某芸人、炎上中

…それみたことか。報せの電話を受けた時、そう思った。続けて送られてきた問題の写真が載った紙面の画像が、あまりに、あまりに見る人が見れば『私』であることが明らかで、目深に帽子を被った見覚えのある自分の格好の写真に思ったより動揺した。今時紙の週刊誌を世間の人がどれだけ見るのかは知らないが、これは私だって…気づかれないか?大丈夫か?身元がバレたら職場の同僚だとか、取引先だとか、下手したら職場に迷惑をかけかねない状況に、今更今交際している相手が『如何にヤバい人か』ということを思い知らされた。にも関わらず、電話口の向こうの声が焦った様子も狼狽える様子も、申し訳なさそうな様子なくて、「そういうことだから、迷惑かけるかもしれないけど、対応よろしくね」なんてむしろ浮き足立った声で言ってきて、思わず青筋を額に浮かべてしまった。


「…だから私言ったよね?外でうろうろするのはやめようって。どうせ部屋も隣同士なんだから、家の中だけで会えばこんなことにならなかったでしょう?」


自分でも随分砕けた話し方になったな、と思う。…まあ、交際が始まって…二年と少し。来年には私も三十路。まだ世間にこの交際がバレていなかったのは、なんといっても外でデートをしたことがなかったから。会う場所は専らどちらかの部屋で、人の口には戸を立てられないともいうし、私は前世の呪術関係者以外の知人はおろか、家族にさえ彼との交際を話していなかったので、漏れる場所も限られていた。…本当に信用できる知人、というのが前世の関係者と判断するあたり、本当に厄介なものに囚われている。

ハンズフリーで通話を続けながら、送られてきた写真に再び視線を移して眉間に深い皺を刻む。
お互いに帽子を目深にかぶって、映画のパンフレットを二人で覗き込んでいるその写真は、距離は近いしどこからどうみても『デート』だ。言い逃れの余地もない。
先日迎えた傑さんの誕生日、「三十歳の誕生日はなまえとデートしたいんだよね」と言う彼に最後まで抵抗の意思を見せたけど、「なまえはせっかく誕生日な私の我儘聞いてくれないの」と拗ねる傑さんに渋々折れた(あんなに可愛い三十路(男)におねだりされて心臓がオーバーヒートしない人が果たしているのか?)。私だってもちろん今まで彼とデートしたくなかったわけじゃない。なんならずっと手を繋いでたまに腕を組んだりなんかして、あわよくば盛り上がって路チューとかしてみたい!…なんて妄想してみた日もある。でもそんなこと、できないことは彼の特異な職業上、もちろんわかっていたしそれをこちらから強請ったことは一度もなくて。
デートは100%お互いの家という状況に少しだけ鬱憤が溜まっていたことも認める。そんな私の深層心理なんてお見通しだったのか、「でも…」だとか「やっぱりやめようよ」だとか当日になってもマイナスなことばかり吐く私に「大丈夫だよ、一日くらい。しかも今日は雨だから、わざわざ傘の中まで覗く悪趣味なやつなかなかいないよ」なんて嘘か本当かわからない言葉で言い含められて、結果大丈夫ではなかったことを今更悟ったところで後の祭りだった。

デート自体はすごく楽しくて、滅多に外に出られない分目一杯楽しもうと最初から最後までずっと笑いが尽きなかったし、傑さんもそんな私を見て嬉しそうにしてくれていた。
あいにくの天気、狭いし濡れるかもしれないから別々の傘で行こうよって言ったのに、頑なに傘を持たせてくれなかった傑さんのせいで身長差もあって雨は入り込んでくるわ、歩きにくいわだったけれど傘にあたる雨の音とか、傘の中で少しだけ反響する傑さんの声だとかが心地よくて、普段なら足元や服が濡れて気分の下がるお天気も悪くないと思えるのだから、恋は盲目という言葉は的を射すぎている。二人で映画館で見る映画は家のテレビで見るそれとはどこか違って特別感があって、隣に座って手を繋ぎながら見ているのは変わらないのに、同じバケツからポップコーンを二人で分け合って、暗い映画館のスクリーンに照らされる傑さんの顔を盗み見たりしながら観るそれが普段では得られない幸福感のようなものまで付随していた気がした。

