暗転、もしくは晴天

さわさわと高専の敷地内に自生する広葉樹が冷たい風に乗って音を立てる。青々と茂っていたそれはいつのまにか赤や黄に衣替えを始めていて、強い風が吹くと力なく地面にはらはらと散っていく。ジリジリ照りつける太陽は何処へやら、高くなった空を傘の中から見上げながらなまえは、はあとため息を漏らした。


「……つまんない」


ぽろり、と溢れたいつもの明るい声色はどこへやら海底へ沈澱してしまいそうな重苦しい呟きは人気の少ない高専内の乾いた空気にやけに響いた。
ようやく任務に出るようになったなまえは未だ自身の等級が低いせいでクラスメイトと同じ任務に出ることは少ない。数日前から遠方の任務に出かけてしまったせいで、空いた時間に励んでいた五条・夏油との鍛錬もできず、たまに入る任務も二、三秒で片付く任務に行かされる程度でなまえは全く張り合いのない生活を送っていた。宇宙海賊『春雨』の第七師団で団長補佐をしていた血を浴びるような毎日とは真逆の平和そのもののような日々に漲る体力を持て余し、強者との戦いへの渇望で体が疼く。それを満たすことができないフラストレーションがはらはらと散る落ち葉のようになまえの心に堆積していた。細い体の中で身を潜めている今にも勝手に動き出しそうな筋肉が震えている。…次の任務、ちょっとぐらい呪霊いたぶってやろうかな。どうせ呪具使わないと死なないんだし、私の力だけで甚振っても痛くないでしょ?サンドバッグみたいにしたら愉しそう。…ァー、でも自分の打撃でダメージ食らわないのって結構ストレスなんだよね。やっぱり呪具使わないとストレス発散できないか…でも呪具使ったら一発で祓っちゃうし…ままならないなあ……せめて五条か夏油が付き合ってくれたらこんなにストレスたまらないのに…
なまえは今にも溢れ出さんばかりの戦闘欲をなんとか発散させんとひらひらと落ちてくる色づいた葉を上段回し蹴りで粉々に散らすという謎の遊びに興じることにした。


「オーイ、なまえ何遊んでんだー。夜蛾センが呼んでるー」


不意にかけられた唯一の同性の友人の声になまえはもうもうと募る苛立ちをいつもの微笑みの中に仕舞い込んで家入に向き直った。


「うん、すぐいくー」









「まあた歌姫先輩と?先輩何もしなくていいからぼーっとしてて」

突然入った任務はやはり大したことがなくて、なまえが呪霊に飛びかかって行ったのを庵が呆然としている間にあっさりと終了してしまう。フラストレーションの発散先は呪霊だけではなく任務地であった壊れかけの廃墟にまで影響を及ぼし、家屋だったものを完全に倒壊させた。上がる土煙に庵は巫女装束の長い袖で口元を覆うもゴホゴホと咽せ込む。「あんたはッ帳が下りるのも待てないの?!」とガミガミ怒る先輩の姿に指先で耳栓をしながら「ごーめーんーなーさーいー」と反省の色が全く見えない謝罪をしたところでなまえは近くで強い力がぶつかり合う気配を敏感に感じ取った。


「ちょっと!聞いてるの、なまえ!帰ったら始末書よ!」
「ごめーん先輩。野暮用みっけた!」


深海の色にまで落ち込みそうになっていたなまえの瞳は急に太陽の光でも差し込んだかのように光り始めたと思えば再び空へ駆けていく。突然また視界から消えたなまえについに庵は顔中に青筋を立てながら建物の屋根から屋根へ移動していくなまえに怒声を突き立てた。


「は?!ちょ!コラァア!待ちなさい!!!なまえー!!!」



そんな声を冷たい向かい風の向こうに感じながらなまえは昂る感情を堪えきれないといった様子で空を駆ける。最近お目見えすることもなかった強い呪霊の気配に血が湧き肉が踊る。今すぐに闘いたいと体が歓喜に震える。どうか一撃で終わりませんように。どうか少しでも愉しめますように。持て余すこの力を甚振っても構わない何かで発散しなければ自分でも何をしでかすかわからない、というところまできている気がした。








入学当初から自然とセットにされていた同級生との泊まりがけの遠方の任務を終え、さぁ帰るかと帰路についている途中途中、中継地点の任務もついでにやっといてくれ、と言わんばかりに地方から東京までの帰り道に押し付けられた任務に五条と夏油は少なからず苛立ちを感じていた。駄目押しのように入れられていた関東圏の任務に、こんなの高専待機の他の術師いただろコラ。そっちにやらせろよ馬鹿なのと言わんばかりに苛立ちながらも、呪力の流れが今までの雑魚とは桁違い─とはいえ、五条と夏油には取るに足らない呪霊に何度目かわからないため息をついた。五条は向こう側を何も映さないサングラスで視界を遮りながら掌印を組んだ─瞬間、彗星の如くやってきた『何か』に目の前の呪霊が吹っ飛ばされた。


