは困った表情を見せながらも生暖かくそれを見守っていた。
七海は沖縄に来てからというもののずっと顰めっ面である。眉間の皺取れなくなっても知らないよといえばさらに眉間の皺が濃くなってしまった。解せぬ。



〜♪
「ん?夏油から着信だ」
「!何かあったんでしょうか!」
「さあ、…もしもし?」
『なまえかい?沖縄滞在なんだが、明日の朝まで延ばそうと思ってね』
「ん?じゃあ沖縄に一泊?」
『そう、悟がフライト中に理子ちゃんの賞金期限が切れた方がいいだろうって。東京よりこっちの方が圧倒的に呪詛師の数は少ないし。』
「なるほど。」
『私たちが帰るより前の便でなまえは羽田に戻って羽田の警戒しておいてもらえないか?』
「七海と灰原おいて?」
『那覇空港の警戒くらいだったら二人で事足りそうだろ?』
「うーん、まあそうだね。東京の方が人の数も多いし」
『それに、昨日から悟が一度も無下限切ってないんだ。今夜も切らないつもりだろう。大丈夫とは思うけど、念のためにね』
「成程。それはしんどいね」
『頼んだよ』


電話を切り灰原と七海に夏油の伝言を伝えると七海はついに額に青筋をたててしまった。思わず苦笑を漏らす。ぐるりと周囲を見回し、気配を探るも殺気らしいものは見つからない。
予想より長丁場になる。一人ずつ行ける時に休憩させた方が効率がいいなと考えたなまえは七海と灰原にそれぞれ少しずつ仮眠を取るように指示しておいた。









____________

「じゃあ、私は一足お先に東京に戻るね。気をつけるんだよ」

全身の包帯を解いて、不審者ではなくなったなまえが七海と灰原を見渡して苦笑していた。休憩しておくように言ったはずなのに二人の隠しきれていない疲れた顔に「今晩はホテルがとられてるらしいからゆっくり休んでから帰ってきなよ」と言ってなまえは出発ゲートを潜っていった。
数時間後、もはや慣れ親しみつつある東京に帰還し、空港内をひとまず警戒するも、特に呪詛師や怪しい人物がいるようには思えなかったのだが、ずっとどこかから見られているような気配をなまえは感じていた。しかし、その出どころが全く掴めない。警戒しすぎているだけで、気のせいなのだろうか。それともこんなに神経を尖らせているのにそれに引っかからないほど身を潜めるのが上手い呪詛師でもいるのか。もしそうだとすればめちゃくちゃ強いのでは?でも呪詛師ならば呪力を探知できる五条ならすぐ見つけられるかも、いやいやもう間も無く同化の時間、碌に寝ずに戻ってくる五条を煩わせるわけにはいかない、となまえは念入りに空港内をチェックして回った。



「おっつー、なまえ。」
「………、」
「なまえ?どうした?」


結局星漿体御一行が現れるまで全力でくまなく異常がないか探し回ったなまえだったが、何も見つけることができなかった。なんなら五条たちが乗っている便が間も無く到着する、という頃にはうっすら感じていた嫌な気配も消失し、至って何の問題もない空港と判断せざるを得なかった。それがなんとも腑に落ちなくて非常に気持ち悪くて、嫌な予感をなまえに抱かせることになった。
朗らかに現れた御一行に見たことのない不機嫌なオーラを携えたなまえ。ひりつくなまえの空気に初めて相対した星漿体の天内理子と護衛役黒井美里はビクリと肩を震わせた。



「なんでそんな不機嫌なわけ?」
「……、五条、わかんない?」
「……え?え?いや、まさかガキンチョたちと沖縄で遊んでたことにキレてるとか?」
「わかんないならいーよ、さっさと高専戻ろ」



見たことのないなまえの態度に五条と夏油は互いに顔を見合わせ「もしかして嫉妬してる?」「本当になまえと付き合ってないのか?」なんて見当違いもいいところな勘違いを起こしてヒソヒソ話しているが取り残された天内と黒井は碌に自己紹介もしていない女の不機嫌オーラに萎縮しっぱなしであった。