好きな人と外で時間を共有するということ自体久しぶり(なんてたって前世での片思いの頃ぶりだ)なのと、傑さんと交際してから初めてのデートということで確かにはしゃいで注意力散漫になっていた…。

今までの人生で経験したことのないくらい楽しくて、幸せで、浮かれきっていた私が映るその写真は目元が帽子で隠れているからか、唯一映っている口角の上がった頬が遠目に写った顔はモザイク処理さえされていなくて、なんて間抜けなんだとため息をつきたくなった。


『……これを機に公表しないかい?』
「………………はい???」
『別に恋人がいる、くらい言っても構わないだろう?私は別に恋愛禁止のアイドルじゃない。いい歳した芸人だよ?』
「いや、いやいやいや待って。傑さん、自殺者出ますってそれはやめましょう」
『………なにそれどういう意味?』


会社の後輩ちゃんは五条先輩の結婚以来毎日「あー夏油が結婚したらどうしたらいいですか?死んだらいいですか?最近写真に撮られたりもないし、匂わせ女もぱったり見かけなくなったし、本命できたんじゃないかって疑ってるんですよね…どう思います?」なんて闇落ち一歩手前のような顔で私に愚痴を言ってくるし(先輩の結婚会見で私が卒倒しかけた日から私が五条先輩ファンだと思い込んでいる)、こんな記事が出れば彼女に殺されでもしないだろうかと少し怖くなる。

いつかこうなることを覚悟していなかったわけじゃないけど、いざそうなってみると手先が震えるくらい動揺して、たった一度デートに出ただけで写真に撮られてしまうという『祓ったれ本舗夏油傑』の知名度の高さというか世間の関心の高さを今更突きつけられた気がした。


『………今までみたいに紙面に載ったけどのらりくらり適当なこと言って躱してる私を見て君は傷つかない?それに君と交際してるのは本当なんだしいつかはバレることなんだから、ファンだってずっと欺き続けるわけにはいかない。大体交際如きで去る芸人のファンなんて、ファンとは言えないだろ?』


そう言われてからそれを想像すると、一瞬心臓が凍らされたかのようなツンとした、鋭い痛みが胸を貫く。傑さんが指摘することは正論でしかなくて、言い返せるポイントが見つからなかった。ファンに嘘をつくのも、傑さんが私の存在を秘匿するのも、自分で提案しておきながらきっとネットニュースなんかで見て地味に傷つくだろうことは想像に難くなかった。…なんて私は我儘で傲慢なんだろうか。


「…ごめんなさい、ちょっと驚いちゃって…言い過ぎました」
『…君も不安なことぐらい、わかってるよ。─大丈夫。私がなんとかするから』


柔らかくて私を安心させる声色はあの頃からちっとも変わらなくて、まぁ、傑さんがそう言うなら、きっと悪いことにはならないだろう…ならないよね?そう思って納得して、彼を信じることにした。





「……そんな時期が私にもありました。」


そう言って皮張りのソファから毛足の長いラグの上に行儀悪く滑り落ちていきながら手垢の一つもついていない小洒落たガラス天板のセンターテーブルに突っ伏した。…ファンデーションとか移ったらごめん。あとで拭くから許して。そう呟けばこのオシャレな独身貴族感満載の家主が私に汚されないようにか、テーブルに並んでいた小皿やワイングラスを避けていった。