「…何っ…?!」
「……なまえ?」


吹っ飛んだ呪霊の上で仁王立ちになって佇むのは、傘をさした少女。見覚えのある人物以外着ているのを見たことがない独特なチャイナ服を身につけ、風にたなびく髪は彼女を端的に表す薄桃色だった。どこからどう見てもなまえにしか見えないのに、どことなく纏う雰囲気がいつもと違っていることに五条と夏油は困惑を隠しきれない。

ゆらぁとなまえの上半身が揺れたと思えば、呪霊に向かって呪力も何も纏っていない包帯が巻かれただけの右の拳を呪霊に叩きつけた。何度も、何度も。なまえの打撃は呪霊を通して地に響き渡るような重さで呪霊の体に拳が通るたびに小さな地震でも起きているのかのような揺れが起こる。もちろん呪力のないなまえの拳を受けても呪霊は祓えないしダメージにも足りえない。反撃しようとする呪霊の体を膂力のみで押さえつけサンドバッグのように殴り続けるなまえの姿は異様でしかない。腕に巻かれた包帯に、殴りつける衝撃でなまえ自身の血が滲み始めた。それにも構わず一心不乱に殴り続けるなまえの姿に五条は思わず顔を顰める。



「っあいつ、なにしてんだ…?!」
「悟!さっさと祓うぞ!」
「…ああッ…!」


なまえに術式が当たってしまわないよう視界を遮るサングラスを外して呪力を緻密にコントロールさせながら無下限呪術を発動させる五条と、なまえを回収するべく呪霊に飛び乗った夏油が動く。それまで呪霊をタコ殴りにしていたなまえは動いた二人に戦闘意思があると見做したのか瞳孔の開き切った瞳で五条と夏油を認識し、ニヤリと嗤った。


「アハッ楽しくなってきたァー


五条の術式が呪霊に到達するよりも早くなまえは手持ちの呪具で足蹴にしていた呪霊を一撃で祓う。首が重い頭を支える力を失ったかのように振り子の如く頭が揺れる、ゆらゆらと近づいてくるなまえからは相変わらず呪力こそ感じないが、纏う闘気に五条と夏油の背筋に冷たいものが走った。─そこらの呪霊より遥かに厄介だ。なんだこいつ。呪霊祓いにきたんじゃねーのかよッ!今にも襲いかかってきそうだ、そう思った瞬間、五条の眼前にはなまえの足のつま先が迫っていた。─っぶね!
慌てて無下限を発動させてすんでのところでなまえのつま先が無限に阻まれる。それも想定済みなのかすぐにびりびりと空間が震えるほどの衝撃を伴った打撃が高速で展開され、普段の体術稽古でいかにこの女が手を抜いていたのかをまざまざと見せつけられたかのような気がした。
うすら笑いを浮かべながら嬉々として拳を打ち込むなまえは明らかに正気を失っている。なんとか気を失わせるか、戦闘不能にするしかなさそうだが、細身に見えて鋼のように硬いなまえの体と底なしの体力を思い出して顔を顰めた。



「オイ!なまえ!正気に返れ!!!」


五条がそう叫んだのと同時に夏油が仕方ないと持ち手の中で戦闘力の高い呪霊を放った。
勢いよくなまえに襲いかかるウツボのような呪霊はなまえを一飲みするが、刹那、呪具で切り刻んで出てきたなまえにクソッと悪態をつく。数で畳みかけるように呪霊を放ち、五条と夏油はモーションをかける。なまえの背後を取った五条が伊達に数ヶ月こいつと稽古やってきたわけじゃねーんだよ!とうなじめがけて手刀を落とそうとした─「ばぁ」高速で振り返った予備動作から強烈な速度の回し蹴りが頭に直撃し軽い脳震盪を起こす。


「悟!!!」
「マジかよこいつイかれてる…サイコーじゃん」
「悟の性癖どうかしてるんじゃないか?!」


五条の頭になまえの攻撃が直撃するとは思わず夏油は一瞬動揺し、ふらつく五条に注意を持っていかれる─その瞬間に腕を引っ張られて鳩尾に一発、掴まれた腕の逆支点から拳を叩き込まれ、骨があっけなく折れた音が体内で響いた。