「(五条がわからないっていうなら、ここに呪詛師はいないってこと?気にしすぎ?いや、でも絶対に何かが私を警戒してた。こんなに気配がわからないなんて相当強いはず。いつ攻撃されてもおかしくない)」
尚も神経を尖らせたままのなまえは万が一のため高専に到着するまでの間、限界まで警戒を怠らないようにしていたせいで、五条や夏油がアホな勘違いを起こしていることにも全く気づいていなかった。



「皆、お疲れ様。高専の結界内だ」


夏油の一言に天内、黒井は安堵の表情を滲ませた。黒井はどこか複雑そうな表情を浮かべている。無理もない。もう間も無く天内が天元様と同化するのだから。
五条はといえば丸二日以上展開し続けていた無下限呪術のせいで目元には隠しきれない隈が浮かんでいた。


「………」


尚も不機嫌な表情を浮かべるなまえに夏油は困り顔、五条はため息をついた。


「おい、任務だよ。わかってんだろ?何キレてんだ」
「まあまあ、悟。痴話喧嘩は全部終わってからにしな」
「?なにが?別にキレてないけど」
「全くなまえは…、悟、本当にお疲れ」
「チッ…、二度とごめんだ。ガキのお守りは。おい、なまえ、あとで覚えー「五条!!!!!!!!」」


五条が術式を解除し、疲労感のせいも相まっていつもより鋭い目つきでなまえを問い詰めようとした瞬間だった。五条と夏油からの叱責まがいの視線を送られたなまえは一瞬思考をそちらにやったせいで、反応が遅れてしまった。ぶわりと逆毛立つような殺気を感じ取ったなまえが身一つで五条の背後に迫る人間から守るように立ちはだかる。




「ぐっ、ぅ…っ」
「あーやっぱテメーには気取られるか。イイオンナだったから勿体ないと思ってたが仕方ねえ。」



無音でなまえの急所を刃で一突きした男はそのまま女ごと五条悟まで刀を貫通させようとするも、筋肉を収縮させて刃を動かさないように固定したなまえによって五条に追撃することも刃を引くことも叶わず回収を諦めた。所持していた別の武器で女にトドメを刺すべく筋肉に固定されるより早い速度で滅多刺しにしてやればなまえから発せられた強烈な殺気に思わず飛び退くが、刃が胸に刺さったまま繰り出される回し蹴りをモロに食らい後方に吹っ飛んだ。その先には夏油が既に呪霊を放っており丸呑みにするが、足止めは時間の問題であった。


「げふっ…」
「なまえ!!!!!」
「私の、ことはいいッ!早く、その子…!ぐっう…」
「…傑、天内優先だ。あいつの相手は俺がする」
「…っ、油断するなよ」
「誰に言ってんだよ。なまえ、歩けるか?硝子のとこ行け」
「あいつ、やばいよ。夜兎と殺りあってるみたいだ…私も、闘う」
「そんなボロボロなお前戦力外もいいとこだ。邪魔。早く行け」
「……ごめん…すぐ、戻る」


刺さった刃を引き抜き所持していた包帯で念の為止血を行い、血濡れの体を叱責して硝子のいる医務室までなまえは走った。
私のせいだッ、気づいてたのに!見ただけでわかる。あの男はまともじゃない。溢れ出る強者のオーラ。思わず鳥肌が立った。あらゆるものを屠ってきた者のする目つきだった。どうやって高専の結界内に?夏油の呪霊が現れるまではアラートもなっていなかった。どうしようもなく嫌な予感が拭えない。空港で感じた気配も絶対にあいつだ。どうして空港内で見つけられなかったんだ!私が役に立つのなんてこれくらいなのにー、



高専内は突然鳴ったアラートに騒然としている。血濡れのなまえを目撃するものは何があったか問い詰めようと話しかけてきて碌に前に進めない。「どけッ!!!!!」渾身の怒声をあげて敏感になった五感が示す家入の気配に向かってなまえは満身創痍で走った。


「硝子!!!!」
「なまえ?どうし、っ?!」
「最速で治して、みんなが、やられるかもしれない…ッ!」



治療を受けている間、逸る心をなんとか落ち着かせようとするも今の状況がわからないせいでなまえはぎりりと歯を食いしばることしかできなかった。
くそ、くそ、くそ!高専内に入ったからって油断した!!あのとき五条と夏油に気を取られなければ反撃できていたのか?あんな緊迫時に何をやってるんだ…!!こんな致命傷のような傷まで負って…!私の取り柄なんて人より頑丈なところくらいなはずなのに!あの男、私の体をまるでスポンジみたいにグサグサ刺しやがって!自分で自分が許せない。五条は、きっと負けない、だって無下限術式は何者の侵入も許さない。…ホントに?なんでこんなに嫌な予感が拭えないんだろう。夏油は無事星漿体の女の子を天元様の元へ連れ出せただろうか。お願い、お願い。誰も死なないでー、「なまえ!!!!」