─先日見せてもらった週刊誌掲載の報せは、どうやら掲載されるページのごく一部に過ぎず、実際に発売されたそれには、たらたらとデートの一部始終を事細かに記され、最終的に『二人は都内の高級マンションに向かって同じ傘を共有しながら肩を少し濡らしつつ仲睦まじそうな様子で帰っていった』と締め括られ、私がカードキーでエントランスを解錠する様子まで撮られていた。それだけでも憤慨ものだったのに、週刊誌に載ったその日の祓ったれ本舗のラジオの生放送、オープニングで更なる事件が起きた。

「あ、今日はみんな気になってるこの話題からにしとく?久しぶりに世間をお騒がせしてる傑の記事、見た?珍しくホテルの前じゃなくて可愛いデート報道だったね?」
「そうなんだ、先日の私の誕生日にデートしたいって彼女におねだりしてね。マネージャーにも調整してもらって二年付き合ってて初めてデートに行ってきたんだ。映画見たりタピオカ飲んだり学生みたいなことしてね、楽しかったよ」
「オーイオイオイ、飛ばすねーお前。また炎上するよ?」
「と言いつつ悟もニヤニヤしてるじゃないか。…ホントね、デートに夢中で撮られてるのも気づかなくてさ、ふふ。近々もっと良い報告ができればと思ってるよ」
「………ま、いっか!というわけで猿のみんなわかったかなー?傑の薬指が光るのももうじきの話かもねー、さ、今夜も始まるよー祓ったれ本舗のオールナイトジュッポーン!」

─は???
いや何言ってんの?!このバカタレ本舗共何言っちゃってんの?
畳みかけるように翌週の週刊誌に『祓本夏油結婚?!猿(ファン)騒然!!お相手は一般女性A子さん』なんて見出しに始まり(猿(ファン)の表現はいくら二人のネタの抽出とはいえOKなのかという疑問はさておいて)、『関係者によると「二人は夏油さんの相方の五条さんの結婚披露宴で出会われたそうですよ。どうやら五条夫妻の友人だったそうで。夏油さんともそこで紹介されたのか、仲睦まじげにお話しされていました」』なんて的を射ているのか射ていないのかよくわからない関係者(??)のタレコミに、どこから情報を得たのか『誰でも名前を知ってる大手メーカー勤務』だとか『モデル風のくっきりした顔立ちの美女』だとか脚色もいいところな情報ばかりがつらつらと書き並べられ、案の定後輩は屍になっているわ、職場でも多大な迷惑をかけ、毎日関係各所になぜか私が謝り倒す日々。更には顔も知らない人たちにネット上で総スカンを食らってSNSは悪口のオンパレード。…どこが『私がなんとかするから』…よ?!全くなんとかなってないんですけど?!噂が一人歩きしまくってむしろ完全にバックドラフト現象起きてますけど?!

「公共の電波で言っていいことと悪いことの区別もつかないんですか?!」と珍しく私が傑さんに食ってかかればまあまあ落ち着いてよそろそろ結婚しようよ私たち、今度指輪見に行こっか。カッカしないでアイスでも食べよう?ほらアーン。なんてまるで晩御飯は外食でもしよっか、くらいのサラッとした言葉でプロポーズまがいなことを能天気にニコニコ微笑みながら言われてプッツンきた。


「もう知らない!!!」


………つまりは家出である。
ガラスの天板に放り出された私のスマホには、ひっきりなしに誰かしらからメッセージが送られてきて、いつか容量がパンクするのでは、という感じだ。ネット上はいつかの先輩の電撃結婚宣言の日のように消えない炎が燃え続けている。…いや、なまじ私が手の届かない女優さんやモデルさんなんかではなく一般人なせいもあってか、それかそもそも渦中の人が『夏油傑』であるせいか、五条先輩より上がる火の粉が多い気がしている。友人からおそらく親切心で送られてくるネットのページではどうやって私を特定したのかわからないが勤める会社名や経歴なんかまで晒されてまるで犯罪者のような扱いにうんざりしてくる。…せっかく次の四月は昇進が決まってたのに…こんな騒ぎを起こして頓挫してしまうのではないか…、何度吐いたかわからない溜息をこぼせば美しいテーブルが一部だけ曇った。


