Act1-13



しんと静かな医務室には、なまえのゼェゼェと荒い呼吸をする音だけが響いている。
眠っているなまえは顔中が真っ赤に火照って上気をあげ、いつもならさらりと流れる髪の毛も発熱による汗でぺとりと顔に張り付いていた。呼吸をしづらいせいか、そもそも高熱のせいかなまえは苦しそうに眉間に皺を寄せている。そんななまえの様子をずっと見ているのは、同級生の家入硝子だった。


カラカラカラ、気遣わしげにそっと開かれた扉の向こうに立っていたのは、家入の知る人物の中で気遣いという言葉からは最も縁遠いとしてきた人物だった。


家入は左頬を真っ赤に腫らして医務室に入ってきたボロボロの男の姿を確認すると一瞬目を見張り、すぐに感情の読めない能面に戻ってしまった。
男はそんな家入と、荒い呼吸をしながら眠るなまえを見て、いつもの不遜な態度とは打って変わり、少し居心地が悪そうに、肩を下げながら家入の隣までやってくる。



「………」
「………」



どちらも特に声をかけることなく、荒い息を吐くなまえを見つめていた。どれほど時間が経ったかはわからないが、先に折れたのは家入だった。長く深いため息をついた家入は視線を横にいる男に移すことなく口を開いた。



「診ようか?」
「……いや、いい。大したことない」



どこがだ。家入は突っ込んでやりたかったが、口を閉じた。普段の二倍は腫れ上がってる頬に、ばっちりと刻まれる紅葉跡。
突然食堂の方から聞こえた爆発音に似た騒動に、またなまえか五条か夏油が喧嘩でもしているんだろうと特に不思議に思うことなく医務室で運ばれてきた怪我人を治療していれば、珍しく焦った夏油が勢いよく現れた。なんだなんだと見やれば見るからに体調の悪そうななまえがぐたりとしながら横抱きにされていて血の気が引いた。
すぐに様子をみると、ただ発熱しているだけで他に体の異常は見られないので、ほぅ、と息をついた。
あのなまえでも熱は出るんだなと思うと同時に聞かされた今回のことの顛末に、クズめ、と暴言の一つでも吐き捨ててやりたかったが、なまえが既に返り討ちにしたと聞いて多少溜飲が下がった。


一体次になまえと顔を合わす時、どのツラ下げてくるんだろうな、と思っていたが自分の横に並んでなまえを見つめる五条に、拍子抜けした。存外反省はしているようだ。


「……で?」
「…カッとなった。自分でも、驚いた」
「クソガキだな」
「……うるせーよ」
「小学生からやり直してきたら」
「……硝子」


流石に言いすぎただろうか。いつもは同期の喧嘩の渦中に巻き込まれないうちにさっさと逃げる家入だったが、彼女は全面的になまえ側についたらしい。鋭い眼光がすっと五条を捉えている。



「次泣かせたらほんとにかっさばくからね」
「……気ィつけるわ」


この様子じゃ、二人にしても大丈夫だろうと判断して、何かあれば自分に連絡するように五条に念を押して家入は退室した。







荒く呼吸するなまえは、とても苦しそうだ。時折うっと呻く声と一緒に何度か涙が流れている。嫌な夢でも見ているのかもしれない。ぺとりと張り付いた髪が鬱陶しそうで、医務室にある水場の水栓を捻って、備品として管理されている清潔そうなタオルを濡らして固く絞る。
首や頬、額などを拭ってやればスッキリしたのか、はたまたタオルの冷たさが心地よかったのか眉間に寄った皺がスッと無くなっていた。


硝子がいうには「喉の腫れもないし腹にも問題なさそうだからたぶん風邪じゃない、疲労からきたものか、まあ最近よく勉強してたみたいだから知恵熱みたいなもんだろう」とのことで、熱が高いだけで他に悪いところはないらしい。
たぶん、なまえは今日食堂で会った瞬間から体調が悪かったんだろう。今思えばいつもより顔色は青白くて、どこか震えているようにも見えた。


目の前で繰り広げられる親友となまえの親密な様子にふつふつと湧き上がるものがあって、最終的にはなまえの口から発せられた傑への「好きだなあ」という一言に全身が強張るのがわかった。今まで見ないふりをしたそれが一気に吹き出し、そのまま怒りに転換されてなまえにぶつけた。
薄々、感じていたなまえへの感情を認めるのが嫌で、最近避けていたことは認める。おそらくそれでなまえに嫌な思いもさせたのだと思う。
普段から能天気すぎるほど明るいなまえが、手を振り上げてこっちを見た目には確かに涙を浮かべていた。
あ、やっちまった、と思うと同時に一発くらい甘んじて受け入れようと殴られたがマジで効いた。平手打ちで人って吹っ飛ぶわけ?吹き飛んだ俺ごと壁破壊する平手打ちってマジでどうなってんの?