家入の滅多に聞かない大声にハッとしたなまえは知らず知らずのうちに唇まで噛み締めていたらしい。脳が鉄の味を訴えていることに気づき、バツ悪そうに顔を歪ませた。

「完璧に治す。治ったら最速で向かえ。あいつらはアンタが着くまでにやられるようなタマじゃないだろ?もう少し信頼したらどう」
「…ごめん、なんかすごい嫌な予感がするの、」
「わかってる。でも焦ってもいいことなんてない!」


いつも気怠げに話す家入の焦りを孕んだ声に俯いていた視線を思わず上げれば、額に汗が滲んでいて悔しそうになまえを見つめる家入が目に入り、なまえは張り詰めていた緊張を緩めた。


「ごめん、こんなに緊張してたら効くものも効かないね」
「…わかってんなら少しでも体力温存してな」



なまえはふぅ、と息をつくと目を閉じて戻った時のことを想定しておくことにした。





____________

「気をつけてよ」

心配そうな表情でこちらを見つめる家入にありがとう、とだけ告げて先ほど通った道でまた野次馬に捕まるのはいただけなかったので、医務室の窓から飛び出した。
未だかつて出したことのないスピードで地を蹴り、鳥居の前まで駆け抜ける。間に合え、間に合え、間に合え…!


「うそ、でしょ…?」


目の前に広がるのは飛び交う大量の蠅頭、建造物は破壊され更地になるほど荒らされた地面、そして血溜まりの中で伏す五条の姿だった。飛び回る蠅頭を呪具で一祓いして駆け寄るも、血濡れの男はピクリとも動かない。


「ッ…五条!!!!」


喉から腹部、右腿に派手な刀傷、頭からも口からも何処からも大量出血をしている。いつも輝く瞳は色を失い、虚ろに開かれたままで、疑いようもなくなまえには目の前の男が事切れていると情報として入ってくるのに、どうしても理解できないでいた。


「なんで、やだ。五条、しなないで、」


そっと震える手で頸元に触れれば、感じるのは硬い鍛え抜かれた身体だけで、ドクドクと脈打つものを見つけることが叶わない。


「殺してやる」


今までに沸いたことがない殺意が芽生えた瞬間、パシ、と頸元に添えた手を何かに掴まれた。


「あーっはは、おはよ、なまえ」
「は…?」
「アレ?泣いてんの?」
「いき、て?…る?」
「なまえの言った通りだったわ、死に際で見えたんだよっ!」
「反転術式…」
「ハハッまじで気分いいわ……あの男は?」
「わか、ない…私も、いま、ここに…」
「俺が死んでると思って動揺したの?」
「だって、脈が…」
「まーじでギリギリだったわ」
「星漿体の子は…」
「あー、………なまえは薨星宮まで言って傑を拾って硝子のとこまで届けて」
「え?」
「天内は死んだ」
「なんで、わかるの?」
「感じないから」


なにを、とは告げられなかった。五条が目を覚ましてからなまえにつきまとう違和感。目の前の男は本当にあの五条悟なのか?纏う空気、オーラ、放つ存在感全てが何者かに入れ替わったような感覚だった。例えようのない恐怖感を覚えてぞくりと粟立つ。
五条悟にできないことはなくなってしまったような万能感、きっと五条がいうのなら、星漿体の女の子は本当に死んでしまっていて、夏油はあの男にやられて倒れているのだろう、神のお告げのごとく信じてしまいそうだった。


「なまえ、あいしてるよ」


目が合ってるはずなのに、焦点が合わない。いつものキラキラした美しい瞳は獲物を捕捉するかのようにギラギラとこちらを見つめている。血濡れの手でなまえの頬を撫でて、己の血で汚れたその顔をうっそりと見つめ五条はなまえの目の前から姿を消した。


「…っ五条…!」



なまえの声は誰にも届くことなく瓦礫まみれの高専の入口に響いていた。


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