「ねえ、七海……こういうネットのページって削除依頼したら消してくれるの…?」
「…難しいですね。プライバシーの侵害、にはあたりますが名誉毀損では弱いです。該当の記事がほとんど事実を元に書かれてますし…事実に異なる記事でなければ違法とみなされない可能性が高いです。…SNS等での誹謗中傷の方はあることないこと書かれてるみたいですし、そちらなら可能だとは思いますが」
「そうなんだ……人の噂は七十五日だっけ……あと何日だろう、二ヶ月ぐらいあったら落ち着くかな……はあ。職場も気まずいしホントしんどい」


この家の家主、そして専門家なだけあってもっともらしいアドバイスにさらにズーンと頭が重くなる。
…二年前、傑さんが引き合わせてくれた七海と灰原は私と傑さんが交際していることを唯一自分から打ち明けた二人で、どちらも喜んで祝福してくれたのは記憶に新しい。それ以来時折気を利かせて一緒に飲もうよ!と召集してくれる灰原はどこにも吐き出せないガスを抜かせてくれるし、こんなふうにどうにもならないことを相談しても的確にアドバイスしてくれる七海の相変わらずの有能ぶりには頭が上がらない。素敵な同期を持てて、昔のことを共有しながら元気にやってる様子を近くで見守れる時代に生まれ変われて、本当に良かったなと思う。


「………はあ。あなたは昔から楽観的なところが変わりませんね。…夏油さんは基本的に優しすぎるところがありますが、そもそも五条さんとあれだけつるんでいるんです。…本質的にあの二人が常識とは外れた思考をしていることくらい少し考えればわかるでしょう」
「待って待って、七海が辛辣すぎてちょっとついていけない待って」
「夏油さんはみょうじが不安にならないように!って配慮してくれたんでしょ?ホラ、こんなこと堂々と宣言してくれる恋人なかなかいないよ?夏油さんすごく優しい声だったし!愛されてるね!みょうじ!!自信持って!!」
「やめて!灰原の傑さん全肯定は今聞きたくない!!みんな私の話を聞いて!そうだねちょっとやりすぎだよね、って寄り添ってくれるだけでいいの!!!」
「………そんなの、なんの解決にもならないでしょう。現実を見てきちんと順序立てて対策を取っていく、あなたに今必要なのはそういうアドバイスでは?」
「やーだーー!七海が正論ばっかり言う!」
「あはは、あ、七海ー!ネトフリ見ていい?夢の不時着気になってたんだよねー七海んちの大画面テレビで見たかったんだ〜!」
「お好きにどうぞ」
「みんな私を蔑ろにするー!同期なのに!!何度も死線をくぐり抜けた同期なのに!!」
「はぁ、貴女も灰原も私を庇って最後までは一緒にくぐり抜けてはくれませんでしたけどね。あまつさえ私の死に際には後進に呪いを残せとまで言ってきた」
「なっ七海ーー!!ごめんね!!あの日は諦めて死んでごめんなさい〜〜〜でもあのままじゃ七海も死んじゃうって怖かったんだよ〜〜〜『私と灰原の分も長生きしてね』なんて言ってごめん〜〜ッ」
「酔っ払いも大概にしてくださいよ。無闇矢鱈とくっつかないでください。私はまだ今世では死にたくないので」


ソファに腰掛ける七海の足に抱き付けば払いのけられた。塩だ。塩対応だ。そんな私たちを見てリモコンをいじりながら二人とも仲良いねーなんて言う灰原の天然ぶりは昔から全く変わっていない。


