Act1-20

五条に指示された通りなまえは薨星宮へ続くエレベーターに乗車し、高専の最下層まで到着した。

「………、ごめんなさい」


目的地へ到着してすぐに横たわる女性を見つけ駆け寄るも、致命傷を受けたのだろう、既に血溜まりの中で事切れていた。
血の匂いがより充満している空間へなまえは歩みを進める。


「っ夏油!」


五条や護衛役の女性よりはるかに出血量の少ない夏油を見つけ駆け寄ると、意識はないが息があることにほっ、と嘆息した後に自分より遥かに大きな巨体を肩に担ぎ、事切れた女性も左脇に抱えて地上へと還っていった。星漿体の少女の遺体はどこにも見当たらなかった。



「硝子」
「………失敗したんだね」
「夏油のこと、お願い」
「なまえは」
「五条を追いかける」


夏油を硝子に預けたのち、あの男は放って置けないと告げればこれでもかと眉を顰める家入。五条が反転術式を使って自分の怪我を治し、男を追いかけたことを説明すれば驚きで目を見開いたがすぐに「なら、五条に任せて大丈夫でしょ」となまえの腕を掴んで引き止める。でも、となまえが逡巡していればガラ、と扉を開けて見慣れた顔がやってきた。


「なまえ、駄目だ」
「夜蛾先生…」
「高専内に大量の蠅頭が湧いている。そちらを先になんとかしなければならない」
「でも、でも!五条の様子が、」
「悟なら大丈夫だ。傑が目覚め次第すぐに盤星教の施設に向かわせる」
「…………わかった」




何故か大量に湧いて飛び回る蠅頭を薙ぎ払っているうちに胸に巣食い始めたのは何もできなかったというやるせなさだった。夏油と五条を死なせかけたのは私が役に立たなかったせい。星漿体の女の子が死ぬことになったのも私があの男を見つけられなかったから、弱かったから。ドクン、ドクン、心臓が嫌な音を立てている。〈戦え〉ー戦ってるよ!〈もっと強く〉、〈我を忘れて〉、〈『本能』のままに!〉ー


『死なない。絶対生きる。大丈夫、信じて。』


「あ…」



気づけば辺りは瓦礫の山と化していた。無作為に何かを殴り続けていたのか右腕は骨折しているようだ。意識しだすとびりびりと痛みが神経を通して脳に伝達し始める。
どうやら無意識のうちに自我を失いかけていたらしい。蠅頭はいつの間にか全部祓い終わっていた。五条によって更地にされかけていた場所だけでなく、蠅頭を追ってきた高専内部の方まで瓦礫まみれでとてもじゃないがまともに歩くこともままならない程度に破壊の限りが尽くされている。
つい最近自分自身と五条に誓った言葉が頭によぎって思考がクリアになる。自分の力をコントロールできなくなったのは、初めてのことだった。
あのまま人にまで手をかけていたらどうなっていたのだろう、と思うとぶわりと鳥肌がたった。
私は、随分弱くなった。



「うっ、うう……」



『人間を守らなきゃ』『呪霊は祓わなきゃ』『呪詛師は殺さなきゃ』
本当に人間は私が守らなきゃいけない価値のあるものだろうか。か弱い女の子を殺したがる人間がいっぱいいて、必死に頑張ってるわたしたちを殺しにくる人間もいっぱいいる。あまつさえ同じ呪術師にさえ殺意を向けられてる。こっちにきて、何回殺されかけたかな。


『弱いやつには興味ないよ。』
「…ハハッ、そうだね、そうだ」


脳裏に浮かんだピンク頭の馬鹿上司。殺されかけることなんて、今更か。何にビビってたんだろう、こっちに来てとんだ甘ったれになったもんだ。やっぱり、夏油の言う『弱きを助け強きを砕く』なんて糞食らえだ。弱い奴を助けるために強くなる?死んでもやだ。私は私のありたい姿のために強くなる。あんな男にされるがままに殺されかけたのが死ぬほどムカつく。目を覚ました五条にビビって『五条にはもう勝てないかも』なんて思った自分にムカつく。


「もう絶対、誰にも負けない」








____________

「俺が命じたのは蠅頭を祓え、だったはずだが?」
「ハイ、スミマセンデシタ」
「……」


クレーターだらけのその場には夜蛾に向かって土下座するなまえの姿があった。



「でもでも、半分くらいは五条のせいですよ?ほら、鳥居だって、半分くらいもう既に無くなってたし、」
「言い訳をするな」
「あがあっ」


夜蛾はいつの間にか対なまえ説教特化型の呪骸を作成していた。助走をつけてなまえの急所目掛けて飛び込んできた右腕によって見事なまえの顎にクリーンヒットし、なまえは思わず仰け反った。攻撃には成功したが、一撃で呪骸の右腕から綿が飛び出してあらぬ方向を向いている。「改良が必要だな…」という夜蛾の一言になまえは苦笑を漏らした。