騒ぎを聞きつけてやってきた夜蛾センにはボロボロになってるところをさらに殴られるし、やっぱり体調の悪かったなまえは俺をぶん殴った後に倒れたらしい。
傑はなまえを医務室に連れて行ったあとに、説教されてる俺のところに戻ってきて無表情でぶん殴ってきた。


「やっと自覚したのか?」
「でも、あいつお前のこと好きなんだろ」
「……前から思ってたけど悟も相当な馬鹿だな」
「ああ?」
「………なまえ、ホームシックみたいになってたみたいだよ。そりゃあそうだろう。急に誰も知らない世界にほっぽり出されて今まであそこまで順応してるのが奇跡だ。」
「……、」
「不安になっていたみたいだからね、私も好きだよと言っておいた。もしかすると本当にいつか『好き』になるかもしれないけどね」
「傑」
「…お前ら青い春するのはいいがもっとそれらしいやり方を知らんのか……」

傑は意地悪い顔でべーと舌を突き出し「悟より私の方が好感度は高いからね。言っておくけど」とさらに煽ってくるがこんなことになった以上さすがに言い返せない。ほんといい性格してるよ。
呆れた夜蛾センにさっさと医務室に行って様子でも見てこいと押し出された。





何度か濡れタオルで汗ばんだ顔を拭ってやれば、少し顔色が良くなってきた気がする。
体温を測ろうと手を額に当てる。まだ熱かったが、少しましになっているようでほっと息を吐いた。
急に冷えた手を添えられて違和感があったのか、長い睫毛がふるふると震えて瞼に隠された眼球が動き始める。緩慢に持ち上がっていく瞼から現れた晴れた日の青空みたいな蒼と眼が合った。


「起きた?」
「ん゛…ごじょ、…?」
「…うん、」
「……かお、…ごめん」
「いや、お前は悪くないよ。俺が、わるい」
「あ…りょうぼさんは…?」
「別に誰も怪我してない。俺だけ。」
「ふふ、ごじょうが、ぶさいく…ふふ」
「なまえ」
「うん…?」
「好きだよ」


どうせなら硝子に、治してもらえばよかっただろうか。腫れ上がった左頬に大きなたんこぶが二つ。他にもなまえに吹っ飛ばされた時に打ちつけた傷がちらほら。一世一代の告白にこんな情けない姿で挑むことになろうとは、思ってなかった。それよりまさか、自分が一人の女を好きになる日が来るなんて。親友のことを好きな、女を。
言われた言葉を理解できないのかぽかんとしているなまえも可愛い。なんだ、一回認めるとすらすらと出てくるな。


「さいきん、冷たかったじゃん…」
「…悪かった」
「嫌われてるのかとおもってた」
「好きだよ、なまえ」
「へへ…私も五条好きぃ…」
「………は?」
「硝子も、夏油も、先生も、すき」
「………ん?」
「みんなだいすきで、はっぴーだね…」



そう言ってまた瞼を閉じたなまえ。ちょっと、待て。寝るな。このまま俺をおいていくな、と思う一方で先程の苦しそうなものとは違ってすぴすぴと眠るなまえの顔は穏やかで眠りを妨げるのは気が引けた。
そこで思い出す「本当に好きになるかもしれないね」と言った傑のニヤニヤしたような厭な笑みを。全部知っていたのか。なまえの『好き』がお子ちゃまの好きなこと。なにがみんなだいすきでハッピーだ!!!ハッピーなのはお前の頭だけだ!!!小学生からやり直さないといけないやつはこいつだろ!!!!



「あーークソッ…!」


恥ずかしいやら悔しいやらいろんな感情がないまぜになってぐちゃぐちゃになって、なまえを起こさないように、静かに悪態をついた。



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