「はあ、ともかく。そろそろ仲直りしてください。私の方までとばっちりがきてますので貴女が今日ここにくることは夏油さんに知らせておきました」


七海のその密告に私はピシリと固まった。…私に連絡をよこしてくるのはなにも野次馬のように実際どうなの?!なんて聞き耳を立ててくる知人に留まらず、一番多いのは傑さんだった。連絡を全て無視している私に送られてくる文面は安否を心配している口ぶりだが端端から火山の噴火前のように怒りが体内で膨れ上がっていることが見て取れた。


「やだ!私めっちゃ怒られる!ホテルに帰る!」
「みょうじ、問題を先送りにしてもいいことはない。帰るなら自宅へ。…それともなんですか?結婚する気がないとか?そうならさっさと別れた方がいいんじゃないですか」
「別れるのは、いやだ……」


傑さんと別れる─想像するだけで涙腺が緩んでしまいそうだった。決して別れたくてこんな頑なな態度を取っているわけではない。
傑さんの思考が全てお花畑ハッピー野郎が如く何も考えていないのでは?と最近思い始めていたからだった。たとえば、今回交際報道ごときで私の情報が流れるくらい大炎上させてしまっている現状。たとえば先日私と結婚したいみたいなことを言った時のあのサラッとした口ぶり。いや、結婚ってもっと重要なことでしょう?別に高級レストランで指輪ぱっかーんしてほしいとかそんなことを言ってるんじゃない。別に場所もどこでもいいし、タイミングも別にいつでもいい。ただ、ただ私は真剣に私との将来を考えて『なまえのことを幸せにしたいから結婚したい』とか、傑さんの一生懸命な気持ちを聞きたかっただけなのだ。なのに総じて彼の態度はずっとふわふわしているのが気に食わないのだ。


「あ!!!!そうだ!!!今日祓ったれ本舗のラジオだよ!!僕もお酒飲んじゃって車で送ってあげられないし。みょうじ、なかなかこうやって集まれる機会も少ないしさ、明日は休みでしょ?僕たちも一緒にいてあげるからちゃんと夏油さんと仲直りしよ?ホラ、言いにくいこととかあるなら僕が代弁もできるし!」


もう終電も終わってしまった夜も更けた深夜。帰るとすればタクシーを呼ばなければならないし、いつかは傑さんと話し合いをしなければいけないのも分かっていた。…たしかに二人きりで険悪な雰囲気よりも、いるだけで明るくなる灰原と冷静な七海がいてくれた方がうまくいくかも…、まったく、灰原の人絆し検定特級の実力には敵わない。

私がショルダーバックを下ろしてソファに腰をかけたのを確認してそうこなくっちゃ!と笑った灰原に嘆息した。

今の今まで見ていたテレビを一時停止させてアプリを起動させた灰原のスマホから、耳馴染みのあるジングルが聞こえ始めた。




「はーい今日も始まりましたー祓ったれ本舗のオールナイトジュッポーン!こんばんはー、今日もビックリするほどグッドなルッキングの五条悟でーす」
「こんばんは、大炎上中の夏油傑です」
「アレアレアレ〜ッ?!どうしちゃったのかなァ?この前はウキウキウキウキ猿みたいに楽しそうに彼女の惚気話電波に乗せてた稀代のモテ男くんがこの世の終わりのような顔をしてるよーッ?!」
「─悟」
「こっわーッ!聞いた?今のドスのきいた声!みんな優しそうな面に騙されちゃダメだよーコイツの素はコレでーす…とまあ冗談はこのくらいにして、今日は傑から大事な話があるからオープニングは真面目にいくねー」
「─いつも祓ったれ本舗を応援してくれている皆様、連日私の報道でお騒がせして申し訳ありません」


やけに真剣な声色の傑さんの声。話のとっかかりから今私たちの間に生まれた不和に関連することだということはすぐにわかって一体何を言うつもりなんだろうかと少し不安になる。