「で、何があった」
「………どこから?」
「全部だ」


厳しい顔つきでなまえを問い詰める夜蛾に観念したように俯いてなまえは話し始めた。
羽田空港に降り立った瞬間から何者かに見られていて警戒していた事、一瞬の油断で五条が謎の男に刺されかけた事、五条を庇った怪我で戦線離脱して戻った時には五条が既に襲撃者にやられていて、反転術式を習得していた事、その後五条の指示で夏油と護衛の女性を回収しに行った事、星漿体は見つからなかった事ー事のなりましを歯切れ悪く、拙い言葉でなまえは説明した。それを夜蛾は口を挟む事なく黙って全て聞き入れている。


「で、なんでこんな、大惨事が起きる」
「や〜ハハ、よっぽど負けて悔しかったのかな。青春の一ページ的な?盗んだバイクで走り出したくなっちゃった的な、あったあ?!」

ヘラヘラ笑うなまえに呪骸が顔面にめり込んできた。その衝撃で今度こそ呪骸は破裂して綿が飛び散った。南無三。


「ーお前は強い、なまえ」
「マジで気を遣わなくていいですよ、大丈夫。もうスッキリしたから。ここはボロボロにしちゃったけど」
「ハァー、お前たちのせいで学長になるのが遠のくかもな」
「エー」


ケラケラと笑うなまえにいつも通りのなまえに戻ったかと安心したらしい夜蛾は正座してこちらを見上げるなまえに手を差し出した。


「悟から連絡があった。襲撃者は無事始末したそうだ。天内理子の遺体を確保して傑と合流しこちらに向かっている」
「仕事が早いね」
「大丈夫か?寮に戻っていてもいいぞ」
「ーー、ううん、二人とも無事かちゃんと確認したい」
「そうか」



立ち上がったなまえは制服のポケットに突っ込んでいた包帯をとりだして痛みを訴える右腕にぐるぐると巻きつけた。


「先に硝子のところへ行ったらどうだ」
「ただの骨折だし大してボロボロになってないから2日くらいしたら治るよ」
「……本当に規格外だなお前は…」

それにこんな自傷行為、硝子に見せて治してもらうなんて恥ずかしくてとてもじゃないけど無理だ、とは夜蛾には言わなかった。






____________


あれからどれくらいの時間が経っただろうか。瓦礫まみれの壊れた鳥居の前でなまえは傘をさしながら立っていた。ゆっくりと待ち人たちが階段を登ってくる。

「おかえり」
「なまえ」
「、見つかったんだね」

五条が抱えていた白布を被った大きな荷物のようなものから、だらりと力ない細腕が垂れているのが見えて星漿体の少女の遺体かとなまえは推察した。
少女を抱えて俯く五条は、やはりなまえのよく知る五条とは一線を画す存在感を放っていたが、数刻前のようにそれに取り乱すことはなかった。
夏油はなまえからの視線を感じると力無く、疲れた顔で微笑んだ。


「ん、アイツ、本物の天与呪縛だったよ」
「え?」
「あの男、禪院家のやつだ。正真正銘呪力ゼロのフィジカルギフテッド。お前並みのゴリラだったわ。なまえで慣れてたからなんとかなるかと思ったけど持ってた呪具が厄介だった」
「呪具」
「発動術式の強制解除する呪具。もう壊したけどな。…そーいやあいつが呪具格納してた呪霊どこいった?見逃しちまったな…」
「五条」
「ん?」


いつものようにペラペラと回る舌に、いつもとは違って合わない視線、もうあんな男の話今はどうでもいいから、こっちを見てとばかりに傘を放り投げ、俯き少女の亡骸を見つめる五条の頬に手を当てた。ゆっくりと首をもたげてなまえを見つめる視線は、いつもの五条のキラキラとした瞳だった。それが無性になまえの胸をざわつかせる。なまえの頬についていた五条の血はすっかり乾いて表情筋の動きに合わせてぺりぺりと皮膚から剥がれ落ちていく。


「おかえり」
「…ただいま」
「夏油も、おかえり」
「うん。ただいま、なまえ」



太陽が沈み始める黄昏時、夕焼けがやわくなまえと五条を差し、瓦礫まみれの中唯一残った鳥居が下ろす影の中で夏油は先程見た醜悪な人間を思い出して嫌悪感と無力感に立ち尽くしていた。コロコロと足下に転がってきたなまえの重い傘を拾い上げ少女の亡骸を挟んで俯きあった二人を夏油は傘で覆い隠してやろうと影から柔い光の元に踏み出した。






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