「グッ…?!」
「ふたりともー、やっぱりつよーい。わたしいま、さいこーにたのしい
「オイオイオイ、目ェイっちまってんぞ…」
「なまえ…!どうしたんだい一体…!」
「ふふふ、みんなわたしほったらかすから…闘いたくて仕方ないのッ…!!」
「あ゛ーっくそ!仕方ねえ、ゴリラだしまともに食らっても生きてんだろ!」
「ちょ!悟!何するつもりだい」
「出力最大でぶっ飛ばすんだよ!」
「!?死んだらどうする!」
「俺らが先に殺られるわ!傑はなまえに殺されたくなかったら手持ちの呪霊でなまえ固定しとけ!!」
「くっ……一体何だっていうんだ…!」



明らかに正気を失っている焦点の合わないなまえを一瞥して苦々しい表情を浮かべながら夏油が呪霊を放つ─と同時に五条が完璧にコントロールされた呪力を込めた無下限呪術の術式順転『蒼』を発動させれば、なまえを押さえていた呪霊ごと地表を抉り取りながら空間を引き寄せる。ぐい、と引き寄せられる力を膂力のみで耐え抜いたなまえの姿に五条は顔を引き攣らせた。


「たぁーのしいー
「!おいなまえ!鍛錬ならいつでも付き合ってやるから落ち着け!俺らもここもボロボロじゃねーか!」
「ふふ、うふふ、もっと、もっと!っァ゛?!」

五条の言葉に反応したなまえに夏油は一瞬の隙を突くべく羽交締めでなまえの動きを止めた。

「!!傑ナイス!─オラァッ!正気に戻りやがれこのゴリラァ!」


ゴチンッ!なまえに呪力でガードしながらも頭突きをくれてやった五条は今までのどの頭突きよりもやった後悔をする頭の痛みに襲われた。かち割れそうになるのを涙目になりつつなんとか我慢する。なまえの方も五条からの呪力を込めた全力の頭突きに一瞬スパークが襲ったのか、虚に開かれていた瞳が段々正気を取り返していく。バクバクと高速で血液を全身に巡らせていた心臓が次第にスピードを緩め、ふわふわとした頭の中がだんだんクリアになってくる。─あれ、私今まで何してたっけ。



「あ、れ…五条?夏油…?」
「なまえ…!やっと正気になったのか?!」
「クッソいって〜〜〜ッ!お前ー!覚えてろよ馬鹿ゴリラ!!コンビニスイーツ今度お前の全奢りで制覇だからな馬鹿なまえ!!」
「えええ…なにごとなの……ってやばいじゃんここ。アスファルトえぐれてるし二人ともボロボロだし…何妖怪大戦争でも起こった?」
「「ぶっ殺すぞ」」
「えっこ、こわ〜〜ッ!めっちゃ怒ってるじゃんえ、私何かした?!」



はぁとため息をついた夏油に事の顛末を聞かされたなまえは正気を失っていた間の自分の記憶がないことに頭を抱える。うそ、もしかして最近我慢しすぎてて夜兎の血騒いじゃったかもしんない…!と血の気の引いたなまえの様子になんという厄介な種族なんだと二人は顔を見合わせて嘆息した。


「定期的に本気で闘わなきゃ暴走するってこと?」
「あーいや、どっちかっていうとやっちゃ駄目だって我慢するのが駄目な感じ?抑圧してたらバーンってなんの」
「……ハァーーー…」
「お前がわけわかんねーこと言うから傑の脳みそパンクしたじゃねーか!」
「ええ〜…そもそも二人が最近構ってくれないからじゃん〜っ任務もショボい呪霊ばっかで一撃で終わるからつまんないしィ〜」
「お前反省してねーだろ!俺らいなかったらゼッテー非術師殺してたぞ呪詛師一歩手前じゃねーか何してんだこの馬鹿!」
「ひぇん…ごめん…」
「本当に、今回ばかりはやられたよ。私なんて右腕折られてるんだからね?勘弁してくれよ全く」
「ご、ごめん……。夏油に怒られるのが一番心にくる……」



ああ〜疲れたあ〜!!と強張った身体を脱力させながら世紀末のようになった現場に座り込んだ五条はオロオロとするなまえがいつものように晴天のような瞳を自分に向けていることに心底安心して大の字になって天を仰いだ。




後日、なまえは全ての報告を受けた夜蛾に論文が書けるのではというほどの原稿用紙に反省文を書かされ、最中はずっと正座をするよう要求され、もう二度と正気を失わないよう気をつけようと心の中に誓った。





とき様、この度はリク企画へのご参加ありがとうございました!
闇い夜に煌めくはを応援してくださってありがとうございます!
夜兎の本能に呑まれて最強二人に止められるお話ということで久しぶりに戦闘シーン書いて私も頭バーンしそうでした笑
楽しんでいただけると幸いです!素敵なリクエストありがとうございました!!


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