「─私はファンの皆さんは知っての通り最近まで週刊誌の常連でしたし、もはや突撃してくる記者の方の名前と顔と週刊誌の名前が一致していたほどです」
「やべーなお前」
「─今回も当初は、あー、夏油またかオマエ、くらいに思われていたでしょうか。『特に話すことはありません』なんて雑な回答を期待していた方がおられるのかもしれませんが、それはできません。写真に一緒に映っている女性は、この先私が生きていく上で必要な女性だからです。いつも隣にいる悟やファンの皆様と同じくらい、私が私であるために必要な存在であり、私がこの生涯をかけてこれから守っていくべき人です。─私のせいで、彼女が不幸になるようなことはあってはならないんです。私のエゴで私の人生に巻き込んでしまった、芸能関係とは無縁の世界で生きてきた彼女の世界をこれ以上踏み荒らさないでほしい、というお願いです。
…─とまぁ、芸人らしからぬえらく真面目な話になってしまったんだけど、これからはもう定期的なコーナーかと思う私のふざけた下半身事情が週刊誌に載ることはないですよってことだね」
「オマエの話のオチどころどうなってんだ。情緒大丈夫か?」
「アハハ、─これからも猿のみんなを笑わせるのは変わらないよ」
「まるで結婚するみたいだけど、こいつ今回のことで彼女に逃げられそうで本当はめちゃくちゃ焦ってるからあんま虐めないでやってね〜あたッ!オマエ今本気で殴ったろ!!」
「やだなツッコミだよ?あーあ、また悟のせいで変なネットニュース上がっちゃうじゃないか。ほら早くリスナーからの手紙読んで」
「いや絶対オマエのせいでしょ??まぁいいや、えっと─リスナーネーム五条の嫁は俺の嫁さん…ン?!なんだこいつ?!は?喧嘩売ってんの?…あー、まぁいいやとりあえず進めるね、…五条さん夏油さんこんばんは、いつも放送楽しみに聴かせていただいてます。夏油さんの熱愛報道、驚きましたが先日幸せそうにラジオで報告されていて、素敵な恋愛されてるんだなあと思いました。炎上してるみたいですが正直僕は五条さんがめちゃくちゃな結婚宣言したときよりは好印象です。お幸せに!…ねえ、僕今めちゃくちゃリスナーに喧嘩売られてるよね?」
「ふふ、五条の嫁は俺の嫁さんありがとう。悟が離婚しそうなときはこっそり教えてあげるね」
「は?!離婚なんてするわけないでしょ?冗談やめろよへんてこ前髪野郎!」
「わかったわかったほら続けて」
「…………話は変わりますが質問です。五条さんはいつも唇がプルプルですがどこのリップを使っているのでしょうか、もしや女優の奥様のを借りていらっしゃるのでしょうか?正直いつもの嫁エピソードがほしいです。ぜひそのあたりも含め教えてください!タハー!そう僕の唇いつもぷっるぷるなんだよねキスしたくなるでしょ?そして僕のこのプルプルの唇は高校生の時に奥さんがくれたリップで仕上がってまーす!毎日このプルプル唇で奥さん愛でてまーすオマエの出る幕はありませーん以上!次!」
「待って悟、結局何のリップか教えてくれないの?」
「僕って心狭いから、彼女が僕にプレゼントしてくれたもの他の男と共有すんのとか絶対無理。真似とかされたら吐くからずぅえーったい嫌!教えません!ハイ次ねー!」


五条先輩が顔さえ見えないリスナーに喧嘩を売りながら手紙を読み上げる声が聞こえてくる。五条先輩はリスナーネームの時点で読み上げるのもやめそうな内容だったのにきちんと放送してくれたのは先輩なりのわかりにくいエールだろうかと苦笑した。顔も知らない五条の嫁は俺の嫁さんと先輩のおかげで、ずっとこの恋が誰からも応援されていないような気になっていた自分が馬鹿らしくなって、すくっと立ち上がってソファに置いていたショルダーバッグを肩にかけた。それに気づいた七海がはぁ、とため息つきながらも電話をかけてくれていることに気づいてありがとう、と呟けば、いいえ、と簡素な返事が返ってきて眉を下げる。


「─みょうじ、帰るの?」
「うん。傑さんのこと、待ってようと思う」
「そっか。またなんかあったらいつでも連絡して!もちろん何もなくても!」
「うん、ありがとう灰原」
「─みょうじ、あと五分待ってください。タクシーを呼びました」
「…七海ありがと。荒らしちゃってごめん。お皿だけでも洗っていくよ」
「いいえ、まだ灰原もいますし。大丈夫です。それよりさっさと揉め事は解決してください」


─私もあなたの幸せを願ってますよ。─もちろん僕も!
なんて言いながら眉間をマッサージしていた七海もにこにこ笑顔の灰原も、手がかかる子なんだから、とでも言いたげな表情を浮かべていた。









伊地知が運転する車から近づいたマンションを見上げ、癖になってしまったように自然に向かう視線が角部屋を捉える。やはり電気がついていないことに落胆して、ため息を落とした。
悟が隣で何やらやいやい言っていたが今は悟の惚気話もしっかりしろよなんて叱責も最早言い返す気力も湧いてこなくていよいよ本格的にどうにかなってしまいそうだ。
あの日、見覚えのある記者に尾けられていたことも写真を撮られていることにも気づいていたが、普段から私に気を遣ってかデートをしたいだとか一言も漏らさないどころか最後まで本当に行く気かと渋っていたなまえがとても楽しそうに笑っていたから、それには気づかないふりをしてデートを続けた。別に撮られてもどうでもいいな、という気持ちがあった。…まさかあそこまで情報が錯綜して彼女のプライバシーが侵されるとは思っていなかったけれど。
最近は、私だけではなくなまえの方まで仕事が忙しいようで二人で過ごす時間も付き合った当初とは段違いに減っていて、これを機に彼女の存在を公表して少しでも動きやすくなれば、という気持ちとそのまま結婚の話にでも持ち込もうという不純な動機があったことは認める。
いざ交際をオープンにすると彼女はどこかで見たことがあるような気がする呪霊のように表情を歪ませていたのに気づいて、あ、やばい…と思った瞬間には坂から転がり落ちるように状況が暗転していった。…やはり彼女の仕事にも影響が出てしまうような事態に発展したことに怒っているのだろうか……。連絡を返さないどころか隣の部屋にすら帰ってこないなまえにそこまでしなくてもいいだろう!と最初は怒りが湧いていたが、どんどん無事でいるのか心配が勝り、七海や灰原とは連絡をきちんと取っていることを知ってまさかこのまま別れるなんて言うんじゃないだろうかと思うと腹の底の辺りで焦燥や狼狽が渦を巻き気が滅入って本当にもう限界だった。頼むから帰ってきて欲しい。会いたい。触れたい。どこにも行かないで欲しい。─そんな気持ちをなんとか伝えたくて仕事帰りに七海の家に寄ろうとしたが、「もうここにはいません」と言われる始末。

しきりに七海と灰原に会いたいと寂しがっていたなまえのために、私は全力で二人を探した。法律事務所を運営していた七海とそこでパラリーガルとして働く灰原を探し当てるのには長く時間は掛からなかった。
─今世ではあなた方と関わる気はなかったんですがね、みょうじが既に巻き込まれているのなら、彼女の味方は一人二人必要でしょう、なんて生意気な口を叩いたいつかの後輩の姿を思い出して私も嫌われたものだなと自嘲する。

それから頻繁に三人で会っている様子だった彼女はきっと今回のことで二人に泣きついていることは想像に難くなかった。とはいえ、私の味方というより完全に彼女側についている二人はどうやら簡単には彼女を引き渡してくれるつもりはないらしい。

別れの挨拶もそこそこに溜息をつきながらフラフラと力なく車から降りて、無心で自宅のドアを開けた。─?あれ、朝、電気、付けっ放しで出た?足元を見れば見覚えのある自分のものより圧倒的に華奢な靴が行儀良く並べられていて、血が沸いた。焦りすぎて足を縺れさせながら靴を脱いでリビングに続くドアを開け放つ。


「なまえ……!」
「傑さん、おかえ…!」
「無事?!記者とかから尾けられたりしなかった?!怖い目に遭ってない?!今までどこにいた…?!」
「す、傑さん、まって、大丈夫だから、」


つんと鼻に抜けたアルコールの香りに思わず顔を顰める。こっちは心配と焦りであっぷあっぷだったってのに、君は同期と楽しく酒盛りか。…いい度胸だ。急に腹の底で渦巻いていた焦燥が怒りにシフトチェンジした。一言物申してやろうと口を開くと、なまえが私の肩に手を置いて背伸びをしたと思えば、ふに、と柔らかいものが唇に触れる。久しぶりすぎる触れ合いに、触れた場所に花が咲いたような感触さえ覚えて、頬を染めて恥ずかしそうにしながらごめんなさい、と謝る彼女の姿を認めれば膨れ上がっていた怒りゲージが一瞬で鎮火してしまうのだから、この子にはいつまでも敵う気がしなかった。


「お手上げだよ。本当に。心配したんだ………」
「ごめんなさい……」
「いや、私こそ………君の生活を揺るがしてしまうようなことをして、すまない」
「……いえ、それは仕方ないことだから」


はっきりと私を見上げる彼女の瞳には強い意志が垣間見えた。あの日怒りを露わにしていた激情は鳴りを潜め、ようやく彼女と仲直りできる兆しに内心安堵する。


「傑さん、私さっきのラジオ聞いてたんです」
「………うん?」
「……私も、この一生をかけて傑さんを守りたい、です。…たぶん私よりあなたの方が強いけど。そういうのじゃなくて、嫌なこととか、辛いこととかあったときにあなたをぎゅうって包み込んで、全部忘れさせてあげたいって、思い、ます…。本当はあの日サラッとプロポーズまがいのこと言われてそんな適当な求婚ある?ってムカついたんだけど……あんなの聞いちゃったらどうでも良くなっちゃった!」


晴々しく笑いながらそう言った彼女の言葉でようやく家出の理由を理解した。………そうか、彼女はそのことで怒っていたのか。たしかに、これでようやく隠れて会わなくて済むと浮かれていたのと勢い余って言ってしまったあれは確かに些か情緒に欠けていた気がする。
なまえが慈愛に満ちた表情で私を見上げてくる。嬉しい、とかそんな陳腐な言葉では説明しきれない感情が込み上げてきた。


「私と結婚してください、傑さん。求婚ってこうやるんだよ?抱かれたい男ナンバーワンのくせにプロポーズが下手って面白いね」
「…はは、かっこいいねなまえ」
「ふふ、そうでしょう?」
「…私のこと、幸せにしてくれる?」
「あはは!傑さん本当に女の子みたい!勿論!幸せの沼にズブズブにしてあげる!」


ああ、こんなところ悟に見られたら死ぬまで笑い転げそうなくらい情けないかも。悟には偉そうにエムワンの前に婚約指輪でも買ったら?なんてアドバイスしたくせに、自分は指輪も買ってないどころか彼女にプロポーズされる始末だ。


「それは楽しみだな」



後日またラジオで入籍の報告をしようとしたらその前になぜか私よりも浮かれきった悟があっさり自分のインジュタライブで配信してしまうという相変わらずのグダグダっぷりで、結局またなまえにしこたま怒られて口もきいてもらえなくて、いつのまにか尻に敷かれてる自分が少し可笑しくて、…それでいてどうしようもなく幸せだと思った。


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